06b 時の網

*セトアテ


冥界は、空間も時間もセトの領域である。

現代の子は手強い。
威圧も威厳も効果はない。そもそも敬意と言うものを持ち合わせていない。完全な支配者側の人間だ。
更には出来が良すぎる。
前世のセトから見て予測できる要素はあれど、それを越える臨機応変さと判断力、心理的駆け引き、行動力を併せ持っていた。
しかもそれが、アテムを守り獲得するために完全に集中されており、セトにとっては手強く、厄介そのものだった。
単純な「強さ」だけでなく、状況判断力と戦略性が極端に高い。
更には標的であるアテムの心の動きや行動の傾向までも巧みに利用できる。
周到さと突破力のバランスは完璧で、予測通りに動かせない。
想定していた「来世の子」の行動パターンを軽く超えてしまう存在。
それゆえ、瀬人はセトにとって予想以上に厄介な敵であり、勝利するのも一筋縄ではいかない相手だった。

冥界でセトがアテムと再会した時には、既にアテムの心が瀬人に傾いている状態だった。
だが、勝ち筋はあった。外から包むことだ。
その穏やかな時間の最中に、瀬人は冥界に乗り込んできた。生きたままで。
セトの勝ち筋はその存在によって細い線となった。
その線は糸のように細い。だからセトはその線を、網目のように巡らせた。
セトにとって有利な点は。瀬人にとって有利な点は。それぞれの勝利条件は。それらを全て把握し、対策を講じていく。
しかしその計算も、瀬人によって狂わされることも多く、結果、膨大な量の妨害を差し込んでいかなければならなかった。
アテムの時間、居場所、すべき事、それらをコントロールして、これ以上思いが大きくならないように仕向ける。
しかし、会えない時間に思いを育てられてもいけない。セトはそこに寄り添い、アテムを王として「教育」することで信頼や安心感を確固たるものにしていった。
時間はかかる、元より時間はかけるつもりで居た。
瀬人の存在さえなければ、穏やかに、時間をかけて関係を築いていけた筈だった。
かと言って、一朝一夕で思いの天秤の向きが変わる筈もない。
アテムの中の思いは触りようのない変数。そこには触れない。
ひたすら、セトで上書きするのみであった。





アテムの執務室。
アテムは書類や小物を整理しながら、時折セトに尋ねる。
「これでどうだ、セト?」
セトは穏やかな声で応える。
「問題ありません。王としての威厳を損なわぬよう整えられております。」
王はアテムである。しかしあの戦いで夭折し、在位期間は無いようなもの。
対してセトはアテムよりは在位期間も長く、復興のため奔走した。実務能力はセトの方が格段に高い。
ごく自然に、王の教育係のようなポジションに収まっている。
セトの言葉は簡潔だが、含まれる安心感はアテムにとっては圧倒的だ。お陰で、手元の作業に集中することが出来る。
アテムは既に、セトに対して無意識に心を委ねていた。
セトは視線を外すことなく、淡々と、しかし決して冷たくない距離感でアテムの動きを見守る。
アテムが少し迷えば、セトは微かに声を落とす。
「その決断も間違ってはいません。しかし、こうすれば更に良いでしょう。」
その言葉に従うと、アテムは小さな達成感を覚える。
度々見られるこの光景は、他人の前では、さりげない「教育」や「助言」に過ぎない。セトがそのように見せているからだ。
しかしこれは教育でも助言でもない、依存を生む支配。それに気付いているからこそ、瀬人はその度に僅かに眉を寄せた。
だが、積み重なるごく自然な依存の感覚は、アテムの心を少しずつセトに委ねていく。
夕暮れ、執務室の窓に淡い光が差す。
アテムは1日の作業を終え、満足げに伸びをする。
「今日も助かった、ありがとう、セト。」
セトは淡く微笑む。
「王のためなら、いかなることも惜しみませんよ。」
アテムの手が書類から離れ、自然にセトの隣に腰を下ろす。その距離の心地よさに、アテムは気付かぬまま安堵する。
静かな日常の中で、セトの穏やかな掌握が確実に心を染めていく。
アテムの中には確かに瀬人が残した「想い」も「変わらない誓い」も存在する。
だが、セトは急がず、焦らず、アテムの生活の隙間、日常を「セト」で巧みに埋めていく。
知らず知らず、アテムの意識は、安心と義務感を伴う依存、としてセトに傾いていくのだった。

セトの、アテムに対する手段は至ってシンプルだった。

例えば、
アテムに無理をさせることはしない。
執務室で書類を整理するアテムの傍ら、セトは静かに座る。
「お疲れでは? 休みましょう。」
一言でアテムは体の力が抜け、呼吸が整う。
瀬人は心の拠り所ではある。しかし、セトのさりげない配慮は現実の安心感として直接効く。
日常の小さな支えは、アテムの心理的依存を少しずつ育てていく。

または、
些細な決定に迷うアテムに、セトは静かに助言する。
「過程より、良い結果になる方を。王のためにも、これが最適かと。」
アテムは頷き、片方を選び、結果に満足する。結果、自分で決めた自尊心と、セトに頼った安心感が同居する。
小さな判断の積み重ねは、心理的支配の布石となる。

そして、
夕刻、アテムがセトの近くで書き物をしている時。
無意識に肩越しに視線を送るアテムに、セトはそっと肩の角度を直すだけ。
言葉はなくとも、アテムは、この距離感は安心である、と言うことを学ばされている。
セトの存在は、徐々に心理的拠り所に変化していく。

更には
休憩の時間。
アテムが微笑みながら選んだ茶器を、セトは自然に受け取り、礼を言う。
その動作に込められた細やかな気配りは、無意識にアテムの心を揺さぶる。
瀬人へ傾いていた想いによる影響は残る。だが、「現実」の安心感と依存はセト側に傾き始める。

そうした小さな積み重ねにより、アテムは気付かぬうちに、日常の中でセトの存在を心に刻まされていった。






瀬人が現れた瞬間、空気が張り詰めた。
玉座の傍らに立つアテムが、一歩前に出ようとする。
だが、それよりも早く、側近の一人が進み出て恭しく告げた。
「申し訳ございません、王。次の儀式の時刻が迫っております。長くお話しするお時間は…。」
アテムが困ったような顔をすれば、セトはそっと歩み寄り、柔らかい笑みを浮かべた。
「王、ここは私にお任せを。お言葉は必ず伝えましょう。客人のご心配も分かりますが、務めを優先すべきです。」
その所作は優しく、誰の目にも正しい行いに映る。
アテムの瞳が、一瞬迷った末にセトを見上げる。そして、小さく頷いた。
その様子を目にした瀬人の瞳が細く光る。
だが、アテムの周囲は完全にセトの手で固められている。
瀬人が踏み込もうとすれば、礼儀を欠く者として糾弾するだけだろう。瀬人にそんなものが通用する筈もないが、代わりに傷を負うのはアテムである。
セトはその構図を知り尽くしていた。
ゆっくりと、アテムの肩に置いた手に力をこめ、瀬人を真っ直ぐに見据える。
「ここは冥界。王を守るのは私の役目。」
柔らかな声音の裏に、確かな支配の響きを忍ばせて。
瀬人も、セトの策略など分かっていた。
周囲の視線、礼儀、それらを一切無視した場合に誰が1番ダメージを受けるのか。
しかし瀬人は、真っ直ぐにアテムへ言葉を投げた。
「どうしたアテム、顔が強張っているぞ。」
アテムの目が一瞬潤む。
その声音に揺らいだ心が、ほんの少しだけ瀬人へ傾きかける。
だが、その瞬間。
セトは何も言わずに、ただそっとアテムの肩に置いた掌を強めた。
静かに、しかし確実に「戻れ」と告げる圧。
アテムの体が僅かに竦み、無意識にセトの方へ重心を預ける。
瀬人の眼光が鋭くなる。
しかし声を荒げることはない。ただ、低い声で呟いた。
「支配の仕方が狡猾だな、古代の亡霊。」
セトは顔色1つ変えない。
「支配?」
むしろ微笑を浮かべる。まるで瀬人の言葉を褒め言葉と受け取ったかのように。
「王は務めを果たそうとしている。それを支えるのが私の役目。あなたがどれだけ言葉を尽くそうと、その務めを放棄させることは不可能です。」
アテムは言葉を失い、ただ2人の間に立ち尽くす。
空気は凍りつくほど冷たい。
しかし、表面上は穏やかなやり取りにしか見えない。だからこそ、なおさらバチバチと火花が散っていた。

アテムへ向けられた瀬人の声は、鋭くも温かかった。
表情の具合1つ。ただそれだけなのに、胸の奥に溜まっていた疲労や孤独が一気に解かれていく。
現世で共に過ごした時間の温もりが、鮮烈に蘇る。
思わず名を呼びそうになった。
しかしその時、肩に置かれたセトの掌がわずかに強くなった。
振り返ると、あの揺るぎない青の瞳が静かに見下ろしていた。
「務めを果たせ」言葉にはされなくても、その意志が伝わって来た。
胸の中で二つの声がせめぎ合った。
瀬人は「生きるアテム」を欲する。
セトは「王としてのアテム」を支える。
どちらも嘘ではない。
どちらも、自分を見ている。
言葉にならない問いが、心の奥底で渦を巻く。
目の前の二人の視線が、自分を真っ二つに引き裂こうとしていた。

アテムはセトの言葉に俯き、それから瀬人を見上げた。
「…海馬。今は務めを果たさなければならないんだ。だがその後で、必ずお前の所へ行く。部屋で待っていてくれ。連絡する。」
通信機器を片手に笑顔を向ける。その眼差しには迷いがなく、むしろ誠実な強さがあった。
瀬人は短く息を吐いた。
「分かった。アテム。俺は逃げない。」
「ああ、約束する。」
セトは黙して微笑む。
だがその沈黙は、冷ややかな余裕に満ちていた。
「務めを果たす」その一言をアテムに言わせた時点で、セトは既に優位に立っている。
果たすべき務めはいくらでも積み上げられる。
約束の時など、永遠に訪れぬようにすることも不可能ではないのだから。



夜。静寂が部屋を包む中、瀬人は扉をそっと閉めた。
アテムが長く務めを果たした後、やっと自室に戻ったばかりだ。疲れた肩、緊張で硬くなった背中。瀬人はそれを見逃さない。
「明らかに過労だな。スケジュールを見直せ。」
低く響く声とともに、瀬人はそっとアテムの肩に手を置く。重くも、鋭くもない。ただ、優しさで満ちた温度。
アテムは一瞬、驚いた表情を見せるが、すぐにほっと息を吐いた。
「そうか?だが、大丈夫だ。ありがとう。」
瀬人は微かに微笑む。セトの影は意識している。だが、この夜は、目の前のアテムに全てを向ける時だ。
手を伸ばし、アテムの髪に触れる。指先の温かさと、穏やかな重さで、アテムの心を静めていく。
「今日はしっかり休め。明日も予定を詰め込まれているのだろう。」
言葉は的確、そして確かな命令にも似た優しさを帯びていた。
アテムは小さく頷き、肩を緩め、瀬人の腕に頭を預ける。
金平糖を押し込まれれば、その優しい甘さに、懐かしさに、アテムは体から力が抜けていくのを感じた。
瀬人は内心で計算する。セトが環境で縛ろうとしても、アテムの依存と安心感を少しでもこちらに傾けることは不可能ではない。手を出すわけではない。触れるだけで充分だ。と。
『ただ、奪われているものがあった。』
冷静さと欲を混ぜ、穏やかに、しかし確実にアテムの心を絡め取る。
『しかし、圧倒的に足りないのだ。』
アテムの呼吸が落ち着くのを確認して、瀬人は軽く微笑む。
『それでも、必要なもの。』
「眠れば、少しは回復するだろう。」
アテムは目を細め、柔らかく笑った。
「折角来て貰ったのに、悪いな。」
瀬人の指先がそっとアテムの頭を撫でる。静かな夜だ。外には誰もいない。
アテムの時間はセトにコントロールされている。「務め」を積み上げているのだろう。
瀬人は、この短い時間の全てで、セトの仕掛けへ対抗しなければならなかった。
甘さと支配の絶妙なバランスはアテムにとっては心地よい筈ではある。
だが問題は、奪われている圧倒的に足りない必要なもの。

瀬人はアテムの髪を指先で遊びながら、アテムの置かれている現状について思案していた。





夜明けの廊下。
朝の薄明かりが石壁を淡く照らし、冷たい空気が2人の間に張り付いていた。
瀬人は石壁に凭れ掛かる姿に足を止めた。アテムを眠らせ、現世へ戻る所だった。
その視線を受け止めるセトは、微笑を浮かべながら立っていた。
「貴様、朝も早くからこんな所にいるのか。」
瀬人の声は低く、挑発を含んでいた。
「当然だ、王は私の元にいる。」
セトは穏やかに答える。だがその一言の裏には、冷徹な優位を示す力が隠れていた。
瀬人はセトを睨みつけた。セトも睨み返す。
短期心理戦の垂直突破で勝負を決めるのが瀬人のやり方だ。しかし、セトは焦ることなく、時間を味方にして水平に広げてくる。
「お前の記憶は誰よりも知っている筈だ。短期決戦では私には勝てない。時間が味方をする。」
セトの口元には柔らかい微笑、しかし内側では鉄のように硬い意志が光る。
「なるほどな。やはり貴様は日常の積み重ねで来るか。だが水平展開ではゲームの展開は遅い。」
瀬人は短期で攻めていた。瀬人のペースに置き去りにされないためには、少なくとも同じペースで付いていかねばならない。
しかし、セトは冷静に水平展開で応じる。
「それが盤石。急がず、焦らず、王を守るには時間が必要だ。」
瀬人は一歩近づき、視線を鋭くする。
「時間か。だが俺は、アテムの心を奪うのに時間など必要ない。すぐに勝負は決まる。」
しかし、セトの視線は微動だにせず、まるで網の目の中で瀬人の攻撃を受け止めるかのようだった。
「お前がいくら急いだところで、何が出来る。王の心は私が守っている。」
言葉は穏やかでも、その圧は瀬人を追い詰める。
二人の間に、言葉の火花が散る。
互いに譲らず、しかしまだ触れず、攻めず。
アテムはまだこの廊下にはいない。だが、この空間での心理戦こそが、勝利への布石となる。
瀬人は短い息を吐き、視線を外す。
「やはり、貴様はまだ勝負を続けるか。」
セトは微笑み、足を進める。
「王が私の元にいる限り、焦ることはない。」
瀬人の様子を眺めながら、セトは言葉を重ねる。
「王のために全てを費やしてきた私に、後から現れた子が割り込む余地などない。」
言葉には攻撃性はない。だがその重さは瀬人の胸にじわりと圧をかける。
「簡単には譲らん。」
力強い言葉だ。しかし、相手はセトである。焦燥は募る。
短期勝負型の瀬人。水平展開の戦術も決して苦手ではないが、今回、自分が使うには向いていないことは分かっていた。
無言の時間が流れる。
セトは微笑みを浮かべ、立ち位置や視線、間合いだけで優位を示す。
瀬人は一歩も引かずに睨み返すが、その視線の奥で苛立ちが増すのが自分でも分かる。
やがて瀬人は一度、深く息を吐いた。
「…無駄な時間だな。」
すれ違いざまに告げ、今度こそ現世へと向かった。
セトは背中越しにその姿を見送り、微かに笑う。
「どうぞ、お気をつけて。」
冷静な声。瀬人へ挑発は届かない。
廊下に残る静寂は、互いの火花がまだ消えていない証拠だった。





静かな回廊。
瀬人が去った後の空気には、まだ鋭い余韻が残っていた。
セトはそれを払うように衣の裾を正し、歩み出そうとして、やめる。
背後には、起き出したアテムが顔を出して来ていた。
「セト?こんなに早くからどうかしたのか?」
目が覚めたら1人だったからだろう。不安を隠しきれない瞳が、セトの背中を追っている。
「王。」
振り返ったセトの声は低く、乾いた砂を包む風のように柔らかい。
「現代の子なら発たれました。」
「そうか。会ったのか。」
「はい。相変わらず、なんとも言葉の鋭い子になったものです。」
アテムは小さく息を吐き、答えに迷うように視線を落とす。
セトはその沈黙を決して急かさない。ただ、待つ。
やがてアテムがぽつりと漏らす。
「…あいつの言葉は、確かに心を揺らす。だが、同時に温かく、時に心配になる。あいつの未来は、あまりに速すぎる。」
セトは目を細め、ゆっくりと歩み寄り、躊躇いなくアテムの肩に手を置いた。
「速さは力であり、同時に刃です。王を守るには、速さだけでは足りません。積み重ねがなければ、王は孤独に取り残されてしまいます。」
アテムの肩がわずかに震える。
その震えを確かめるように、セトはさらに近づき、囁いた。
「私はここにいます。王が迷う度、選べぬ度に、答えを差し出す者として。」
その言葉は甘くはない。だが、抗いがたい安心感を伴っていた。
アテムは目を伏せ、短く頷く。
その瞬間、またひとつ、見えない糸が結ばれた。
セトの目には、微かな勝利の光が宿る。
それは誇示されるものではなく、ただ静かに積み上げられていくもの。
未来を速さで奪う瀬人とは違う、網のように広がる支配の一手だった。






瀬人は、夜によくアテムと過ごす。しかしゲームをするでもなく、並んで眠るだけ。
昼間はセトによって完全にコントロールされている上、瀬人の目には明らかな過労であったからだ。

冥界の朝。窓から差し込む淡い光が、石の床に長い影を落とす。
瀬人が静かに出立した後、広間にはセトとアテムだけが残った。
セトはゆっくりと歩み寄り、アテムの側に立つ。
「よく眠れましたか。」
その声には、昨夜の瀬人の存在を踏まえた余裕が滲む。問いかけは温かくも、微かに支配的だ。眠りと言う日常すら、管理下に置こうとする。
アテムは少しぼんやりとした表情で頷く。
「ああ。」
視線がふと落ちて、昨夜を思い出す。瀬人と過ごした時間。
「良いことです。」
言葉の1つ1つには、計算が込められている。
アテムは目を伏せ、口を開く。
「…セト、俺…。」
その言葉に、セトは微笑を浮かべ、手をそっとアテムの肩に置く。
セトは微笑み、穏やかに告げる。
「お疲れでしょう。今日は無理のないよう、調節します。」
セトの指先は柔らかく、だが確実にアテムの心に届く支配を示す。
アテムの心の奥では、既にセトに委ねることは当然のようになっていた。
長い時間をかけて築かれた、この空間での信頼と心理的優位。瀬人の影響を忘れさせるように、穏やかに、しかし確実にアテムを自分のペースに巻き込む。
「任せる、ありがとう。」
「私の王です。全てはあなたのために。」
言葉に含まれるのは愛と支配。アテムの心は揺れ、同時にセトへの依存も深まる。
セトは一歩も焦らず、じっくりと時間をかける。
優しく微笑みながら、アテムの反応を確かめ、少しずつ自分の存在の重みを積み重ねる。
その手法は、甘さと心理的支配が混ざり合った、まさに3000年の経験が作り上げた芸当だ。
「お前が…。」
その言葉を遮るように、セトは柔らかく微笑む。
「そうです、王。私がおります。ご安心ください。」
甘く、しかし確実に支配は積み重ねられ、アテムの心はセトの手の中に、少しずつ絡め取られていくのだった。
セトは、窓の外の朝陽を見やりながら、静かに胸の中で確信する。これで、誰も私から奪うことはできない。
背後では、朝の光に照らされるアテムの笑顔が揺れる。
甘く、安らかで、しかし完全に支配された幸福。
積み重ねた日常の成果が、ここにある。
アテムの中に、瀬人の行動とセトの存在を両立させる余裕は出来た。
短期的な挑発や甘さ、垂直突破を仕掛けられても、アテムの心は固定されておらず揺らぐだけ。
ごく自然に、日常の中で積み重ねる支配と、環境と心理を利用した依存形成。
時間、日常、心理の熟成。
それがセトがアテムに使った手段。
セトの、水平展開の支配網は完成し、瀬人の影響力を相殺できる段階にまでなった。
後は、最後の一手を打つ段階だった。





瀬人は、勝敗という形で決着をつけたがる人間である。セトはその性質なら把握していた。
ならばその、望む舞台で決着をつける。
セトは、瀬人が冥界へ来ている時に、アテムを呼び出した。
広間には3人だけ。呼び出したアテムと、当然隣には瀬人が。
揃うやいなや、セトが口を開いた。
「王。私か現代の子、どちらかをお選びください。」
その一言に、空気が張り詰めた。
瀬人は静かに見守っていた。しかしその目には、覚悟と冷静な計算が宿る。
「選ぶ?セト…まさか、お前まで…?」
アテムが驚くのも無理はない。今までセトが与えてきたものは、愛ではあるが燃えるような恋情ではない。穏やかな安心感や信頼、見えない依存や支配。
アテムは驚きや戸惑いが胸に押し寄せ、その奥では葛藤が渦巻く。
瀬人と過ごした時間。信頼、安心、愛。裏切りたいわけではない。
しかし、環境も、時間も、全てをセトがコントロールして来た。全てはセトに有利に働いていた。
時間をかければかけるほど、セトは有利になる。環境がセトの味方だからだ。瀬人が仕掛ける心理戦だけでは圧倒的に不利だった。
時間を味方につける者にとって、環境ほど強力な武器はない。心理戦で垂直に破られるのを防ぐため、セトは意図的に戦場を増やしたのだ。心理戦、環境戦、持久戦。
瀬人への静かな妨害と、アテムの日常への浸透で、いつしかアテムの内側に自分の居場所を刻んでいった。
セトの声色は、一貫して落ち着いている。
「はい。私も、そうです。あなたは、どうなのです?」
真っ直ぐにアテムを見つめれば、動揺しているのが見て取れる。
「さあ、お答えください。」
その声は砂漠の風のように穏やかだが、芯には揺るがぬ支配の力がある。
判断は早く、的確に。
迷ったなら、安定を。
困ったなら、頼れと。
それらは今までずっと教え込んできた。この瞬間のために。
「…選べって…そんな…。」
セトがアテムを追い詰めるような状況に、瀬人は何も口を挟まない。
これは勝利を確信しているからではない。答えの分かっているこの茶番に、どのように次へシフトするかを考えているからだ。
瀬人は決着がついても諦めない人間だ。
アテムが瀬人を見つめた。瀬人は小さく息を吐いて、アテムの頭を撫でた。
「アテム。選んでいい。」
低く、穏やかだが断定的な声。アテムの目が見開かれる。
垂直突破の短期心理戦を仕掛けた瀬人も、今は次の手を考える時だと知っていた。
結果は見えている。茶番を演出するセトの思惑も、手に取るように理解できる。
アテムの瞳が2人の間で揺れる。
「だって、俺は…お前を…。」
言葉が途切れる。アテムの胸の奥で、瀬人への想いと、セトの存在が衝突する。
セトはじっと、優しくも甘く、アテムを見つめる。
アテムの手がわずかに震える。
その表情を静かに見つめていた瀬人は、軽く息を吐き、柔らかくも凛とした声音で告げた。
「お前のそれは、裏切りではない。そしてお前は俺の性分を知っている筈だ。」
その一言に、力強さと優しさ、そして冷静な確信が同時に宿っていた。
瀬人は、『今は』ただアテムの意志を尊重する。それが偽物だとしても。自身の感情は胸にしまい、次の戦いに意識を向け、目の前の最愛の安息を最優先した。
アテムの心は瀬人に惹かれながらも、セトの存在に、確実に根を張られていた。
その沈黙の中で、時間はゆっくりと流れ、やがてアテムは目を伏せ、小さく息をつく。
「すまない…。…セト。」
セトがアテムを見つめる。
その視線に、アテムが振り返る。
「俺は、セト、お前を…選ぶ。」
セトは微かに頷き、口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「…分かりました、王。」
その眼差しは、勝利の安堵ではなく、慈愛を帯びている。
瀬人は僅かに眉をひそめるが、すぐに抑えて静かに見守っている。
セトはその場の空気を切るように歩み寄り、アテムの肩に静かに手を置く。
「もう、迷う必要はありません。ここからは、私と共に。」
低く穏やかな声は、命令ではなく包み込む誓いのように響く。
アテムの胸にはまだ、瀬人への想いが残っていた。だが、その痛みすらセトの腕の中で次第に溶けていくようだった。
「セト…。」
弱く名を呼ぶ声に応えるように、セトは抱き寄せ、指先で髪を梳く。
「あなたが選んだのです。私はその重みごと受け止めましょう。」
アテムの体は、選んだ相手の腕の中で安堵に震えていた。
セトはその温もりを、力で押さえつけるのではなく、ただ受け止める。
王であった者として、守る者としての、自然な所作であるかのように。
だが、心の奥底で、セトは知っている。
現代の子は諦めていない。この戦いは、表面的には決着を見たようでも、完全には終わらない。
次に何を仕掛けるか、瀬人は既に計算を巡らせているのだ。
穏やかに見える空間の中、静かな緊張が残る。
それでも、今この瞬間だけは、アテムの選択が全てを包み込む。
瀬人は、次の手を打つ準備に入る。逆転は最高難易度、動き出すには早い方が良い。だからこそ、この茶番にも付き合った。
2人の間で渦巻いた戦いは、ここで一旦幕を閉じる。

だが、広間には未だ、火花の余韻が漂っていた。






アテムを抱き寄せるセトの腕には、長い年月の渇望が込められていた。
「…やっと、あなたに触れられる。」
その声は震えるほど低く、重く、欲を隠そうともしない。
アテムは戸惑いを覚えつつも抗えなかった。選んでしまったのだ。もう後戻りは出来ない。
冥界の闇は静かだが、2人の間に充満する熱は、否応なく存在を主張する。
セトの手がアテムの頬を滑り、首筋を這い、肩や胸の輪郭を確かめるように触れていく。
指先の動きは、まるで身体の奥まで読み取るかのように、躊躇なく、しかし確実に熱を伝える。
両腕を掴み、そっと顔を近付けると、アテムは静かに目を伏せ、僅かに上を向いた。触れた唇は、果実よりもずっと甘く、セトは思わず小さく息を吐く。
「ずっと、お待ちしておりました。3000年、あなただけを。」
そうしてまた、口付ける。
「セト…。」
低く、絞り出すような声が耳を撫でるたび、アテムの心臓は跳ね、身体は甘い震えに包まれる。恐怖と快感が混じり合い、理性の隙間に熱が押し寄せる。
セトの指先は、衣の下に潜り込み、胸の鼓動を直に感じ取り、腹や腰に沿って滑らせる。触れられるたびに、アテムの全身がセトに引き寄せられるのを感じる。
背中に手を添えられ、何度も降ってくる唇を、アテムはぐっと首を反らして受け止めた。
アテムの心は安心と信頼に満ち、その奥底では、恐ろしくも甘い感覚が疼く。逃れられない緊張と、抗えない渇望が絡み合う。
セトは微かに笑い、アテムの反応を確かめるように囁いた。
「心ごと、体ごと、私に委ねるのです。もう逃がしはしません。」
言葉の奥には、止めどない独占欲と激情があった。アテムは小さく頷き、抗おうとするよりも、自然に身を預けてしまう自分を感じる。
何度目かに口付けた、その時だった。アテムの些細な動きに、セトの違和感は確証に変わった。
「…王。やはり、あなたは。」
声は低く、感情が消えたかのように抑揚のないものだった。
「セト…?」
セトの指が頬をなぞる。愛しげに、しかしその瞳の奥には影が揺れていた。
「…過去を、許したか。」
独り言のようなその言葉は、氷の刃。
笑みもなく、手を伸ばす仕草1つで、アテムの肩から力が抜けていく。
アテムは、何を問われているかは理解していた。
「隠す…つもりはない。お前の、想像する通りだ。」
アテムが目を逸らす。その一瞬に、セトの中の怒りは燃え上がる。
「あの男に、触れられたと…。」
セトの声音は低く冷たい。指先がアテムの顎を強く掴む。
「よりにもよって、あの男に。」
静かな声。激情を抑えつけるも、瞳には、燃え盛る怒りと独占欲が渦を巻く。
「言い訳はしない。嘘もつかない。話せと言うなら全てを話す。だが俺はお前を…。」
その激情すら受け入れるのだ、とアテムが腕を伸ばした時、セトは目を細め、嗤うように囁いた。
「ならば、今ここで、その痕跡を全て塗り潰して差し上げましょう。あなたは、私のものです。」
アテムは凍りつく。
セトは怒鳴りはしないが、顔に少し前までの温度はない。
顎を掴まえたまま、噛み付くように口付けた。
口付ける、まるで犯すかのように。アテムがそれに応えれば応える程に、セトは熱くなる。
塗り潰す。あの男の痕跡全てを自分で。
息苦しさに、思わず抗おうとする腕を抑え付け、セトが身体を暴いていく。
「抗いなど…無意味なことをされる。」
「セト…。」
名を呼ぶと、セトは薄く笑って身体中に口付け、痕を残す。無言で、他の誰のものでもないと主張する。
うつ伏せに尻を上げられ、受け入れるそこにまで口付けられ、アテムは思わず身を竦めた。
侵入しようとする舌を思わず拒むも、指で開かれ温かいものが挿入り込み、小さく声が漏れる。
「拒むこともまた、無意味です。」
セトは自身の使用する香油を手に取ると、アテムの臀部目掛けてその壺をひっくり返した。その冷たさにアテムの身体が震える。
それは、腿を、背中を伝い、時間ごとにアテムの体温で香り立つ。部屋に、セトの香りが満ちる。
くらくらする程の、濃密な香り。
指で中を掻き回されれば、アテムは上手く呼吸ができず、それは恐怖である筈なのにどこか心地良く、やっと吐き出した吐息は熱い。
その状況に硬直していた身体は、しかし、ぬるぬるした指が中をぐにぐにと擦り、広げられていく快感に抗えず、解けていく。
「ゃっ…だめ…だ。」
「真実は?」
「それはっ…ぁ…。」
声が震え、言葉にならない。
鋒を宛てがわれ、呼吸を整える間もなくそれが押し込まれる。
「あぁっ……んっ。」
アテムは挿入の痛みにすら快感を覚えてしまい、漏れた甘い声に目を見開いた。抗えない自分を認めざるを得なかった。
「…なるほど。」
感じ入るアテムの様子に、セトは楽しそうに目を細めた。
「ちがっ…待っ…あぁっ…。」
いつもの穏やかな様子は影を潜め、その裏にあった熱に圧倒される。
身体だけではなく、心までも、隅々まで揺さぶられているようだった。
「あなたを抱いているのは誰か、お分かりですか。」
「んっ…せ、セト…っ。」
名を呼ぶ度に、増える痕。
後ろから貫かれ、絶頂を迎えれば、体を支えていた腕が力を失い寝台に突っ伏した。
それでもセトが止まることはない。止めることが出来ない。
無防備な頸に歯を立て、吸い、舌を這わせればアテムは身体を震わせて甘く鳴いた。
「ひぁっ……や…。」
ずるりと熱が引き抜かれ、一息ついたと思えば、今度は仰向けに返され、すぐに挿入れられて揺すられる。
「ゃっ、もう…やめ……ぁっ。」
「私に嘘が通じるとでも?」
腰を打ち付けられる度、寝台が揺れているかのような激しい抽送に、意識は溶けていく。
抵抗の声は、もはや甘い呻きでしかない。
甘い喘ぎ声、生理的な涙。されるがまま、欲に溺れ快楽に落ちるアテムに感じる愛おしさ、満たされていく独占欲。
激しい動きの合間に、耳朶を噛み、首筋に牙を立てるように唇を押し当てる。
そのたびに、赤い痕が刻まれていく。
「…もう、お分かりでしょう。」
熱を孕んだ声が耳朶を舐めるように落ちてくる。
「あなたは、私以外を考えなくても良いのです。」
セトが耳元で囁く。
「っ……。」
緩やかに腰を揺らしながら、指先は汗ばむ肌をなぞる。指先が肌を滑る度に、アテムは身体跳ねさせた。
アテムの喉が小さく震える。
「抗いも、拒みも…全て意味を失った。あなたは、私の腕の中でしか安らげない。」
言葉は呪いのようで、同時に救いのようでもある。
アテムの視線は揺らぎ、抗おうとする意思など既にない。
唇が触れる。
熱を与えるようでいて、同時に鎖をかけるような口付け。
「あなたの全ては、ここに閉じ込めてしまえば良いのです。」
囁きは優しい。
けれど、優しさに混じる支配がアテムをじわじわと絡め取っていく。
逃げても届かない。縋れば更に深く沈む。
「さあ、私だけを見るのです。」
愛か、支配か。
両方を一度に浴びせられ、アテムはうっとりと、セトの黒い掌握に堕ちていく。
深い繋がり、激しい律動、呑まれる思考。
夜の冥界に響くのは、熱い吐息と肌のぶつかり合う音だけ。長い年月抑えられていた渇望が、2人の間でうねり、解き放たれていく。
普段からは想像もつかないセトの激しいまでの熱、圧倒的な意志、そして甘美な支配。
全てが絡み合い、アテムは逃れられぬ渦に沈んだ。





夜の余韻を残したまま、静かな朝が訪れる。
痕跡は消えない。首筋の赤い痕、腕や肩に残る歯の跡、痛みと快楽が入り混じったその痕は、昨夜の激しさの証であり、同時に愛と支配の記憶でもあった。
アテムが寝台から起き上がると、セトは既に身支度を整えていた。衣を纏い、冷静な表情を崩さぬまま近寄る。
「おはようございます。」
「セト…やっぱり夢じゃ…。」
アテムの声は、明け方まで散々愛され、掠れている。
アテムはゆっくりと呼吸を整え、体を伸ばす。体中に残る痕に指先が触れるたび、昨夜の感覚が鮮明に蘇り、体が小さく反応する。甘く、濃厚で、激しい、決して忘れられない余韻。
セトが可笑しそうに笑った。
「夢でそのように疲れますか?まずはこれを。」
差し出されたのは香草を溶かした温い茶。昨夜と同じ香りが漂い、アテムは思わず胸を緩める。
「香りが心を落ち着かせます。…これからは毎朝、共に。」
セトは、日常の習慣としての一歩目を、さりげなく置いていく。
茶を口にしたアテムの左腕に、セトは細い飾り通した。
「ここには私の印が。誰が見ても、あなたにどのような忠臣がいるか、一目で分かります。」
軽やかに笑んでみせながら、その飾りを指先で整える仕草には、確かな所有感が滲んでいた。
その日から、アテムの時間は少しずつセトの管理下に入っていった。
例えば、午前に儀式と訓練、午後に領民との対話。どれも必要であり、同時にセトが取り仕切るものばかり。
神官たちはセトの選んだ者たちで、アテムが迷えば必ず「セトにご相談を」と促す。
アテムが瀬人のことを思い出そうとする時、その余地は次第に狭まりつつあった。
心地よい習慣、手首の飾りの重み、そして寄り添う神官たちの言葉が、静かに、だが確実にセトを日常へと染み込ませていく。

セトは微かに笑む。
これで良い、急ぐ必要はない。あなたの心は、時間ごと私のものとなるのだから。
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