05 押印


翌週から、元に戻った。
飲みは火曜に一件、木曜に一件。次の週は月、水、金。その次の週は4件入った。
10日間空いて多分、体が忘れてた。
忘れるってことがあるんだと思った。1年、週に2回か3回のペースでやってきて、それが当たり前になってたのに、10日休んだだけで戻り方を忘れる。二軒目の途中で、水を頼むタイミングを間違えた。頼むのが遅れると、あとで効く。
翌朝、5時20分のアラームで起きられなかった。
飛び起きたら5時40分で、シャワーを浴びずに慌てて出た。電車の中で、自分の匂いが気になったが仕方ねえ。
現場に着いたら江口さんに、顔色悪いよ、と言われた。
「昨日、遅かったんで。」
「若いんだから、って言っちゃいけないんだよな、今は。」
そう言って、江口さんは笑った。
俺も笑った。






KCから最初の連絡が来たのは、11月の終わりだった。
会社にメールが届いた。宛先は課長で、俺の名前は本文に入ってた。
東地区A街区、床材の仕様確認について。原本への押印が必要なため、貴社よりご来社をお願いしたい。担当者は問わないが、書類の内容を把握している者が望ましい。
課長が俺を呼んだ。
「城之内。これ、行けるか。」
「いつっすか。」
「明後日の16時だ。」
明後日は木曜だ。木曜は安藤部長の所の若手と飲む予定が入ってる。18時から。まあ間に合うだろう。
「行けます。」
「じゃあ、行ってこい。」
それだけだった。
俺は自分のスケジュールを開いて、木曜の16時にKCと書いた。その下に、18時の予定が残ったままだった。



木曜、15時50分にKCのビルに着いた。
2回目だ。
自動ドアが二重になってるのも、床の石が大判なのも、変わってない。人が歩くのが早いのも同じだ。
受付に行って、今度は名前を言えた。
「南設備の城之内と申します。16時に、事業推進部の方とお約束をいただいております。」
「城之内様ですね。お待ちしておりました。」
きちんと名前が通っていた。
首から下げるカードを渡された。ゲストと書いてある。ゲートにかざすと、開いた。
エレベータに乗った。担当の人が一緒に乗って、24階のボタンを押した。
「24階すか。」
「はい。」
高い。窓の外に町が見えた。ぐんぐん下がっていく。俺がいつも歩いてる道が、線になった。
通されたのは応接室だった。
長いテーブルと、椅子が8脚。壁に絵が掛かってる。広い窓があって、暫くするとコーヒーが出てきた。
書類は3枚だった。
床材の仕様書で、うちから出したものと、KC側の設計基準を突き合わせたもの。数字を確認して、間違いがないことを確かめて、押印する。それだけだ。
10分で終わった。
「ありがとうございました。念のため、今後の納入予定についてもご確認いただけますでしょうか。」
「はい。」
そこからまた15分かかった。予定表を見て、来月と再来月の数量を確認して、質問に答えた。答えられない部分は持ち帰るためにメモを取った。
「本日はありがとうございました。」
ビルを出たのは16時35分だった。
スマホを見ると、課長からメッセージが入ってた。
『終わったか』
『今出ました』
『こっち戻れ』
真っ直ぐ事務所に戻った。着いたのが17時10分。課長は席にいた。
「どうだった。」
「押して終わりっす。仕様書、間違いなかったんで。」
「どこ通された。」
「え?」
「どこの部屋だ。」
「24階の、応接室っす。」
課長の手が止まった。
「24階。」
「はい。」
「誰が出てきた。」
「事業推進部の、平野さんって人と、あと若い人が1人。」
「何分いた。」
「30分くらい……ですかね。入ったのが16時ちょうどで、出たのが35分だったんで。」
課長は自分の手帳を開いて、何かを書いてた。
「コーヒー出たか。」
「出ました。」
また書いた。
何の確認だろう。うちが出してんのはコーヒーじゃなくて緑茶だけど、とか考えながら俺は突っ立ってた。
「あの、18時の。」
「ああ。」
課長がやっと顔を上げた。
「もう始まってるだろ。今から行っても中途半端だ。今日はいい。」
「いいんすか。」
「安藤さんとこには俺から言っとくよ。KCに行ってましたって言えば、向こうも文句ねえ筈だ。」
そういうもんか、と思った。
俺はデスクに戻って、メモを整理した。それでも、18時半には帰った。
その日は、久しぶりに晩飯を食った。
コンビニで弁当を買って、部屋で食った。米を噛んでる時に、なんか変な感じがした。
味がした。
味がすることが変な感じだったんだと、あとで思った。





2回目は12月の第2週だった。
施工要領書の差し替えの件だった。セキュリティ区画のため持ち出しができず、来社のうえ確認をお願いしたい、と書いてあった。
火曜の17時。
火曜は19時から接待が入ってた。
また俺は行った。今度は24階じゃなくて、それでも22階の会議室だった。要領書に目を通して、変更点を確認して、サインした。
時計を見たら25分で済んでた。

戻ったら課長がまた聞いた。
「今日はどこだった。」
「22階の会議室。」
「コーヒーは。」
「出ました。あと、菓子も。」
課長がまた手帳に書いた。
その日の接待は、俺が着いた時にはもう二軒目に移動してた。合流したけど、着いたのが20時半だったから、飲まされた量は普段の半分以下だった。

3回目は12月の下旬。年末の納入計画の確認だった。
その日も、夜に予定が入ってた。





年が明けて、1月の中旬。
課長が朝礼の後に、俺じゃなくて別のやつを呼んだ。
「小林、お前KC行ってこい。」
小林は俺より3つ上の先輩だ。今、東地区の担当じゃないけど、書類の内容なら分かる。
「城之内でいいんじゃないっすか。」
「あいつは現場だ。お前が行け。」
小林さんは午後に出て、1時間半で戻ってきた。
「どうだった。」
課長が聞いた。
「ああ、書類渡して終わりです。判子もらって、10分もかかりませんでした。」
「どこ通された。」
「どこって、受付の横の部屋ですよ。打ち合わせ用の、パーテーションで区切ってあるとこです。」
「上には。」
「上がってないです。」
課長が黙った。
俺は自分のデスクで見積を打ちながら話半分に聞いてた。
「コーヒーは。」
「出ないっすよ、10分ですよ。自販機ならありましたけど。」
課長は何も言わなかった。
小林さんが自分の席に戻ってから、課長がこっちを見た。
見ただけで、何も言わなかった。






1月25日は月曜だった。
朝、スマホのロック画面に通知が出てた。昔から入れっぱなしになってるゲームのアプリだ。誕生日おめでとうございます、ログインボーナスを受け取ってください、と書いてある。
そうか、と思ったけど、開かなかった。
21になった。
顔を洗って、髭を剃って、シャツを着た。今日は朝から現場じゃない。事務所に直行することになってる。
電車の中でスマホを見たら、静香からメッセージが来てた。
『お兄ちゃん、誕生日おめでとう!元気にしてる?今度こっち来る時、連絡してね』
遊戯からも来てた。本田と杏子からも来てた。3人がグループの方に書いてて、そこで誕生日の話になってた。
『飲みに行こうぜ』と本田が書いてた。
『城之内くん、忙しいんでしょ、無理しないでね』と遊戯が書いてた。
『でも、皆の顔見たいな』と杏子が書いてた。
俺は既読をつけて、電車を降りた。
事務所に着いて、見積を3本打った。その間に変更の電話が4回鳴った。
午後は大宮に届け物があって、往復で2時間かかった。
17時半に、課長に呼ばれた。
「城之内、今日そのまま来い。安藤部長の若いのが、2人来る。」
「はい。」
18時から、駅前の店だった。
座敷に6人。俺は入り口に一番近い席に座った。
ビールが来た。乾杯した。
グラスを持つ前に、一瞬の間があった。
いつもある儀式が、今日もあった。
俺は飲んだ。日本酒に変わったのは8時を過ぎてからで、二軒目に移ったのは10時だった。
部長のお気に入りの子が居る店で、部長の名前が書いてあるネックのかかったボトルが入ってる。でも、それは何故か部長じゃなくて俺が飲んでる。
若いのが2人とも潰れて、タクシーに乗せる所までやった。
帰ったのは12時前だった。
部屋の電気をつけて、水を二杯飲んだ。
スマホを開いて静香に返信した。
『おう、ありがとな。元気にしてるよ。仕事は忙しいけど、まあ普通だ。そっち行くときは連絡する、お前もこっち来るなら連絡してくれ』
送った。
グループの方にも書いた。
『みんなありがとな。落ち着いたら行くわ』
落ち着いたら、と書いてから、少し手が止まった。
予測変換が、行くわ、と表示していた。前も同じことを書いた。
いつ書いたかは思い出せないけど、いつも書いてる気がする。
去年の誕生日に何をしたかを思い出そうとした。
去年は20歳になった年だ。20歳になって、その2ヶ月後くらいから、俺は飲むようになった。飲むようになったっていうか、飲まされるようになった。
誕生日そのものが思い出せない。
3年前は覚えてる。本田と杏子と遊戯と、4人でカラオケに行って、本田が奢るとか言い出して結局割り勘になって、店を出たら雪が降ってた。あれは高3の1月だ。就職が決まるかどうかってヤキモキしてた頃だ。
去年は、入社して1年と10ヶ月目だった。
1年10ヶ月目の1月に、俺は何をしてたんだろう。
多分、働いてたんだと思う。
スマホを置いて、シャツを椅子に掛けた。シャワーは浴びなかった。浴びなきゃとは思った。
アラームを確認した。5時20分。
明日は現場だ。






1月の終わりに、また連絡が来た。
課長が俺を呼んだ。
「城之内、KCだ。」
「今度は何すか。」
「2月納入分の確認と、図面の差し替えらしい。」
「小林さんじゃなくていいんすか。この前行ってましたけど。」
「お前が行け。」
「俺、金曜は現場があります。」
「現場は誰かに振る。」
そう言われた。
振れるんだ、と思った。
今まで、現場は振れないと言われてきた。城之内しか行けない、体力がいるから、朝が早いから、そういう理由で3年ぐらいずっとやってきた。
振れるんだったら、振っても良かったんじゃねえのか。
思ったけど、口には出さなかった。
出した所で、じゃあ次から振るぞ、とはならない。今日たまたま振れただけだと思う。
「分かりました。」
「城之内。」
「はい。」
「向こうで何か言われたら、全部メモしてこい。誰が何を言ったかも。」
「はあ。」
「あと、どこ通されたかな。」
「毎回聞きますね、それ。」
課長が一瞬止まった。
「……仕事のうちだ。」
「はい。」



2月に2回、3月に3回、KCに行った。
行くたびに、課長は同じことを聞いた。どこに通されたか、誰が出てきたか、何分いたか、コーヒーは出たか。
俺は全部答えた。同じこと聞かれるから、答えるために、行くたびにメモを取るようになった。フロア、部屋番号、担当者の名前、入退室の時刻。
何のために使うのか分からないけど、そのうち、それが仕事の一部になってた。
夜の予定と重なる日も多かった。けど、重ならない日もあった。3月の一回は火曜の午前中だったし、2月の一回は接待のない木曜だった。
だから、こん時は偶然だと思ってたし、そういう見方を一度もしなかった。
俺が考えてたのは別のことだ。KCに行くと、一日が短くなる。移動がある分、事務所にいる時間が減る。事務所にいなければ、電話を取らなくていい。見積は別で作らなきゃなんねえけど。
そう言うのに比べたら、行くのは楽だった。
楽なことを楽だと思っていいのか、少し引っかかった。仕事なのに、と。でも、深く考えないようにした。



3月の終わりに、ビルのロビーで平野さんに言われた。
「城之内さん、いつもありがとうございます。うちの部で、南設備さんといえば城之内さんってことになってます。」
「そうすか。」
「メモ取られるでしょう。あれ、助かるんですよ。次に来るとき、前の話が繋がってるから。」
「あー、まあ、上に報告するんで。」
「それでも、繋がってるのは楽です。」
平野さんは笑って、じゃあまた、と言って、ゲートの向こうに行った。
俺はゲートのこっち側に立ってた。
首から下げたカードを返却口に返した。
ゲストと書いてあるカードだ。当たり前だが、何回来ても、ゲストはゲストだ。
外に出たら、3月の終わりなのに、まだ寒かった。
ビルを見上げた。
24階のあたりに窓の列が見える。どれがどの部屋かは分からないけど、俺が通された応接室は、多分あのへんだ。
その上に、まだ20階分くらいある。
そんで、一番上に、あいつがいる。
4ヶ月、一度も会ってない。別に会いたいわけでも、会う用事があるわけでもない。
俺の用事は事業推進部だ。事業推進部の平野さんと、若い人と、それから書類だ。あいつが出てくる場面がない。
そりゃそうだ。
呼ばれてるのは俺じゃなくて、南設備だ。
俺はそう思って、駅の方に歩いた。
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