02 愛を育むアイテム


冥界の王宮には、時折よく分からない荷物が届く。
パンツ。宝石。香料。供物の菓子。神殿への献上品。各地の珍品。もごし。
そしてその日、アテムの私室に運び込まれたのは、見た目よりは重い箱だった。
「何だこれは。」
蓋には、端正な文字でこう記されている。
『王の愛の発展を願って』
セトからだった。
何の疑問も持たなかった上に、アテムは少し嬉しそうでもあった。気遣いというものにめっぽう弱い。
蓋を開ける。
「……?」
中には、革製の何か。金具付きの何か。紐。輪。見たことのない棒状の道具。薬らしきもの。用途不明の布。妙に頑丈そうな留め具。
「…祭具か?」
アテムは1つ持ち上げ、首を傾げた。
「いや、違うな。…武具でもない。」
しばらく考え、箱を探ると、セトの字で「愛を育む道具です」とあった。
「なるほど。愛を育む道具か。」
しかしそれは、分かっていない者特有の納得だった。
そのまま丁寧に箱へ戻し、部屋の隅へ置いた。
「瀬人が来たら聞こう。」



数日後。
瀬人は、いつものようにアテムの部屋へやって来た。
「瀬人。」
駆け寄ってくるアテムを受け止め、瀬人は僅かに口元を緩める。
「騒がしいな。」
「久しぶりだ。」
「4日だ。」
「久しぶりだろ。」
その辺りの感覚は、恋人同士で少しずれている。
瀬人が室内へ視線を巡らせると、隅の箱が目に入った。
「…何だ、それは。」
「セトがくれたんだ。」
その名を聞き、瀬人はどことなく嫌な予感がした。
「確認する。」
「うん。見てくれ。」
無邪気に蓋が開かれる。瀬人は中を見て、数秒黙った。
「……。」
「瀬人?」
「……。」
「何だ、知っている物か?」
「知っている。」
「何に使うんだ。」
瀬人はアテムを見た。
何1つ理解していない顔をしていた。自信めいたものすらあった。
分かって受け取ったわけではない。そう確信した。
「アレは何と言っていた。」
「愛を育む道具だと言っていた。俺達にぴったりだ。」
「…古代の亡霊が…。」
こめかみがぴくりと動く。
「早速、使おう。」
「何だと?」
「俺はこれを…お前と、試してみたい。」
決闘の前と似たような表情だった。
「待て。」
「何故だ。」
「待て。」
瀬人は箱を閉じた。深く息を吐く。
「まず確認するが、お前は中身の用途を理解していないな。」
「細かくは知らない。」
「そうだろうな。」
「だが、愛を育むんだろ?」
アテムにとって重要なことはその一点だった。
「…理論上は、そう主張する者もいる。」
やはり、愛を育む。アテムは少し頬を染めた。
「試そう。」
アテムが目を輝かせて箱を開ける。その輝きがもう瀬人にとっては終了のお知らせだった。
瀬人は再び箱を覗き、慎重に中を確認した。
そして比較的穏当な、柔らかな布製の目隠しを取り出す。
「これはまだ無害だ。」
「うん。」
「これも…まあ、許容範囲か。」
手首に巻く装飾紐のような物を選ぶ。
すぐさま蓋を閉めて、他は見なかったことにした。
8割は処分だ。そう、心の中で勝手に決定した。
「瀬人。」
「何だ。」
「それほど危険なのか?」
「危険というより、段階がある。」
「段階。」
「お前は階段を30段飛ばしで屋上へ行こうとしている。」
「なるほど、分かりやすい。危険だな。」
「分かったなら頷くな。」
「愛を育む。分かってきたぜ。」
どこも分かっていなさそうだった。終わっていた。
更に、アテムは楽しそうに笑う。
「愛を育む。俺もボッキンパラダイスなら知っている、相棒が城之内くんから借りて見ていたからな。」
「…それは経験値として換算されん。」
「なら、初心者向けで頼む。」
「注文の仕方がおかしい。」

その夜、瀬人は非常に慎重だった。
目隠しも、すぐ外せるように結ぶ。紐もきつくしない。何度も様子を確認する。
一方のアテムはというと、妙に楽しそうにしていた。
「どうだ。」
「瀬人。」
「何だ。」
「お前、思ったより優しいな。」
「何だと思っていた。」
「もっと容赦ないかと。」
「誰のせいだ。」
「セトだな。」
「……。」
埋めるか。瀬人がそう思ったのも致し方ない。





翌朝。
瀬人は箱の中身を整理していた。
「それ、捨てるのか?」
「一部は没収だ。」
「試していない。」
「必要ない。」
「セトの厚意だぜ。」
「厚意の形が歪んでいる。」
そこへ扉が2度叩かれ、外から声がした。
「失礼します。」
セトだった。
「昨夜の進捗確認に参りました。」
「帰れ。」
瀬人が即答した。しかし、セトは入って来た。
「成果はいかがでしたか、王。」
アテムは素直に答える。
「瀬人はとても慎重だった。」
「なるほど。想定通りです。」
「何が想定通りだ。」
「瀬人殿は、刺激物を与えると逆に保護者化します。」
「貴様…。」
セトは箱の中を見て、減っている物に気付いた。
「何点かありませんね。」
「処分だ。」
「惜しい。」
「惜しくない。」
アテムは笑いながら瀬人に甘えるようにもたれかかった。
「次はもう少し上級編でも良い。」
「却下だ。」
「俺だって経験値を積んだだろ。」
「……。」
「なら中級編は?」
「交渉するな。」
セトは静かに一礼した。
「では次回、入門から中級への橋渡し品を見繕っておきます。」
「やめろ!」
冥界の朝に、瀬人の大きな声が響いた。






冥界の夜は静かだ。
だが、瀬人の私室では、その静けさが崩れようとしていた。
「瀬人。」
扉を開けて入ってきたアテムが、やや神妙な顔で言った。
「セトが薬をくれた。」
「また嫌な予感しかしないな。」
瀬人はタブレットから目を上げずに答える。
「愛を育むらしい。」
「またか。さらに悪化した。」
瀬人はゆっくりとタブレットを置いた。
「それで。何だったんだ、その薬は。」
「小瓶に入っていた。」
「情報量が少ない。」
「透明な液体だ。」
「怪しい。」
「甘い香りがした。」
「怪しい。」
「少しとろみがあって…。」
「かなり怪しい。」
「身体が熱くなって…。」
瀬人の動きが止まった。
「……待て。」
「喉越しは良かった。」
「お前、飲んだのか?」
「飲んだ。」
時すでに遅し、という言葉がこれほど似合う瞬間もない。
瀬人は立ち上がった。
「アレはどこだ。」
「さあな。」
「さあな、ではないだろう。」
瀬人は珍しく走った。
王宮の回廊を駆け、神殿の神官室を開け、庭園を横切り、セトの執務室へ向かう。
居ない。
訓練場へ行く。
居ない。
厨房へも行った。
料理長が首を振る。
「先ほど“良いことになりそうです”とだけ言って去られました。」
「古代の、亡霊が……。」
10分後。
瀬人は苛立ちを纏って部屋へ戻った。
「アテム。」
返事はない。
寝台を見ると、毛布が不自然に膨らんでいる。
「…何をしている。」
「……瀬人。」
中から小さな声がした。
「少し、変だ。」
瀬人は眉を顰め、毛布を捲った。
「……。」
数秒、沈黙した。
そこにいたのは、見慣れた赤い瞳のまま、見慣れない身体になったアテムだった。
女の身体だった。
艶やかな髪、線の細い肩が毛布から覗く。顔立ちはそのままに、美しさの方向だけが別種になっている。
瀬人は言葉を失った。
「…これは。」
「俺にも分からない。」
アテムは耳まで赤くして毛布を引き上げた。
「驚いたか。」
「多少は。」
「…困ったか?」
少しだけ、不安そうな声だった。
そして、アテムは真剣な顔で言った。
「こんな俺でも、愛してくれるか?」
「中身がお前なら何も変わらん。」
即答だった。
アテムが瞬いた。
「…本当か?」
「本当だ。質問の意図が分からん。」
「そうか…。」
毛布の中で、更に赤くなる。
「なら、安心した。」
瀬人は深く息を吐いた。
「アレは後で始末する。」
「優先順位が違わないか?」
「今はお前だ。」

その夜、王宮はよく晴れ、月が明るく照らしていた。
詳細は語られない。
ただ、海馬瀬人が思った以上に優しく、アテムが思った以上に素直で、途中何度か「髪が絡まった」「その紐は何に使う」「今は触るな」などの会話があったらしい。



翌朝。
瀬人が目を覚ます。
隣ではアテムが幸せそうな顔で眠っていた。
女の姿のまま。
「……。」
瀬人は静かに起き上がった。
「アテム。」
「ん……。」
「戻っていない。」
「何がだ…。」
眠そうに目を開けたアテムは、自分の身体に目をやって、固まった。
「…戻っていないな。」
そこへ、扉が2度叩かれた。
「失礼します。」
セトだった。
瀬人が詰め寄る。
「貴様…。」
「落ち着いてください。」
「落ち着けるか!」
セトは涼しい顔で一礼した。
「効果説明に参りました。」
「何故初めにしない。」
「説明します。女人になりますが一時的なもので、飲んだ本人が心底満足したら効果は切れます。」
「満足していなかったのか?」
「していた。」
「俺もそう見えた。」
「何だその確認は。」
そして、2人は同時に言った。
「満足していた!」「していた筈だ!」
セトは首を傾げた。
「では、別の未練があるのでしょう。」
「未練?」
アテムは考え込む。
「……あ。」
「何だ。」
「この姿で、瀬人と市場を歩いてみたかった。」
瀬人は目を閉じた。
「それか。」
「あと、一緒に甘味処へ入りたい。」
「増えたな。」
「髪を結ってもらうのも少し興味がある。」
「増やすな。」
セトは満足げに頷いた。
「なるほど。"欲張りセット"ですね。」
「その言い方をやめろ。」
アテムは瀬人を見上げる。
「瀬人。」
「何だ。」
「付き合ってくれるか?」
「……。」
「市場。」
「……。」
「甘味処。」
「……。」
「髪も。」
瀬人は長い沈黙の末、低く言った。
「3日以内に戻れ。」
アテムがパッと笑顔になる。深刻さはない。元からなかった。
「よし、行こう。」
セトがパピルスを開いた。
「では明日10時、市場巡回。13時、甘味処予約済み。夕刻、髪結いも手配済みです。」
「何故全て準備済みなんだ。」
「仕事です。」
「おかしいだろう!」
冥界の朝に、また瀬人の声が響いた。
「ところで、王。本日は公務日です。」
「延期しろ。」
「出来ません。」
「しろ。」
「しません。」
言い切ってから、セトは寝台のアテムへ視線を向けた。
「王、起床を。」
「ん……。」
起き上がったアテムは、自分の身体を見下ろし、改めて女の姿のままであることを確認した。
「公務って…戻ってないぜ?」
「問題ありません。そのままで構いません、働いてください。」
「雑!」
アテムが嘆く。
瀬人が言った。
「アテムの姿が変わっている。」
「中身は王です。」
「外側を変えたのは誰だ。」
「王の願望です。業務に支障はありません。」
「乱暴な合理主義を…。」
アテムは少し考え、頷いた。
「確かに、俺は俺だ。」
「お前も納得させられるな。」

それから。
女の姿のまま、王の衣装を整えたアテムは謁見の間に座っていた。
凛とした美しさに、王の威厳が妙に増している。
臣下たちは列をなし、頭を垂れる。
「北区画の灌漑工事について…。」
「うん、進めてくれ。」
「交易路の税率改定について…。」
「民の負担が重い。再考してほしい。」
「西神殿の補修費について…。」
「必要なら出す。」
公務は滞りなく進んだ。
誰1人、姿について触れることはなかった。
瀬人は端で腕を組み、眉を顰める。
「誰も何も言わんのか。」
隣のセトが答える。
「王ですので。」
「それだけか。」
「皆、かなり順応していますね。」
「順応するな。」
休憩時間、侍女が控えめに囁いた。
「本日の王、とてもお綺麗ですね。」
「褒めるな。」
瀬人が反射的に言った。
侍女は慣れた顔で一礼した。
「畏まりました。」
「何も畏まっていない。」

その夜。
公務を終えたアテムは上機嫌で部屋へ戻ってきた。
「瀬人!」
「何だ。」
「この姿で働いた。」
「見ていた。」
「褒めて欲しい。」
「何だそれは。」
アテムはにこりと笑った。
「…甘い夜を所望する。」
瀬人は数秒沈黙した。
「…満足のためか?」
「願望だ。」
「却下は。」
「不可だ。」
「横暴だな。」
だがその夜、願望はきっちり叶えられた。

詳細は語られない。
ただ、海馬瀬人が昨夜より更に慎重で、アテムが昨夜より更に機嫌良く、途中で「その顔は反則だ」「お前が言うな」などの会話があったらしい。

愛は、育まれていた。
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