バレンタインデー。こと日本においては一大イベントである。
街はどこか浮かれた雰囲気でどこもかしこもピンク色やチョコレートだらけ。だというのに、遊戯は海馬邸の一室、アテムの部屋でしょげていた。
杏子がアメリカにいてチョコレートを貰う予定がないからだろう。とアテムが慰める。
「元気出してくれ、相棒。俺から友チョコを贈るから。」
「いや、それは遠慮しとく。海馬くんにあげなよ。」
「海馬に?なんでだ。」
「キミは…もう。」
相変わらず、鈍いにも程がある。はっきり言わないと分からないらしい。
「だから、付き合ってるんでしょ。」
「相棒まで、またそんな事言って…。杏子に感化されすぎだぜ?」
アテムはそんなことはない、と言うが遊戯は全く信じられなかった。
クリスマスに花束を差し出されて赤くなっていたのは一体誰だ。
あの時の甘い声。意識を丸ごと持っていかれる圧倒的な惹きつけるオーラ。うっかりすると自分が禁断の道に走ってしまうのではと危機感を持ったのも事実。アテムや杏子が居なければ危なかった。海馬瀬人は危険である。
あれを正面から受けて平気(実際は平気ではないのだが)なアテムはどうかしているに違いない。
瀬人は想いを隠す素振りを全く見せなかった。それは遊戯があの場に居てもそうだったのだから、きっとここでも隠していない。
思いを隠さない。ある意味それはいつも通りの海馬瀬人そのものではあった。
それでも、アテムの言葉が真実だとすると、何故かこの形の想いだけがこの天然記念物に伝わっていないことになる。
あれだけあからさまなのに。本当に、本当に信じられなかった。そしてこれこそ冗談だと言ってほしかった。
「あいつ、チョコレートは契約してる農園のチョコレートしか食べないみたいなんだ。今相棒が飲んでるホットチョコレートもそこのだぜ。」
海馬コーポレーションはいつの間にかお菓子業界にまで手を広げていたのか。気付かなかった。
遊戯がホットチョコレートを口に含む。甘い。アテムが好きそうな味だ。
「海馬くんって甘党なの?」
「あんまり好き嫌いはないかな。でもそれは海馬がよく食べてるのじゃなくて商品化されてるものだから甘いんだ。系列のホテルとかで飲めるみたいだぜ。」
「へえ。」
ホテルと言っても海馬ランドのオフィシャルホテルとかではなく、とてもお高い方のホテルのラウンジとかで提供されているものだろう。
今までのチョコレートはなんだったんだってくらい美味しかった。
「て、そうじゃなくて、バレンタインだよ?」
「それは知ってるさ。大切な相手に贈り物をする日だろ?」
大切、そうとも言えるのかもしれない。
天然激鈍のアテムに生殺しにされているのは、恐らく、十中八九、万が一にも外れてはいないだろうその想い人、海馬瀬人。ではなく自分なのではないだろうか。
誰かが焦れて我慢出来なくなるまでの根比べでもしているのだろうか、それとも本当に修行僧なのだろうか。
少なくとも、遊戯にはこれ以上の修行は出来そうになかった。
「大切と言うか、好きな相手に、ね。」
「だから、そういうのは分からないんだって。多分俺にはそんな相手は居ないしな。」
頬杖をつきながら、本当に何もないのだとばかりにアテムは言う。
ダウト。そう言ってやりたかった。通じるものならば。
なんて焦れったいのだろう。
「海馬くんとそういう話をしたことはないの?」
「ああ、恋バナってやつだな。」
恋バナ。まあそう言えなくもない。最近覚えたのだろう。アテムは顔を上げて嬉々としている。情報源は杏子に違いない。変なことを教えてくれたものだ、全く人の気も知らないで。
「最近沢山プレゼントがよく届くみたいだからな、聞いたことがあるんだ。」
想い人の恋バナである。何故そんなに楽しそうなのだろう。遊戯には意味が分からなかった。
聞いてくれ、と心の声が聞こえてきそうだった。
バレンタインには大切な人だけではなく、好きな相手に想いを伝える日でもあるらしい。
その情報を仕入れたアテムである。
最近バレンタインデーにかこつけて大量に社に贈り物が届けられるから大変だ、というモクバのぼやきに、それが社長である瀬人へ懸想している誰かが居るからではないだろうか。そう連想するのは早かった。
何故なら海馬瀬人は所謂ハイスペというやつで、杏子の話では相当モテて数え切れない程の女が落ちた、らしいからだ。
母数を考えればそういう話には事欠かない筈だ。
部屋で2人になったアテムは早速質問を投げた。
「海馬、バレンタインを知っているか?」
「大切な相手に花などの贈り物をする風習のある日だ。日本では別の祭の様相だがな。チョコレートでも食べたいのか?」
そこにある、と瀬人が置いてあるチョコレートを指す。
アテムは包みを剥いて1つ口に入れた。
「美味い…。いや、そうじゃなくて。好いた相手にも渡す日だぜ。お前は、誰か気にしてる奴とかいないのか?」
「さあな。」
面倒くさそうに答える様子に、誕生日の時を思い出した。
望まない縁談が次々入って来たら、仕事人間にとっては煩わしいものかもしれない。
同じく仕事人間のセトも仕事以外の何かが入って来るたびに眉を顰めたり時には青筋を立てて処理をしていた。
だが、この好機には引き下がれない。たまには浮いた話の1つや2つを聞き出して、余裕を崩してやろう。なんて思いがあった。
要は現代風に言うところの恋バナというやつだ。
「なんだよそれ。」
「お前はどうなんだ。」
「そう来るか。だが、誰かが好きとか、俺には分からないいぜ。」
「そうなのか?」
意外だな、と言われたが意外だろうか。それこそ意外だ。
しかし分からないものは分からない。
「ああそうだ。で、お前はどうなんだよ。」
「やけに食い下がるな。」
作業する手を止めて、ディスプレイをずらして青い目がじっと見つめてくる。
「そんなに気になるのか?」
元は、ほんの少しの興味本位。
そんなに気になっていたわけではないのだが、のらりくらりと躱されれば逆に気になる、恋バナとはそういうものだ。多分。
「気になる。」
「ほう。」
瀬人は完全に手を止めて、チョコレートを一粒口に入れた。
椅子に凭れて、長い脚を組んで、何を聞かれても平気だと余裕が見て取れる。
「それで、俺のどんな話が聞きたいんだ?」
「うーん…そうだな、好みの、タイプとか…?」
聞きながら、内心穏やかでなくなっているのはアテムの方だった。聞きたいけど、聞くのが怖い。そんな矛盾した感情が現れて首を傾げる。
勿論そんな様子に気付いてはいるが、瀬人はそこには触れない。聞きたいのなら教えてやる、それだけのこと。もう陥落寸前なのは分かっていた、後は押すだけなのだ。
瀬人が口を開く。
「強さ。」
「強さ?」
「想像を超える戦術、センス。」
「…お前、それ、違う話してるだろ。」
じいっと眺めていると、少し思案した後、瀬人はふん、と面白そうに笑った。
「考えたこともなかったからな。俺も分からなかった。」
「うーん、まあ、それならそうか。」
考えたこともなければ分からない。それならば仕方ない。
「とまあそういうことだ。結局カードのことしか考えてない。」
忙しいから仕方がないよな。なんてアテムは言うが、これは恋バナなのだろうか。
アテムの語る恋バナは、遊戯が想像していた普通の恋バナとは程遠く、あの海馬瀬人の恋バナと言うのだからどういうものが飛び出して来るかと心配していたので少し安心した。
つまり、海馬瀬人の恋バナ、に気を取られて、このアテムの恋路にも関わらず油断していたのだ。
しかし、気づいてしまったものは仕方ない。冬だと言うのに冷や汗が伝う気分だった。人の恋路なのにドキドキしていた。
本人は自覚していないから気付いていないようだが、件の想い人は、なんと言ったのだったか。
『分からなかった』と言ったのだ。過去形だ。やってくれたな、となんとなく計られたような気持ちになる。しかも『俺も』と来た。
つまり、お互いに知らなかったけれど今は知っている、と言うことなのだ。完全にしてやられている。
なのに何故それが本人には通じていないのだろう、と思ったが、天然記念物なのでは仕方がないのかもしれない。
「海馬くんは、分からなかった、と言ったんだよ。分からない、じゃなくてね。」
「俺も、と言っていたぜ?同意なんだからお互いに分からないの意味だ。」
同意だと言うのならば、分からなかったが今は分かる、それはアテムにも当てはまるというのに。フィールド魔法みたいなものだと教えてやれば通じるだろうか、いや、それも望み薄な気がする。
「キミは本当に…。」
確信しているのだろう。お互いに、分かっている、と。
そのなんと甘やかなことか。
気持ちは隠してない、隠さないから、好みのタイプもダイレクトにアテムのことを指している。彼は嘘をつかない、言葉に嘘はない。ブレていない。
恋バナだかなんだか分からないが、正しくいつも通りの海馬瀬人だったという訳だ。
沢山届くという贈り物にヤキモチ1つ妬く様子のないアテムに、思う所や言いたいことはないのだろうか。ないのかもしれない。アテムに自覚があるかどうかはさておき、想われているのだから。
実際にはアテムの嫉妬は日常茶飯事なのたが、遊戯はそんなことは知らない。
遊戯は胸焼けしそうになった。この甘いホットチョコレートのせいではない。目の前の天然記念物のせいだ。単品なのに、傍らに寄り添う瀬人の姿が見えるようだった。
いい時間になり、そろそろ帰ろうかと部屋を出ると家主と出くわした。
「おかえり。」
「お邪魔してました。」
「ああ。」
アテムの想い人。
青い目は真っ先にアテムを見る。それからチョコレートの匂いが充満した部屋を。そして広げられたディスプレイに表示されているバレンタインの何がしか。最後に遊戯の表情を見て、ニヤリと口元が弧を描く。
嵌められた。と直感した。
別に彼らの恋路を応援しているわけでも咎めたいわけでもない。いや、どちらかというと応援している。
アテムの背中を押すこともあるかもしれないと思ったこともある。だが、背中を押すにしてもこうやって仕向けられるのは本意ではない。
遊戯の瀬人への苦手意識は、まだ当分払拭される気配が見えない。
バレンタインデー当日。
結局、何故かは分からないがバレンタインデーに花を貰った。意味は分からなくはない。何故、が分からない。
いや、本当は分からないわけではない、分かっていいのかと躊躇っているのだ。
部屋に飾られているそれを眺めてアテムは深い溜息をついた。
大切な人へ贈り物をする日だと聞いていた。大切な人に花を贈る、とは瀬人が言ったのだ。だから意味は分かる。
瀬人は嘘をつかない。
つまりこれは、瀬人にとって、アテムが大切であるということだ。
世界中から熱い眼差しを受けるあの海馬瀬人。対峙していた時には気にしなかったし、分からなかったが、今ではどういった人物なのかよく分かっているつもりだ。その目が自分を見ている。
とんでもない方法で冥界まで追ってきて、願いに応えて現世へ連れ出してくれて、そしたら世話を焼かれて。
大事にされているのは分かっていた。祭の日も、あの雪の日だって、他にも、ずっと優しかった。
しかしその理由ををこうやって形にされて、そうすると言葉に出来ないものがあった。
勿論アテムにとってもかけがえのない存在である。それは分かっていた。分かっていたのだが。
「とんだ不意打ちだ。」
呟くアテムの頬は赤い。
勿論、瀬人からすれば不意打ちでも何でもない。アテムの恋バナの延長であり、最後の一押しでもあった。
瀬人が帰って来て、部屋に来たと思ったら、アテム、と名だけ呼んで花を渡した。他に言葉はなかった。
全ての言葉は花束に詰まっている。
見つめて来るあの青い目は、いつも通り澄んでいて、真っ直ぐで。声だってそうだった。耳に心地よい優しい低音。いつもの海馬瀬人だったのに。
お前が大切だ。その意味を込められた花をじっと眺める。
「俺は、どうしたらいいんだ。」
何故。その答えを分かってしまったら、どうなってしまうのだろう。
こんな時にこそガールズトーク。杏子にでも相談すれば良いのかもしれない。
しかしどこから何をどう相談すれば良いのか分からず、できず仕舞いだった。何に困っているのかすら分かっていないのだから。
答えが分からない、でも答えを知ってはいけない、そんな矛盾に陥っている。
ただドキドキしながら、溢れ出しそうな名前の分からない思いを、そっと心に仕舞うしかなかった。
