02 逆転の女神


記憶戦争から数日後。

その日、亀のゲーム屋には珍しい客人があった。
その手にあるのは店主からの『果たし状』である。
「孫なら学校に行っとるよ。」
「『果たし状』なんぞを送ってきたご老人がいたものでな。」
瀬人には分かっていた。この老人はとんだ食わせ物である。
獅子は子を谷に落とす。かわいい子には旅をさせろ。古今東西そう言ったことはよく言われるが、それを地で行っている。
孫を獅子の群の中に落とすような男だ。
そうして足掻く様子を笑って眺めていられるのだからとんでもなくひん曲がっている。
「ほ、ほ、孫が世話になったの。」
「どの孫だ。」
「どれも何も、孫は1人じゃ。」
そう言って茶を啜った。
「そうか。」
話していても客が入ってくる気配はない。店を運営する気はあるのか。
「今日は閉めようかの。商談中じゃ。」
気分で開けたり閉めたりするな。理解に苦しむ。

パチ、パチ、と静かな店内に音が響く。

ふざけたご老人は急に真面目な顔をして言う。
「簡単に命を投げ出すのはいかんよ。」
王国での話をしているのだろうことは分かった。
別に心を読んだわけではない。
孫が間接的にでも人の死に関わることは避けたいとでも言うのか。自分のことは棚に上げてよく言ったものだ。
シモンの魂は大抵がこういった面倒な人格である。
「何を言うかと思えば。万に一もその可能性はない。」
「君ならもっと別の方法があったのではないかね?」
「軍事衛星は生きている。あの城を蜂の巣にしてやることも可能だったわけだが…戦争でも起こせと?」
「うーむ、それは困るのう…。」

パチリ、パシッ、音が響く。

「君はワシの古い友人によく似ている。」
「そんなに歳をとった覚えはない。」
「セドリックと言っての…。」
ご老人は勝手に喋り始める。
その男ならよく知っている。この魂の、1つ前の名前だ。
武藤双六に目をつけ、エジプトへ目を向けさせ、要は千年パズルを持ち出すよう仕向けた男だ。
残念ながら組み上げたのは孫だったわけだが。
「1つ、賭けをせんかね。」
今度は賭けだと。話題は3つ目だ。
「俺は勘が鋭い方だ。賭けにはならん。」
「まあまあ、君が勝ったら孫を1日貸し出そう。」
「…いらん。」
「ルールは簡単、どちらの孫がここへ来るか、じゃ。」
「孫は1人だろうが。」
「そうじゃった。」
相変わらず面倒な頭の造りをしている奴だ。
この賭けは孫が来なければ成立しない。自分で商談中としていたのを忘れたのか。
「それで、俺に勝ったら何が欲しい。」
「そうじゃの…デュエルディスクを店に置こうかと。」
「童実野町で置いていないのはこの店ぐらいだ。」

パシッ。小気味良い音が響く。

「ご友人の愛称はセディ、辺りか。」
「よく知っておるの。」
「言っただろう、俺は勘が鋭いと。」
「その目が、特にそっくりなんじゃ。」
この目はあの神官のものと同じ色をしている。
幾度の輪廻を繰り返そうと変わらない。目印のようなものだ。錫杖で操った人間から見た目の色、水に映して見た目の色、鏡が開発されてから見た目の色。
引き継いだ忌々しいものの中で、数少ない悪くないと思えるものだ。
「目付きまで同じで、まるでセディと再会したかのような気が…。」
賭けはどうした。
話が前後して会話になっていない。
こちらのワーキングメモリが広いためにそれぞれの話題が独立して成立しているだけに過ぎない。
「しかし崩れ行く究極龍で…もし本当に攻撃を受けていたらどうしていたつもりじゃ。」
また話が戻った。賭けや旧友はどうした。
「『お孫さん』に関して言えば、それはありえん。出来んな。」
「君らの言う、もう1人の方ならどうかね。」
「孫は1人ではなかったのか。」
「おお、そうじゃった。」
何が孫は1人、だ。
何度目だ。結局は意識してしまっているのではないか。
その反応は武藤双六としては正しいのかもしれない。
風が吹き荒れる塔の上、背後は谷底。
いっそ飛び降りてやった方が著しい成長を見せた可能性もある。
遊戯、いや、アテムを腕に抱くことを海馬瀬人が諦めていればの話ではあるが。
「まあ、それであっても、不可能だ。」
あの時の遊戯…アテムが瀬人を葬る道は残されていなかったのだから。
「では、何故あんな勝ち方を選んだのかね。」
わざと負けを選ばせるような勝ち方を。
知れたことを。
瀬人とて武藤双六同様、かわいい子に旅をさせることには同意である。
だが、喪う恐怖の1つくらいは植え付けてやらねば、と行動させられたのは記憶がそう言ったせいだ。
「あの時点で、普通に闘って勝利を得てどうする。」
シモンよ。成長に関与せぬ勝利を得て何になる。
この発言は、記憶によって意図しないことを口にさせられたに過ぎない。忌々しい。眉を顰める。
瀬人の考えは、望みは、普通に闘って勝利を得ること。にも関わらず、時に記憶がそれを否定するような事をするのだ。
あの時、必要なものは王と器の成長だと魂の記憶は指し示した。
アテムに消えない傷を付けたかったわけではない。
記憶は瀬人の邪魔をした。ただ、闘いたかっただけの瀬人を邪魔したのだ。記憶に従えと。
忌々しい、記憶の欠片どもが。

パシッ、勢いよく音を立てる。

「まあいい。ここへ来るお孫さんは目付きが悪いだろう。」
店の奥で「ただいま」と声が聞こえる。これは遊戯の声だ。学校へ行っていただけなのだ、それも当然だろう。
「いつもは店の入口から入ってくるのだけれども。今ならまだ変えても良いよ。」
自分で施錠しておいてよく言う。
「二言はない。俺の勘はよく当たる。」





「じーちゃん、店どうしたの?」
遊戯は、いつもなら店から入る。
だが今日は店の灯りが消えていてclosedになっていた。そのため今日は玄関からの帰宅となった。
「商談、らしいわよ。」
母が言う。
「へえ、珍しい。いつもは自分でゲーム見つけてくるのに。」
「海馬コーポレーションだもの、流石に無視は出来ないんじゃないかしら。」
「海馬コーポレーション…?」
「ええ、社長さんがね。わざわざ。」
社長は海馬瀬人だ。
じーちゃんと海馬瀬人。絶対に会わせてはいけない組み合わせである。
遊戯は店に向かって走り出した。





パチリ、音が鳴る。

「老い先短いご老人だ。冥土の土産に教えてやろう。」
「ワシはまだまだ生きるぞい。」
「好きにしろ。あの時の俺の手札は『逆転の女神』だ。」
メインを究極龍から逆転の女神へと入れ替えればゲームは終わる。負ける可能性など、なかった。
忌々しい記憶が命を投げ出させた。
記憶を抑え込むことには慣れていた筈だった。
事実、海馬瀬人は自我の強い人間であり、すぐ近くに王や器が居るにも関わらず、手を差し伸べることもなく必要最低限の会話のみで事足りていた。
ただ、楽しかったあの瞬間、油断した。一瞬意識を乗っ取られ、それは究極龍の首を1つ挿げ替えた。
「なんと、君には女神がついておったか。」
白々しい。真相を聞きたかっただけだろう。そのためだけに『果たし状』などを送ってきたのだ。
状況をそのまま丸飲みには出来なかっただけ。
何せこのご老人はシモンである。
「実はな、改めて話してみて、君の精神年齢は3000歳くらいあるんではないかと思っているんじゃよ。」
また別の話が現れる。4つ目だ。
「俺の歳は『お孫さん』と同じだ。」

パチリ。静かに音を立てる。

実際に3000年分の記憶があるなどと思ってはいないだろうが、いい線は行っている。
だがそれもシモンならば当然とも言える。
「それはどちらの孫かね。」
「孫は1人なのだろう。」
何度目だ、孫を数え間違えるのは。
アテムが3000年を起きていたのならともかく、封印で時は止まっている。そして遊戯は年相応だ。

バタン!

大きな音を立てて、勢いよくドアが開いた。
「じーちゃん!」
入ってきた『お孫さん』は、遊戯ではなくアテムの方だ。
つまり、目付きの悪いお孫さんである。
「海馬!貴様…」
アテムの言葉を遮るように、ご老人は豪快に笑う。
「『逆転の女神』…か。賭けは、君の勝ちのようじゃな。」
「勝とうともせずに勝てると思ったのか?」
「遊戯、商談中に入っきてはいかんぞい。」
ご老人はお孫さんを窘める。
「じーちゃん、だが…」

バシッ。ご老人の注意が逸れたので音を鳴らす。

「チェックメイト…王手だ。」
「おやいつの間に。その差し方まてセドリックのようじゃ。」
「『最善手だ。淡々と、機械のように、選び続ければいい。』」
セドリックが吐いたものと丸っきり同じ台詞を投げてやった。虫唾が走るが、勝つという目的のためならば同感だ。
記憶達はそうしてきた。淡々と機械のように、王のために。自分の人生を曲げてまで。それには同意しかねる。
「セディ…。」
「そのご友人も同じ事を言っただろう。俺は勘が鋭い。これに懲りて、縁側で五目並べでもしていることだな。」





「では、約束だ。」
「いらん、と言っておらんだかの。」
「勝ってしまったものは仕方あるまい。納品はさせる、1時間以内だ。」
「ワシは勝っておらんよ。」
「童実野町で取扱いがない店など許されると思うな。」
アテムにも遊戯にもその状況の意味は分からなかった。
慌てて向かった先では因縁の2人、武藤双六と海馬瀬人が将棋をしていて、瀬人が勝った。
祖父はチェスやら将棋やら特に古いゲームのエキスパート。何枚か落としても勝てた試しがない。祖父は手加減などしないタイプである。にも関わらず、だ。
「遊戯や、賭けに負けてしもうたものでな、今日は景品として彼に貸し出されてくれるかの。」
「え?賭け?景品?貸し出し?」
「『お孫さん』は借りていく。」
「ちょっ、待て海馬。何で俺が連れて行かれるんだ。じーちゃん?」
もう遅い。武藤双六は茶を啜って手を振っている。
アテムや遊戯のことなど気にしていない。
それに孫は1人。こいつはアテム、孫ではない。どうにかしてやる理由がない。
アテムの肩を抱いて車へ向かう。パズルは店に置いてきた。
「賭けって、なんだよ。じーちゃんに何をしたんだ。」
「向こうが持ち掛けたのだ。どちらの孫が入ってくるか、とな。勝てば孫を貸し出すと来た。」
「乗ったのか?」
「…いらんと答えた。孫はいらん。」
孫、つまり遊戯ならば用はない。
「なら借りなくてもいいじゃないか。」
「勝ってしまったのだから仕方がないだろう。まあ、体よく押し付けられた、といった所か。」
「どういう理屈だよ…。」
「アテム。」
「…っ!」
耳元で名を呼べば、アテムは赤くなって口を噤む。
これがずっと欲しかった。記憶か、海馬瀬人か、恐らくどちらもだ。
いずれこの魂は黄泉へ渡るのだろう。あの神官の記憶が向かった場所だ。
記憶がアテムを欲しがったのなら、そうのんびり構えては居られない。アレはこんな大掛かりなことをする周到な男だ。
「どこへ連れてくつもりだよ。」
「お前に、この世の味を味わわせてやろうと思ってな。」
「…この世の…。」
アテムの表情が陰る。やはり残り幾ばくかの時間なのだろう。
無理もない話だ。アテムには大切な者が多すぎる。
さて、その中でどれを1番にする。
現状は器だろう。今だけはそれを譲りもしよう。何しろ3000年待った器だ。
あの時の決意の眼差しは記憶が知っている。この魂だけが知っている。器には知り得ない、アテムの姿を。
どの記憶にも渡さない。アレが周到なことは知っている。アレが外から包もうと言うのなら、こちらは内から満たすだけだ。
車は目的地、海馬邸に到着する。
アテムを部屋に招き入れ、文字通りのこの世の味を持ってこさせた。
デザート類に目がないことは、記憶が知っていた。
よく、何かの果実を摘んでいた。その瑞々しい唇は果実よりずっと旨そうに見えていた。
「この魂の器は今世で役目を終える。」
「お前は、今後どうするんだ?」
「…変わらない、何もしない。だが決着はつけるつもりだ。」
「カードなら置いてきたぜ。お前が急に連れ出すから。」
決着をつけるのはアテムとではない。それはいずれは決着をつける日が来るだろうがその時でいい。
「問題ない。今日ではない。」
「ああ、そう言う…ことか。お前も難解な運命を持っているんだよな。」
「そういう事だ。今後、記憶を継ぐ者が居たとしたら俺の力の前に絶望することになるだろうからな。」
「お前は…相変わらずの自信だな。」
「そんな者が現れるとしたら、の話だ。俺はこの魂のシステムを書き換えるつもりだ。せめてもの慈悲だ。」
うず高く積まれた菓子や果物の山を眺めていたアテムが瀬人を見上げた。
「出来るのか?」
「アレに出来て俺に出来ぬ道理がない。お前の姿を見るのは俺で最後だ。」
「セトは…いや、海馬なら…出来るかもしれない。だが、黄泉へ渡ると記憶はどうなるんだ?」
統合を気にしているのだろう。
別個体なのだから別になるだろう。瀬人はそう推測していた。観測はまだこれからだが。
「気にすることは尤もだがな、要は、死んで黄泉へ渡らなければ良いのだろう。」
「そんな馬鹿な話があるかよ。」
「逆転の発想だ。生きて渡れば良い。」
まだその理論は構築しきれていない。
いっそのことアテムを黄泉へ渡らせなければ良いのだがそれも時間の問題だ。3000年前に死んでいるのに現代を生きる瀬人の前に居るのがおかしいのだから。
「逆転…か。そういえばじーちゃんの言ってた『逆転の女神』って何のことだ?」
「それはご老人への冥土の土産だ。墓まで持っていくだろうがな。」
アテムは意味が分からないのだろう、不思議そうな顔をする。
いつかはあの時の真実を話す時が来るかもしれないが、まだそこまでの関係性は出来ていない。触れたくない話題の筈だ。誰かを谷底へ突き落とす、など。
何年かかることになるか。
封印は解かれ、時間は進み始めた。この魂をここに捕まえるのに必要な時間は今の状況では足りない。
ならば別の場所で捕まえるしかない。
アテムはいつかのように、果実を摘む。
いつか。違う、それは自分の記憶ではない。これは初めて見る光景だ。
忌々しい記憶めが。
葡萄を一粒取り、口元へ運ぶとアテムは躊躇うことなくそれを啄む。
「王国へ向かうヘリの中で銃殺されかけたのだが。」
「は?」
「『逆転の女神』のカードで撃鉄を止めた。」
「…だから、1人でヘリに乗って来てたのか?それがじーちゃんと話していた事なのか?」
「これはお前にできる『逆転の女神』の話だ。」
アテムはよく分からない、という顔をする。
葡萄を摘んだがテーブルが邪魔だ、隣に腰掛けてもう一粒食べさせた。
苺を与えてみる。あまり好みではないようだ。
蜜柑。似合わない。
茘枝。これは気に入ったらしい。
今日のこの記憶を、自分だけが持って行けるように。
現段階では観測が圧倒的に不足している。

『逆転の女神』

それでもまだ、手札は足りていない。
カードを全て揃えた時にこそ、真に捕まえることが出来る筈だ。
顔を近付ければ伏せられる瞼。こんなにも、手が届きそうな距離だと言うのに。
瀬人はそっと口付ける。
甘く瑞々しい、茘枝の味がした。
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