08 書けること


9月の第2週の日曜、俺は求人サイトに登録した。
朝の10時に起きて、飯を食って、パソコンを開いた。
メールアドレスとパスワードを入れる。名前、生年月日、住所、電話番号。ここまでは3分で終わった。
次のページで止まった。
職務経歴。
入力欄は広くとられていた。画面の半分くらいある。
会社名を書いた。株式会社南設備。所属、営業部。在籍期間、3年5ヶ月。
その下に、業務内容と書いてあった。
俺は自分の3年を書こうとした。
建材と設備の営業。それは書いた。その先が続かなかった。
何をやってきたか。
現場に行って、荷下ろしの立ち会いをした。検収した。伝票を切った。見積を打った。電話を取った。押印してもらいに行った。それから、飲んだ。
飲んだのは、流石に書けない。
書けないやつを外すと、残りは、誰でもできることに見えた。
きっと、誰でもできるわけじゃない。8.2キロのケースを持って14分歩くとか。夏場のコンクリートの上に6時間立つとか。それは誰でもできることじゃない。
でも、それを書く欄がない。
「主な実績」という欄があった。
実績。
営業なら、売上を伸ばした、とか、新規開拓した、とか、そういうことを書くんだろう。
東地区A街区の納入を回した。回したというか、止めなかった。3年で、俺のせいで工程が止まったことは一度もない。
だけど、それは実績と言っていいのか。
止まったら怒られる。止まらなければ何も起きない。3年間、何も起きないようにしてきた。
何も起きなかった、と書いていいのか。
俺は1時間かけて、3行書いた。
書いた3行を読み返して、結局消した。
もう一回書いてみた。今度は5行書けた。
3年5ヶ月が、5行。
それだけだったけど、保存をした。
次のページは資格の欄だった。
普通自動車運転免許。
それだけだった。
それも保存して、送信ボタンを押した。
暫く、画面を見てた。
窓の外が明るかった。まだ昼前だった。
日曜の昼前に部屋にいるのが、何ヶ月ぶりか分からなかった。





9月の終わりまでに、四社受けた。
平日の夜と、土曜の午前を使った。土曜は現場が動かない日を狙った。動く日の方が多いから、面接とかは2週に1回ぐらいしかチャンスがない。
一社目は書類で落ちた。
二社目は面接まで行った。同業の、少し大きい会社だ。
「3年5ヶ月ですね。転職理由は。」
「あー、労働環境というか。」
「具体的には。」
「残業がつかないのと、あと、休みが取れないっす。」
面接官が頷いた。
「うちも忙しいですよ。」
「はい。」
「同じことになったら、また辞めますか。」
俺は答えられなかった。
即答できずに、10秒くらい経った。
「城之内さん、御社での経験で、一番自信のある部分はどこですか。」
「体力っす。」
言ってから、失敗したと思った。
面接官が優しく笑った。
「体力は大事ですね。」
笑ってたけど、落ちた。
続けて三社目も落ちて、四社目は返事が来なかった。
10月に入って、俺は一度、履歴書のファイルを開いて、そのまま閉じた。
その週は、飲みが4件あった。






C街区は着工して、別の話が動いてた。
課長は週に2回は聞いてくる。
「KC、どうだ。」
「行ってます。」
「そうじゃなくて、上の方だ。」
「会えないっす。」
「なんでだ。」
「呼び出しは事業推進部からなんで。平野さんに、社長に会わせてくださいなんて言えないっすよ。」
「言ってみろよ。」
「……。」
言えるわけがなかった。
平野さんは仕事で俺を呼んでる。書類の確認と押印だ。その場で、社長に取り次いでくださいと言ったら、平野さんはどんな顔をするだろう。
多分、困る。
困って、それでも丁寧に断るだろう。去年の受付の人みたいに。
俺は課長に言わなかった。
言わずに、KCに行って、書類を確認して、押印して、帰ってきた。
帰ってくると課長が聞く。
「どうだ。」
「会えないっす。」
「使えねえな。」
10月の半ば、初めてそう言われた。
言った本人が、少し驚いた顔をした。それでもやっぱり、訂正しなかった。
2回目からは、驚かなくなった。






10月の第3週の水曜、23時に家に帰った。
スマホを見た。
グループにメッセージが来てた。
『みんな、久々に集まらない?』
杏子だった。
『日曜どう?』
本田が『行く』と返事してて、遊戯が『いいね』と書いてた。
俺は画面を見てた。
日曜は、今の所空いてる。かと言って、土曜に現場が入るかもしれない。そのまま日曜も出る可能性がある。
いつもなら、そう考えて、既読だけつけて閉じる。
毎回あとで返そうと思って、返さないままになってる。
1年、そうしてきた。いや、もっとか。
『落ち着いたら行くわ』と、俺は何回書いただろう。
スクロールすれば、数えられる。
数えたくなかったから、俺は指を動かした。
『遊戯』
グループじゃなくて、遊戯に直接送った。
『次の休みに、デュエルしねえか?』
送ってから、時計を見た。23時を過ぎてる。
寝てるかもしれないと思ったけど、返信は2分で来た。
『いいよ!店で待ってるね』
それだけだった。
なんで急に、とは聞かれなかった。
1年ぶりにどうしたの、とも言われなかった。
俺は布団に入って、天井を見てた。
暫く、寝られなかった。



日曜、亀のゲーム屋の前に着いたのは11時だった。
3年半ぶりだった。
店の看板は変わらない。ガラス戸に貼ってあるポスターが新しいのになってる。でも、値札が、手書きなのも変わってない。
戸を開けたら、鈴が鳴った。
「城之内くん。」
カウンターの向こうに遊戯がいた。
店番してるらしく、エプロンをしてた。
「よう。」
「入って入って。いまお客さんいないから。」
俺は中に入った。狭い。前もこんなに狭かったっけ、と思った。
「じーさんは?」
「今日は寄り合いだって。夕方まで帰らないんだ。」
「店、1人でやってんのか。」
「そうでもないよ。でもこの頃はじいちゃんより、ボクの方がやってること多いかな。陳列とか棚卸しとかレジとか。」
遊戯がカウンターから出てきた。
背は伸びてなかった。俺より頭一つ小さい。3年前と同じだ。
「久しぶりだね。」
「おう。」
それだけだった。
1年間連絡を返さなかったことも、集まりを3回断ったことも、遊戯は言わなかった。
俺は少し身構えてた。身構えてたのが、空振りした。
「奥、行こっか。スペース作ってあるんだ。」



店の奥が、前より広くなってた。
倉庫だった所を片付けて、テーブルが2つ置いてある。壁際に棚があって、そこにファイルとノートが積んであった。
テーブルの1つに、紙が広がってた。
カードだけど、手書きに近い。イラストの部分が空白になってて、テキストだけ書き込んである。
「なんだこれ。」
「あ、それは片付けるね。」
遊戯が紙を集めた。少し、照れてる顔だった。
「今、作ってるところなんだ。」
「作ってるって、カードを?」
「ゲームごと。これはカードゲームなんだけど、M&Wとは別のやつ。」
「へえ。」
「まだ全然だよ。ルールは固まってないし、テストプレイするたびに数字が壊れてる。」
遊戯が紙を棚に戻した。
結構いっぱいあったけど、慣れた手つきだった。毎日やってるんだろう。
「いつからやってんだ。」
「カードは2年くらい前かな。じいちゃんの店手伝いながら。」
「毎日?」
「夜だけね。店閉めてから、2時間くらい。」
2時間。
毎日、2時間。
2年で、何時間だ。
730日で、1460時間。
計算してから、自分が計算したことに気付いた。
俺は最近、なんでも数えてる。
「城之内くん、どうかした?」
「いや。」
「じゃあ、やろっか。」



デュエルは11時半に始まった。
「城之内くん、先攻でいいよ。」
「おう。」
手札を5枚引いた。
1枚目を見た。
出せる。攻撃力はあの時と同じで、1800。
出したら、遊戯なら沈めてくる。ここは様子見だ。
裏守備表示で置いて、リバースカードを1枚セット。ターンエンド。
遊戯が引いた。
そこから、いつも通りだった。
いつも通り、というのは、去年のスタジアムと同じという意味だ。
俺は守った。
3ターン目で発動したトラップが通った。
4ターン目、遊戯がサイレント・マジシャンを出した。
6ターン目で真紅眼が出せる盤面が来た。けど、出さなかった。
7ターン目、俺のライフが1800になった。
8ターン目。
俺は手札を見た。
3枚ある。使ってないやつが3枚だ。
その中の1枚が、目に入った。
これを出したら、盤面が変わる。だが、遊戯の場にはリバースカードがある。無効化される可能性がある。そのまま攻められたら、今のライフだと、一発で終わる。
出さないほうが安全だ。
安全に、もう2ターン粘れる。
粘って、どうする。
粘って、引いて、いいカードが来たら出す。来なかったらまた粘るのか。
そこで、手が止まった。
これ、去年もやった。
1年前、あのスタジアムで、俺は同じことをした。8ターンかけて、守って、手札を2枚残して負けたんだ。
その時、あいつは言った。
貴様、それで勝つつもりか。
意味が分からなかった。
負けたのは実力だと思った。守ったのは、そうしないと3ターンで終わるからだと思った。理屈しては正しいはずだった。でも、あいつは退屈そうだった。
今、分かった。
俺は勝ちに行っていない。
負けないように闘ってる。
それは、負ける時間を延ばすだけだ。その先に何かがあるわけじゃない。ドローが良ければ助かるかもしれないけど、それは俺がやってることじゃない。
見積を作るのと同じだ。数量を確認して、掛け率を掛けて、間違いがないようにする。間違いがなければ何も起きない。何も起きないのが正解だ。
3年、それをやってきた。
やってきて、体に入った。
俺は手札の1枚に指をかけた。
指が、止まった。
出したいのに、指が動かない。
出したら終わるかもしれない。計算が先に来る。計算のせいで、手が止まる。
3秒くらい止まった。
結局、俺はそれを伏せた。
守備で置いて、ターンエンド。
遊戯がカードを引いた。
9ターン目で、俺のライフがゼロになった。



デュエルが終わって、俺は椅子に座ったままだった。
「ありがとう。」
遊戯が言った。
「おう。」
手札が2枚残ってた。使わなかったやつだ。
俺はそれを、テーブルに置いた。
出せた筈だった。8ターン目に出してたら、盤面は変わってた。それで負けてたかもしれないけど、変わってはいた。
俺は出さなかった。
出さなかったのは、遊戯が強いからじゃない。
出さないのが、俺の闘い方になってたからだ。
いつからだ。
前は、こうじゃなかった。
高校生の俺は、攻めた。攻めて、計算が足りてるかどうかは攻撃してから分かった。それで負けることも多かったけど、負け方が違った。
今の負け方は、削られて終わっていく。その間、俺は何もしてない。
「城之内くん。」
顔を上げた。
遊戯がカードを片付けてた。
「強くなったね。」
「……は?」
「デュエル、上手くなってる。すごく丁寧だった。」
俺は遊戯を見た。
遊戯は笑ってた。皮肉じゃなくて、本当にそう思ってる顔だった。
「上手くなってねえよ。負けたじゃねえか。」
「うん、でも、前の城之内くんならもっと早く終わってたと思う。」
そうかもしれない。
早く終わってた。早く終わって、そのあと、悔しがってた。
今日は悔しくなかった。
「言ってくれるじゃねーか。」
悔しくないのが、少し気持ち悪くなった。
悔しくないのは、なんでだ。
負けたのに。



昼を過ぎて、遊戯がパンを出してきた。
「食べる?朝の残りだけど。」
「食う。」
カウンターに座って、2人でパンを食った。
「城之内くん、仕事どう?」
来た、と思った。
「まあ、普通だな。」
「そっか。」
それだけだった。
遊戯は追及しなかった。
俺の顔を見て、何か思った筈だ。思わないわけがない。俺は今朝、鏡を見た。ひどい顔だった。負けて、悔しくなくて、もっとひどい顔になってる筈だ。
「遊戯。」
「なに?」
「さっきの、ゲーム作ってるってやつだけどよ。」
「うん。」
「あれ、売れるのか?」
聞いてから、失礼な聞き方だと思った。
遊戯は気にしなかった。
「今はまだまだ売り物にはならないよ。」
「じゃあ、なんでやってんだ。」
「作りたいから。」
「……そんだけか。」
「うん。」
遊戯がパンを噛んだ。
「いつか出せたらいいなとは思ってる。でも、出せなくても作るよ。作ってる時が一番楽しいから。」
俺は自分のパンを見てた。
「金にならねえのに、2年やってんのか。」
「他のゲームも合わせたら、もっとやってるよ。夢だったからね。」
「店もあるのに。」
「店があるから、やれるんだよ。」
遊戯がこっちを見た。
「生活が店で回るから、夜の2時間に好きなことができるんだ。じいちゃんには感謝してる。」
俺は、何も言えなかった。
生活は店で回るから。
俺の生活は、何で回ってる。
回ってはいる。家賃も払ってる。滞納もしてない。
回ってるのに、夜の2時間がない。
夜の2時間どころか、家に帰る時間もまちまちだ。
「城之内くんは、最近デュエルしてる?」
「してねえ。」
「今日は?」
「今日は、まあ、久々に。」
「楽しかった?」
聞かれて、答えられなかった。
楽しかったか、分からない。
デュエルしてる間、俺は計算してた。計算して、守って、負けた。
その時間を楽しいと思ったかどうかが、分からない。
「……分かんねえ。」
正直に言った。
遊戯が、少しだけ黙った。
「そっか。」
それだけ言って、またパンを食った。
「また来てよ。」
「おう。」
「いつでもいいよ。大体、ボクはいるからさ。」



店を出たのは2時過ぎだった。
10月の日曜の午後だ。日が高い。
俺は駅の方に歩きながら、去年の秋のことを考えてた。
去年の11月、俺は大会に出た。2ヶ月準備して、400人に勝って、優勝した。
その時、俺は何を考えてたんだっけか。
ただ、あいつに会うことだけを考えてた気がする。会って、どうするかは考えてなかった。
でも、あの2ヶ月は、悪くなかった。
夜に30分だけ、床にカードを並べた。帰るのが10時を過ぎても、並べた。日曜が2回潰れても、水曜の夜と日曜の夜にカードショップに行った。
行ける日の方が断然少なかった。けど、行ってた。
あの時間があった。
今はない。
去年のあいつとのデュエルから今日まで、1年近く。俺はデッキを開けなかった。
なんで開けなかったんだ。
忙しかったからか。
いや、忙しかったのは、去年の秋も同じだ。
じゃあ、なんで開けなかったんだ。
理由があった筈だった。
それは割とすぐに分かった。目的がなくなったからだ。
大会に出るという目的があったから、俺は30分を作った。目的がなくなったら、30分がなくなった。
30分は、そこにあったんじゃない、俺が作ってたんだ。
信号に捕まって、青になるのを待った。
去年の秋、俺が作った目的は、あいつに会うことだった。
それが達成されて、終わった。
じゃあ、次の目的は。
──未来のロード。
あいつの言葉が、また出てきた。
考えろと言われたけど、俺は考えなかった。考えられなかった。中身がなかったからだ。
今も中身はない。さっき、遊戯は言った。
作りたいから。
夢だったから。
世の中に売り出せなくても作る。作ってる時が一番楽しいから。
俺には、それがない。
前は、あった筈だ。
信号が変わって、俺は歩き出した。
歩きながら、口の中で言ってみた。
プロデュエリスト。
高校の時は、本気でそう言ってた。ふざけて言ってたわけじゃない。調子のいいことだったかもしれないけど、本気だった。なのに、卒業して、就職して、それきり口に出してない。
3年以上、一度も言ってない。思い出せる、消えたわけじゃなかった。
まだあった。
出てきた。
俺は駅の改札を通った。
電車に乗って、窓の外を見てた。
童実野町が流れていく。柵の中の更地が見える。A街区だ。まだ躯体が上がりきってない。
あそこに道ができる。
来年の3月に完成する。
道ができて、店が入って、人が歩く。
俺が売った床の上を、人が歩く。
それは悪くない。
けど、それは俺の、道じゃない。





家に帰って、俺は棚を見た。
デッキケースと、その隣に、箱が置いてある。
去年の大会の、副賞のデュエルディスクだ。
1年、開けてない。
俺はそれを下ろした。
床に置いて、テープを剥がした。
中に緩衝材が入ってて、その下に本体があった。俺のは白だった。持ち上げると、旧型より軽い。
腕に当てて、装着した。ロックの音がした。
電源を入れると、起動音が鳴って、ソリッドビジョンの表示が出た。
『デュエリスト登録がありません』
『登録しますか』
俺は表示を見てた。
暫く見てから、はい、を選んだ。
名前の入力欄が出た。それも入力した。
城之内克也。
確定を押した。
『登録が完了しました』
『ようこそ、城之内克也』
俺は腕を下ろした。
電源を切って、デュエルディスクを箱に戻して、それから、戻さずに机の上に置いた。
その日はそのまま、寝た。
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