「ボクの気持ちとか涙とか色んなもの、返してよ!」
遊戯がグズグズと涙ながらに文句をつけるのも無理はない。それたけの覚悟を持って別れ、それだけの思いを消化して過ごしてきたのだ。
ここにいる筈のない存在、アテムに対して溢れた思いも、それらがアテムを連れて帰った海馬瀬人に向かったのは仕方ないことだろう。
「相棒、違うんだ。海馬は別に何も悪くなくて、これは俺の問題というか。」
なんと説明したら良いのだろう。
冥界を抜け出すことを決めたのは、他の誰でもない、アテム自身だった。
何度目になるか、海馬瀬人の来訪。
数ヶ月も会えばデュエルだけではなく会話も増える。近況をそれとなく聞いてみたりするようになった頃だ。
広間でデュエルを4連戦、流石に疲れたしデッキも調整したいし、共に部屋へ向かっていた。皆、気を使っているのかいつもならあまり人に会わないのだが珍しいことに神官達とすれ違った。そういえば今日は会議をすると言っていたなと思い出す。
無言で頭を下げて去っていく神官達。その中には見慣れない顔もある。
1人、立ち去らずに残ったのはセトだった。
「ファラオアテム、死ぬことは3000年前でも3000年後でもできる。今一度、現し世に戻られても構わないのですよ。」
この世界へ戻った時点では、王位を継いだファラオセトが治めていた。
決闘を行なっていないから、という理由だけでそれを簡単に返してきて玉座に座らされたのは2年半程前か。
自分にとって見慣れない新しい顔ぶれはセトが復興とともに育ててきた後進達でもあるのだろう。
共に闘った神官達に混ざり、双方国を思う頼もしい一団だ。
セトがファラオとして見事に国を盛り立て復興させてくれたのが見て取れる。
託した平和な世界がそこにはあった。と、引き換えにその1番の功労者は激務だったことだろう。何故なら未だに引き継ぎは行われていない。
何の事件も起こらない筈の冥界であるというのに時間がないのだ。
朝は日の出と共に身を清め、祈りを行うと、謁見や報告がどんどん入ってくる。活気があるなと思っていた。
昼食をとったかと思えば巡回に行き、午前中に出されたパピルスの束を処理していく。更に神官や役人達と会議。これは働き過ぎではないだろうか。
夜になって眠るのかと思えば訓練施設をそっと確認しマハードと一言二言交わし、それから星見をする。そのあたりでアテムは引いていた。セト、めっちゃ働くぜ。
毎日がこんな調子でどこに引き継ぎを行う暇がある。アテムはファラオとして玉座に座るが実務は全てそこに控えたセトがそのままこなしていた。
曰く、3000年も闘っていた魂に、今は休んでほしいのだと。
だからこの日はつい言ってしまったのだ。
俺も海馬と現し世に行きたい、と。
瀬人は暫し思案した後、分かった。と言ったのだがそれが言葉通りの受け答えとしての分かっただったとアテムが知るのは後の来訪の時だった。
冥界に客人があったようなのだが、今日は迎えが来ない。
おかしいと思いいつもの場所へ向かうと見慣れた客人、海馬瀬人とセトが何やら小難しそうな話をしていた。
「こちらの準備は出来ている。」
「戸籍というものは?」
「手配は済んでいる。墓守一族を使う。体はどこに埋葬されている。復活させるが…。」
「それは問題ない。こちらの女神から、褒賞として授けられることになっている。これに目を通しておいてほしい。」
「分かった。次回からは紙媒体でなくとも構わない。このタブレット端末を使え。」
「言語の対応は。」
「古代神官文字対応済だ。使用方法はここに触れば表示される。」
「なるほどそれは良い。」
パピルスの束をパラパラめくり、2人で何かしら話を進めている。
「ここはどうなのだ。」
「確かにそこは要交渉だが。いや、問題はあるか?」
「当人がどう受け止めるかは分からんが、違和感はあるだろう。」
「だが、あなたにとっては好条件なのでは?」
「ふん、知った風な事を。」
まだまだ続きそうな様子に、アテムはそっと部屋へ戻った。その日、客人として海馬瀬人がやってくることはなかった。
その次の来訪の時だった。
呼ばれていつもの場所へ行くと海馬瀬人とセトが並んで待っていた。
「アテム、現世でのお前の居場所が整った。」
「ファラオアテム、ホルアクティより暫しの休暇の許可を得ました。」
「は?」
「なんだ、お前が言い出したのだぞ。」
聞けば、どうやらこないだの発言を本気でとって、2人で準備を整えていたらしい。しかも女神まで巻き込んで。
セトが最近よく神殿に行っていたのはこのためだったのか。
「セトカイバ、これが最終資料だ。」
「目を通しておく。」
「交渉は、した。」
「分かった。例え決裂していようと構わん。覚悟も手筈も出来ている。」
「あとは任せる。…まあ、せいぜい努力することだ。」
「誰に言っている。」
何の話かは分からないが2人にだけ通じる何かがあるのだろう。
「では、行くぞ。」
「あ、ああ。じゃあセト、あとは、任せた?」
「ごゆっくり。」
かくして、海馬瀬人によって作られた居場所と、セトやホルアクティによって作られた体を得て、アテムは現し世へ帰ってきてしまったのだ。
戸籍はイシュタール家の4人目、居場所は海馬家の客人として。
降り立った、というのが正しいのか、アテムとして初めて現世に足をつけたの瀬人の部屋だった。
「好みの飲み物はあるか?甘いものでも苦いものでもどちらでもないようなものでも。」
「あ、いや、なんだろう。」
「なんだ、嗜好も忘れたか。俺が適当に選ぼう。」
部屋に備え付けの冷蔵庫からボトルを取って渡された。
「何か食べたり飲んだりしたくなったならば思いついた時に言え。今はこれでも飲んで休んでいればいい。俺はこれに目を通す。」
渡された透明な飲み物はジュースだろうか。ほのかに甘い。甘くて体に染み渡るようだ。
ほうっと一息つく。
見れば同じ物を飲みながら、瀬人はパピルスを捲っている。古代神官文字で書かれたそれを難なく読んでいくのだからこの男の頭脳はどうなっているのかと思う。
しかしラーの翼神竜のカードテキストを読むことが出来たのだから、(いや、そもそもそれもおかしいのだが)、読めるものなのだろうか。
これからどうしたものか。アテムは書類を確認している瀬人の様子をぼんやり眺めていた。
「兄様、帰ってるの?」
モクバの声だ。
「ああ、開いている。」
少し遠慮がちに扉を開き、あの頃より背が伸びたモクバが顔を覗かせる。
目が合って、不思議そうな顔をして。
「あれ?えーと、アテムだよな?今日だっけ?アテムが来るの。来週エジプトへ迎えに行く予定じゃなかった?」
「エジプトを経由せずに済むように手配した。イシュタール家へは連絡済みだ。」
次元を超えて来たというのに、口調はのんびりしたもので。この兄弟にとっては町内の外出と変わらないかのような認識らしい。
甘くて体に染み渡る謎の飲み物を飲み干して、モクバと取り留めのない話をして、やっぱり大きくなったよなと思う。較べていないが恐らく既に抜かされている。
あの兄なのだ、きっとモクバも高身長を期待出来るだろう。ちょっと悔しい。
「トイレ行ってくるぜ。」
「ああ、そこのバスルーム横だから。」
部屋の中にバスルームまであるのか。海馬邸は広いと思っていたが想像以上だった。
モクバの指さす方へ。目的のドアを開ける。
ハッと顔を上げた瀬人が叫ぶ。
「アテム!待て!一旦出てくるんだ。話がある!」
「うわぁぁー!」
トイレに向かったアテムを瀬人が止めたのと、アテムの悲鳴はほぼ同時だった。
バタバタと走り出てきたアテムは顔を真っ赤にして震えている。
遅かったか。と瀬人が少し不憫そうな顔をした。
「なっなっ、なんで。セトがこんな間違いを?」
「アレは女神と交渉はした、らしい。その結果だ。」
「海馬、俺、その。」
「ついてなかったんだな。」
そんな言い方はないじゃないか。と流石にアテムも涙目である。
広げられたパピルスには、交渉決裂、と書かれていた。
生き直しのアテムはホルアクティの意思により、女となった。
「アテム、16歳、女…ああ、アテム女になったのか。へぇ。」
パピルスを覗き込んだモクバが追い討ちをかける。
兄はどうだか分からないがモクバは勉強したのだろう。兄弟揃っていい頭脳をしているな、と現実逃避。
かくして、アテムは2度目の生を受けた。
海馬瀬人はよく働く男だった。
朝早くから出掛けて、帰りが遅いことはザラ。頻繁な出張に、家でも恐らく仕事をしている様子だ。
そしてアテムに対して何かを要求するわけでもなく面倒を見る(直接的には家の誰かが、だが)
2週間。早くもアテムはデジャヴに陥っていた。
こいつ、めっちゃ働くぜ。
世話を焼かれっぱなし、というのも性に合わない。どちらかというとアテムは誰かのために働く、または尽くす方が性に合っているのではないかと思い、仕事でも探そうと思う、と相談するも労働はダメだと止められた。
「俺だって世話になりっぱなしっていうのは。」
「気性からしてそうかもしれんが。」
「だったらどうして。」
スッと差し出された書類には古代神官文字。整った文字、セトの字だ。
勿論アテムは難なく読めるが、出だしから目を見開いた。
『ファラオアテムの休暇について』
ああこれ、休暇なのか。セト、意味分かんないぜ。
意味がわからないながらも目を通していけば、現世での人との関わりに関する条件がいくつか書かれていた。
前世について知らぬ人に口外しないだとか、精霊召喚を使わないだとか、その辺りについては安全機構として口外しようと思えば言葉が出ず精霊は召喚出来ないなどの力が働くようになっているだとか。
飛ばし読んで行くと、体は戦いに明け暮れないよう女の身にするだとか、休暇のため労働は禁止するだとか色々と詳細が続き、最後にホルアクティの名とセトの署名があった。
なるほど女神からの伝言をセトが書き起こしたものか。
「そういう訳だ。だがそろそろ暇になってきた頃合いだろう。」
「まあ、否定はしない。」
「労働や性別については俺もアレも抗議を入れたのだが。」
セトとはあの時渡していたタブレット端末でやり取りしていたようで、実際向こうでは何度か抗議はしてくれたらしい。
でも、聞き入れられなかったのだろう。神の悪戯心ってやつか。
アテムは遠い目をしてため息を吐くと、冷蔵庫からココナッツウォーターを取り出した。
「代わりにゲームに興じるのも良いだろうし、何かを学びたければ手配もする。つまり、デュエルがしたければ大会も開くし学校に行きたいのであればそれでも構わない。」
安全な普通のデュエルなら禁止事項にあった闘争には当たらないだろう。それもいい。
学校は相棒と一緒に聞いていたが、あれも中々良かった。そういえばセトも学校を作っていたなと思い出す。
「世界が見たいのならどこへでも連れて行く。」
「なんでそんなにしてくれるんだ?」
「現世に来たかったのだろう。存分に謳歌すれば良いではないか。」
面倒見が良すぎる所もセトと同じで、アテムは心の中で笑った。お互いにアレ呼ばわりのくせに同じなのだ。
だが、こんな夢のようなことをさも当然のように言うのはこの男くらいだろうと思う。瀬人の願いや夢を叶える能力は凄まじい。
どうしたものかと思っていたが、色々と出来ることは多そうだ、とアテムは今後が楽しみになった。
しかし、その前にすることを思いつく。デュエルを再開するならば、いや、しなくても、海馬瀬人と関わり、童実野町内にいれば必ず関わることになるだろうかつての仲間たちを思い出す。
「まず、相棒達に挨拶に行かなければならないと思うんだが。」
「ならばここへ呼べばいい。」
そして冒頭へ戻るのだ。
専門学校へ急に黒塗りの高級車が迎えに来ただとか。
工場で働く本田の元には代わりの人手が手配されたり。
城之内などこれから夜勤だと思っていた所へ急に今日は来なくていいなどと言われたものだからクビになるのかとビクビクしたのだった。
連れられて来た所にあったのは、褐色の肌、紅い目、そして馴染みのある独特のオーラだった。
再会に驚き、喜び、別れを思い出し、泣きながら怒るかつての宿主。そして友達。
杏子はアメリカに居るそうで、昨日電話をしたらとても驚き、そして喜んでくれた。帰国したらガールズトークしようね、と言っていたのは心強いような心許ないような。
泣きながらコーヒーに理由のわからない量の砂糖やミルクを投入する城之内に、モクバが若干顔を引きつらせた。
「ねえアテム。また一緒に暮らさないかい?」
「それは出来ぬ相談だ。」
「まだアテムの意思を確認してないじゃないか。」
「そうだぜ海馬。俺にだって選択権は…」
「家業を忘れたのか。そのようなことになれば確実に店を手伝うことになるだろう。」
「あ。それもそうか。悪い相棒、それは出来ない。」
そう言えば労働を禁止されていたのだった。確かに相棒と暮らすのは良いかもしれないが、すぐに打ち解けるあの家族だ。そのうちじーちゃんに頼まれて店番をしてしまうだろう。
ちょっとした手伝いで、ホルアクティから何か干渉があるとしたら海馬やセト。働き過ぎな彼らにこれ以上迷惑をかけるわけにもいかない。
「じゃあ俺の所へ来いよ。男同士気楽だぜ?」
「却下だ。男で単身。アテにならん。」
もう一人、城之内も誘ってくれたが彼には舞がいる。好いた男の家に他の女が居たら嫌だろう。
ここは海馬家に甘えておくのが正解なのだ。
しかし、彼らに、今は女になったことをどう伝えようか。
「それのどこがいけねぇんだよ。俺らは親友だが、海馬は友達ですらないだろ。」
「城之内、言い方。」
杏子が居ないので諌めるのは必然的に本田の役割だ。
しかしアテムもアテムである。
「最近は友達みたいなもんだぜ?」
「それはどうだろう。」
瀬人の友情アレルギーが発症する前にアテムへツッコミを入れるのはモクバ。
何度か冥界へ行き来するようになり、最近は確かに色々と落ち着いた兄ではあるがこのメンバーで友達だのなんだと言った時には口論は避けられないないだろう。それは今日の目的ではない。
友達ではない。異性。アテムはピンと来た。今が打ち明けるチャンスではないだろうか。
「じゃあ、彼氏だぜ。皆、聞いてくれ。俺は今度は、女になったんだ。だから彼氏の家に住んでる。」
今度は、瀬人の表情が消えた。
変わりに驚愕の表情を浮かべフリーズする3人。
いくら女になったからと言って、友達ではない親しい人イコール彼氏はおかしい。モクバはため息をついた。
「いや、ホームステイ先のホストファミリーでいいんだよ、アテム。」
「なんだそれ?」
別に彼氏彼女と言う間柄でもモクバからすると一向に構わないのだが、やはりこのメンバーで彼氏だなんて言った時にはそれはそれで文句が出るはずだ。
兄がもう少し、いやもっと丸くなってくれたならと思いながら、モクバはアテムの気を逸らすことにした。
恐る恐る、遊戯が問う。
「あの、アテム?女の子になったって、何、どういうことなの?」
「どうも女神からの気遣いらしくて。」
「気遣いって何。気遣いになってるのそれ?」
「あー、その。そうだ、海馬。あれを貸してくれ。読んでもらったら早い。」
「アレの文字を読めぬだろう。」
「それもそうか。翻訳はできないか?」
「いいだろう。ディスプレイ、スキャン。翻訳、日本語だ。」
宙にディスプレイを出現させ、休暇について書かれたものを広げれば、古代神官文字が日本語に置き換わったものが表示される。だが、そのままでは情報量が多い。
「抽出。アテムのプロフィールを簡単に表示しろ。」
残ったのは、アテムが現世で存在する形やその条件についての記載のみで、かなり分かりやすくなった。
「ありがとう。こんなことも出来るんだな。」
「出来ないと思って聞いたのか?とっくに対応済みだ。」
仲間たちが、ショックで回らない頭を無理やり通常運転に戻しつつ眺める。
『アテム。16歳。女。禁止事項、労働、闘争、精霊召喚、前世の口外。』
遊戯は目を擦ってみたが、女という記載が男に変わることはなかった。
「でも、なんでそんなことに。」
「プロフィール理由表示。」
瀬人が指示を出すと記載内容が書き換わる。
『年齢、生き直すため没年より。性別、闘争に身を置かぬため女とする。労働、休暇のため不可。安全機構により精霊召喚、前世口外は不可。』
「こういうことだ。」
アテムが親指で指し示すが遊戯はパニックのままであった。
「いや、いやいや待って、こういうことって、理解できないよ。」
「俺にも女神の考えることは分からない。内容については結構交渉してもらったらしいんだ。だが、却下されたらしい。」
未だパニックな遊戯だが、当のアテムが落ち着いた様子で、それも真面目な顔でそう言うものだから涙をのんで受け入れるしかないのだと諦めた。
当の本人が受け入れているのならもう仕方がない。
「ディスプレイ、オフだ。相棒、城之内くん、本田くん。女にはなったけど俺は俺だ。何も変わりはしない。俺はここに居るから、いつでも遊びに来てくれ。」
勝手にそんな事を言って兄が怒らないかと冷や冷やしたモクバだったが、予想に反して瀬人は何も言わなかった。あくまでもアテムの好きにさせるようだ。
「ま、もてなしぐらいはするぜぃ。ね、兄様。」
「好きにしろ。」
歓迎しているわけでもなさそうだが、断固拒否といった様子でない瀬人の様子にアテムはホッとした。
このまま皆仲良くなればいいのに、とも思った。
こうして、アテムの現世での人生は再開された。
まだ少し肌寒い、春の初めの頃だった。
