夜、早速申し込みをした。
アパートに帰って、飯を食う前にスマホでフォームを開いた。氏名、生年月日、住所、緊急連絡先は本田を勝手に登録した。所属を書く欄があったけど、フリーもあったからフリーにしておいた。始まりは会社から言われてのことだったけど、これは俺個人がやってることだと思ったからだ。
予選は日曜だった。棚卸しは月末の土曜だから、今の所、重なってない。いける。
送信を押したら、すぐに確認メールが来た。後は行くだけでいいらしい。
飯を食って、シャワー浴びて、寝る前に棚の前に立った。
デッキケースがある。その隣にデュエルディスクもある。
拭くだけだ、といつも思う。埃が積もるのが嫌だから拭く。掃除はするけど、開ける理由はない。開けた所で、今は相手がいない。
手を伸ばして、指をケースの蓋にかけて、開けてた。
中身は変わってない。誰も触ってないんだから当たり前だけど。上から順番に見ていくと、俺が最後に組んだ並びのままで、真紅眼から始まってた。3年前から、止まっている。
1枚ずつ、机に並べた。40枚が机に収まりきらなくて、床に続きを置いた。
床に座って、最初から順に見ていった。
このカードは、どういう時に引きたいんだったか。このカードには助けられた。
思い出すのに、時間がかかった。手が覚えてるんじゃないかと期待してたけど、そんなことはなかった。3年って長い。3年近く、俺はこれを触っていなかったのか。
1時を過ぎてたけど、まだ床に座ってた。
2ヶ月は短い。
まず、平日が殆ど使えない。帰るのが10時を過ぎる日が週に3日ある。接待が入れば12時になる。それでも帰って30分だけ、床に座ってカードを並べた。並べて、引いてみたりして、また崩す。
日曜は2回潰れた。棚卸しの前倒しと、東地区の搬入立ち会い。文句は言わなかった。言った所で代わりがいない。
相手がいないから、家で出来ることには限りがある。1人でやってみる練習はカード効果を思い出すだけで、まあ筋トレみたいなもんだ。実戦とは全然違うのはよく知ってる。
3週目に、駅裏のカードショップに行けた。
日曜の夜8時、遅くまでやっててくれて助かった。店に入るのか何年ぶりか分からなかった。高校の頃はよく行った店だったのに。
ショップの店主は違う人になってた。カウンターの奥の対戦スペースはまだあった。既に二卓が埋まってた。
「一戦、いいすか。」
高校生2人組が顔を上げた。片方が、いいですよ、と応えてくれた。
俺は二戦して、一勝一敗だった。
負けた時、相手の子が「強いっすね。」と言ってくれたけど、社交辞令だと思った。勝った子の方が上手くカードを使ってたからだ。
それから、水曜の夜と日曜の夜に、行ける日は行った。けど、行けない日の方が多かった。
予選の朝も、5時に目が覚めた。
アラームは6時にかけてたのに、習慣のせいか、早く起きてしまった。それから二度寝する気にもなれず、カードの確認を何度かした。
出る時に、着るものがなかったことに気付いた。
スーツならある。私服がないわけでもない。ただ、就職してから着てないやつばっかりで、押し入れから出したパーカーは、明らかに暑そうだった。今はまだ秋で、これは冬に着るやつだ。
他に選ぶものを探すのも面倒くさくて、それを着た。
海馬ランドに着いたのは8時前だったけど、もう列ができてた。
受付でナンバーを受け取った。参加者は400人を超えてるらしい。予選はスイス式トーナメントってルールで6回戦やって、上位16人が本戦に上がるらしい。本戦は同じ日の午後にやる。凄いスケジュールだ。
列に並んでる間、周りを見た。
若い。ほとんどが学生だ。大人もいるけど、その中で俺は年上の方に見えた。3年前ならこの中に混ざっても違和感はなかった筈なのに、と思った。
スタジアムに入ると、天井が開いていて、フィールドはこんなに広かったかと思ったくらい広い。奥にステージが組んであって、海馬コーポレーションのロゴが吊ってある。
指定の席につくと、間もなく一回戦が始まった。
三回戦が終わった所で、自分が三連勝してることに気付いた。トーナメントなのに、勝敗を数えてなかった。
四回戦の相手は大学生くらいの男で、何となく途中まで押されてた気がした。押されてる時に、手が勝手に動いた。カードを伏せた。相手が攻めてきて、リバースカードを全てめくった。それで通った。
なんであのカードを伏せたのか、後で考えても分からなかった。けど、それでも勝った。
五回戦も勝ったけど、六回戦は負けた。5勝1敗で、順位は8位。本戦に上がれた。
昼休憩の間、外に出てベンチに座った。コンビニのおにぎりを買って食った。座ってると腰が痛いのは、多分ずっと立ってたからだ。
何となくスマホを見て会社からの連絡がないことを確認した。日曜だから当たり前なんだけど、つい確認してしまう。
遊戯からのメッセージは、三週間前のまま残ってる。こっちは、返してない。
本戦のトーナメントは午後2時に始まった。こっちは普通のトーナメントだ。
16人。昼が終わって戻るとステージにフィールドが4台設置されていて、勝った者から順に上へに進む。準決勝からはステージの上でやる。
一回戦を勝った。二回戦も勝った。
準決勝の途中で、何故かスタジアムの空気が変わった。
なんて言うか、音が減った。それまで客席から聞こえてた野次とか話し声が途切れた。俺は自分のターンの途中だったから顔を上げなかったけど、相手の視線が俺の後ろに行ったのが分かった。
「俺のターン、ドロー!」
それでも俺は続けた。続けて、勝った。
決勝の相手は17歳だったらしい。名乗った時に高校名を言ってた。童実野高校の、2つ向こうの学校だった。俺は名前だけ名乗った。
長い試合になった。相手の方が速かった。速いだけじゃなくて、丁寧だった。俺の手札が二枚になった所で、盤面はほとんど向こうのものだった。
そこから、3ターンかかった。
伏せて、引いて、通した。最後は真紅眼が残ってた。
決着がついた時、俺は自分がどうやって勝ったのかを説明できなかった。
相手の子が手を出してきたので握った。汗をかいてた。俺の手も汗をかいてた。
「城之内さんって城之内克也さん、ですよね。」
「ああ。」
「バトルシティのベスト4の。」
そう言われて、そうだった、と思った。
そうだった。俺はあの4人のうちの1人だった。
バトルシティ。高校2年の時だから、4年前か。
忘れてたわけじゃないけど、卒業してから3年以上、一度も思い出さなかった。思い出す機会がなかった。名刺に書く欄はないし、自己紹介で言うことでもない。そもそも聞かれない。
「握手してもらっていいですか。」
「へへっ、今してんだろ。」
相手の子が笑って、俺も笑った。
表彰はステージの上でそのままやった。
目録と、副賞の新型デュエルディスクの箱を受け取る。フラッシュが焚かれて、写真を撮られた。撮られてる間、正面のスクリーンに自分の顔が映ってた。優勝したのに、思ってたより、ひどい顔だった。
司会の女性がマイクを持って隣に立った。
「本日は、当大会の主催であります海馬コーポレーション、海馬社長にもご来場いただいております。」
客席が沸いて、皆が一斉に同じ方を向く。準決勝で相手の子が見てた方向だ。
俺は顔を上げた。
正面の、二階席の中央。区切られたブロックの一番前に、白いコートが座ってた。
来てた。
来てたんだ。2ヶ月、可能性があるってだけで動いてきた。根拠なんか一つもなかった。それが当たった。
距離は50メートル以上ある。表情は見えないけど、一応こっちを見てないことだけは分かった。
「それでは優勝者の城之内選手、一言お願いいたします。」
マイクが向けられた。
何も考えてなかった。
2ヶ月、勝つことしか考えてなかった。勝ってどうするかは、勝ってから考えればいいと思ってた。
考えればいいと思ってたのに、何も出てこなかった。
出てこないまま、手がマイクを掴んだ。
「海馬ぁ!」
自分の声が響く。
「俺と、デュエルしろ!」
静かになった。
四千人だか五千人だかいる客席が、一斉に黙った。その静けさが、何秒か分からないけど、あった。
二階席の、背の高い白いコートが、立ち上がった。
スタッフが慌てて何か持って走っていた。何かを受け取ったのが見えた、マイクだ。
『──ふん、懲りない奴め。』
スピーカーから声が出た。
『だが、いいだろう。俺は挑まれたデュエルから逃げはしない。』
客席が沸いた、熱狂だ。男も女も、海馬瀬人のファンが爆発した。悲鳴みたいな声が上がって、スマホが一斉に持ち上がった。
『完膚なきまでに叩き潰してやる。』
マイクを放って、あいつは背を向けた。
出口に向かって歩いていく。黒服達が慌てて追いかける。俺はステージの上でそれを眺めてた。
あいつを見詰めてた周りの視線が、一気にこちらを向く。膝の裏が変な感じになってきた。
やった。
やっちまった。
ステージを降りて、通路で荷物をまとめてた。
関係者用の出入り口に続く通路で、スタッフが機材を運んでる。俺は壁際でリュックを開けて、デュエルディスクの箱を入れようとしていたが、箱が大きくて入らなかった。
「城之内克也様ですね。」
顔を上げた。
黒いスーツの男が立ってた。
確か、磯野さんだ。バトルシティの時、審判をやってた人。
「はい。」
「お久しぶりです。先ほどの件につきまして、海馬瀬人より日程の調整をさせていただきます。」
「あー、はい。」
「ご連絡先を頂戴できますでしょうか。」
リュックを漁って、名刺入れを出した。癖で、持ってきていた。
名刺入れには19枚残ってた。一枚は先週、海馬コーポレーションの受付に置いてきた。
磯野さんは両手で受け取って、目を通した。会社名の所で一拍あったように見えたけど、気のせいかもしれない。孫会社だから、知ってても不思議じゃない。
「後日、こちらからご連絡差し上げます。」
「あの。」
「はい。」
「あいつ、本当にやる気あんのか?」
男が俺を見た。
「瀬人様が、デュエルの挑戦を反故にすると思われますか?」
この人も苦労しているな、と思った。
「では。」
そう言って、頭を下げて、去っていった。
月曜、事務所に着いたのは8時15分だった。
ドアを開けた瞬間に、全員がこっちを見た。
朝礼前の事務所は、皆パソコンを立ち上げて、メールを開いてたり、現場と連絡とってたりしている。それがいつもの月曜の8時15分だ。
今日は全員が顔を上げてた。
「城之内。」
課長が奥から出てきた。手に、スマホを持ってる。
「これ、お前だな。」
画面を向けられた。
俺だった。ステージの上でマイクを掴んでる俺だ。撮ったのは客席の誰かだろう、少し揺れてるけど、バッチリ音は入ってる。
『海馬ぁ!俺とデュエルしろ!』
自分の声が事務所に流れた。
再生数の所に、7桁の数字が出てた。嘘だろ。
「昨日の夜には回ってた。今朝、大宮の安藤部長から電話があった。6時半だ。6時半に電話が鳴った。どういうことか分かるか。」
「……すんません。」
「町内会のグループにも回ってる。うちの女房が見せてきた。」
課長がスマホを下ろした。下ろしてから、暫く何も言わなかった。
言葉を探してるみたいだった。
「城之内。お前、うちがどこの仕事してるか分かってんのか。」
「分かってます。」
「東地区だ。あれは全部KCの計画に紐づいてる。その計画のトップに向かって、うちの人間が、公衆の面前で。」
「フリーで出てます。会社の名前は出してません。」
出してない。出してないけど、磯野さんに名刺は渡した。
「出してなくたって、お前の顔は出てんだよ。」
その通りだった。特定なんて、しようと思えばすぐだろう。
俺は黙った。黙ってれば終わる。3年以上、大体これで終わってきた。
「動画のコメントは見たか?」
「見てないっす。」
「見ない方がいい。」
課長がため息をついた。多分、無謀とか何とか色々書かれてるんだろう。バトルシティならあいつだってベスト・フォーだってのに。
「安藤部長は笑ってたよ。けどな、それは話題にする価値があると思ったってことだ。うちみたいなとこの若いのの名前が、大宮の部長の口に出るってのは、普通じゃないんだよ。」
俺は課長の顔を見た。怒ってるのは本当だ。声も大きいし、厳つい。
でも、目が違った。
「で、これだけか?」
「え?」
「他にないのか、って聞いてんだ。」
どうなってんのか、言うかどうか迷った。
「……日程、組まれてます。」
事務所が静かになった。そりゃそうだろう、海馬社長とプライベートでデュエルをするなんて、と思ってるに違いない。
電話が鳴ったが、誰も取らなかった。2コール目で、事務の子が慌てて取った。
「日程って。」
「デュエルの。KCの人が名刺持ってったんで、連絡が来ると思います。」
来ると思うというより、あいつが逃げる訳がない。
課長がゆっくり椅子に座った。座ってから、俺じゃなくて、机の上を見た。
「城之内。」
「はい。」
「お前、そういうことは、もっと早く言え。」
さっきまで怒鳴ってたのに、声が変わってた。
叱ってる声じゃなかった。
何になったのかは、その時の俺には分からなかった。
