最近、太った。
もう1人のボクは、最近よくどこかへ出掛けている。
出掛ける前には、メッセージアプリでやり取りをしている。その相手の登録名は『S』
Sだから多分、いや絶対にSeto Kaibaだ。
いつもの仲間たち以外に知り合いなんていないし、メッセージのやり取りをするようになったのはじーちゃんの賭けで彼の景品になってからだから他には考えられない。
内容はお互いに1文字でやり取りをしている。
『C』と送られてきて、
もう1人のボクが『Y』もしくは『C』で答えている。
もし答えが『Y』の場合、『R』か『C』のいずれかが送られてくる。
意味は分からないが行動パターン的にYは出かけているので多分Yes、Cは行っていないからcan'tt辺りだと思う。
問題はRとC。行き先は海馬邸か海馬コーポレーションだと思う。なのでCはコーポレーションのCだろう、多分。
触っていると正に今メッセージが来た。『C』だ。だからボクはそれに『Y』と答える。即座に『C』と返ってきた。
Cが本当に海馬コーポレーションを指しているのかは分からないが、こないだ送られてきた通行証を手に、海馬コーポレーションへ向かった。
「武藤様、ようこそ。」
エントランスでにこにこと声を掛けられる。
それだけで、もう1人のボクは結構ここに来てるらしい事が分かった。
前回と同じように、直通のエレベータを使って、社長室へ向かう。
居なかったらどうしよう。気まずい。
こないだみたいに少し心配しながら、ドアを開けた。
「よう、来たぜ。」
「遊戯か、何の用だ。もう1人はどうした。」
あからさまに素っ気無いし、いきなりもう1人のボクでないことはバレた。一応似せたつもりなのに。
というか、テーブルの上のお菓子や果物は何だろう。パーティでもしているのだろうか。
「最近、もう1人のボクと会ってるでしょ?何やってるの?デュエル?」
「これと言ってない。だが、来たのならもう1人を出せ。」
「何やってるのか分からない内は連れて来れないよ。RとかCとか何なのさ、今日だって…」
「residence、海馬邸。corporate headquarters、本社。貴様、確証もなく来たのか。」
ものすごく呆れたような顔をされたが分かるわけがないだろう。
ボクだって、もう1人のボクや仲間たちとも遊びたかった。
しかも、最近太ったのだ。
多分、原因はここに広がるお菓子類。いや、絶対そうだ。
「もう1人のボクに何してるの?」
「分かれば変わるのか?」
「それは…内容による。場合によってはもう連れてこないんだから。」
事と次第によってはこのまま帰ろうと思っていた。
彼は少しだけこちらを見ていたけど、仕方ない、とでも言いたげに小さく溜息を吐いてから言った。
「いいだろう、教えてやる。そこに座れ。目に付いたものを好きなだけ口にしろ。」
どういう事だろうか。
意味が分からないが、とりあえず言われた通りに座った。
彼が立ち上がってこっちに来る。
「ロックだ。誰も取り次ぐな。」
『ロック完了です』
機械音声が答える。
「これで邪魔は入らん。」
ボクのすぐ隣に彼が隣に座った。
ソファの背もたれに肘をついて、こっちを向いて座っている。
え、何なのこの距離感。すごく近いんだけど。
「シトロン…レモンだ。」
マカロンを口の前に持って来られた。目はじっとこちらを見つめている。
こんな至近距離で見たの初めてだけど、この人、睫毛長…。
「何をしている。」
「え?」
「どうした。もう1人が何をしているのか知りたいのだろう。早く知って変われ。」
よく分からないが食べればいいのだろうか。彼の手からマカロンを食べた。
普通に、いや、めちゃくちゃ美味しい。
「好みは?」
「美味しい。」
「………。」
無言だ。
無言のままガラスケースを開けて、今度はアイス。
「メロン。」
スプーンで掬って差し出されたそれも食べる。
これも激ウマだ。メロンそのものを食べてるかのような。
「味は?」
「美味しい。」
「………。」
また無言だ。
今度はチョコレートの包みを剥いて差し出された。
「産地はドミニカ共和国。」
粒が小さいので食べる時に唇が指先に触れてしまった。
しかし彼は気にしてない様子だ。
「どうだ?」
「…美味しい。」
「……。」
指先の感触が消えない。
体はソファと彼の体に挟まれたみたいだし、何この距離感。
もう1人のボク、何やってんの。
少し体が離れたと思ったらナイフを持っている。
一瞬ドキリとしたけど、それから桃を剥いていて。…嘘、この人が剥いてくれるわけ?
「白桃。香りも楽しめ。」
桃だ。すごくジューシーでほっぺたが落ちそう。
これは、太るのも無理はないな。
「…美味しい。」
「…反応の悪い奴だな。」
ものすごく真剣な顔で、じっと見つめて来るから食べにくいのだ。仕方ないだろう。
ふっと彼が姿勢を正した。少しだけ開いた距離に緊張から解放される。
「大方こうだ。もう1人の方が反応は良いがな。」
「嘘…。」
「そこに隠しているのだろう。変わってみればいい。」
何故分かったのだろう。連れてこれない、と言った筈なのに。
だけどバレているのなら仕方がない。
鞄からパズルを取り出して首にかけると、すぐさまもう1人のボクが表に出てきた。
それから、さっきのボクと同じ姿勢で色んなものを食べさせられている。
「白桃。先日とは違う品種、夢白桃だ。」
「甘い!…美味い!」
確かに反応はいい。そして彼がそれをじっと眺めているのも変わらない。
「チョコレート、ペルーのものだ。」
「こないだのも良かったけどこれも美味い!」
ダメだ、意味が分からない。
もう1人のボクは沢山お菓子や果物を食べて、最後に金平糖を食べさせられていた。
指先が触れたがやはりそんなことは微塵も気にしてない様子だ。
この2人の関係を簡単に表現するなら餌付けだろうか。
だが、好敵手同士。そんな単純ではない筈だ。
あれだけ『Y』を返しているにも関わらず、未だに還ることを告げることが出来ていないと言うのだから。
エジプトへ向けて出発の日。
空港で、視線を感じた。
「悪い、相棒、変わってくれないか。」
もう1人のボクの視線の先を見れば長身の男、海馬瀬人の後ろ姿だ。相変わらずどこにいても目立つ。
返事をする間もなく交代されて、もう1人のボクは走り出した。
「海馬、行くのか。」
「ああ。」
「なら俺が見送ってやるぜ。」
「ふん、お前にとっては希少な経験になるな。」
「…そうだ。かなりのレアだぜ。」
「違いない。見送らせてやる。こっちだ。」
確かにレアかもしれない。もう1人のボクは見送られる方だ。誰かを見送るなんて経験は二度とないだろう。
ラウンジに連れて行かれて、2人並んで座っている。距離は近い。
この2人ってやっぱりこんな距離感なんだ。
もう1人のボクが彼のジャケットの裾を掴む。
ちょっと待って、やっぱりその距離感なの?
「海馬、俺…」
「お前の話ならもう聞いた。」
「まだ1つ残ってる。」
「蟠りを解消したいと言うのは勝手だが、その口はくだらん話をすることに使うな。」
話を聞いてもらえなかったもう1人のボクは、上目遣いに見上げて口を尖らせている。
え、ちょっと待って。ちょっと待って。やっぱりそういう距離感で、それは何なのキス待ち?
別にそれは彼らの事情だから一向に構わない。
構わないから、目の前で見せられるボクの気持ちを考えてほしい。
流石にその決定的な瞬間は精神衛生上、見ていられない。
慌てて、無理矢理体の主導権を取り戻した。
「また遊戯か。もう1人を出せ。」
「いや、ちょっと待ってよ。出せるわけないじゃない。」
そう言うのはボクが見ていない時にしてほしい。なんて、言えないけど。
「変われ、今すぐだ。フライトの時間を遅らせねばならん。まあ、それで今日の運航ダイヤが乱れに乱れ、目的の飛行機は飛ばんかもしれんがな。そんなことは俺の知ったことではない。」
脅しだ。
だが彼なら本当にそれぐらいやってしまいそうだ。
それは非常に困る。だが、遊戯にだって譲れないものはある。
確かに海馬瀬人は遊戯の憧れだ。だが、それはいつか正々堂々と戦いたい相手として、だ。
そしてもう1人の自分も憧れである。
憧れの2人が、そう、なのならそれはそれで構わなかった。
だが、それを見たいとは思わない。覗くようなことはしたくなかった。
「変わったら、何をするつもり?」
「それは先日身を持って確かめただろう。」
餌付け。
また何か食べさせたいだけだろうか。
それくらいならいいけど、もう1人のボクのあんな表情は見たことがない。
お菓子を待っていた時の顔とは違う。それくらいは分かる。
しかし、もう1人のボクは還らなければいけなくて。
それを彼には伝えられていないわけで。
別れの言葉もないまま、と言うのもちょっと可哀想な気もするし。
そんな一瞬の迷いの隙を突かれてしまい、もう1人のボクが再び表に出た。
しまった。
「戻ったか。」
「海馬…。」
もう1人のボクが彼を見上げる。意思は固いようでパズルを外されてしまった。
こうなってしまったらもう、見ていることしかできない。
前みたいにじっともう1人のボクを見つめたまま、あの時の距離感と同じように顔が迫る。
「口を開けろ。」
言われるままにもう1人のボクは薄っすら口を開ける。
ちょっと待ってよ。
いや、だから、彼らのそういったことは別にいいんだけど、状況を考えてくれないかな。
いくらもう1人のボクでも、ボクが見ているのに目の前でそんな事は…
「エクアドル、エスメラルダス農園。」
ハラハラしながら見ていると、もう1人のボクはチョコレートを口に入れられていた。
「好物は、ここのチョコレートだったようだな。反応が良かった。」
「ああ。他にも、好きなものはある。」
もう1人のボクの好きなもの。ああ、そういえばあんまり知らないや。
あの日、社長室で色々と食べさせられていた時、もう1人のボクは「美味い」とは言っていたけれど全てに対してその反応だった。
じっと見つめていたのは、その中でどれが好きなのかを見極めていたのだろう。すごい洞察力だ。
「知っている。この辺りだろう。」
もう1人のボクは、大きな袋を渡されていた。中にはお菓子が沢山詰まっている。多分、もう1人のボクの反応が良かったお菓子だろう。
「よく分かったな。でも1番美味かったのは…。」
「ターメイヤ。」
「そうなんだよ、俺は前からあれが好きでな。」
「いつも、真っ先にあれに目が行っていただろう。だから再現させて食べさせた。」
「お前のとこで食べたの、美味かったぜ。お前もだけど、よく見てたんだな…あいつも。」
もう1人のボクは、嬉しそうに、少し懐かしそうに笑っている。
それは彼も同じで、知らない話をしている2人は、彼らにだけ違う世界が見えているみたいだった。
「確かによく見ていた。お前がバターレックを前にした時など、アレは内心、笑っていた。あの顔で隠していたつもりか?」
「なんだよ、2人揃って酷い奴だな。そうだ、あいつにも苦手な物はないのか?」
「…教えてやろうか?」
「ああ、是非教えてくれ。今度はこっちが笑ってやる。」
もう1人のボクも、彼も、悪戯を思いついたみたいな顔で笑っている。
ターメイヤにバターレック、初めて聞いたもう1人のボクの好きなものや苦手なもの。ボクは目にしたこともない。彼はなぜそれを知っているの。
それに、あいつ、って誰の事を話しているんだろう。
2人の話は分からないことだらけだ。
彼は、内緒話をするように、耳打ちをした。
「アレはな、白身魚の素揚げが苦手だ。」
「え?あんなのが?普通に何でも食べてたぜ?」
「そういう奴だろう。」
「ふふ、分からなくもないが…。お前はどうなんだ?俺はお前の好き嫌いを知らないままだ。」
「好きな物は牛肉…アレも同じだったか。好かん物はおでん。」
「お前も、そんなのが苦手なのかよ。」
意外なものが苦手なんだな。
でも彼は弱点をさらっと教えてしまうような人ではなかったと思うのだけど。
「惹かれる要素がない。」
「はは…そういう事にしておいてやるよ。」
「好きに解釈しておけ。」
暫くは、好きな物の話、色からゲームから他愛のないことを話していた。
その和やかな空気感からは、やっぱり、その距離感なんだと言う事がひしひしと伝わって来た。
「…これを。」
彼は、乗る予定だったエジプト行き飛行機の航空券と、アメリカ行きの航空券、どちらもファーストクラス、その2枚を差し出した。
それを見たもう1人のボクは目を丸くして驚いている。
ボクも驚いた。彼はどうして何でも知っているの。
「やっぱり、お前は…だから、最初から知って…?」
「さあ、どうだろうな。来るか?」
「俺はアメリカには、行けないんだ。」
少し寂しそうに、答える。
だけど、彼はもう1人のボクに2枚の航空券を渡した。
「だろうな。あまり大声でもなければ食べようが泣こうがプライバシーは守られる。『武藤遊戯』は元の席でもこちらでも、どちらの席も使用可能だ。好きに使え。…ターメイヤも出させる。」
「そうか…。旅の楽しみが出来た。ありがとう。」
「時間だ、俺は行く。」
彼が立ち上がり、もう1人のボクも立ち上がる。
正面から向かい合って、視線だけで会話をしているようだった。
1歩近づき、もう1人のボクが彼の手に触れる。
彼はその手を、そっと握り返した。
「海馬…。行ってらっしゃい。」
「行ってくる。」
もう1人のボクは、もう我慢出来ない、とばかりに抱き着いた。それを受け止めた彼も、そっと抱き締める。
窓の外では飛行機が離発着していて、何ていうか、ドラマチックだ。
「ーーー。」アテム。
彼が耳元で何かを囁いたが、ボクには聞こえなかった。
それを聞いたもう1人のボクが顔を上げる。
それから、彼の大きな手が伸びてきて、見えていない筈のボクの目を覆った。
その後、すぐに離れていったけど、ボクは目隠しをされていたから、その一瞬に何があったのかは知らないし、推測もしない。
「言った通り、長くは待たせはしない。お前が変わらずにいればな。」
「俺は変わらないさ。」
「それを今、ここで誓え。」
彼は、急にものすごく真剣な顔をして言った。
そして、もう1人のボクも、真剣な顔をして答えた。
「誓う。俺は絶対に変わらない。」
それを聞くと満足そうに笑って、最後に金平糖を押し込んで、彼は去っていった。
「悪かったな、相棒。」
その背中を見送りながら、もう1人のボクはパズルを首に掛けた。
すごい勢いで、感情が流れ込んでくる。
1番気に入っていたお菓子は、金平糖だったんだ。
飛行機に乗り込み、それは無事、時間通りに離陸した。
機内では、もう1人のボクはぼんやり考え込むようにお菓子をもぐもぐ食べていた。機内食そっちのけだったので、それは城之内くんが食べた。
金平糖も食べるが、自分で摘んで食べてもあまり気持ちは上がらないみたいだ。
消灯後、1人にしてほしい、ともう1人のボクが言った。そして、お菓子を持ってファーストクラスの席へ行こうとする。パズルを外して。
食べようが泣こうが、と彼は言っていた。
金平糖を食べて、泣くのだろうか。
ああ、本当に遅すぎた春だったんだ。
金平糖は好きなんだろうけれど、これに限っては食べさせてもらうのが好きだったのかもしれない。
あまりにも、遅すぎる。
そんな大切な相手なのに、どうして何も伝えなかったのだろう。
伝えられなかった筈なのに、彼はどうして今日のこの便だと知っていたんだろう。
彼は、もう1人のボクのことを遊戯と呼ばなかった。アテムとも呼ばなかった。
もう1人のボクの話は遮ってしまった。
変わらないことを誓わせて、待たせない、とだけ言っていた。
それらが意味することが何なのかは分からない。
別れを告げることもなく、別れを迎えてしまうことだけが分かっていた。
彼とアメリカへ行けていたなら、1人で涙を流して金平糖を食べることもなかったのだろうか。
明るくなった頃に戻って来たもう1人のボクは、昨夜よりはスッキリした顔はしていたものの、何をしていたのかと聞いても、何でもないと答えた。
ただ、寝不足なんだ、とだけ言って奥に引っ込んでしまった。
嘘つき。
顔はスッキリ見せているのに、心はこんなに淋しいって言っているじゃないか。交代した瞬間、涙が溢れた。
そんなにも、大切な相手なら、どうして。
泣くのを押し付けられてから、ポケットにチョコレートが入っているのに気付いた。産地はドミニカ共和国、あの日食べさせられた中で1番気に入ったものだ。
これはボクへ宛てたものなんだろう。本当に、すごい観察力だ。包みを開いて口に入れる。綿菓子のような柔らかい甘さが口に広がった。
甘くて、苦い。
この旅がもう少し先なら、もう1人のボクは知らない味をもっと知ることが出来たのだろうか。
飛行機は順調に進んでいるらしい。
順調に。
