女神の褒賞09

ホワイトデーに鉢植え


ホワイトデーが近付いてくる。
花束の礼に、想いに、自分も大切に思っているということを伝えなければならない。
流石のアテムでも、義務感のようなものではあるがそういった気持ちはあった。
だが、相手は世界中から手を伸ばされている男だ。
数ヶ月前には瀬人の隣は自分であり、自分の隣は瀬人であるとなんの躊躇いもなく思えていたのだが、周囲の環境を知れば知るほど存在が遠いような気がしているのも事実だった。
今のまま何も言わずに居るのなら問題ない、だが答えを返すとなると難しい気がする、何故かは分からないがそう思ってしまう堂々巡り。
もし男のままなら、唯一の好敵手として自信を持って隣に居られたのだろうか、何も迷わなかったのだろうか。

「…というわけなんだセト、俺はどうすればいいんだ。」
冥界と繋がっている特殊な端末を前に、アテムは諸々の事情を吐き出していた。
1人で考えても埒が明かず、しかし日は迫り、もう背に腹は代えられない、と相談相手としての最終兵器を投入することにしたのだ。
バレンタインというものがどういうものであるか、そしてホワイトデーについて。自分の身に起こったこと。それら全てを打ち明けた。セトは頭がいいし革新的だから現世の風習も理解してくれる筈だ。
上手く説明できずにポツポツと話すのを、セトは書き物をしながらとりあえず聞いてくれていた。
一旦全て話し終えると、はぁーっ、と大きな溜息が聞こえた。わざとだ。ものすごく呆れられているのが分かる。
「ご存知でしょうが、私はとても忙しいのです。そのようなことはご自身でご判断ください。」
では、と無関心に通信を切られそうになったのを慌てて止める。
忙しいのは知っている。現世の知識を取り入れて、福祉分野の整備に着手している所だと言っていた。本当に、よく働く男だ。
だが、呆れられてもセトが最後の頼みの綱である。こんな自分でもわけの分からないことを相談しても、理解してくれる相手はきっといない。見捨てられたらもう後がない、何せ最終兵器なのだから。
「それはそうなんだが、そっちで言う所の身分の壁という物があってだな。」
「壁?大切な者に大切だと伝えることに何故それが障害になるのです?仮にあったとしてそのような壁は次元の壁と比べればあってないようなもの。」
セトが理解に苦しむ、と言いたげな顔をする。多分、理解に苦しまれているのは事実だ。セトがアテムに対して遠慮がないのは今に始まったことではない。1度目を生きていた時もそうだが、冥界に還って再会した時には更に酷くなっていた。
「それはそうなんだが、気が引けるというか。」
「何故そこで遠慮が要るのです?第一、アレの手を求めたのはあなたなのです、お忘れですか?同じように遠慮なく伝えれば良いでしょう。」
「忘れてはいないさ。ただ…」
「それでもまだ身分がどうと言うのなら、現人神である王という身分はなにより尊いもの。これで問題は解決しました。もういいですね?」
瀬人のように謎の理論を展開して、再び通信を切られそうになる。それは困る。セトとしては解決するのかもしれないがアテムの中ではまだ何も解決していない。
「待ってくれ。それは3000年前の世界の話であって現世では違う。しかも、今の俺はただの女なんだ。」
またも大きな溜息。絶対わざとだ。カタン、と筆を置く音が聞こえた。
それから体ごと画面に向けたと思ったら、すぐさま青い目がギロリと睨みつけてきた。冥界の神官や役人が見たら身も竦んで動けなくなるあれだ。
そうして威圧しながら口元だけ笑って、とても穏やかな、いっそ爽やかな声色でゆっくりと言った。
「そんな事情は分かりかねます、先・代・様。」
先代様。
やばい、これ、セト、めっちゃ怒ってる。現代風に言うとガチギレというやつだ。怖い。
「そこを、そこを何とか!汲んでくれないか。自分でも、どうしたいのか分からないんだ。」
懇願すると、目付きは更に悪くなり、腕組みをして、とうとう、ちっ、と舌打ちまでされてしまった。指先はトントンと腕を叩いている。非常に怖い。
「お断りします。現世だのこちらの世界だと何が問題なのです。それに、王だ女だなどと気にするような男なのですか?少なくとも、私ならば気にしませんがね。」
適応力が過ぎる。と思ったがアテムはそれ以上の質問はやめた。
これ以上は怒らせるだけで、こちらがうだうだ言うばかりの平行線だ。
それに、何も気にしない奴が1人は居ることが分かったし、セトの言う通り、相手が何者なのか気にするような男ではない。
ガチギレしながらも、きちんと話を聞いて相談には乗ってくれていたわけだ。頼りになる、相談して良かった、怖いけど。怖いが優しすぎて泣きたくなる。泣いたら舌打ちどころじゃ済まないだろうから泣きはしないが。
「そうか。…分かった。ありがとう。」
やっとアテムが納得したことが伝わったのか、睨みつけていたセトの表情が元に戻る。
ただ、組まれた腕も指先もそのままでまだ怒ってはいるらしい。
「常に忙しいのでこういった連絡は控えてください。」
今度こそ、ブツリと通信が切られた。暫くは連絡しても相手にしてくれなさそうだったが、伝えることにおいては自信を持って伝えて良いのだろうことだけは分かった。



セトはこめかみを指先で押さえ、怒りを吐き出すように深い溜息をついた。
約1年前。冥界を巻き込んでいた騒動が去って平穏が戻って来たと思っていたらこれだ。
喪うことの痛みならば分かりすぎるくらいに分かる。魂の入っていない骸は心の痛みに対してあまりにも軽かった。名を呼んでも応えはない。ただ、唯一であったのだと再確認させられただけだった。
「アレが慎重になるのも分からなくはないが。」
だが、そのことと問題を持ち込まれるこの始末とは話は別である。自分達で片付けろ、その一言に尽きた。
アテムもアテムだが、アレもアレだ。
どんな問題が来ても淡々と処理していくセトではあるが、今はどちらもぶん殴ってやりたい、と思う程度には頭に来ていた。
努力はしろと伝えた筈だ。アレがその意味を違えて解釈している筈もない。それに努力を怠るような人間でもないだろう。その辺りは信用出来る。人を見る目はある。
アレがアテムを求めてやって来た。そこにどれだけの労力を要したのかは想像を絶するものがあるに違いない。
そしてアテムがその手を求めた。未来を目に映す男だ。連れて行って終わり、そのような結末はありえない。願いは叶える、そういう人間だ。
本当はアテムに文句を言いたい所だがあの鈍感にはきっと通じないので、アテムへの文句は暫くは相手にしてやらないことで表すことにする。
タブレットに文字を打ち込んでいく。現世のことに関して一言くらいは文句を言っておかねば気が済まなかったし、でなければまた厄介事を持ち込まれるのは見えていた。

冥界から届いたメッセージ、古代神官文字で書かれたそれを眺めた男は、それはとても悪どい笑みを浮かべた。
だがそれも一瞬。
ゆっくりと目を伏せて、深く息を吸う。吐き出す。
そして零れた吐息のような言葉、その温度は答えを掴みかけた心への慈愛だった。

「つかまえたぞ。」





ついに迎えたホワイトデー。
アテムは用意していた鉢植えを抱え、瀬人の部屋の前に立っていた。
これから、お前が大切だ、と伝えるのだ。
感情のやり取りなら今までだってずっとやってきたと思う。自分以外には負けてほしくないだとかそういう内容だけど。
自分以外。それと何が違うのかは分からないがやけに緊張感があった。
「アテムか。開いているぞ。」
部屋の前でウロウロしていたら中から声がかかった。
「あ、ああ。」
返事をすると、口の中はカラカラだった。
思考と体の反応が合っていない。何故こんなにことに。
アテムは意を決して、片手で鉢植えを抱えると、そっと扉を開けた。
いきなり目が合ったらどうしようかと心配していたが、瀬人がテーブルについてチェスの駒を触っていたお陰でそれは免れた。
良かった、と安堵し、同時にどうして心配しなければならないのか分からなくて混乱する。
「チェス、してたのか。」
「ああ。」
1つ白の駒を動かせば、少し間を置いて自動的に1つ黒の駒が動く。
相手が誰だか分からないが、このまま最後まで指さなくても投了してくるだろう。
つい忘れがちだが、オカルトと言っていたものを科学の力で捻じ伏せてしまうような男である。
現実主義だからか、こういったアブストラクトゲームは頗る強い。他のゲームと比べると勝率を逆転されてしまう。
間もなく、相手が投了した。脇のディスプレイには何かメッセージが来たが、瀬人はそれを無視して消してしまった。
「強いな。流石だ。」
「誰に言っている。それに、今の相手よりお前の方がずっと強いぞ。」
瀬人が顔を上げて視線を寄越す。目が合って、しまった、と思う。
引っ込んでいた緊張感が再び現れたからだ。
緊張など不要である。セトならきっとそう言って腕組みして見下した態度を取るだろう。
伝えなければ。伝えることは、ガチギレされることに比べれば怖くない。筈だ。多分。
何も言えませんでした、なんて報告したら、それこそ考えるのも恐ろしい。
「こないだは、花をありがとう。」
言えた。あと半分、言い切らなければならない。そのために来たのだ。
アテムは一度目を閉じて、瀬人の目を見つめ返す。
「俺は、お前を、その…大切だと思ってる。」
「俺もだ。」
躊躇わない瀬人の返事に、アテムは赤くなって口元を引き結んだ。
大切にされていることは充分すぎる程に分かっていたが、改めて言われるとどうしても心は静かになってくれないし、体は緊張するのだ。
こういう時、何と答えれば良いのだろう。頭の中で相談相手を想像する。杏子なら、愛を語るのだろうか。
愛を語る?誰に。
遊戯ならば、へにゃへにゃしながらも言うべきことは言う。
言うべきこととは一体?
杏子でも遊戯でも駄目だ。
セトなら、どうする?分からない。一番マトモな意見をくれる気がするがどうするかは分からない。躊躇はしないだろうが、何を躊躇しないのか分からない。
「何を考えているんだ。」
「その、それが、分からないんだ。」
「分からないのか。」
「ああ。」
「そうか。」
瀬人が、薄っすら笑って目を閉じる。恋バナをした時と同じような様子だ。
「それなら仕方がないな。」
そう言って頭を掻き回された。
アテムには分からない心すら、知っているかのような顔で。
「俺には分からない、けど、お前は知っているんだろう?」
「さあ、どうだろうな。」
手を伸ばせば、届く距離に居る。世界中から手を伸ばされているが、その誰にも許されていない距離だ。
そこに手が届いたとして、何をする?
自分はどうしたいのだろうか。胸が締め付けられるようだった。
花をくれた何故の理由。それを考えるとどうにかなってしまいそうで考えられないでいた。
自分は女である。それがどうしても引っ掛かって答えに辿り着けずにいた。
「教えてくれ。俺はどうしてしまったんだ。」
「どうにもなっていないが?」
「嘘だ。」
「嘘ではない。」

アテムから取り上げた鉢植えをテーブルに置くと、瀬人はその大きな手でアテムの手を握った。
そしてアテムの顔をじっと眺めた。切なそうな顔をして、大きな目を潤ませて、今にも愛を告げそうな。それが今ならば今なのだろう。と思っただけだった。
アレからの苦情を思い出す。あまり弄ばないでいただきたい、と。
弄んだりなどするものか。と瀬人は思う。二度と失くさないようにするだけだ。

「どうにもなっていないのなら、俺は。」
それが真実ならずっと、初めから、変わらないということだ。それはつまり、何故、の理由はやはり『そう』いうことで。アテムは顔が熱くなるのを感じた。
そしてそれをこの男はずっと初めから知っていたということだ。
好いた相手に渡す、とはアテムが言ったのだ。
瀬人はアテムの言葉を忘れない。
まさかそんなことがあるのだろうか。
自分が『そう』だったなんてことが。そして相手も『そう』だったなんて。
あの時、セトが王だ女だと気にしないように言っていたのは、このためだったのだろうか。
伝えたかったのは、大切、だけではない、だから躊躇った。女であることを気にした、好敵手だけでは居られなくなるから。要らない壁を作った、相手が相手だったから。
パズルのピースが、はまっていく。
分からない、は間違いだ。
「俺は…その。お前は、俺のことが好き、だったのか?」
違う、逆だ。しかもとうとう聞いてしまった。とアテムは思った。とうとうも何も、初めて言語化して意識したのにそう思った。
好き。それは口に出してしまえばそれはストンと心の中に落ちてきたような気もするし、落ちた思いは溢れ出しそうな気もした。
「お前はどうなんだ?」
「う、そう来るか。」
「来ないと思ったのか?」
瀬人の方ときたら、アテムの気も知らず楽しそうだ。いつもの冗談を言う余裕すらある。
こちらは大真面目だと言うのに、深刻さは伝わらずアテムはいっぱいいっぱいだった。
「でもその、好き、とか俺にはよく分からないんだ。誰かとそう言う間柄になったこともないし。」
「俺もないが?」
うわ、睫毛が長い。瞬きが少ない。どうにか緊張を逃したい頭には雑念が交じる。
「余計なことを考えているな。」
「いや、そんなことはないぜ。」
何故分かったのだろう。いつも嘘は通じない。
「アテム、お前は俺をどうしたい?」
「どっ、どうしたいって、どうこうできるようなものじゃないだろ。お前は、だって、」
「どうとでもなる。」
杏子なら、遊戯なら、セトなら。分からない。誰かを参考にしようとするのがそもそもの間違いなのかもしれない。きっとそうだ。
こんなめちゃくちゃな男は唯一人で。付き合い切れるのはせいぜいが唯一人に決まっていて。ならばそれは自分で在りたい。
そう思った時、アテムの覚悟は決まった。
あの時、花を渡された時、言葉はなかった。言葉は全て花束に詰まっていた。その意味をどう受け取るかはアテム次第だった筈だ。
そんな賭けに出たというのだろうか。だとしたら、その賭けの結果は…。
「俺がお前をどうしたいかは分からない、だが俺はお前の唯一でありたいと思う。」
「とっくにそうだ。初めからな。何も変わってはいないだろう?」
ゆっくりと、瀬人は言う。
言われてみれば、確かに何も変わってはいない。
そう、賭けの結果は、既に出ていたのだ。勝率100%、賭けにすらなっていない。
それならば、やはり答えはずっとそこにあったと言うことだ。ずっと見えていなかっただけで。
「やっぱり、すごく好きなんじゃないか。」
「ああ、好きだが?」
「は、ずかしい奴だな。」
「お前が聞いたのだぞ。」
瀬人はさらりと言うが、アテムには今の今まで到底考えられなかったことだ。
「俺が気付かなかったらどうするつもりだったんだ。」
「必ず気付くだろうと思っていた。」
「だが、それはたった今じゃないか。」
「それが今だとしても、答えに辿り着くと確信していた。」
何故そこまで言い切れるのか分からなかった。どうしてこの選択肢を選ぶと信じられたのだろう。
気付いてしまえば好敵手としてだけでは居られない。それを避けて気持ちを秘めるとは思わなかったのだろうか。
「どうして、そんなに…。」
「それでも気付かない可能性があると言うのなら、俺は何度でも渡し続けるだけだ。今までと、何も変わらない。」
アテムの目が見開かれる。
「俺は…それを…。」
今までずっと渡されていた優しさも、手のぬくもりも、全部がそうだった。気付かなかったとしても、隠したとしても、変わらず渡し続けるだなんて。
優しくするのはアテムにだけ。日本に置いてきた大事なもの。祭はデートで構わない。花を渡すのに理由は要らない。具合が悪ければ心配をする。雪の像。好みのタイプは。
ああ、本当にずっとだ。全部がそうだった。アテムとて記憶力は良いのだ。意識して思い出せば1年分の情報は全てを物語っている。
戦略家で、かなりのパワータイプ。それは知っていた。変わらない、正しく海馬瀬人だ。やられたな。アテムは小さく笑み、息を吐いた。
心がざわついたり、もやもやした理由はきっとこれだったのだろう。初めから全部、受け取っていたからだ。
「海馬…。」
こんなにも想われていたなんて。

自由恋愛の存在しない環境で育ったアテムに色恋は存在しない。とアレからの苦情の続きには書かれていた。だからせいぜい大事にすることだ、と。
だが、この表情はどうだ。頬は赤く、瞳は潤み、体の筋肉を緊張させ、愛を告げようとしている。
今、漸くその時がやってきたのだ。やっと、言葉を伝えられる。
1年かけて、どれだけ大事であるかと心には教えてきた。アレの言う通り色も恋も知らなかっただろう、だからそれも探し出した。
もっと他にも、教えてやる。また1年だろうが2年だろうとかかっても構わない。
膝の上に乗せて体ごと向き合い、額を合わせてやる、睫毛が当たりそうな近さだ。握っていた手を両手で包み直す。
これから心の奥底を共有するのだ、物理的な距離はない方が好ましい。
「事実、俺は愛している。アテム、お前だけをな。お前はどうなんだ。」
「俺の気持ちはお前と同じなんだ。だから、俺もお前が好きだ。」
アテムは目線を逸らしたが、瞬きの数はいつもより多いし頬は赤い。呼吸も浅く、意識しているのが見て取れる。
自覚するだけでこんなにも分かりやすくなるとは。
「なんだそれは。」
今はまだ、その言葉でも構わない。どのルートを通ったとしても既に形は同じだ。
「俺は、多分ヤキモチだって妬くし。」
「光栄だ。」
「独占したくなるし。」
「もうしている。」
「ずっと隣にいたいと言い出すし。」
「いてくれ。俺もいる。」
背中に腕を回す。
隣に在ること。それがどれだけ得難いものであることか。あの喪失は瀬人を変えた。
アルカトラズの上空で、再戦を、とハンドサインを送りアメリカへ渡った。その意味は正しく通じていた筈だった。お互いに、そのつもりであった筈なのだ。
アメリカから戻って再戦を、そしてその身を腕に抱こうと決めていた。遊戯のもう一人だった男は、ある一定のラインまでは頑なだがその先は柔軟である、そういう人間だ。時間をかけて、回数を重ね、必ず口説き落とす、そのつもりだった。
それなのに、たったの1ヶ月だ。アテムは行方をくらました。既に現世に居ないと言うのだ。何も掴めない、そんなことを瀬人が許せる筈はなかった。
どんな手段を使っても、と己に誓った時、良くも悪くも、適切に、手段を選ばない、という相反するような2つを同時に遂行するようになった。
オカルトグッズ…千年パズルに宿る魂。それが真実だったのだと言うのならば復元するまでだった。
呼び出しには応じない。そう言うのなら直々に出向いて行くまでだった。
働き者の神官がアテムを甘やかしていたおかげで付け入る隙も見つけた。思えばそこもあの神官の思うところであったのだろうが、その思惑に乗ってやっても構わなかった。
全て、以前の自分では考えられない行動だ。
そうして連れ出したアテムに自由を教え、甘やかし、世話を焼き、いつでも見ているし一番分かっているのだと理解させ、手に慣れさせ、最も近い距離を覚えさせ、恋情を掘り起こして育てた。そして今、言葉を教えた。
つかまえた。
もう離さない。
いつもゲームに使っているテーブルの天板を開き、箱を取り出す。
「アテム、これを受け取ってくれるか。そしていずれは、生涯を共にしてほしい。」
「生涯…生涯!?それは婚姻を結ぶ…ということ。なのか?」
アテムが目を丸くする。
「そうだ。名実ともに、隣に在ってほしい。」
「準備が、良すぎる。」
「初めから、そのつもりだったからな。」
自覚したら、娶ると決めていた。性別など、もちろん関係なかった。元より男として復元させるつもりだった。それで周りが騒ぎ好奇の目を向けるというなら、常識を変えるだけだった。自身の影響力程度は把握していた。
神が与えた命がこの形だった。それだけだ。

初めから。
嬉しさと驚きでアテムの頭の中はパニックに近い。
それでも思考の一部は冷静で、そこは相手のステータスを表示してくる。この1年、色んな方面から散々思い知らされた。好敵手だったこの相手は何者なのかと。そんなこと、考えずに済めばどれだけ良かったことか。
普通の女なら、ただ歓喜する状況かもしれない。しかし、それだけではいられない筈だ。
権力者の婚姻は単純にはいかない。想いだけではどうにもならないものだ。それはよく知っている。アテムも妻帯こそしなかったものの、候補者選びは難航していた。
「待ってくれ。俺は心の準備も出来ていないんだ。それにお前はあの海馬瀬人なんだ。こんな軽々しく…」
「軽いはずがないだろう。それに、俺が選んだのだ。だから心の準備など、そんなものも不要だ。」
「だが…」
「言っただろう。今までと変わらないと。側に居るだけ。何も変わらない。受け取ってくれるか?」
慌てるアテムにかける瀬人の声は優しい。ゆったりと、言い聞かせるようだった。
何も変わらない。側に居るだけ。
目まぐるしい展開にも、いつもの謎の理論にもついて行けていないアテムだったが、側に居たいとは思ったので小さく頷いた。
雰囲気に流されている部分もあるのだが、気付くことはない。
そんな所も瀬人にとってはたまらなく愛おしい。
箱から指輪を取り出すと、左手の薬指に通す。
褐色の肌に合わせて金色の地金、メインに飾るのはベキリーブルーガーネット。昼と夜とで青から赤へ、瞳の色を秘める石。今は赤い色をしている。ダイヤモンドすら引き立て役に散りばめたそれはアテムの細い指には結構なボリュームがある。
だがそれで良い。あの世界に置いてきた装身具を彷彿とさせる。石の持つ意味も、希望と再生、内なる美しさ、明晰、信頼…これで似合わない筈がない。
「こんなの付けられないぜ。」
「それは婚約指輪だ。つけなくていい。つけてもらった方が勿論いいがな。結婚指輪にはシンプルなものを用意しよう。」
「結婚指輪。もう、ちょっと待ってくれ、俺はまだ意味がわかっていなくて…だから一旦整理して…。」
「問題ない。任せておけ。お前はゆっくり慣れればいい。」
多分この答えの出ている問答は受け入れない限り続くのだろう。今日は、いつものように引いてくれる気配がない。
この、イケメンめ!
「…ああ、もう!分かった。分かったぜ。全部お前に任せる。俺はもう知らない!」
おおよそプロポーズに対する返答ではない。
自分の想い。瀬人の想い。それらは初めから同じで、今成就された。それだけが今のアテムに分かっていたことだった。
緊張から解放された心は落ち着いた筈であるのに、心臓はドクドクと早鐘を打つ。理由は分からない。
瀬人の腕の中、アテムは初めて覚えた愛の形を、幸せを、場所を、甘く受け止めていた。











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