「僕が見た限り、貴方は最も効率的で安全な行動をとる人だと思う。だから、そんな賭けのような行動は似合わないと思う。」
キリコがパーフェクトな効果を持たない薬、いや、いっそ毒になるようなものを使用するだなんて恵には到底思えなかった。嘘を言っているのではないか。相当追い込まれでもしない限り、キリコが視力を失うような犠牲を払うとは考えられない。それを、試してみた、だなんて信じられなかった。
「それも、そうだな。言わばこれは約束の証だ。」
「ドクター。そんなロマンチックな台詞は似合わないからやめたほうがいいよ。」
のらりくらりと似合わない理由ばかり口にするキリコに対し、はぐらかすな、と恵がにじり寄る。嘘のような理由は、もちろんそれが嘘だからに決まっている。
それに降参したように、両腕を広げて肩を竦める仕草を見て、恵は、そういえば国籍すら知らないな、ということを思い出した。
キリコが視力を犠牲にした、それは何かの代償である筈だ。例えキリコの言う事が真実であったとして、約束だったから、という理由1つではなく、何か他の理由があるに違いないと恵は確信していた。
出会ってから日は浅く、キリコの事をそこまで深く理解しているなどとは思っていなかったが、恵の勘は昔からよく当たるのだ。
キリコはそこで昔、目の色を変えたいのだと依頼を受けたことがあった。
安楽死医をしていることはそこまで隠している訳ではない。知る人ぞ知っていればそれでいい。その程度の需要で調度良かったからだ。毒物を扱い如何に楽に逝けるかということをポリシーにした安楽死医は、毒物や兵器の研究に携わる者として絶好の隠れ蓑だった。
キリコの使用する毒も安楽死装置も、苦痛はなく検出もされない。
ただの興味本位や自殺志願以外、苦しむ患者の依頼はそこそこに受けていた。生かす事はBJのような腕が必要なこともあるだろうが、殺す事ならばキリコを呼ばずとも一発の銃弾で事足りるのだし、極論、応じずに放っておいたとしても結果は同じ。健康な人間であろうといずれは老い、死に至る。
強い意思を持った患者や興味をひかれた患者、または気が向いた時。キリコが依頼を受けるか否かは半ば気まぐれと言っても過言ではない。
そんな折に、裏のルートから来た依頼は何とも奇妙なものだった。
「目の色を変えたいんだ。」
ドクター・キリコを、と呼ばれて出向いたのに、依頼されたのは目の色を変えること。
「目の色を、綺麗なブラウンなのにかい。」
依頼主は暗黒街の皇太子、と呼ばれるまだ若い男だった。
「ああ。追われているんだ。目の色でも変えないと困るんでね。貴方はあらゆる薬物のスペシャリストだと聞いた。それに1から研究してくれとは言わない。」
訊けばその男、間久部緑郎。組織のチームでも試作のものなら出来ているので仕上げてくれないか。という依頼だった。
その薬についてならキリコもいつだったかどこだったか忘れたが噂程度に聴いた事があった。
「断る。色素が埋まってしまって本来の目の働きが出来なくなり、失明するらしいじゃないか。別の色の変化の方法を1から探すのと一緒だ。」
暗黒街の皇太子、に興味がないということはなかった。寧ろ、どのような人物なのかキリコにとっては気になっていた相手ではあった。だが、依頼内容には魅かれなかった。それだけだ。
去ろうとするキリコを、間久部は引き止めた。ただし、穏やかな方法ではない。いつも通りの脅しだ。
「ならその、実物を見て駄目出しくらいはしてくれるかな。」
真っ直ぐ向いた銃口。躊躇いのない視線に、降参した訳ではない。面白そうに笑みを浮かべ、身を返して間久部に近付いた。
腹部に銃口が接触する寸での距離まで詰めて、綺麗なブラウンの瞳を覗きこむと口許に歪んだ笑みを浮かべる。
「で、どこにあるんだ。」
間久部の研究室にはあらゆる薬品が揃っていた。生かす為の薬から、毒薬から爆薬、それらの材料となる物まで何でもあった。
「試作品は?」
「直ぐに持って来させよう、見てくれ。」
指示をすると、部下が点眼薬を持って来た。薬を受け取った間久部は、部下に足払いをかけて押さえつけると片目を強制的に開かせて点眼した。
1、2滴ずつ、何度か滴下すると、ブラウンだった光彩には徐々に青い斑が入り、青く埋まっていった。
「何か見えるかい?」
「い、痛い。何も、眩しい、焼けそうだっ!!」
聴いたものその通りの効果に、キリコは特に驚くようなこともなかった。目の前で苦しむ男の目を覗きこみながら観察を続けた間、顔色も眉1ミリすら動かすことのないキリコに周囲には称賛と畏怖がないまぜになった異様な空気を湛えていた。
「そうか。協力に感謝する。連れて行け。ドクター、効果はこんなもんです。何、命に別状はない。」
「なるほどな。」
「流石は死神だ。今まで連れて来た連中は大抵ここで大人しくなるもんだ。」
「俺は元から大人しいぜ。ムッシュ・マクベ。」
「ははっ、なるほどそれもそうだな。」
この程度で動くお人よしで血の通った温い感情など持ち合わせていない。だが、同じく間久部も全く動揺していない。僅かではあるが、キリコは間久部に興味を持った。この若い異端者はどのような成長をするのか、似たような道を選んで来るのか、気になった。
それに、間久部もキリコに対して興味を抱いたことも理由の一つだ。お互いに、似たような空気を感じているのは確かだった。
腹を割って話せる友人と言うものを持った事はないし、いくら親しくなろうと、例えこの似たような性質を持つ間久部だろうとそんな親しい仲になるとは思えなかった。或いは、お互いに腹の底が見えているが実際に腹を割って話す事のない関係はある種親しいのかもしれない。
だが、全てを話せなくとも、話さなくとも、理解し合わずとも友人にはなれるし、友人にならずとも楽しい時間を持つ事は出来る。
「資料を見せてもらおう。何しろ忙しいんでね、長く留まる訳にはいかないんだ。」
「急いで作ってもらいたいんだがね。」
「それなら逐一進捗を送ってもらえれば捗りそうだ。仕事柄フライトが多くてね、考える時間だけは沢山ある。それから、使用するのはムッシュ・マクベでいいんだな?」
「緑郎と呼んでくれていい。別段嫌いな名前じゃないんだ。」
片方の口角だけを上げて笑う
緑郎。嫌いでもない、好きでもない、だが意味のある名前なのだろう。この性質は先天性か後天性か、後天性の理由ならばありそうだ。前者ならば輪をかけたというところか。
間久部のアイロニー。それはそれでしかと受け止め、キリコの表情も若干ではあるが穏やかなものになった。
「ならロクロウ。体質のデータが欲しい。どこか検査の出来る場所はあるか?出来るだけ精密に、特に薬の耐性はしっかり調べておきたい。」
「薬はあまりやらない。」
「そうか。そうだろうと思ったよ。」
間久部に近い部下達の中には薬の常習者は居なかった。検査もせず、ざっと見ただけだが1人も居ない。厳しく管理されているのと、使用した事が発覚した時点で消されているのかも知れない。あの点眼薬の被験者のように。
「目の色もそうだが、先に整形したらいいんじゃないか?鼻でも高くするか?」
「ふふ、それより先にすることがあるんだ。」
それから暫く、暇を見つけては間久部の研究室へ赴き、キリコは必要なデータを集めた。昼間は専ら実験と研究だ。従来の薬品で眼球への損傷をどこまで軽減できるのかを探る一方で、新しいアプローチを1から組み立てる。
夜になれば間久部と連れだって夜の街へ遊びに出掛ける。たまに間久部の仕事に巻き込まれる事もあったが、キリコにとっては大したことではなかった。
「今になってまた親友が出来るとは思ってもみなかった。貴方と居るのは肩が凝らない。それに信用出来る。」
「熱烈な告白だな。嬉しいぜ。俺も似たような事を思っていた所だ。」
依頼云々というより、本当に仲の良い友人のようだと感じていたのはお互いに事実だった。似たものを感じさせる同士、上辺だけでつるむ事になるかとも思ったがそんなものは消え去った。
それに、仕事上のパートナーシップは他の誰と組むよりも息があった。
勿論好き好んでキリコが仕事について行った訳ではない。間久部も連れて行けば楽だろう、程度の思惑もちらつきはしつつ、純粋に連れて行ったことはない。
着いて行った先に抗争だの罠だの何だかんだと物騒な現場が出来あがってしまっていただけだ。その度に、危ない目に遭いつつもキリコも間久部もそれらを躱し、乗り越え、平穏ではないが無事に生活出来ていた。
今も、その内の1つだった。
周りが敵だらけなのはいつものことで、今現在巻き込まれた現場では4つの組が間久部を狙って来ていた。初めは純粋に酒を飲みに出ただけだった所を襲撃された。
間久部が左足を押さえる。隣に立ったキリコに、悪い、と笑いかけるも痛みが走り、しゃがみ込む。間久部は、脚の痛みよりも、立ち回るのに必要な力が抜けてしまうことに眉を顰めた。
キリコは素早く思考を巡らせた。間久部の傷を確認しなければならない。そして無事に脱出してケアしなければならない。すべきことはこの2つ。キリコは鞄から裁ち鋏を取り出して間久部に渡した。
伝って歩く事は出来そうだし、間久部の精神力ならばもし何も摑まる物がなくとも自力で歩くことも可能だろう。だが走る事は無理だ。狙っている人数は室内に6人。建物の中にも、外にも人数だけはいるだろう。
間久部は危機が迫る程燃える危ないタイプの男だ。それならば急いで逃げずとも出来る処置をここでしてから出ることにしても大丈夫だろう。多少手負いの方が必死で逃げる、いや、間久部の場合は闘う。そう決めたキリコが間久部のジャケットの内ポケットを探り、銃を手に取った。
「服が邪魔だ。傷口の周りを切って、出血が止められそうなら軽く止血していてくれ。すぐに済ませる。」
こういう場では出来れば明かりを落とし、敵の視界がなくなった所を確実に潰すのがスマート且つ安全で良い。だが、今回は明かりを落とせない。派手な抗争はキリコの好みではないので気に入らなかったのだが、ここは迅速かつ確実に仕留めることが必要なのであり、好みとは別の話。何ら問題はない。
間久部が服を切り開いている内に片付けて、さっさと手当をしてしまうべきだ。結論さえ決まればキリコの行動は早い。すぐさま物陰から覗き、1人目、そして2人目を撃ち抜いた。脳天に一発ずつ、即死だろう。すぐに反撃の弾が撃ち込まれたが、4発聞こえた瞬間に乗り出し、更に2人を片付ける。その間、流石に1発肩を掠められたが、この程度は想定内だった。物音を立てずに移動し、後の2人には別の場所から弾を撃ち込み、装填された6発での手際の良さには間久部も賛辞を送った。
「貴方は本当に軍医だったのかい?どちらかというと、秘密機関の教官でもしていた方が似合っている。」
「ははっ、確かに俺は軍医だったよ。全く向いてなかったがな。傷を見せてくれ。ああ、弾が残ってるな。ここで摘出しよう。無麻酔だから絶対に痛いがハチの巣にされるよりは痛くない筈だ。」
「向いてないってこともないと思うけど。いや、でもその励ましのクオリティならそもそも医者に向いてないかもしれないな。」
「そうだろう。これでも結構色々やって軍医向きになったんだ。ま、その軍医も辞めたけどな。ほら、舌噛むといけない、これでも噛んでな。」
丸めた布切れを口に突っ込み、炙ったメスで切開する。どうしても暴れそうになる脚は押さえてある。キリコは弾だけ摘出すると縫い合わせて包帯を巻き、間久部から返された裁ち鋏で長かった自分の髪を切り落とした。それから、コートを脱ぎ、適当に裁断した。
「キリコ?」
「血も、乾くまでなら赤いから。舐めるなよ。」
流れた血を指で掬って間久部の唇に塗り、ズボンを脱がせ、コートの残骸をぱっと見にはスカートのように巻き付けた。
弾を装填し直し、キリコと間久部は軽く打ち合わせた。建物から出てしまえばただでさえ人の多い場所に、更に4組もの組織が人を送っている。人波に紛れてそっと離れてしまうのが賢明だろう。
「さて、行こうか。」
「ああ。」
大きな爆音があり、建物が震えた。他の階にいる他の客の騒ぎ声や走り回る音が聞こえてきた。それが大きくなってきた頃合いを見計らい、キリコは間久部を連れて外へ飛び出した。
「助かった。」
「お前さんも、よくもまあそれで歩いたもんだ。大した根性だよ。」
逃走用の車は全て制圧されていた為、道に置いてあった車を拝借し、キリコは一先ず研究室へ向かっていた。薬の量もさることながら、大きな病院にしかないような医療器具もある。
「女装させるのなら、僕を抱えて逃げてくれてもよかったんだよ。」
「そこまで甘えるようなタマじゃねえだろ。酔っ払った女はしなだれかかってる程度で調度良いんだ。」
「でも僕の為に髪まで切って。甘えたくもなるな。」
「褒めても何も出ねえぞ。それにこれはカツラだ。胡散臭い所に行く時はカツラの裏に色々仕込めって知り合いがアドバイスしてくれたんだ。ほら、とにかく傷口診るぞ。」
「くっ、ははは、負けたよキリコ。最高にぶっ飛んでる。」
「そりゃどうも。」
「僕と、裏の世界を支配しないかい?」
ブラウンの瞳が、じっとキリコを見詰める。愉しげで、魅惑的な視線はもちろん間久部の武器の1つだ。
あの状況での冷静な判断、的確で効率的で、しかも手慣れた行動。間久部ももちろんこれまで幾らも修羅場は潜って来た。非常時の判断力もそれなりに培われている。その間久部から見て、キリコはパーフェクトだった。引き入れたくなるのも無理はない。
暫し無言で見つめ合い、キリコが小さく息を吐いた。
「ラブコールは嬉しいが、生憎俺は誰とも組まない。」
しかし言葉とは裏腹に、キリコはそっと間久部に口付けた。何度か角度を変えて、軽く、そして深く、欲も色気もない、触れるだけのそれは黒いこの世界に反してどこまでも透明であり、美しいかのように錯覚させた。
美しさと、溶けて咥内に広がる血の味と臭いに陶酔したように、暫しキリコと間久部は意味のないキスを続けた。
歩いた事により開いた傷口を、今度は丁寧に処置していく。その表情にはやはり、労わりや医者の優しさはない。冷酷な指揮官が、この患者は治す方が後に都合がいいと判断したから殺さず治療しているのだ、と連想せざるを得なかった。
「安楽死の時もそんなおっかない顔を?」
「いや。アンタの周りが居心地良すぎて、素が出ているだけさ。」
そんな日々も、キリコに仕事の依頼が入ってまたも一時の終わりを告げた。勿論受けた依頼は続行で、帰って来ることにもなっていた。
間久部の組織から離れて、そのたった数ヵ月後だ。
「勿体ない事をしたな。」
間久部のデータを見ながら、キリコが呟く。
「追われていたからね。これでは僕はロクロウじゃなくてゴロウさ。」
「ああ、なるほどそういうことか。日本語ってのは難しいが、勉強になった。」
間久部の指は6本だった。今は5本。
レントゲン写真を置き、血液や組織のデータへ移る。薬物の常習などはまずないのだろうが、好奇心には負けたというところか微量ではあるが反応があった。
「サンプルとして組織をいくらか貰って行く。分析がしたいんでな。」
「随分乗り気になってくれて嬉しいよ。」
「は、お前さんが面白いからな。やるだけやってみるさ。暫くはそこまでヤバいのに追われることもないんだろう?」
「ああ。」
指の数が変わった。そして、目の色も変わっていた。
やむを得ず、だったのだろう。願った訳ではないだろうし、相当追い込まれていたに違いない。間久部ならば、自らの身を犠牲にするというハイリスクだってそれがキーなら躊躇なくそれを冒す。大きな勝負に出て、今ここに生きていると言う事は勝ったのだろう。
ここまでするのなら、キリコに連絡の1つも入りそうなところ、全く音沙汰なく、久々に会ったら指と視力を失くしていたのだ。体の、色んな部分の喪失はキリコにとっては慣れたものだったが、これだけの人物が、と思うと惜しい思いもあった。
「解毒については考える。だから死ぬなよ。殺されても死ぬな。」
「安楽死医がそんな事を言っていいのかい?」
「治るに越したことはねえし、お前はそんな女々しい奴じゃない。それじゃあ。」
真昼のカフェテラス。金髪碧眼の美女に扮した間久部と、綺麗に微笑むキリコ。やはり透明で美しく別れの挨拶をし、キリコは立ち去った。それが、約束の相手との別れだった。
実際には随分と端折られたキリコの話を聴いた恵は、暫し思案した。確かにこれは約束でもあるだろう。だが、初めの薬よりは副作用がマシになったとはいえ、キリコが犠牲を払う理由にはならない。
つまり、依頼人の為ではないということだ。依頼人と関わろうが関わるまいが、キリコは同じ選択をしたに違いない。
何かの犠牲として隻眼となった訳ではない。それを、キリコは選択したのだ。
「に、しても。」
「何?」
「やっぱりドクターってキス魔なんだ。」
「さあ、どうかな。」
そこまで話しただろうか、等とふざけた事を言うキリコを軽く小突きながら、出発の為の支度を開始した。
