残暑厳しい9月。世間で言う2学期。
久しぶりにモクバが制服姿で、そう言えば今日から学校だと言っていたのを思い出す。春から夏にかけてでまた背が伸びたからと真新しい制服を着ていた。伸び盛りだ、兄があれだけ背が高いのだからまだまだ伸びるだろう。
学位や肩書を取っておく。とか難しいことを言っていた瀬人は海外の大学に籍を置いたようだ。
9月始まりらしいのに日本に居たので大丈夫なのかと思えば、モクバの話では実績がありすぎて飛び級でもう出てるようなものだから問題ないのだと言う。そういうものなのか。
夏の間、アテムが1番顔を合わせたのは相棒こと遊戯ではなく杏子で、今でも3日に開けずに電話をしている。
アテムにとっては女としての身近な先輩であり親友だ。
ふとした拍子に生理が重いらしい、と話したら次に会った時には薄手の腹巻きをくれた。ポケットが付いていて、寒い時期はカイロを入れておくと良いらしい。
医師からも暖めると良いとは言われていたがなるほど色んなアイテムがあるものだなと感心する。
しかし、随分と可愛いデザインだが、杏子から見たら自分はこんなイメージなんだろうかと、そこは少し納得がいかない。
食後にはいつもの冷えたココナッツウォーターではなく、教えてもらった温かいハーブティ。
アテムは、女性の生き抜く逞しさってすごいな、と少しズレたことを考えながらカップに口をつけた。尚、自分も女であるということはちょくちょく忘れている。
そう言えば現世に来て初めて口にしたものが瀬人の部屋にあったココナッツウォーターだ、と話した時にすごく笑われたのは何故だろう。
ほんのり甘くて結構気に入っているのだが。
それに、瀬人の部屋にあったのだから悪いものな筈もない。
「海馬。なんでココナッツウォーターなんだ?」
唐突に、アテムが問う。
「なにがだ?」
「いや、なんで置いてあったのかなと思って。お前あんまり甘いものってイメージじゃないだろ。そうするとやっぱり意識高い、ってやつなのかなと。」
失礼なことを言っている認識などアテムにはない。
ココナッツウォーターについて調べた結果、付随して出てきたワードを並べただけである。
しかしその程度のことで怒るような瀬人でもない。また何か要らぬ知識を仕入れたのだな、と思った程度だ。なので簡単に説明するに留める。
「意識?何のことだ?発汗によって失った水分やミネラルを補給するのに最適とされている飲み物で余計なものが入っていないからだが。」
「は?」
「俺がそれを飲む理由を知りたいのではないのか?」
アテムの手にあるボトルを指す。
「ああ、え、じゃあ美味いから飲んでるわけではないってことか。」
「美味い筈だ。厳選したキングココナッツを使用して生産している。」
「お前の説明だとちっとも美味そうに聞こえないから不思議だぜ。」
「なんだと?」
「いや、なんでもない。忘れてくれ。」
「もう遅い。今更だ。」
ふん、と鼻で笑う仕草は、以前はあからさまに他人を馬鹿にしているようで気に入らなかったが、この頃は単に楽しそうなので気にならない。
ちらりと横目で様子を伺うと綺麗な青い目と視線が合ったが、あまりまじまじ見るのも憚られてそっと逸らす。
意識して見てみれば、この男は恐ろしく綺麗な顔をしているし、作り物のようにスタイルもいいことを再確認させられる。
相当なハイスペック。メディアへの露出も多く、目立つから世界中にファンがいるのも頷けるし、モテるという話も本当なのだろうと改めて思うのだった。
落ちた女は数え切れないという話だ。きっとバトルシティの開催を宣言していたあの時なんかにもその効果は発動されていたことだろう。好敵手ながら、なんて罪な奴だ、と勝手に思う。
それから内面でのポイントの高い点としては、一途な所だそうだ。それが執着と同じ意味でも良いと解釈するならば分からなくはないが、あの海馬瀬人に一途だなどと何というミスマッチ。オベリスクの巨神兵にクリボーのカードテキストがついたようなものだろうか。流石にそれはない。
「ふ。」
「今度はなんだ?」
瀬人が胡乱げな目を向ける。
「いや、思い出し笑いだ。気にしないでくれ。」
「明らかに俺を見て、だろう。言え。」
「だめだぜ、ガールズトークなんだ。話せない。」
「ふん、そうか。」
またオトモダチに何か吹き込まれたのだろう、と瀬人はアテムを眺める。
何を話したのかは童実野町内のセキュリティネットワークシステムを調べれば分かることである。全てを暴いても構わないが、そこまでするほどのことでもあるまい。
風邪疑惑の時もそうだったが、重要なことならばアテムは必ず言ってくる筈だからだ。
瀬人は、ゆったりと口説くように告げた。
「あまり秘密を作ってくれるな。」
「そいつはどうかな。」
きっと、込められた意味は通じておらず、こうして泳がせていることにも気付いていない。
いつでも暴ける距離感だと、思い知らせたくなるがそんなことはしない。答えもまだやらない。アテム自身が答えを見つけ、己の気持ちに気づくのだ。そして、その時には既に遅い。その時を待たなくとも、現段階で手遅れだ。
あの時、冥界で、連れ出してくれと瀬人の手に手を伸ばしたのはアテムなのだから。その時点で瀬人はある種の勝負に勝ったのだ。
厳密には同着なので勝ったと言えるのかは不明だが。
アテム自身が己の気持ちに早く気付けとも思うし、まだ気付かずに沼に嵌まれもっと深く、とも思う。
なにせ手を伸ばせば簡単に触れられる、捕まえられる距離だ。その気になれば、誰の目にも触れさせずに閉じ込める事だって出来る。
もどかしさがないわけではない。欲しいものは最短距離で手に入れてきた。
海馬瀬人としてはらしくない行動のようだがそれは違う。もう、手に入っている。あとはもう、ひたすら自由を与え、甘やかすだけである。
「お前こそ、隠し事はなしだぜ。」
よく言う。
どうだろうな。とだけ瀬人は答えた。口元が緩むのをそのまま許す。この鈍感にはヒント1つくらいは与えても良いかもしれない。
冷えたココナッツウォーターを1本取り出して細い項に当ててやると、ひぇ、と間抜けな声が出た。
しかしアテムは驚いて一瞬目を見開いただけで、あとは楽しそうに笑うのだった。
アテムが失礼なことを言うのは珍しいことではない。もはやそれは日常に近かった。
朝。珍しくまとまった時間を取れたので前日の夜遅くまでデュエルに興じ、カードを広げて感想戦を行いそのまま並んで寝た翌日だ。
アテムが瀬人の頬に触れていた。
瀬人は、いつものように、深い意味はないのだろうと好きにさせることにしたが、不思議そうに何やら考え込み始めたのでその手を掴んでやる。見た目に違わず、細く柔らかい手だった。これは女の手だ。思わず、握り潰してしまわないように少し力を抜いた。
「どうした?」
「肌が綺麗だなと思って。」
「健康管理はしているが。」
「うーん、でもヒゲが。」
「ああ、それか。」
ヒゲなど生えるはずのないアテムの頬に触れてやる。褐色の、滑らかな肌だ。
あえて触れる必要などないのに触れるのだから、これは大きなヒントだったな、と思いながら包み込む。
傍から見れば、睦み合っているようなものだがアテムにそのような意識はないだろう。
「俺は多忙を極める。」
「そうだな。お前、よく働くから。」
「故に髭を剃るなどという時間があるのなら別のことに使う。」
「うん。」
「とっくに片付けてある。」
「えっ。それって、び…美意識、高いぜ?ってやつだよな。」
「何の話だ?」
またもアテムは失礼な事を言っているが、勿論本人にその自覚はない。
おおよそ本人に言うようなことではない単語だが、もう慣れたもの、そのような些事を今更瀬人が気にすることはなかった。
「あ、カード。」
もぞもぞと、アテムが身動ぐ。今更、寝落ちしたことに気付いたらしい。いつものことなので寝る前に既に纏めてある。
「テーブルの上だ。」
「そうか、ありがとう。」
微笑みながら、アテムが言う。これはかなり、目の毒だ。瀬人としてはこのままその無防備な唇の1つでも奪ってやりたかった。
細く、息を吐いた。
離れ難いが仕事である。瀬人はその肌触りの良い頬から手を離して上体を起こす。
これに慣れてしまったら、たまったものではないのだろう。きっと離してやれないだろうし、離れられない。
猶予がないのは果たしてどちらだろうか。
表には出ていないが思いは同じ。せいぜいそれまで溺れることだ。
アテムの髪に触れ、寝癖のついたそれを一度かき回す。髪も、細く柔らかかった。
「行ってくる。」
「ああ、行ってらっしゃい。」
今度こそベッドを抜け出し、瀬人は背を向け仕事へ向かった。
今日もアテムはガールズトークに花を咲かせていた。
「だから、あいつは意識高い系なんだ多分。」
「それはなんか違うような気もするんだけど。」
確かに瀬人の意識は高かった。それはもう、海馬コーポレーションの広告塔と同じかそれ以上の高さである。しかし自らがそれであると自認しているのでしっかりと高いのであって、アテムの言う所謂意識高い系とはかなり異なったものだ。
やるなら手加減なしにとことんやる男である。だから身形はその時々で見せるに適したものに整える。肌一つとっても当然そうだったし、発声もそうだった。もちろん大衆を煽るようなパフォーマンスにも一切手を抜かない。
映る必要がある場合には媒体も考慮する。テレビのサイズなら表情も使い、大写しになるなら目で語る。ある意味ストイックにそれらをこなしていた。
しかしそんな事をアテムは知らない。
なので、意識高いこんな事があったのだ、と話したのだが、ディスプレイ越しで何故か彼女の目がキラリと光った気がした。
近頃の杏子はどうにもアテムと瀬人をくっつけたがっているように思えたので、これは話さなくても良かったかもしれない、と少し後悔した。
一応、男と女であることはアテムでも理解している。
けれど、並んで寝たりはしたが何も疚しい事はしていないし、お互いにそんな下心は持っていない。筈だ。多分。とりあえずそう自分に言い聞かせておいた。
瀬人とは永遠の好敵手。少なくともアテムの認識ではそうなっていたからだ。
しかし杏子は違う。
少し、呆れたようにポツリと呟いた。
「あなた、実はとても…天然だったのね。」
「どういう事だ?」
「これは流石に海馬くんでも大変かもしれないわ。」
「なんであいつが大変なんだ。それは非常に困るんだが。」
「仕事には関係しないから大丈夫よ。」
仕事には関係ないが、大変。杏子の言う意味がどういう事なのかアテムにはちっとも分からなかった。
首をひねるアテムを眺めながら、あの日、冥界から帰ってきたのだと電話を受けた時を思い出していた。
知らない日本の電話番号から着信があり、表示を見るとどこで電話番号を調べたのか発信元には『海馬瀬人』の名。その伝手を考えれば連絡先の1つや2つ、住所や仕事場にスケジュールすら知られていても不思議はないと納得はしたが、掛かってくる理由がない。
これはまた事件かなにかかもしれない、一体今度は何が起こったのだろう、と驚き半分不安半分で急ぎつつも恐る恐る電話に出た。
電話に出たらまさかの海馬瀬人本人で、ビデオ通話にしろ。とだけ言った。
そうしたら現れたのは見覚えのある忘れられないオーラ。アテムだったことで更に驚いた。あの衝撃は今でも覚えている。当然だが言葉が出なかった。
その後に見た光景も中々衝撃的だった。電話なのだからせいぜいが繋げて終わりだろうに、音が鳴ったり画面が映すものがズレたりするたびにアテムが瀬人を呼ぶのでそれに対応してあげていて。
アテムはアテムで困ったら助けを求めればいいと任せ切っているようだった。何より2人を纏う空気感はあまりに自然だった。
対峙していたあの頃の激しさはなく、至って平和そのものだ。
何度か次元を超えて会いに行っていることは風の噂で知っていたが、向こうで何かあったに違いない、そう思わざるを得なかった。見て分かるように、その過程で、とんでもなく甘やかしてきたのだろうと杏子には簡単に想像出来てしまった。
あの時点で、もう付き合ってるでしょ?と言いたくなっていた。
皆で遊んだ日の帰りも、通りかかった送迎車でアテムを連れて帰った時もものすごく大事にされているアテムが居た。別段声を荒げることもなく、城之内からの喧嘩腰の言葉すら軽く受け流し、帰るぞ、とだけ声をかけてごく自然に車へエスコートして。
アテムもアテムで当たり前のように一緒に帰ることを選んだ。
絶対にあれはお互いに気持ちを向けている。
女の勘はそう告げていた。
アテムは女の子だ。なのにその後も2人が付き合うとかそういう話を聞かないのは何故だろう。
もしかして、自分の気持ちに気づいていないのだろうか。
天然アテムはともかく、あの彼が気付いていない筈がない。気付いていて黙っているのだろうか、でも何のために。
アテムに対し、自分の気持ちに気付いてほしいとか、そういう期待めいたものではないように思う。
他人に任せず、自らの手で物事を成す。そうやって誰も考えつかず、考えたとしても到底成し得ないことを次々やってきた男だ。
それに、欲しいものはどんな手を使ってでも必ず手に入れるタイプだと思っていた。だから気長に待っているとは考えられない。
言いたいことがあれば言う、やりたいことはやる。思いは口にして、形にする。
杏子の認識では、海馬瀬人とはそういう人間だった。
だからこんな宙ぶらりんな関係などあの彼に限ってあり得ないのだ。
しかし考えても分からなかった。
所詮自分にはあの海馬瀬人の考えなど到底理解できるはずも無い、と杏子は思考を諦めた。
