11月13日の朝、専務に電話をかけた。
現場から事務所に向かう電車の中で、決めた。ホームに降りて、柱の陰でかけた。
「城之内です。先日は面接ありがとうございました。」
『はい、どうも。』
「お世話になりたいです。」
短い沈黙があった。
『6日目ですね。』
「はい。」
『1週間は考えてくださいって言いましたけど。』
「考えました。昨日、1日考えて。」
これは嘘じゃない。昨日1日、俺は海馬コーポレーションのビルの前に立って考えてた。
『そうですか。』
専務が言った。
『分かりました、書類を送ります。入社は3月1日付でいいですか。」
「3月ですか。」
『ええ。今の会社、引き継ぎも、営業だと相当有休消化もあるでしょう。ただ、1月2月がこちらが決算に向けて動けないもので。』
「分かりました。」
『城之内さん。』
「はい。」
『うち、本当に大きくないですよ。』
「はい、聞いてます。」
『じゃあ、よろしく。2月は休んでもらって、3月に待っています。』
電話が切れた。
俺はホームに立ってた。
電車が来た。乗り込んで、吊り革につかまって、口の中で小さく言った。
決まった。
課長に言ったのは、その週の金曜だった。
パーテーションの中で、いつも通り立ったまま報告した。
「課長、退職させてください。」
課長の手が止まった。
止まって、ペンを置いた。
「……いつだ。」
「2月末で。」
「3ヶ月半後か。」
「はい。」
「これから転職活動をすんのか?」
「いえ、次は決まってます。」
「どこだ。」
「北にある、大和設備工業です。」
課長が黙った。
知ってる会社だ。同業で、少し小さい。今までも、うちとバッティングする案件もあった。
「あそこか。」
「はい。」
「給料は、上がんのか。」
「下がります。」
「下がるのに行くのか。」
「はい。」
課長が椅子の背にもたれた。
暫く天井を見てた。
「C街区は。」
「それまでに粗方施工は終わりますし、他の案件も引き継ぎします。資料も全部まとめます。」
「そういう話じゃねえよ。」
「……。」
「お前がいなくなったら、KCとの線が切れる。」
課長が気にしてるのはそこだった。
分かってたけど、言われると、少し息が詰まった。
3年半働いて、最後に惜しまれるのが、俺の仕事じゃなくて、俺の同級生だってことだ。
「線なんか、最初からないっすよ。」
「あるだろ。お前が行けば40分だ。」
「あれ、俺の力じゃないっす。」
「じゃあ何の力だ。」
答えられなかった。
多分、何か理由はあるんだろうけど、俺にはまだ分かってない。
「城之内。」
「はい。」
「考え直す気は。」
「ないっす。」
課長がため息をついた。
長いやつだった。
「……分かった。人事に出せ。」
「はい。」
「退職するからって、新規の案件もやってもらう。増えた分の引き継ぎも2月の頭までに終わらせろ。残りは有給だ。」
「有給、使っていいんすか。」
「使えよ。31日あんだろ。」
「31日は無理っすよ。」
「無理だな。」
課長が笑った。
初めて見る笑い方だった。
「10日くらいだろうな。あとは捨ててもらうしかねえ。悪いな。」
「いいっす。」
「悪いんだよ。けど、うちみたいなとこじゃ、どうにもできねえ。」
俺は少し黙った。
「課長。」
「なんだ。」
「3年と8ヶ月、ありがとうございました。」
「まだ3ヶ月半あんだろ。」
「はい。」
「そういうのは最後に言え。」
俺はパーテーションを出て、自分の席に戻った。
パソコンを開いて、見積を打った。
なんでか、変な感じがしてた。
嫌いじゃなかったな、と思った。
課長のことも、事務所のことも、嫌いじゃなかった。
嫌いじゃないのに、辞める。
そういうことがあるんだ、と思った。
2回目のデュエルは11月28日だった。
磯野さんから連絡が来た。俺の私用の番号にだ。
『11月28日土曜、19時、本社地下テストプレイルーム。ご都合いかがでしょうか』
『行きます』
それだけのやり取りだった。
負けた。8ターンだ。
ソリッドビジョンが消えて、俺はその場に座り込んだ。
床に使ったカードを並べた。
6ターン目の盤面を再現する。相手のフィールドがこうで、俺のフィールドがこうで、手札がこうだ。
あそこで温存したのが間違いだった気がする。使ってたらどうなってたか。
並べてるうちに、影が落ちた。
顔を上げると、あいつがコートを着て、立ってた。
「何をしている。」
「反省会。」
「……。」
「6ターン目がおかしかった気がすんだよ。」
あいつが床を見た。
1秒か2秒だ。
「その配置は違う。俺の場にリバースカードは2枚だ。」
「え?」
「5ターン目に1枚伏せている。」
それだけ言って、歩いていった。
扉が閉まった。
俺は床に座ったまま、カードを1枚足した。
足して、見た。
「……あー。」
思い返せば2枚あった気がする。それなら、結局この手札は使っても止められてたかもしれない。
俺はそれを、1時間くらい見てた。
3回目は12月12日だった。
負けた。9ターンだ。
今度は、ソリッドビジョンが消える前から座る用意をしてた。
消えた瞬間に座って、またカードを並べた。
並べながら、記憶を辿った。今回はちゃんと数えてた。相手の場にカードが何枚か、何ターン目に置かれたか。全部は覚えてなくて。自信は半分くらいだ。
あいつがコートを取って、こっちに来た。
「7ターン目だと思うんだけどよ。」
「言ってみろ。」
「あそこで攻撃しないで、迎え撃とうとして待った。あれが良くなかった。」
「なぜ待った?」
「いや、流石に返されると思ってよ。」
「返せるカードはなかった。」
「そんなの、分かんねえだろ。」
「確率の問題だ。」
あいつが立ったまま言った。
「俺はその時点で4枚使っている。デッキの構成上、そこから返せるカードが来る確率は低い。」
「デッキの構成って、俺がお前のデッキ知ってるわけねえだろ。」
「知らずに闘っているのか。」
「……。」
「4回闘っている。4回分の情報がある。」
そこで、扉のほうに歩き出した。
「覚えてカウントしろ。それだけだ。」
行った。
3分くらいだった。前回より長い。
4回目は12月26日だった。
年末で、忘年会が4件入ってた週だ。
また負けた。また9ターンだ。
俺は座って、床にカードを並べた。
並べながら、今日は少し覚えてた。相手の場のカードの枚数と、置かれたターン。3箇所分かる。
あいつが来た。
「今日は。」
「5ターン目と、8ターン目だ。2個ある。」
「両方言え。」
「5ターン目に、俺はお前のカードを解除しに行った。あれは正しかったと思うんだよ。けど、その後に攻撃しなかった。場を整えただけで終わってた。」
「なぜ攻めなかった。」
「カードが足りてなかったからだ。」
「足りていただろう。」
「足りてねえよ。攻撃力が。」
「攻撃力ではない。貴様は手札に……。」
言いかけて、止まった。
あいつが床を見てた。
俺は床に座ってて、あいつは立ってる。見下ろす形だ。
暫くカードを見て、そのままだった。
「城之内。」
「なんだよ?」
「そこでやるな。」
「は?」
あいつが顎で示した。
壁際に、テーブルセットがあった。4人がけのやつだ。機材の検証用に置いてあるんだと思う。今まで使ったことがない。
「そこでやれ。」
「なんでだよ。」
「見えん。」
俺はカードを集めて、テーブルに並べ直した。
顔を上げたら、あいつが向かいに座ってた。
コートを着たまま、座ってる。
「続けろ。」
「……おう。」
俺は5ターン目の話を続けた。
15分くらいやった。
途中で気付いた。
こいつ、帰ろうとしてたよな。コートを着てるのに、なんで座ってんだ。
俺は何も言わなかった。
言ったら、立ち上がりそうな気がした。
1月9日が5回目だった。
負けた。10ターンだ。
俺は今度は、最初からテーブルに向かった。デュエルディスクを外して、カードを持って、そっちに座った。
あいつが来て、向かいに座った。
コートは脱いだままだった。
椅子の背にかけて、それから座った。
「今日は?」
「3つある。」
「ほう。」
「多いんだよ。3ターン目と、6ターン目と、9ターン目。」
「順に言え。」
30分やった。
途中で扉が開いて、黒服が入ってきた。
盆を持ってて、湯呑みが2つ載ってる。テーブルに置いて、出ていった。
俺は湯呑みを見た。
「なんで茶が出てくんだよ。」
「知らん。」
飲んだ。熱かった。
熱いのを飲みながら、9ターン目の話をした。
あいつは全部覚えてた。俺が引いたカードも、伏せた順番も、何ターン目に何をしたかも。
俺は、やっぱり半分くらいしか覚えてなかった。
覚えてないところを、あいつが言う。俺が思い出す。思い出して、じゃああそこはどうだったんだと聞く。あいつが答える。
そのうち、俺のほうが質問するようになった。
「じゃあ3ターン目に俺が出したやつ、あれ、出さねえほうがよかったのか?」
「いや。出せ。ただし、出す順番は考えろ。」
「順番?」
「先に場を片付けろ。リバースカードを除去してから出せば良いだけの話だ。」
「そんなカードはなかった。」
「貴様の手札にあった筈だ。」
「……あったな。確かにあったわ。5ターン目で使った。見えてなかったわ。」
「見えていなかったのではない。見ていなかったのだ。5ターン目では遅い。」
「同じだろ!」
「違う。」
あいつが茶を飲んだ。
「見えていないのは能力の問題だ。見ていないのは姿勢の問題だ。まだ救いようがある。」
「何だと。」
好き勝手言ってくれる。
だけど、事実だったから、黙ってテーブルのカードを見た。
40分くらいやって、終わった。
帰り際、あいつが言った。
「次は23日だ。」
「磯野さんから連絡来るんだろ?」
「そうだ。」
「なら、またそん時に。」
「そうか。」
行った。
俺は廊下で、少し立ってた。
1月25日は月曜だった。
朝、スマホの通知が出てた。カードゲームのアプリだ。誕生日おめでとうございます、と書いてある。
22歳になった。
静香からメッセージが来てた。
『お兄ちゃん、お誕生日おめでとう!そういえば、仕事変わるって本当?』
先月、電話で話した時に静香には言った。静香は驚いてたけど、良かったね、と言ってた。
なんで良かったなのか、その時は分からなかった。
グループの方にも来てた。遊戯と本田と杏子だ。
『城之内くん、誕生日おめでとう』
『今度飲みに行こうぜ』
『楽しみにしてるわ』
俺は既読をつけて、それから、返信を打った。
『2月の頭なら空いてると思う。決まったらまた連絡する』
そう送って、少しだけ画面を眺めてた。
去年の今日、俺は同じグループに『落ち着いたら行くわ』と書いた。
結局、書いただけで行かなかった。
今日は予定を書いた。予定を書くと、行くことになる。
その日、接待は入ってなかった。事務所を19時に出て、家に帰って、飯を食って、カードを触った。
1時間デッキを組み直してた。
23日の反省会でもらった宿題みたいなもんがあった。義務ってわけじゃない。あいつは宿題を出すような男じゃない。ただ、指摘されたことが頭に残ってて、それを今度試したかった。
1時間やって、寝た。
誕生日らしいことは何もしなかった。それは去年と同じだ。
同じなのに、去年と違った。
どこが違うのかは、その時は言葉に出来なかった。
そういえば、最近はデュエルの後に、あいつと飯も一緒に食うようになってた。
いつからかは分からない。
どこで移動したのかも、はっきりしない。
何回目かの時に、そこそこ時間が過ぎてて、黒服が来て、あいつに何か言った。あいつが立ち上がって、コートを取った。
俺はカードを集めてた。
集めてる途中で、あいつが言った。
「9ターン目の話がまだだ。」
「ああ、それは今度考えて……。」
「来い。」
「ん?おう。」
俺はカードをケースに入れて、リュックを背負って、あいつについて廊下を歩いた。
エレベータに乗り込んで、上に上がると、そのまま裏口を抜けた。
黒塗りの大きな車が停まってた。
「乗れ。」
あいつが先に乗って、俺も続いて乗り込んだ。
乗ってから、俺は今、何故か車に乗っている、と頭の隅で一瞬、思った。
そんなことより、9ターン目の話が途中だった。
「9ターン目に俺が伏せたやつ、あれが通ってたら。」
「通らん。」
「なんでだよ。」
「俺の手札にそれを封じるカードがあった。」
「嘘だろ。」
「嘘ではない。」
車が動いた。
走ったのは5分ぐらいだっただろうか。その間、俺達はずっと9ターン目の話をしてた。
車が止まって、ドアが開いた。そこで促されるままに降りた。
建物の前だった。
暖簾も看板もなく、ライトはついているからかろうじて中に誰かが居るのだろうとは分かった。
よく見ると、壁に小さな字で何か書いてあったが読む暇はなかった。
中に入ると、廊下があって、個室に通された。
畳の部屋で、テーブルが低い。掘り炬燵で、中が暖かかった。
座っておしぼりで手を拭いてから、自分の格好を確認した。
パーカーとデニム、荷物はリュック。デュエルしてきたそのままだ。
多分、こういう店に来る格好じゃない。
ここ、いくらすんだろう。一瞬、そう思った。
思った瞬間、あいつが言った。
「先程の貴様の"もしも"の展開だが。」
顔を上げた。
「俺の手札にはそれを封じるカードがあった。勝てると思うな。」
「だからそれ聞いたっつの。何持ってたんだよ。」
「言うと思うか。」
「言えよ。」
「言わん。」
「じゃあ何で言ったんだよ。」
「貴様が浮かれていたからだ。」
俺は言い返そうとして、やめた。
飯が運ばれて来たからだ。
小鉢が3つと、あとはよく分からないめちゃくちゃ美味いやつがいっぱい出てきて、机の上が埋まった。
俺は箸を持って、食った。
美味かった。
けど、それより、9ターン目の話をしてた。
「なら、それを封じるとしたら、俺は何を持ってりゃよかったんだ。」
「考えろ。」
「考えてんだよ。ヒントくれよ。」
「デュエルにヒントはない。」
「くそ。」
開いた皿が下げられて、飯と椀物が出てきた。
俺は椀を持った。出汁が染みる。飲んで、置いて、それからテーブルの上に指で線を引いた。
「お前の場が、こうだろ。」
「テーブルを汚すな。」
「汚してねえよ、指だよ。」
俺は指で盤面を描いた。
あいつは黙って見てた。
見て、それから、指先で自分のフィールドを軽く叩いた。
「ここに、もう1枚ある。」
「聞いてねえぞ。」
「言っていないが、見れば分かるだろう。」
「言えよ!」
そのまま、まだ暫くやってた。
2月6日が6回目だった。
引き継ぎは2月の頭に終わった。最終出勤日は2月12日の金曜になった。そこから有給に入る予定だ。
負けた。11ターンだった。
でも、11ターンだ。
7ターンだったのと比べると、確実に伸びてる。
また、飯を食いながら、反省会をやってた。
「海馬。」
「なんだ。」
「俺、来月から仕事変わる。」
別に、言うつもりはなかった。
デュエルの話をしに来た。今日はそういう日で、仕事の話をする日じゃない。
でも、口をついて出た。
あいつが天井から目を戻した。
「そうか。」
「今の会社、今月で辞める。北の設備屋に行く。小さいとこで、給料は下がるけどな。」
「下がるのか。」
「下がる。でも、残業がつく。」
「つかなかったのか。」
「固定だったからな、つかなかった。」
あいつが眉を寄せたのが分かった。表情が動くのを、初めてまともに見た気がした。
「それで。」
「それで、まあ。」
俺は湯呑みを置いた。
「働きながら、プロを目指す。辞めて専念するとか、そういうのは無理だ。金がねえし、後ろ盾もねえ。だから仕事は続ける。働いて、飯食って、家賃払って、それで残った時間でやる。」
「時間は残るのか。」
「残す。」
俺は言った。
「残さねえと、なくなる。3年、いや、大体4年か。4年でそれが分かった。」
「4年か。」
「ああ。」
あいつは何も言わなかった。
俺は続けた。
「遊戯がさ、店やりながらゲーム作ってんだよ。夢だったからずっとやってるって言ってた。生活は店で回るから、夜の2時間は好きなことができるって言ってた。」
「だろうな。」
「俺も、そうする。」
「そうか。」
「無理だと思うか?」
これは聞かなきゃよかったと思った。
こいつは嘘を言わない。無理だと思ってたら無理だと言う。
「プロデュエリストか。」
そう言ったきり、暫く黙ってた。
「それを聞くのは二度目だ。」
「知ってるよ。だからこうしてお前に挑んで……。」
「城之内。」
名前を呼ばれた。
3回目だ。
「なんだよ。」
「ならば、俺が育ててやろう。」
俺は湯呑みを落としそうになった。
「なんだと!?」
「聞こえなかったか。」
「聞こえたけど、どういう意味だよ!」
「二度は言わん。」
「いや待て、育てるって何だよ。」
「言葉通りだ。」
「言葉通りが分かんねえんだよ。」
あいつが立ち上がった。
「日程は磯野が調整する。」
「おい。」
「週に一度だ。今のペースでは初速が付かん。」
「週一!?」
「不服か。」
「不服じゃねえけど、お前、暇なのかよ。」
「暇に見えるのか。」
あいつが振り返った。朝早くから、夜遅くまで働いているのを、今では知っている。
「じゃあ、何で。」
言いかけて、止まった。
止まったのは、あいつがこっちをじっと見ていたからだ。
目が合うと、襖を開けた。
「行くぞ。」
「……おう。」
俺も立ち上がった、リュックを背負って、廊下に出た。
出てから、思った。
なんで、を聞きそこねた。
また聞きそこねてた。
