日中は暖かいが日が沈むと肌寒い。
もうすぐ冬がやってくる。
技術者、研究者としても超一流の男が二十歳の誕生日を盛大に祝われ、ムスッとしていたのも1ヶ月前。
その日の瀬人は、アテムから見ても朝から超絶機嫌が悪かった。
「誕生日?」
「ああそうだ。」
いつもより華やかなスーツを身に纏って、忌々しそうに答える。表情と服装が合っていない。こんな表情は久しぶりに見たが、相変わらずのイケメンは台無しである。
取引先企業や政治家、それはもう国籍職種関係なく祝賀を述べに来ると言うので、自社で開催すると言うことにしたらあれよあれよと大ごとになってしまったらしい。
顔に無駄なことをするなと書いてある。
結局、社外から顔繋ぎをしたい客人が自分達も共に祝わせてくれと入り込んできたのだとモクバが教えてくれた。
「いいじゃないか、祝われるくらい。」
「無駄の時間だ。」
「俺は祝うぜ、おめでとう。」
瀬人が少し驚いたように瞬きをした。
「ああ。」
「それだけか?」
「そうか、受け取っておく。」
1度目を閉じて薄く笑うと、ありがとうともなんとも言わず、瀬人は出かけていった。
「礼くらい言っていけよ。」
「アテム…た、誕生日にあれは最大限の礼だよー。」
「そうなのか?分かりにくい奴だな。」
「びっくりしてお祝い言い損ねちまったぜ。」
「悪いな、先に。」
「いや、社内代表で伝えるとするよ。」
モクバがにこりと笑う。
でもウチで開く会だし、社外からのは今日一網打尽にしたし、早く帰らせてあげることが一番のお祝いかな。なんて言う。
さらっと物騒な事を言った気がするがアテムは気にしないことにした。相手はモクバである。杏子とモクバは敵に回してはいけないと流石に学んでいた。
「頼もしいな。」
「頼もしくもなるさ。去年なんかすっごい大変だったぜ?誕生日を避けるためにスポーツの大会見つけてきてそっちに出場するとか言い出すし。」
「ええ、そこまで嫌なのか?」
手段を選ばない男ではあったがそれは節操がなさすぎるのではないだろうか。意味が分からない。デュエルの大会でも開けば良かったのに。それなら多分、本人も楽しい。
「そうなんだ。元々運動は得意だからね、体作り始めてた内になんとか手を回して止めたんだよな。」
「運動か、頭脳系のイメージだったけど。いや、でも体術は中々だったような…。」
倒されていく兵士達、翻るコート、知らない体術。あまりに鮮やかで無駄のない動きはプロのそれだった。得意というのも頷ける。
「運動だけじゃない。兄様の絵とか見たことない?」
デュエルディスクの設計図なら見せてもらったことがあった。添えられていた完成予定図は、あれは本人の絵だったのか。
モクバによると、中学に入って目にするのは兄の底なしの才能の片鱗だったという。
壁に並ぶスポーツの記録は1〜3年生、悉く海馬瀬人の名で埋め尽くされており未だ破られてはいない。ガラスの向こうには美術の作品と思しき謎の立体像が卒業生代表として飾られている。音楽室には音源として演奏されたものが残っている。など、枚挙に暇がない。
実際には才能に対して並大抵ではない高負荷が積み重ねられた結果なのだが、聞けば聞くほど、果たしてあいつは人類なのか、という失礼な疑問が浮かぶのだった。
瀬人にとって、誕生日とは1年で最も無駄を運んでくる日だった。
祝賀会と銘打たれ、上辺では祝いを述べるためにと繕い、擦り寄ろうとする輩のなんと多いことか。
雑談の延長なのだとばかりに縁談までも持ち込もうとされるのは海馬家に入った頃からずっとだった。
それらを躱し、突っぱね、それでも年々数は増える。頭の痛い話だった。
だが、今は。アテムは古代のオカルトな魂ではなく、現代の普通の人間として存在しているという。滞在ではなく、だ。
アテムが自分の気持ちに気付きさえすればすぐにでも指輪を渡し、ゆくゆくは妻に娶ると決めていた。
もう逃さない。遠慮もしていない。手加減もだ。難しいことはない、自由と、そして甘えることを覚えさせるのみ。
瀬人は自分が経営者でありながら海馬コーポレーションの広告塔であることも充分理解していた。魅せ方なら、充分心得ていた。
「海馬社長、この度はおめでとうございます。」
下心がビジネスの話ならまだいい。確か孫娘が居たな。目的は縁談か。
モクバに目配せをする。後は上手くやってくれるだろう。
離れて行く2つの背中。聞こえてくる談笑。問題の先送りと言う平和的解決だ。
モクバのあの愛想の良さには勝てんな。手の中で弄んでいたグラスを側にいた黒服に押し付け、ふっと口元だけで笑った。
主催者であるモクバに、常よりずっと早い時間に解放され、屋敷へ向かう。
仕事は残っているが今日はアテムの顔を見たかった。もしこれが1年前ならば、間違いなくまず冥界へ行っていただろう。
素面である筈なのだが、今は甘やかす余裕がない。だから早くいつもの自分に戻らなければならない。しかし皮肉にも、そのためにはアテムが必要だった。
「おかえり。流石モクバだ。時間ピッタリだな。」
「何の話だ。」
「お前を早く帰らせてやるんだって言ってたぜ。」
「そうか。」
「それにしても、お前ってすごい奴なんだな。」
モクバが何か話したのだろう。
内容は調べようと思えば調べられるがどうでもいい。顔を見られたことで心は凪いでいく。瀬人にとってそれは紛うことなき癒しであった。
癒しとは神が齎すものではない。神が与えるのは命だけ。アテムのこれは、限りなく人間の持つ母性というものに近いのだろう。
「オトモダチと一緒にするな。」
「それは…うーん、今回ばっかりは一緒に出来なさそうだな。」
困ったように笑う。
珍しい。今、全て平等にしたがるアテムが明確な差別化を図ったのだ。
当然だ。と答えて瀬人は不敵に笑った。
瀬人の顔に、もう朝の不機嫌は見当たらない。帰ってきた時にはあった眉間のシワも消えている。
短い返事にはいつもは全く見せない疲労があって、どうにかしてやれたらと思っていたが、もう心配は要らないようだ。
良かった。アテムはホッとしてほのかに微笑むのだった。
部屋に戻って、ベッドに横になった。いつもは寝付きは良いのに今日のアテムは中々寝付けずにいた。
縁談が嫌なのだろう、とモクバは言っていた。
社会的地位を考えればそう言った話も舞い込むだろう、分からなくはない。
あんなめちゃくちゃな男に釣り合いの取れる人間が居るとは思えないが、それでもいつかはそんな日が来るかもしれない。
いつか、魅力的な女性が現れて。
その時はこの生活が終わりを告げる時でもある。
「結構、気に入ってるんだがな…。」
切ないという言葉を知らないアテムには、胸を覆うもやもやの意味は分からなかった。
あれから1ヶ月か。
もやもやは消えたわけではない。
瀬人とは相変わらず唯一の好敵手をやっている。関係に変わりはない。
ポケットに手を突っ込み、アテムは待ち合わせ場所へ向かった。
キミ、なんなのその薄着は。と遊戯に叱られるのはこの直後である。
クリスマス商戦は、商戦と言うだけあって戦場だ。
配信が主流になってきたとはいえ、実際の販売もどれだけ物量があってもどんどん消えていく。
それらがプレゼントだとしたら、その数だけ子どもの幸せもあるのだろうか。
何も言わずに数字を眺める兄を、モクバはそっと伺った。
「兄様、海馬ランドの開放日なんだけど。」
「予定通りでいい。」
時折、兄は深く考え込むことがある。
仕事をしながら、話を聞きながら、どう頭を使い分けているのか意識の一部が思考に沈むのを知っていた。
自分の知らない両親のことを考えているのか、アテムのことでも考えているのか。思い出であれ未来を描くのであれ、それが幸せな思考であればどちらでもあればいい、とモクバは思っていた。
「相棒、クリスマスはどうするんだ?」
「どうも仕事っぽいんだよね。」
「杏子が?」
「うん。…あれ、ボク喋らされてる?もしかして。」
「ああ。杏子は自分のことはあんまり話してくれないからさ。」
口車に乗せられた遊戯がじとりとアテムを睨んだ。
ついでに今日はきちんと上着を着て、防寒具も持っているなと確認することも忘れない。
放っておくとすぐに薄着でそのまま飛び出してくるものだから毎回油断はできない。
「杏子は、ってことは、キミは何か話してるんだ?」
「俺はそんなに簡単に喋らないぜ。」
「それはボクには、ってことでしょ。」
「まぁ、そうなるかな。」
「やっぱり話してるんじゃないか。」
「ガールズトークってやつだぜ相棒。」
ウインクしながら楽しそうにそう言うが、意味を分かっているのかは不明だ。
杏子の話では、アテムは相当な天然記念物だと言う。
「今更ボク達の間にガールもボーイもないよ。」
それもそうか。と言いつつ話してくれる気はないらしい。納得しただけのようだ。
闘いとなれば誰よりも強く、傷付くことさえ厭わなかったこの人は、今はとても穏やかだ。今は守られ、平穏に暮らしているのだろう。
やっと安らぎの時間が訪れたことに、神に感謝する。その点においては、女神が彼を女の子にしたのは間違ってはいなかったのかもしれない。未だにこれを気遣いと言っていいものかは分からないが。
「海馬くんとは仲良くしてるの?」
「一昨日も三連戦して、感想戦までやったぜ。」
気付いたら朝になっていて2人で寝てた、と笑う。
笑い事で済んでるのが凄いと遊戯は思う。未だに、海馬くんはちょっと何考えてるか分からない、と苦手意識がある。そしてそれはアテムが戻ってきてから更に分からなくなった。
一度は対等になれたと思ったのに。
今日のところは、簡単に喋らないと言っていたアテムに喋らせることでイーブンにしよう。遊戯はそう決めた。
「それって大丈夫なの?一応キミは女の子なんだよ?」
「それはあいつも知ってるさ。よく気も使ってくれてる。優しいぜ?」
優しいんだ。そういう意味じゃないんだけど。
だとすると危機感とかはないのかな。ないんだろうな。罠だと分かってて飛び込むタイプだもん。
身を守るとか、その辺りの信用はない、アテムにはその手の前科があり過ぎた。
こういうところが天然の天然たる所以なのだろう。
トナカイの引くソリに乗ってサンタが飛んでいる。海馬コーポレーションの城下町であるこの童実野町でならなんら驚くことはない。子どもが喜んで指を指す。
まあでも、付き合っているのならそんなこともあるかもしれない。いつもの仕返しだ、からかって揺さぶりをかけるか。そう気を取り直し、遊戯が尋ねる。
「うーん、一応聞くけど、貞操の危機とかは感じないわけ?」
「あいつはそんな無体を働くような奴じゃないさ。」
「そう。」
思ったよりずっと健全な付き合いである。相手はあの、海馬瀬人なのに。すぐ手を出していそうな気もするのに意外だ。
だがそうするとこの信頼関係の出所も謎だ。罠には飛び込むが疑うことを怠らない人だった。
その信頼関係が秘められているのは、実際にはこれは瀬人が月日をかけて築き上げたもので、アテムがそうと気付いていないからなのだが。
遊戯は思う。きっと彼はアテムをとても愛しているのだろう、と。あの美しい青い目はとても雄弁だ。秋の祭のあの日だって、綺麗に着飾ったアテムを優しく見つめていた。少し離れてから、手を繋いでいたのも知っている。
そしてアテムも憎からず思っている筈だ。手を引かれながら、表情は見えなかったがその距離はすごく近かったし雰囲気はとても和やかなものだった。
喋らせようと思ったのに、アテムは中々手強く、口を割らない。杏子はどうやって聞き出しているんだろう。遊戯は頬杖をついて、ゆっくり口を開いた。
「ボクはね、そろそろ付き合ってるんじゃないかって、その報告を聞けるんじゃないかって、思ってたんだけどな。」
「付き合って…俺と、海馬が?」
「誰が居るの他に。」
「…まぁ、確かに俺の身の回りに男はあいつしか居ない、けど。」
アテムが考え込む。
その間に、遊戯はストローを吸った。
「相棒、付き合うって…なんだ?」
「っ!?何言ってんの、大丈夫?ガールズトークはどうしたの?」
飲み込もうとしたクリームが変な所に入りそうになって噎せた。
どう見ても付き合っているのに何を言っているんだろう。手を繋いでデートしておいてその反応はない。隠すにしたってあまりにも雑すぎる。手札を見せておきながらリバースしているような雑さだ。
「キミ達みたいな関係だと思うんだけど。」
「でも、付き合ってはいないぜ?」
「流石にそれは嘘でしょ。だって、仲良くしてる、よね?優しいんだよね?そういう所というか。」
「世話を焼いてくれるってことか?ちょっと違うだろ。」
世話を焼かれてるんだ。あの海馬瀬人が他人の世話を、ねえ。確定でいいじゃないか。
「好き、とか、そういう気持ちはないの?」
「それは、そう言うのは、よく分からないな。」
軽く笑ってアテムが甘そうな飲み物を一口。
「博愛主義だものね、キミ。じゃあ独占したいとか、そういうのは?」
「それならもうずっと前から独占してるかな?あいつの好敵手は俺で、見果てぬ先まで続く…」
「あー!もういい!もういいいよ分かった。聞いたボクがバカだった、ごちそうさま!」
「まだ残ってるぜ?まぁ、礼なら海馬に言っとく。」
不思議そうな顔をしてカップを指さされる。
直接的にはアテムが買ってきてくれたこれは、言われてみれば最終的には彼に会計がいくのだろうけれどそう言うことではない。
どういう付き合い方なんだろう。遊戯はますます分からなくなった。
これ、もしかして、バカップルというやつなのだろうか。この傍迷惑さはそうに違いない。きっと愛を囁かない新しいタイプのカップルなんだ。
海外では言葉もなくそういう関係になってる文化圏もあるらしい。
だが、そんなことがあるのだろうか。古代エジプトは知らない。だが、少なくとも日本文化の瀬人が何も言わないと言うことはないだろう。それに彼は思いの丈をぶつける激しいタイプだったと思う。
天然記念物。杏子はそう言っていた。
ひょっとして、本当に付き合っていないのだろうか。そのパターンは考えていなかった。
「キミがもう少し鈍くなければね。」
「相棒、杏子に似てきたな。」
ほらこれだ。ちっとも分かってない。海馬瀬人修行僧説を打ち消す事が出来ないが、2人がいい雰囲気なことも否定は出来ないでいる。
アテムに喋らせる作戦は不発に終わった。不貞腐れて大きく吸い込むと、ズコッと音がした。
どちらともなく立ち上がる。
黒い細身のパンツに、もこもこのアウター、ふわふわのイヤーマフ。全体的に可愛い系だが、白地に青と黒のラインが入ったスタイリッシュなマフラーが異質だ。
「そのマフラー、海馬くんのだね。」
「よく分かったな。出がけに巻かれたんだ。」
マフラーに手を当てて、思い出しているのだろうか軽く目を伏せている。
「あ、そう。」
光景が目に浮かぶ。アテムを見つめる穏やかな優しい青い目。少しは暖かくしろ、とか言いながら巻いたのだろうか。
何故未だに苦手なのか、少しだけ分かった。遊戯にはそんなことは出来ない。
見つめ合ったらいっぱいいっぱいになってしまうから。相手の世話を焼く余裕などない。
「動かないと思ったより冷えるから、助かったぜ。」
「お礼言わなきゃね。」
「そうだな。」
アテム、キミが今日どんな顔してたと思う?変わらず誇らしげで、楽しそうで、それでいてちょっと照れたような顔だよ。言わないけど。
こちらに帰ってきてからのアテムは穏やかに、幸せに暮らしているらしい。
クリスマス。
遊戯は緊張から右手と右足が同時に出る有様だった。
VIP席への招待状が届いたのが2週間前。
スーツを引っ張り出して、シャツのアイロンを母に掛け直してもらい、靴の手入れをした。
隣を歩くもう一人の自分だったこの人は、こないだ会った時に詳細を知っていたらしい。ゲームとなればとことん強いのだ。
「変じゃないよね?」
「大丈夫。似合ってるぜ、相棒。」
パチンとウインクして寄越すアテムは堂々としたものだ。服装はワンピースなのにそういう所はとても男前である。
「キミも似合ってるよ。海馬くんが選んでくれたの?」
「いや、モクバが朝からくれたんだ。あいつは本当、いい男になるだろうな。」
「そうなんだ。」
そういえば祭の時の浴衣もモクバが用意したと言っていた。あれも似合っていたし、今日だってピッタリだ。とても見る目がある。
「それより、相棒が緊張してどうするんだ。今日は杏子の晴れ舞台なんだぜ。」
「それはそうなんだけど。」
今日は杏子のミュージカル公演に招待されていた。
海馬コーポレーションが大きなホールを建設していたのは知っている。主演ではないが、その初回記念公演のキャストとして見事オーディションを勝ち抜いたそうだ。
まさか帰ってきていた時にこんな話が進められていたとは。
「普通の席で良かったのに。」
「俺が観に行くって言ったらここ用意してくれたんだ。1人じゃ広いし、一緒に応援しようぜ。」
「海馬くん、相変わらずだね。」
多分、アテムが観に行くと踏んで用意させていたのだろう。
VIP席、席というか部屋みたいになっているここからは、舞台がとてもよく見える。
それだけでも想いの深さが知れると言うものだ。優しい、うん、確かに優しい。
照明が落ち、代表としてモクバが挨拶をしている。
「海馬くんじゃないんだね。」
「あいつは、主演だからな…。」
「…はっ!?」
主演?パンフレットに名前は無かったが。
目立つのは好きそうだがミュージカル出演などするようなタイプかと言われると全く違う気もするし。
遊戯が混乱しているとアテムが吹き出した。
「フフッ、冗談だ。驚いたか?」
「びっ、くりした。と言うかキミそんな冗談も言うんだね。」
「…海馬が言うから。」
「それは流石に嘘でしょ。もう騙されないよ。」
遊戯は横目でアテムを睨んでみた。
「いや?嘘じゃないぜ?」
「え、冗談だよね。」
アテムは困ったような顔をして答えない。
これはまた嘘をつこうとしているのだろうか。それともあの海馬瀬人が冗談を言うような人物なのだろうか。
アテムの表情はどちらなのか読ませることはしなかった。
光と音の美しい公演が終わり、件の海馬瀬人その人が挨拶を行い、座長に花を渡し、終演となった。
短い出番ながら、目立つ男だ。
遊戯は、杏子にメッセージを送り、ぞろぞろと出ていく一般席の人の流れを眺めていた。
ドアの開く音がして振り返る。
「アテム。」
見れば、瀬人が花束を引っ提げて入ってきた所だった。光沢感のある黒のスーツ姿に赤がメインの花束、とてもよく映える。
「海馬。よく見えたぜ、ありがとう。」
「礼には及ばん。」
「ボクまで呼んでもらって、ありがとう。」
「俺ではない、アテムが呼んだのだ。」
そう言ってアテムの元へ歩を進める。
「なんでお前まで花なんて持ってるんだ?もらったのか?」
「これはお前にだ。」
「俺に?俺は出演してないぜ?」
「理由が必要なのか?」
なんて甘い声なんだ。
遊戯は、何を見せられているのだろうか、と空気になる努力をした。
手を取って、花束を渡そうとする男前が1人。意味が分からないと言うのが1人。絵面はまるでプロポーズだ。
「理由、は、だって…」
アテムはアテムでほんのり頬を染めている。
本当に、何をやっているのだろうかこの2人は。これで付き合っていないなんてそれこそ冗談だ。
遊戯が足音を立てずにじりじりと距離を取っていると、瀬人の雰囲気が甘いものからいつもの様子へ変わった。
「冗談だ。」
そう言ってフッと笑う。
海馬瀬人が冗談を言うのは誤ではなく正だった。
色んな意味で、遊戯のキャパシティは限界に近かった。
「そんな冗談は、ずるいぜ。」
ずるいだろうか。照れ隠しにずるいと言ってアテムが拗ねているようにしか見えない。
「オトモダチの所へ行くのだろう。持っていけ。遊戯、貴様の分も、ついでだ。」
海馬瀬人が世話を焼くのも本当だった。
押し付けられた花束を受け取り、抱える。挨拶に行けるなんて思っていなかったし、手ぶらだったので助かるには助かる。
シンプルに考えればアテムに花を届けに来ただけなのだが、わざわざ自分で来るのも意味がありそうで、やはり彼が何を考えているのかはさっぱり分からない。やっぱり苦手だ。
「場所は分かるな?」
「ああ。地図なら頭に入ってる。」
あ、入ってるんだ、地図。
「車は呼んである。控室からそのまま地下の…」
「…だな、分かった。」
アルファベットや数字の羅列は駐車場を指しているんだろう。
伝える方も覚える方も、よく記憶出来るものだ。
アテムをからかい、用件を済ますと、瀬人は背を向け出ていった。その際、乱れていたアテムの前髪を指先でさらりと直していったのは実にスマートだった。
大切な人を、ごく当たり前に大切にすること。それを形にして示すこと。まだ暫く、追いつけそうにない。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。」
何でもないことはないだろう。アテムが不思議そうにじっと眺めていたのは先ほど取られていた方の手だ。
その手をキュッと握り、胸に当てて、少し嬉しそうに顔を上げた。それが全てを物語っている。
ほら、分からないと言いながら、やっぱりキミの気持ちはそうなんじゃないか。
「俺達も行こうか。」
「そうだね。」
アテムに着いて、遊戯は杏子の元へ向かった。満面の笑みで花束を抱え喜ぶ杏子はとても輝いていた。
