02 名刺


朝礼の開始時間は8時半だ。
事務所では、その日、現場じゃない社員が全員が並んで、課長が予定を読み上げるのを聞く。今日は月曜だったから、今分かってる今週の分だ。
東地区の搬入、来週の見積り提出、それから月末の棚卸し。俺は手帳を開いて、日付の横に書き込んでいく。当然のように、土曜にもあった。
「そうだ、先週の金曜の件だけどな。安藤部長からご連絡があった。」
課長が紙から顔を上げた。
金曜の安藤部長といえば、あの座敷のことだろう。
「城之内。」
名前を呼ばれた。
「はい。」
「お前、部長に何を言ったか覚えてるか。」
何があったか、覚えてる。飲んだのはビールが2杯、少ししたら日本酒に変わって、今期の見通しの話をして、海馬コーポレーションの新製品の話をして、それから、二軒目に移った。その時、外の空気が冷たかったのも覚えてる。
「……何すか。」
「東地区の話だ。うちが一次で入れますよ、って言ったらしいな。」
言ってない。
記憶にない。そう思ったけど、口が動かなかった。
「部長は笑ってた。若いってのは勢いがあっていいもんだってな。でもあれは大宮さんが決める話だ。うちが決める話じゃない。」
「すんません。」
「まあ、酒の席だ。」
課長がそう言って、手元の紙を捲った。他の社員はもう次の話を聞く準備をして、手帳に顔を落としている。
俺は自分の靴の先を見てた。
言ったのかもしれないし、言ってないかもしれない。俺にはそれを確かめる方法がない。
安藤部長に聞くわけにもいかない。課長に、覚えてませんと言うわけにもいかない。
言ってないし、二軒目に移った。ちゃんと覚えてる。酒には負けていない。きっと、安藤部長の思い違いだろう。そう思った。



昼を過ぎてから課長に呼ばれた。
課長室というようなの場所はなく、パーテーションで区切っただけのちっこいエリアが課長のスペースにあたる。机と棚と、一応、応接用の椅子がある。勝手にそこに座るわけにもいかず、とりあえず立ったまま聞いた。
「金曜の件で、お前の埋め合わせを考えてる。」
「はあ。」
朝礼での、記憶にない話の件だった。
「KCだ。」
窓の外にあのビルが見えている。この事務所からだと、真っ直ぐ行くと他のビルがあるから、上の方だけ出てる。
「直接、挨拶に行ってこい。」
「……KCに、っすか。」
「東地区はKCの再開発計画に紐づいてる。大宮さん経由じゃなくて、うちの名前を先に売っとけって話だ。挨拶と詫びと、まあ両方だな。」
「アポはあるんすか。」
「取れるならとっくに取ってるよ。」
課長が椅子の背にもたれた。
「城之内。お前、海馬社長と同級なんだろ。」
「まあ、そうっすけど。」
「営業なら、そういうの使うもんだ。」
そういうもんか、と思った。
きっとそういうもんなんだろう。営業は人脈だと入社の時に言われた。先輩達が前の職場の繋がりとかで案件を取ってくるのも見てるし、使えるもんは使えって教わってる。
ただ、俺と海馬の間にあるものを人脈と呼んでいいのかは分からない。何になるのかは分からないけど、多分違う言葉になる。
「明日行ってこい。名刺は足りてるか。」
「あります。」
「20枚は持ってけよ。」
デスクに戻って、名刺入れを確認した。とりあえず、補充用のケースから足して、20枚に揃えておいた。
アポもなしに、1枚置いて来れたらいい方だろう。
名刺の準備をしながら考えたけど、誰に対する挨拶と詫びなのか分からないままだった。





翌日、10時。
海馬コーポレーション本社ビルの前に立った。
真下から見上げると、でかすぎて首が痛くなるし、建物が全部見えないから途中で見るのをやめた。俺は毎日これを見てる。会社の窓から、駅のホームから、アパートの外階段からも見える。高校生の頃より、でかくなってる。
この中に入るのは初めてだった。
自動ドアが二重になっていた。1つ目を抜けると風が出てきて、体に付いた埃を落とすのがついてた。2つ目のドアが開くと、音が変わった。天井が高い。なのに、話し声は響いてない。
ロビーは奥行き40メートルくらいだろうか。床は石で、継ぎ目がない大判のやつだった。あれ、一枚いくらするんだろうと思った。それから、自分が何を考えてるのか分かって、少し嫌になった。
さっきから職業病が出てる。
人は沢山居たが、全員が足早にどこかへ向かっていて、誰も立ち止まったり立ち話したりしていなかった。
受付は正面に三席あって、制服の女性が座っていた。とりあえず、一番端に行った。
「お世話になっております。大宮設備工業の二次で、南設備の城之内と申します。」
そう言って名刺を出した。受付の女性が両手で受け取って、こちらこそお世話になっております、と答えた。
「本日はどちらの部署にお約束でしょうか?」
「あー……。」
今になって、部署名すら知らないことに気付いた。
再開発計画をやってる部署がどこかなんて聞いてないし、課長も言わなかった。都市開発部とか、事業推進部とか、大体のとこはそういう名前がついてるんだけど、ここで当てずっぽうに言って通るとも思えなかった。
「東地区の再開発の件で、ご挨拶に伺いまして。」
「担当者のお名前はお分かりになりますか?」
「いえ。」
「恐れ入ります。お約束はございませんでしょうか。」
「ないです。」
受付の表情は変わらなかった。困った顔も、笑顔が固くなることもなかった。
「申し訳ございませんが、当社はご予約のないお客様のお取り次ぎを承っておりません。」
「あの、じゃあ、代表の方に取り次いでいただくとかは……。」
「弊社の窓口は全て所定の手続きを経てご案内いたしております。お取引に関するお問い合わせはこちらのフォームからお願いいたします。」
URLとQRコードが印刷されてるカードを一枚渡された。
「ご来訪ありがとうございました。」
飛び込みだったのに、最初から最後まで丁寧で、一度も雑にされなかった。
俺の名刺は、受付の脇の小さなトレーに置かれた。他にも既に何枚か入ってたから、よくあることなんだろう。

外に出ると、少しだけ日が高くなってた気がした。
ビルの正面には広場があってベンチが並んでる。俺はとりあえずそこに座った。事務所に電話しなきゃならないんだろうけど、何と報告したもんか。
時計を確認すると、まだ10時20分だった。
やるだけやろう、と紙を見た。多分、このフォームのURLは誰でも入力できるやつだと思う。ただの問い合わせ窓口で、ホームページにも載ってるやつ。俺が来なくても、課長がパソコンから送っても良かったんじゃないか。
行けと言われたから来ただけだ。
行った、という事実が要るんだ、と今分かった。大宮さんに対して、城之内を行かせました、という報告が必要だから。たったそんだけのためか。
顔を上げると、ビルの側面に社員用の通用口があった。首から下げてるカードで、そこの扉が開く。入っていく人も、出てくる人も、みんな歩くのが早い。
ここで、何千人が働いてるんだろう。
その一番上に、あいつがいるのか。
それは、この町の全員が知ってるし、世界的に有名だから結構な人が知ってる。ニュースで見るし、広告で見るし、コンビニの雑誌の表紙でも見る。
確かに俺は同級生で、同じ教室にいた。
それだけじゃない。あの大会で、最後に残った4人のうちの2人で、同じ船に乗ってた。
埠頭で海に引き摺り込まれた時のことも覚えてる。鎖の先に錨をつけられて、遊戯と枷で繋がれて、俺が沈んだ。もがいて、息が続かなくなってきて、そしたら、海の中に鍵が落ちてきた。
誰が落としたのかは、知ってる。
同じ教室にいて、同じ船に乗って、同じタワーに登った男に会うのに、俺には方法がない。
電話番号を知らないし、メールも知らない。遊戯なら、もしかしたら何かの伝手があるかもしれない。
だからって、遊戯には言える筈もない。
何て言えばいいんだ。仕事で困ってるから海馬に取り次いでくれ、と言うつもりか。いくら営業だからって、流石に友達には言えない話だ。
そうでなくても、日曜の集まりの誘いを3回断ってて、いきなりそんなこと聞けねえ。
ベンチから立ち上がって、広場を横切った。
出口の脇に、大きなデジタルサイネージみたいなのが設置されていた。海馬コーポレーションの製品広告が流れてる。普通のと違って、ソリッドビジョンの映像で、その周囲を白いドラゴンが画面の中で翼を広げて、消えて、次の画面に切り替わった。
M&Wの大会の告知だった。
海馬コーポレーション主催、オープン参加可能、日程は再来月。会場は海馬ランド内スタジアム。優勝すると、いくらか賞金があって、副賞に最新モデルのデュエルディスクが貰えるらしい。
俺はそれを最後まで眺めてた。もう一周するまで待って、概要を確認した。
主催は海馬コーポレーション。だからこの大会に、KCの社長が来ないとは限らない。
来ない可能性だって勿論ある。どう考えてもあいつは出場する方だし、それに、来てたとしても、いつどこにいるのか知らされるわけじゃない。
それでも、どうなるか分からないけど、受付で断られるよりは居る確率は高い。
少なくとも、大会の方には入れる。
俺はスマホを出して、概要を撮った。
それから事務所に電話をかけて、受付で断られたことを報告した。
課長は、行けと言ってた割に、まあそうだろうな、と言っただけだった。
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