05 策謀の剣戟


『邂逅』





石柱に寄り掛かりながら、アテムと瀬人は肩を並べて話をしていた。
瀬人は落ち着いた声音で現世の出来事を語り、アテムはそれに時折、懐かしむような笑みを浮かべて応える。
そこには、かつて互いにカードと言う名の剣を交えた激しい2人の姿はない。
まるで、この穏やかな時間を、ただ静かな会話を楽しむ、恋人同士のような空気があった。
その時、庭の奥に影が差した。
砂を踏み締める重い足音。
声はなくとも、到来した存在が誰なのか、瀬人にはすぐに分かった。
アテムが振り向くよりもずっと早く、瀬人は視線を上げていた。
「…古代の亡霊、か。」
低く、挑発を含んだ声が自然に零れる。
現れたのはセト。
青の衣を纏い、金の装飾が陽光に輝く。
瀬人に対して、かつて王であった時分の威厳を隠さず、砂を踏み締めて歩む。その姿は、まるで時間を超えて存在しているかのように見せていた。
セトの目はまずアテムに向けられ、優しく細められた。
「王、こちらにおられましたか。」
その声音には、長きに渡る臣下としての敬意と、揺るがぬ誓いが込められていた。
「ああ…。探させたか?セト。」
「いえ。私があなたを見つける事など、容易だとご存知でしょう。」
口調は穏やか。しかし暗に、同じ時を共にした者同士であると匂わせる。それだけで、充分、挑発や牽制の意味を含んでいた。
アテムが目を逸らした次の瞬間、セトの視線は鋭く瀬人へと移る。
わずかな一瞥だけで、2人の間だけ、空気が凍りつく。
瀬人もまた、一歩も退かず、アテムの隣に立ち続ける。
セトは小さく鼻で笑った。
「…現代の子か。」
セトの声は静かだが、瞳の奥の鋭い炎が敵対の意志を示す。
瀬人はすぐに返す。
「古代の亡霊、過去に縋るのは俺の趣味ではない。」
アテムが戸惑ったように2人を見比べるが、会話は止まらない。
「私が守り続けたものを誰よりもご存知の筈。軽々しく口にしないでいただきたい。」
アテムから託された国を、アテムの願いを守る。思いや誓い。
知ってはいる。しかし瀬人にとってそれは他人の記憶でしかない。
「それは貴様の事情だろう。アテムは今、俺の隣にいる。」
言葉は少ない。何の話をしているのかはアテムにはよく分からなかったが、2人が言葉をそれ以上続けることはなかった。
だが、互いの目線、微妙な呼吸、肩や指先の僅かな動きが、見えない剣となり庭園に振動を生む。
アテムは何故か一歩後退したい衝動を覚えるが、足は動かない。2人の何とも表現し難い気配に遮られ、声を飲み込んだ。
ここで声を上げれば、「何か」に巻き込まれてしまうことを、本能が知らせていた。
互いに口を閉ざし、笑みすら浮かべず、互いの目を射抜くように見つめ合う。
アテムの前ではこれ以上踏み込めない。
時間が止まったかのように感じるその瞬間、だが火種だけは確かに落とされた。
争いでもなく、会話でもない。
ただ「戦いの始まり」を告げる衝突の瞬間。

庭園に流れる沈黙は、剣よりも鋭い緊張の匂いを孕んでいた。






『晩餐』





冥界の静寂の中、アテムは目を輝かせながら瀬人が用意した好物や、知らない味を楽しんでいた。
通りかかったセトも、アテムによって巻き込まれてその場に居た。
「うん…これも美味い!」
微笑む顔は、純粋に喜びに満ちている。
その背後で、瀬人とセトの視線が鋭く交錯する。
瀬人は手をアテムのそばに置きながら、心の中で計算する。冥界の優位に頼るつもりか。甘いな。
一方のセトも、表面は微笑むだけだが、目の奥で冷徹な策を練る。現世の記憶だけで心が縛れると思うな。
言葉は交わさない。互いに、微細な仕草や視線で牽制し合う。
アテムの前で、直接衝突することはない。
それに、下手に攻撃を始めれば、逆に足元をすくわれることをお互いに知っているからだ。
だが、微妙な距離感、皿の差し出し方、触れる指先の僅かな強さ。
全てが心理戦の舞台装置となり、2人の駆け引きは静かに、しかし激しく火花を散らしていた。
「王、こちらを。」
セトがターメイヤの乗った皿をアテムに差し出す。
「ありがとう。そう言えば、2人とも牛肉が好きなんだったな。」
セトの表情が一瞬、硬直する。
アテムが牛フィレ肉フォアグラソースの皿をセトの前に出した。
いつもの牛肉のステーキとは異なった様相だが、セトはそれを口に入れた。
「どうだ、セト?」
「…美味、ですね。」
「やはり同じ感想だな。」
内心では非情に評価しているのは分かるが、それでも反応の薄いセトに、瀬人が呟く。
「白身魚の素揚げでも用意してやろうか。」
「お好きなように。」
アテムはその和やかとも言える様子に、味に、幸福に浸る。
「誕生日まで同じだったりして。」
瀬人は無言でディスプレイ操作をし、内容を確認した。
その瀬人の表情が硬直する。セトはそれで悟った。アテムが怪訝そうな顔をする。
「海馬?」
「ナイル増水期第四の月9日。現代の暦に換算すれば10月25日。お前の読み通りだ。」
瀬人は事実だけを淡々と告げる。
アテムがは更に笑うが、瀬人とセトの視線は刹那交わり、スッと逸らされる。
2人の裏の火花に気付くことなく、アテムはただ味覚と温かさを享受している。
瀬人は心の中で覚悟を固める。誰にも奪わせはしない。幸福も、記憶も、アテムの想いも。
セトもまた密かに決意する。地の利はある、この冥界を利用して、確実に私の影響下に置く。
冥界の空気は静かだが、2人の心の奥では火花が散り続ける。

アテムには見えない、静かで激しい戦いは、既に幕を開けている。






『偶然』





冷たい石壁に響くのは、衣擦れの微かな音だけ。
そこに立つのは、セトと瀬人。
顔を合わせるつもりなどなかった。しかし偶然とは悪戯なもので、とうとう鉢合わせてしまった。
更には辺りに人影はない。
アテムをめぐる存在を無視することはできず、言葉を重ねるよりも先に、視線だけで剣戟のような応酬が始まっていた。
セトは、深い青の瞳で瀬人を射抜く。
その瞳は「王の座を守り続けた者」の覚悟を宿しており、ただの神官でも後継でもない、血と誓いを背負った存在感を放つ。
瀬人も全く同じ色の目で睨み返し、一歩も引くことはなかった。顎をわずかに上げ、氷のような冷笑を浮かべる。
先に口を開いたのは瀬人だった。
「オカルトグッズの化身か。」
「私の記憶を持ちながら、あれらをそのような括りで扱ったと、王からは聞いている。」
セトは、冥界でのアテムとの距離の近さを、隠すことはしない。
「あのような悪趣味極まりないものは、俺には必要ない。」
「王を守り、勝利を得るためだ。それにしても上手く導いたようではないか。王を強く目覚めさせた点では最もよく働いた来世の子ではある。」
あからさまな挑発に、瀬人は鼻で笑った。
「記憶の干渉で俺に指図していたつもりか。生憎だが俺は何も手を貸していない。」
「果たしてそれはどうか。王はお前に世話になったそうだがな。私の記憶を前に、結局は守るしか選択肢はない。」
セトが、支配しているのは自分だとばかりに薄く笑う。
「守る、だと?」
「私は守る者だ。これまでも、これからも。」
「貴様が王を守るために存在するのなら、俺はアテムを生かすために存在している。」
セトの口元がわずかに歪む。
「生かす?その言葉で、己の欲を覆い隠す気か。」
声は低く、冷ややかに響いた。
瀬人も、口角を上げる。
「俺が欲しいのは、ただの王ではない。アテムだ。貴様に出来るのは守ることまでだろう。奪う覚悟があるのは俺だ。」
「力任せでは、長くは保たぬ。」
「安心しろ、すぐに終わらせてやる。」
一瞬、空気が張り詰める。
セトの指先が無意識に短刀の柄へ伸び、瀬人は胸ポケットの銃に触れる。
互いに千年アイテムの力で戦うには相手が悪すぎる。どこを狙うか、無意識に心を読み合う。
セトにとっては慣れたもの、狙いは脚と瞬時に読み取る。甘いな、と口元には薄い笑み。
瀬人はそれに慣れてはいないが、かと言って選択している武器で負けはない。だが読んだ狙いは心臓一突き。
冥界の静寂に、見えない稲妻が走ったようだった。
その瞬間、背後から近づく足音。
アテムの気配に、2人は同時に目線を流す。
セトは剣から手を離し、瀬人も表情を取り繕う。

だが、互いの瞳の奥では、なおも火花が散り続けていた。






『茶会』





アテムの計らいで、アテム、瀬人、セトの3人で卓を囲むことになった。
同じ目的を持った、縁のある魂同士を引き合わせたかったのだ。
確かに2人は同じ目的を持っている。アテムを手に入れる。全く同じだ。
だが、アテムが離席した瞬間、残されたのは瀬人とセト。
広間の扉が静かに閉まる。
「…さて、王がいなくなった今、少し話をしようか。現代の子よ。」
セトの声は穏やかだが、鋭さを帯びている。
瀬人は目元に微かな笑みを浮かべた。
「静かに考えるには、良い時間だ。だから黙っていろ、古代の亡霊。貴様と話すことなど何もない。」
言葉の間に、互いの存在感がぶつかり合う。
周到さと突破力、実務力と創造力、合理と合理。
それぞれが持つ武器を、言葉や視線だけで試し合う。
「古代の亡霊か…私の存在があってこそ王と出会えたと言うのに、何とも言ってくれる。」
「実際、貴様は今や石板。過去の遺物だろう。」
広間の空気が、2人の言葉で削られていく。
「遥か時を超え、私は王の魂と共に歩んできた。その重さが分かるか、現代の子よ。」
セトの声は砂漠の風のように乾き、静かに瀬人を穿つ。
瀬人は肩ひとつ動かさず、冷たい笑みを含ませて返す。
「過去に縋って誇りを守るだけなら犬にでもできる。アテムを支えるのは今を勝ち抜く力だ。」
セトの顔に僅かな苛立ちが走る。
目は細く、言葉にはかつての王としての懐の深さがこもる。
「力か、愚かな。勝利は永遠ではない。王の傍らに立つ者に必要なものは、時を超えても揺らがぬ誓い。お前の刹那的な才覚など、砂漠の蜃気楼にすぎぬ。」
瀬人の笑みが薄く刃になる。指先で茶器を回す仕草すら、挑発になる。
「誓いだと?そんなもの、俺が言葉で縛らずとも、アテムは俺と共にいる。古代の亡霊に口出しされる筋合いはない。」
セトの声が低く落ちる。問いかけの冷たさが、広間を満たす。
「ほう。ならば問おう。王が『変わらぬ誓い』をお前と交わしたのは何故だ。お前の力だけでは不安だと、王自身が悟っていた証ではないのか。」
瀬人は口元に僅かな笑みを残す。声は静かだが断定的だ。
「いや、違うな。あれは俺にとっては勝利宣言だ。アテムは変わらない。どれだけ貴様が周到に仕掛けたところで、最後に選ぶのは俺だ。今の内に潔く引いておけ。」
セトは目を細め、笑みもなく返す。
「…その思い上がりが、いずれお前を砕く。だが、いいだろう。砕け散るその時まで、私は王の傍から離れぬ。最後に残るのは私だ。」
2人の言葉が、答えのない決闘のように床に落ちる。
外の廊下に音はなく、アテムはまだ、戻って来ない。
菓子や果実の甘い香りは確かに漂うのだが、この空気に対してあまりにも無力だった。
「離れぬだけで何が出来る」
「私は王を守り続けるのみ。」
「どのように守るつもりだ。アテムはいずれ、その手をすり抜ける。」
セトの視線が鋭さを増す。
「王に託された国を、私がいかに立て直したか。お前は知っているだろう。崩壊した秩序を再び織り上げ、民を導いた。血を流し、誇りを守った。あれこそが『守る』ということだ。」
瀬人は薄く笑い、茶器を音もなく卓に置いた。
「過去の手柄を盾にするのは老兵の常套句だな。俺は未来を築いている。カードの帝国1つ取ってもそうだ。この手で、誰も成し得なかったものを、今この瞬間も。アテムに必要なものは、過去を語る語り部ではない。今この瞬間に肩を並べる存在だ。」
セトの眉がわずかに動き、静かな声が返る。
「肩を並べる、か。王とお前の歩みなど、それこそ蜃気楼に過ぎぬ。現世の栄華など、時の砂に呑まれれば消える。」
瀬人は真正面からその言葉を切り裂いた。
「ならば見届けるがいい。蜃気楼だろうと、アテムが望む景色は俺が作る。貴様が築いた過去を超えてな。」
言葉の応酬は冷たく、重く、広間を削る。
瀬人とセト、それぞれの存在感が、火花となって空気を切り裂く。
セトの目が細まり、広間に冷気が落ちる。
今度こそ、互いにこれ以上言葉を重ねれば、もう言葉では済まなくなる。

やっと、遠くからアテムの足音が近付いてきて、緊張の糸が途切れた。
アテムが軽やかな足取りで戻ってくる。
「待たせたな。さあ、続きを。」
アテムが椅子に腰を下ろした瞬間、広間の空気は驚くほど穏やかになった。
先ほどまで睨み合っていた2人は、何事もなかったかのように湯を注ぎ合う。
瀬人は抑揚を抑えた声で言う。
「この茶は悪くない。現世にはない味だ。」
「冥界には冥界の豊かさがあります。」
セトも頷き、薄く微笑む。
「現代の甘味もなかなかに良いものです。王が最も好まれるものはどれです?」
「このチョコレートだ。最も、ここに並べたものは全て好む。」
アテムはそのやり取りを見て、ほっとしたように微笑んだ。
「2人とも仲が良さそうで何よりだ。」
だが。
その笑顔を見つめる2つの視線の奥では、未だ火花が散っている。
どちらも一歩も退かぬまま、互いの仮面を完璧に貼り付けていた。
アテムは笑顔で茶器を手に取り、軽やかに言った。
「今日は新しいのが入ったんだ、次はどれがいい?」
アテムの目は自然と瀬人に向かう。
「まずは海馬からだな。俺に『この世の味』をくれたのはお前だから。」
瀬人はわずかに微笑むだけで、頷きもせず茶器を受け取る。
その無言の肯定が、アテムには順番通りであると理解できる。
しかし、その動きを見つめるセトの視線は冷たい。
セトは一切表情を変えず、淡々と茶器を持つ手を整え、礼を言った。しかしそこには明確な優越感が滲む。
「良いものを選んだな、現代の子。」
その短い一言に含まれる計算と余裕が、瀬人に強烈な牽制として響く。
一言だが、その声の奥には、「自分こそが王の側に立つ価値がある」という自負と、瀬人への微妙な挑発が潜む。
瀬人は動じない。
だが、茶器を口に運ぶ指先にすら気を配り、セトの視線の一つ一つを読み取る。
そして内心で、微かな駆け引きを楽しむ。
この優越感を持つ古代の亡霊を、言葉に頼らず黙って抑えることも出来る。
腕や姿勢、茶器を置くタイミングだけで、こちらの支配を見せつけるのだ、と。
アテムはその二人の微妙な応酬に気付くことなく、ただ純粋に笑う。
「よし、2人とも、一緒に味わおうぜ。」
その笑顔の背後で、瀬人とセトは互いの目をチラリと確認する。
言葉はなくとも、視線と沈黙だけでバチバチと火花を散らし、視線を外す。
瀬人は無言で茶を口に運びつつ、ほんの僅かに視線をセトに向ける。
その瞬間、沈黙の中に、先ほどよりも微妙に力関係が明確になる。
セトは視線を返す代わりに眉をわずかに動かし、挑発を返すように静かに茶を傾ける。
言葉はない。だが、互いの心の中で、優越感と駆け引きの小さな勝敗は、振り子のようにあちらこちらと動いている。

広間には甘い茶の香りと、言葉にされない戦いの気配が同時に漂っていた。











この先、分岐あり

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