女神の褒章02

ガールズトーク


現世へ来て約3週間。
その日は朝から怠さと眠気、頭痛や腹痛があった。風邪でも引いたのかもしれない。
日本の気候は安定していないから仕方がない。特に今は三寒四温とか言うらしく、温かいのと寒いのが交互にやって来る。
アテムは薄い上着を1枚多く重ねて食堂へ向かった。
するとそこには珍しくまだ出勤していない瀬人の姿があった。いつも朝食はモクバと2人だ。
モクバはともかく、いや、モクバもよくないが、その兄には感染すのは非常にマズい。不調の中でも仕事を選ぶだろう。
なにせ、セトと同じで、とんでもなくよく働くタイプなのだ。
「おはよう。あの、俺、風邪を引いたかもしれないんだ。たから部屋で寝てくる。」
正直に伝え、すぐさま部屋を去ろうとしたのだが、瀬人に掴まって、ちょっと顔を見せろだの症状はどうだと聞かれた。
隠すことに意味はないので、アテムはこれまた正直に答えた。
「ちょっと怠くて、頭痛や腹痛もある。」
「顔色が悪いな。寒気は?」
「ない。」
「熱は?」
「多分ない。」
アテムの額に手を当て、熱がなさそうであると確認し、暫し無言になる瀬人。
じっと顔を眺められて居心地が悪い。一体何を考えているのか、難しい顔をしている。
そして、吐き出されるように追加の質問をされた。
「…腰痛はあるか?」
「ある。」
瀬人は目付きを数秒程険しくし、ため息をついた。
「医師を手配しておく。食欲があるなら朝食をとって、絶対に話を聞いておけ。」
「そんなに深刻じゃないぜ?」
「今はな。じきに分かる。いいな、絶対に聞くんだ。」
言っていた意味が分かるのはまだ数日後なのだが、その日医師から受けた説明にアテムは頭がどうにかなるかと思った。



じきに分かる、とはこのことか。
腹痛には逆らわず大人しく薬を飲み、怠ければ体を休める。
世の中の女性は皆こんなことに耐えているのか。
とすると杏子だっていつも元気に見えたが辛い日もあったのかもしれない。
アテムは、襲い来る生理痛にやられていた。
あの時の、険しい目つきが頭に浮かぶ。多分、気付いていたのだろう。もうじきこれがやって来ると。
急に医師から性教育を受けたのにも驚いたが、よく分かったなと思う。予想は出来ても周期など分からない筈だが。何故だろう、不思議だ。
これは子を成す準備が整ったという証だと言う。この体は新しい命を産むことが出来る。そんな日が来るのかどうかは分からないが、とても尊いものだ。アテムは、無意識に、そっと腹に手を添えていた。
そういえば、とても眠い。

気付けば眠っていたようで、目を覚ましたのは夕方だった。眠ったのにまだ眠い目を擦り、しかし空腹感はある。
鎮痛剤が効いてきたのか、痛くはないが違和感のある腹部を撫でながらトイレに目を遣る。3度目だ。正直まだまだちっとも慣れないが、医師に指導された通り、生理用品を交換して食堂へ向かった。



瀬人の五感は昔から優れていた。ほんの少しの色味の違いを識別する目、小さなノイズを拾う耳。指先は器用で味覚も問題ない。そして中でも嗅覚は他人を匂いで識別出来る精度だった。
アテムは女である。風邪を引いたかもしれないと言っていたあの時、いつもと違う香りがした。
だが本人の言う通り風邪、何かに感染している炎症系の匂いではない。どこか惹かれるような香りだ。そのため、恐らく『そう』なのだろうと推測し、女の医師を指定してアテムに教育をするよう指示を出した。

男である瀬人には分からない、だが医師からの報告を聞くに、どちらかというと『重い』方のようだった。
その不完全さが人なのだろうが。知らず、眉を顰めていた。
「女神も酷なことをする。」
重い方、という予想は当たっていたようで、アテムは1日を殆ど寝て過ごしたらしい。
ホルモン剤を飲ませることに迷いはないが、日常生活ではうっかりしているアテムが毎日忘れずに飲めるかはかなり怪しい。ゲームをしている時はあんなに隙がないのにそこから離れるとまるで別人なのだ。その点に於いては清々しい程に信用はない。
どうするかと少し考え、屋敷の者に管理させることにした。いくらあのアテムでも差し出されれば飲むだろう。
謳歌すべきアテムの人生だ、そこに苦痛などは存在しなくて良い。



アテムがまた医師に呼び出されると、そこには瀬人と、キッチンでよく見かけるメイドの姿があった。
「アテム様は月経が重い方のようですね。」
「そう、なのか?」
「はい、眠ってしまう程です、さぞお辛かったでしょう。」
「まあ、そうとも言えるかもしれない。」
言われてみれば、杏子は毎日学校に来ていたし居眠りなんてしていなかったなと思い出す。
個人差があると説明を受けたが痛くなかったり眠くない人もいるのだろうか。
医師が薬のシートを取り出して見せる。
「毎日、こちらの薬を服用してください。」
「これは?」
「ピルです。避妊用にも使われますがアテム様は症状を軽くするために服用いただきます。」
「避妊?それは、子を成せなくなるということか?」
「服用をやめれば排卵が再開されるので問題はありません。容量は具合を見て調整していきましょう。」
なんだかよく分からないが、少しは楽になるらしい。現代とはすごい。
だが、子を成すための自然の流れを変えてしまって本当に大丈夫なのだろうか。
そんなアテムの逡巡した表情を見落とす瀬人ではない。だが、その話は後だ。まずは薬を飲ませることを優先した。
「お前に任せると飲み忘れかねんからな、朝食の時にでも出させる。」
「大丈夫だ、忘れないぜ?」
「いいえ私にお任せくださいアテム様。あんなお辛い目には合わせません。毎朝欠かさずお出しします。」
「いや、大丈夫だって、」
「いえ、ここは私にお任せください。」
別にわざわざそこまでしてもらわなくても忘れないのにと思いながら、漲るメイドの圧に負けて薬の管理は任せることにした。
「次に月経が始まる日から飲み始めます。」
次から飲んで、と言うことはまだ薬を飲まないということだ。次の1回はまた重い1週間が待っているのか。
これが3週間後にまた襲ってくるのかと思うと、アテムがげんなりしたのも無理はない。

瀬人と共に医務室を出て、部屋へ向かう。
「何を考えていた。」
「いや、何も。」
「聴き方を変えよう。何が心配なんだ。」
何もないと答えたのに、この男に嘘は通用しないらしい。
「この体は、子を成すことが出来る。その循環を、無理やり薬で変えてしまってもいいものかと迷っているんだ。」
「子を産みたいのか?」
「まだ分からない。可能性の話だ。」
「不妊の原因は基本的に今回の薬ではない所から引き起こされるものだ。服用をやめ、望めば妊娠もするだろう。心配することなど何もない。」
望めば。子を望む。そんな日は来るのだろうか。しかも自分が産むのだ。尊くて、怖い話だ。
「まだ、悩むことはあるまい。体調が安定してからゆっくり悩んでも充分に時間はある。」
「そう、だな。」
その日はなんとなくそのまま1人になりたくなくて、瀬人の部屋で色んなゲームをして過ごした。
集中しきれず雑念が入り混じりすぎて戦績は散々だったが、もちろん手加減などはしてくれる筈もない。それが逆に気楽で心地良かった。
眠くなったので並んで寝転びながら枕元でまたゲームをして。
そうして、寝て起きたら少し気は晴れていた。










初夏。
天候も暖かくなり、アテムも現代の生活に馴染んできた頃。アメリカから杏子が帰ってきた。
「久しぶりね、アテム。」
「よう、元気だったか?」
「もちろんよ!」
別れの時、涙を見せていた杏子はそこにはいない。
女性というのは逞しいものという認識がアテムの中には形成されつつあった。
海馬邸のメイド然り、医師もそうだが2人とも子どもがやんちゃなので叱り飛ばしながら育ててる、なんて言っていたし、実際アテムもやんちゃな方だったのでよく乳母には叱られていた。
「相棒には会ったか?」
「ええ、空港でね。」
「そうか。」
空港まで出迎えだなんて相棒も中々やるじゃないか。
2人が今どんな間柄なのかは詳しく知らないが、遠慮がちだった遊戯を見てきたアテムは嬉しくなった。
今日はこの後かつてのメンバーで集まる予定なのだが本田、城之内の社会人コンビはもちろん仕事だし、遊戯も学校がある。
それまで時間が空いていた杏子とアテムが一足先にお茶でもしようか、というプランになったのだ。
瀬人はもちろん仕事だし、それでもとりあえず声はかけたが呆れたように行くと思うか?と言われた。

いつかと同じようにゲームセンターへ向かう。踊る杏子は相変わらず、というか以前よりキレが増していてとてもかっこいい。
その後ウィンドウショッピングに付き合い、あれもこれも可愛い、と賑やかなのは変わらない。
あの頃は、自分が何者なのか知りたくもあり、知る事への恐怖があった。遊戯と共にずっと一緒に居てやりたい、ではなく本当は自分が一緒に居たかっただけ。迷い、悩むその背中を押してくれたのは他でもない杏子である。
歩き回って疲れたのでクレープを手にベンチで休む。
もう体を共有していないのに、相棒じゃなくて申し訳ない、と心の中で謝ってしまうのは癖のようなものだ。
「そう言えばあなた、今は女の子なのよね?」
「ああ、そうだぜ。」
皆に挨拶をしたいと思った夜に、直接会えないし時差があるからちょうどいい、と電話をかけて最初にコンタクトを取ったのは杏子だった。
何故か瀬人が連絡先を知っていて繋いでくれた。本当は知っていたのではなく、個人情報を把握されていただけなのだが勿論そんなことをアテムは知らないし知らされていない。
繋がったモニターの向こうでアテムの姿を見た杏子は、驚愕に目を見開いていた。
「じゃあさ、皆がほっとかないでしょ。あなた可愛いもの。」
「皆が?皆前と変わらないぜ?ああでも、強いて言うならモクバがすごく親切だ。あいつは将来きっといい男になるだろうな。」
気遣いは出来るし、優しい、それに兄のようにキツくない。モクバの周りには沢山の人が集まるだろう。最近更に背が伸びている気もするし、女の子からも人気がありそうだ。
「ふはっ、想像できちゃう。海馬くんもモテてたけど遠くから眺めるしか出来ない高嶺の花タイプだものね。でもモクバくんは手の届くアイドルというか。」
分からなくはない。分からなくはないが。
「海馬が、モテてた…?」
当時の瀬人のことと言えば、戦いの場での姿しか殆ど知らない。戦略家でもあるが、しかしかなり激しいパワータイプの男。それくらいしか知らない。
「すーごかったわよ、顔は整ってるし背は高いし頭はいいでしょ?それで海馬コーポレーションの社長よ。童実野高校どころか日本、アメリカでも今は人気ね。」
「そうなのか。」
ステータスだけとか、中身を知らなければそうなのかもしれない。
容姿だけを見れば、確かに整った顔をしているし、恐らくカッコいいのだろうと思う。
「でも中身はあの海馬だぜ?偉そうだし、自分勝手じゃないか?」
「それもいいらしいわよ。寡黙と苛烈が共存してるでしょ?そのギャップに落ちた女は数え切れないわよ。リードされたい、とか、強引に愛されたい、みたいな感じかしら。」
数え切れない。アテムはかなり衝撃を受けた。
好敵手の女性関係など考えたことはなかったが、想像出来ないことはない。彼はよく目立つし有名だ。よく考えてみればファンが居たとしても何ら不思議はない。
「へえ。そうなのか。女心ってのは分からないもんだな。」
「でも一途な所は私も評価ポイント高いかな。ほら、次元?を超えて別の世界まで行っちゃったり。なんだかそれって王子様が迎えに来た感じよね。」
「あれはもはや王子様ってよりキングだろ。」
アテムの言葉に杏子が笑う。
「海馬が一途だとしたら、想われた人は大変だろうぜ。一途だなんて可愛いもんじゃないからな。」
アテムが遠い目をする。
あれは一途というより執念や執着と言っても過言ではない。
千年パズルの修復からの復活、呼び出しを目論むだけでなく、それが無理ならば、とまさか自分から次元を超えてやってくるなどと誰が思うだろうか。確かに誰も思わないようなことを平然とやる男ではあったが。あれは流石にめちゃくちゃだ。
めちゃくちゃと言えば初めて瀬人が王宮にやって来た時は大騒ぎだった。3000年前、古代エジプトの文化を知った上で、敢えて王に対して右足を前に出したのだと言うのだからそれはもう流石に海馬瀬人である。
時と場所を考えろと文句を言ったが、彼に言うには、自分にとってアテムは王でも神でもないのだから自分が服従など示す理由はなく、これで充分なのだと謎の超理論を展開された。勿論、服従など求めてはいないが、どこにいても自分のルールを押し通してくるのだからたまったものではない。
そんな風に態度が態度なものだから、アテムの制止を聞かずに引っ捕らえようとした兵士も出てしまい、しかしその数人はどんな体術か分からないが投げ飛ばされていて寧ろやられたのはこちらの方だ。
何もない砂漠である。舞う砂塵に翻るコートが異質で鮮やかに目に映った。殺気立つ衛兵達に更なる混乱の予感がして、慌てて何とか諌めて人払いをしたが、とにかく大変だった。
歴の長いセトが制止していたら聞いてくれていたのだろうか。ああいったゴタゴタを片付けるのは彼の方がずっと慣れている。しかし当のセトといえば、騒動が起きていたのに何故か静観の構えを崩さなかった。理由は分からないがあの騒動の鎮圧には手を貸して欲しかった。本当に、本当に大変だった。現代風に言えば胃に穴が開く、と言うやつだ。
そして、あんな大騒ぎを起こしておいて、お前にしか用はない、とばかりに平然としていて周りなど気にも留めないのだあの男は。投げられた兵士が不憫でならない、きっと投げたことさえ些末な事と覚えていないに違いない。
そういう男なのだ。だからあの男に可愛いポイントなどどこにもありはしない。
瀬人が冥界にやって来た時の話を掻い摘んでしてやれば、杏子は、もうそれ以上笑わせないで、さすが海馬くん、笑いすぎてお腹痛いったらない。と更に笑っていた。人の苦労も知らないで。と少し恨めしくなる。
「まあでも、実際は仕事人間だからそんな話は出ないだろうさ。」
「さあて、それはどうかしらね。」
「ん?どういう、」
意味深な杏子に問おうとした時、城之内の声が聞こえた。
「おーい、アテムに杏子!」
声のした方を見れば遊戯と本田も居た。
「お待たせ。」
「よ、おかえり。」
「ただいま!」
ハイタッチして、あっという間に以前と変わらぬ雰囲気だ。そこにアテムが実体として加わっているだけ。
「何話してたんだ?すっげぇ楽しそうだったけど。」
あれだけ笑っていたのだ。気にもなるだろう。
アテムが実は…と話しだしたのをしーっと止めた杏子は、ガールズトークよ。と微笑んでウインクをした。
なんだ。これ、ガールズトークだったのか。
「なんだよ気になるなぁ。」
「まぁまぁ、それじゃしょうがないね。」



その日は夜遅く、帰りを心配したモクバから電話が来るまで遊んだ。
ほら、親切だろ?と杏子に言えば、あら、王様が迎えに来たわよ、と言うので目線の先を見る。ちょうど帰り道の瀬人を乗せた車だ。
アテムと杏子は目を合わせると同時に吹き出し2人でクスクス笑った。
ガールズトークも悪くない。
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