06 交際王


海馬コーポレーションの役員フロアでは、連日のように社員たちの肝を冷やす光景が目撃されていた。
「おい、見たか……?さっき阿天 アテム顧問、社長に向かって『フッ、相変わらずせっかちな男だな、海馬』って笑いながら言ってたぞ……」
「ヒエッ……!社長、なんて返したんだ!?」
「『貴様の一手など織り込み済みだ!』って怒鳴ってたけど、なぜかそのまま二人で開発中のVR空間の仕様書チェックに入った……」
「よく普通に会話できるよな……。俺なら直視されただけで胃に孔が空くわ」
社員たちが遠巻きに戦々恐々と見守る中、当のアテム本人はどこ吹く風である。
彼にとって海馬瀬人は、魂を削り合って戦った最高の宿敵であり、同時に自身の現世における社会的信用を爆上げしてくれた頼もしい「社長(城主)」なのだ。恐怖など一ミリも抱くはずがなかった。
アテムの「定時退社」の徹底ぶりは社内でも有名だったが、時折、定刻を過ぎても彼が役員フロアのソファに優雅に腰掛けている日があった。
阿天 アテム顧問、まだ残られていたのですか?」
「ああ。今日は海馬とモクバの仕事が終わるのを待っているところだ」
アテムは高級ウォーターサーバーで汲んだ冷水で出した麦茶(マイボトル持参)を傾けながら、爽やかに答える。
社長室から怒号のようなキーボードの打鍵音が消え、瀬人とモクバが出てくると、アテムはスマートに立ち上がった。
「遅かったな、海馬。お前の城のシステム構築は一朝一夕では終わらんということか」
「フン、貴様のように定時で脳を休ませている奴と一緒にするな!……行くぞ!」
会社から直行でそのまま遊びに行ったり、瀬人が手配した超一流の店で食事を共にしたりするのが、彼らの密かな日課となっていた。
もちろん、会社から直行のため、アテムは相変わらず「デッキ不携帯」である。
「アテム!貴様、今日も丸腰でこの俺の車に乗るつもりか!」
「仕方がないだろう、海馬。俺は業務時間中にデッキを持ち込むような公私混同はしない。……それに、今日はモクバと新作のカードゲームの開封結果で勝負をする約束だからな」
「くっ……!屁理屈ばかりが上手くなりおって……!」
車内で不機嫌そうに腕を組む瀬人に、アテムは「フッ、おもてなしの礼だ」とポケットから何かを取り出した。
「受け取れ、海馬。俺が厳選した、現在もっとも抽出の早い最高級の『水出し麦茶パック』だ。自室のミネラルウォーターに一晩沈めておくだけで、神の加護を受けたかのような芳醇な香りが広がるぜ」
「……いらん!!」
瀬人は一蹴した。
「誰が貴様の怪しげな草の袋など受け取るか!磯野、今すぐ車内の空調を強めろ!」
「えー、兄様貰っておけばいいのに!アテム、後で俺にくれる?」
「ああ、モクバには特別に2パックやる」
毎回のようにあっさりと断られる麦茶パックの進呈儀式だったが、アテムとしては至って真面目な感謝の意の表現(ファラオの礼節)なのだった。
かつて、1ギガの通信制限に怯え、違法建築アパートの床で絶望していた男の姿は、もうどこにもない。

アフターファイブは最高のライバル&副社長と共に有意義な時間を過ごし、週末になれば遊戯たちとカードショップを巡ったり、時には少し足を伸ばして温泉街へ旅行に出かけたりする。
かつて磨り減っていた気力とスタミナは完全に充填され、彼の瞳はいつだって眩しいほどの輝きを放っていた。
「フッ、現世のロードも捨てたものではないな」
日曜の夕暮れ。ベランダで風を浴びながら、ハンガーから直接引き抜いた完璧にシワのないTシャツを纏い、最高品質の水出し麦茶を一口。
社内での確固たる地位、潤沢な手取り、呆れつつも付き合ってくれる友人たち、そして相変わらずブチギレながらも最高の相手になってくれる海馬瀬人。
現世のシステムを完全に攻略した元ファラオの、華麗で、少しズボラで、けれど最高に「丁寧な暮らし(もどき)」は、これからもどこまでも順風満帆に続いていくのだった。



雲ひとつない晴れやかな休日。
アテムの格安スマホ(容量無制限)に、朝一番から地響きのような着信音が響き渡った。画面には【海馬瀬人】の四文字。
『アテム!今すぐ我が家のドーム型デュエルフィールドへ来い!海外から取り寄せた最新のホログラム照射装置のテストプレイだ!』
受話器越しでも伝わってくる相変わらずの全開テンション。だが、ベッドから優雅に起き上がったアテムは、自慢の高級ウォーターサーバーで汲んだ冷水に麦茶パックを沈めながら、フッ……と静かに息を吐いた。
「すまないが、海馬。今日のところは先約がある。デュエルはまたの機会にしてくれ」
『何だと!?貴様、我が社の特別顧問でありながら、この海馬瀬人の聖戦の呼び出しを拒むというのか!一体何の用だ!』
「服を買いに行くのだ」
『……服?』
電話の向こうで、瀬人の思考がピタリと停止したのが分かった。
「先日の給料でまとまった手取りが入った。いつまでも何年も着古したような服ばかり着ているわけにもいかないからな。現世の身嗜みを整えるのも、社会的信用を得た者の務めだ」
『……貴様という奴は……!』
瀬人は受話器を握り締め、こめかみに青筋を浮かべた。
ーーフン、服を買った後で我が家に来させれば済む話だ。……いや、待て。
瀬人のハイスペックな脳内で、即座に恐ろしいシミュレーションが展開された。
買い物で満足をしたとする「ふぅ、良い買い物ができたな」
マンションへ帰宅すると、水出し麦茶を召喚して一息つく「よし、ふかふかのベッドで寝るか」
待っているのはデュエルの約束を完全に失念した爆睡である。
ーー……間違いなく、うっかり忘れてそのまま自室へ帰り、あの麦茶とやらを飲んで寝るパターンではないか。
さらに瀬人の脳裏に、もう一つの致命的なリスクが閃いた。
ーーそれに……野放しで一人で買いに行かせたらどうなる?アテムのあの独特すぎるセンスだ。トゲのついたレザーベルトや、金属の鎖のジャラついたパンクファッションを『現世のファラオの正装』などと言って買い揃えかねん!我が海馬コーポレーションの特別戦略顧問が、そんな不審者のような格好で街を歩かれては、我が社の株価に関わる!
一瞬の判断だった。
『……アテム。動くな』
「む?」
『今すぐ車を回す。買い物に付き合ってやる!』
「へえ?お前が付き合ってくれるのか、海馬。それは心強いな」
数十分後。アテムのタワマンの前に、漆黒の巨大なリムジンが横付けされた。
乗り込んできたアテムを見て、瀬人は「フン」と鼻で笑った。相変わらず、よれよれではないもののシンプルなTシャツ姿である。
「海馬、お前にしては珍しいな。買い物の付き添いとは」
「勘違いするな!貴様が怪しげなトゲつきの服を買って我が社の品位を落とすのを防ぐためだ。そして、買い物が終わり次第、そのまま我が家のフィールドへ連行するためにな!」
「フッ、お前らしいな。なら頼むぞ、現世のファッションリーダー」
到着したのは、童実野町でもトップクラスの超高級ハイブランドが集まるセレクトショップ。
店内に一歩足を踏み入れるなり、店員たちが海馬瀬人の姿を見て直立不動になった。
瀬人はアテムの肩を掴むと、店内を鋭い眼光で見回した。
「アテム。貴様は余計な口を挟むな。この俺が直々に選んでやる」
「いいぜ、お前のセンスに任せる。ただし、あまり動きにくい服は困る。定時退社の際に支障が出るからな」
「定時退社の心配などしている暇があったら、目の前の服を見ろ!」
瀬人は次々とラックから洗練された上質なシャツや、シルエットの綺麗なジャケットを引っ張り出し、アテムの身体に押し当てていく。
「これはどうだ。……フン、丈が少し長いか。これのSサイズを出せ」
「ほう……この生地の質感、なかなか肌触りが良い」
「当たり前だ、イタリアの老舗ブランドのシルク混紡だ。……それと、このシンプルなスラックスを合わせろ。トゲや鎖のついたベルトなど一切許可せん!」
「別にそんなものは買わないつもりだったがな……」
アテムが試着室から出てくるたびに、店員たちが「お、お似合いです……!」と息を呑んだ。
もともと顔立ちがズバ抜けて整っている元ファラオである。瀬人が厳選したシックで洗練された高級服を纏うと、まさに「謎めいた若き天才エグゼクティブ」のオーラが完璧に完成した。
「よし、これで文句はあるまい。我が社の役員として申し分ない装いだ」
「感謝するぜ、海馬。さすがにお前の選んだものはどれも素晴らしいな」
会計の段になり、アテムは先日届いたばかりの【海馬コーポレーション特別顧問】の肩書きで手に入れたプラチナカードをスマートに提示した。
「支払いはこれで頼む」
「フッ……少しは社会的信用というものを使いこなせるようになったようだな」
買い物を終え、両手に高級ブランドの紙袋を持った二人は、再びリムジンへと乗り込んだ。
「さて、海馬。最高の服も手に入った。約束通り、お前の城へ向かうとしよう」
「フン、逃がすと思ったか!今日の我が家のホログラムシステムは一味違うぞ、覚悟しろアテム!」
車内には、全盛期の熱量を取り戻した瀬人の高笑いと、仕立ての良い新品の服の紙袋を愛おしそうに撫でるアテムの不敵な笑みが満ちていた。

買い物を終え、両手にずっしりと紙袋を抱えたままリムジンの後部座席に揺られていたアテムが、ふと窓の外の街並みを眺めながらポンと手を打った。
「そうだ、海馬。お前の城へ行く前にもう一箇所、寄り道したい場所があったのを思い出した」
「何……?貴様、この期に及んでまだ俺との聖戦を先延ばしにするつもりか!」
即座に眉間へシワを寄せる瀬人に、アテムは全く動じることなく、格安スマホ(容量無制限)の画面をスッと差し向けた。
「これだ。先日テレビの現世トレンド特集で見かけてな。童実野町で今最も人気のある、特製パフェと季節のスイーツの店だ。毎日長蛇の列ができるらしい」
「……スイーツだと?」
画面に映し出されているのは、宝石のように華やかに盛り付けられた限定パフェの写真だった。
「自慢の水出し麦茶に合う極上の甘味を捜索するのも、現代の『丁寧な暮らし』の重要なフェイズでな。ぜひ一度味わってみたかったんだ」
「くだらん!誰がそんな有象無象の女子中高生が群がるような場所に――」
文句を言いかけた瀬人だったが、車窓から見えるルートを確認し、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……フン、ちょうど海馬邸へ向かう通り道か。磯野!」
「ハッ!ハィィィ!」
「今すぐその店に連絡を入れろ。本日午後の営業は終了、急遽『特別店休日』とさせろ。補償金は我が社が提示する満額を支払うとな」
「承知いたしました!」
「……ん?店休日?」
アテムが首を傾げている間に、磯野の手腕によって店舗の全予約はキャンセルされ、店頭には「本日都合により臨時休業」の看板が立てられた。
車が店舗前に滑り込むと、本来なら数時間待ちの行列ができているはずの人気店は、完璧に静まり返っていた。貸切となった店内へ堂々と足を踏み入れながら、アテムは店の前でぽつりと呟いた。
「……海馬。非常にありがたいが、俺はあの『行列に並んで順番を待つ』というプロセスも含めて楽しんでみたかったのだがな」
「……行列だと?」
瀬人は信じられないものを見る目でアテムを睨みつけた。
「貴様、正気か?なぜわざわざ炎天下で数時間も無駄に立ち尽くす必要がある!効率の欠片もない無駄な時間だろう!」
「いや、現世の娯楽とはそういうものではないのか?苦難の末に手に入れるからこそ、その甘みが至高の領域へと昇華する……いわゆる『ドローの期待感』のようなものだ」
「知ったことか!くだらん妄言を吐いてないでさっさと選べ!」
瀬人は一蹴すると、腕を組んで奥のVIP席へとどっかり腰掛けた。
やがて、アテムの前に運ばれてきたのは、店のシェフが海馬コーポレーションの圧(と破格の補償金)に応えて全力を注ぎ込んだ、限定の特撰季節パフェ。
「ほう……!これは見事な構造 構築だな」
アテムの目が瞬時に輝いた。
一口すくって口に運ぶと、元ファラオの端正な顔が、ふわりと至福の笑みに解けていく。
「美味い……!フルーツの酸味と生クリームの甘みが、まるで完璧に計算されたコンボのように口内で弾けるぞ、海馬!」
「フン、たかが砂糖と果物の塊に大袈裟な……」
瀬人はそっぽを向いて冷たく言い放ったが、脚を組み、優雅にグラスのミネラルウォーターを傾けながら、その視線はチラリとアテムへと向けられていた。
先ほどまでの「行列に並びたかった」などという訳のわからないこだわりはどこへやら、目をキラキラと輝かせながら無我夢中でパフェを堪能しているライバルの姿。
数ヶ月前、よれよれのTシャツを着て死んだ魚のような目をしながら、明日の食費を気にして小さくなっていたあの男が、今や自分の用意したフィールドを制し、圧倒的な資本力の果実を、何の憂いもなく全身で味わっている。
ーーフン、くだらん。だが……まあいい。
瀬人の口元に、ほんのわずかだけ、誰にも気づかれないような不敵で満足げな笑みが浮かんだ。
「海馬!お前も一口どうだ?このグラスの底のソースの味わい、お前のところのウォーターサーバーで淹れた水出し麦茶にも合いそうだ!」
「断る!貴様の麦茶への執着は異常だ!さっさと食べ終われ、次のフィールドがお前を待っているぞ、アテム!」
「フッ、分かっているさ」
甘い至福を完璧に満喫したアテムは、ナプキンで口元をスマートに拭うと、瀬人が選んでくれた極上のジャケットの袖を正した。
手には高級ブランドの服、お腹には最高のスイーツ、そしてポケットには愛着のあるデッキ。
社会的信用と手取り、そして最高のライバルを手に入れたファラオの現代サバイバルは、今日もこれ以上ない「完全勝利 勝ち確」の気分のまま、海馬邸のデュエルフィールドへと続いていくのだった。

店を出て、意気揚々とリムジンに乗り込んだ二人。
「よし海馬、約束のテストプレイだ!新型のホログラムシステムとやらを見せてもらおうか!」
「フン、言われずとも叩き潰してやる!覚悟しろ、アテム!」
決闘王と天才社長のボルテージが最高潮に達した……まさにその瞬間だった。
ピピピッ、ピピピッ。
瀬人の胸ポケットで、重厚な電子音が鳴り響いた。海馬コーポレーションの緊急専用回線だ。
瀬人がディスプレイに表示された発信元を見た瞬間、その場の空気が一変した。先ほどまでのデュエリストの顔から、一瞬で「巨大企業の冷徹なトップ」の顔へと切り替わる。
「……俺だ」
瀬人が通話ボタンを押すと同時に、車内に低く流暢な言語が響き渡った。
日本語でも英語でもない、欧州のどこかの言語だ。語気の強さと、目にも留まらぬスピードで交わされる単語の応酬。相手は海外拠点の重要役員か、あるいは国家レベルの交渉相手か。瀬人はアテムの存在すら意識から外したかのように、鋭い眼光で車窓の外を見つめながら、的確かつ苛烈に指示を叩き込んでいく。
「……」
隣に座るアテムは、その完璧な「仕事モード」の瀬人を静かに見守っていた。
古代エジプトの王として、国家の緊急事態に即座に決断を下していたかつての自分と、現代の城主として世界を相手に指示を出す瀬人の姿が重なる。デュエルがおあずけになった失望よりも、ライバルの誇り高い仕事ぶりに深く頷くアテムだった。
数分後、瀬人が短く通話を切ると、深く息を吐きながらシートに背を預けた。
「……アテム。今日のデュエルは延期だ」
「ああ、構わない。緊急事態のようだな」
「フン、欧州のサーバー拠点で予期せぬトラブルだ。俺が直接現地と通信を繋ぎ、司令を出さねばならん。……磯野!ルートを変更しろ。まずはアテムをマンションへ送り、そのまま本社へ向かう!」
「ハッ!了解いたしました!」
車が滑らかに向きを変える。
アテムはポケットから、今日のために忍ばせていた「最高級水出し麦茶パック(特選)」をそっと取り出し、瀬人の手のひらに押し付けようとした。
「海馬。急な仕事で大変だろうが、これを持っていけ。今日の服選びとパフェの礼だ。自社ビルに着いたら、ミネラルウォーターに沈めて――」
「いらん!!」
瀬人は即座にアテムの手を押し返した。全く迷いのない、完璧な拒絶である。
「誰がそんな怪しげな草の袋を持って緊急会議に臨むか!貴様は大人しく自室でそれをすすっていろ!」
「フッ……相変わらず頑固な男だな、お前は」
アテムが苦笑しながら麦茶パックをポケットに戻すと、瀬人はすでに端末を操作し、次なる指示の打刻を始めていた。車がアテムのタワマン前に停車すると、瀬人は一度だけアテムを一瞥した。
「……アテム。次は逃がさんぞ」
「ああ、いつでも待っている」
一瞬だけ交わされた視線。それだけで十分だった。
瀬人を乗せたリムジンは、夕闇の迫る童実野町のビル群の中へと、風のように走り去っていった。

静かな自室へと戻ってきたアテムは、ドサリと両手の紙袋をリビングのソファに置いた。
「ふぅ……今日も充実した一日だったな」
アテムは高級ウォーターサーバーで汲んだ冷水を一口飲むと、さっそく今日瀬人に選んでもらった高級ブランドの服を取り出した。
洗練されたシルエットのジャケット、肌触りの良いシャツ、上質なスラックス。
どれも一目で「本物」と分かる素晴らしい品々だ。
「よし、これを保管するとしよう」
普通であれば、高級服は丁寧に畳んでクローゼットの引き出しに仕舞うか、専用のガーメントバッグに入れるのが筋というものだ。
しかし、現世のシステムを独自に攻略し続ける元ファラオに、そのような無駄なフェーズは存在しなかった。
カチャ、カチャ。
アテムは新品の服を一枚ずつ、迷いなくハンガーへと掛け直していった。
そして、クローゼットにしまうこともなく、ベランダからの風が通るハンガーラックへと、そのまま堂々と吊るしたのである。
「フッ……完璧な配置 構築だ」
畳まない。しまわない。乾いたら、あるいは吊るした状態から直接引き抜いて身に纏う――。
どれほどハイクラスな社会的信用を得ようとも、どれほど高級なブランド服を羽織ろうとも、彼の核となる「ハンガー直着ローテーションの丁寧な暮らし(もどき)」の合理的スタイルは、何ひとつ揺らぐことはなかった。
「さて……海馬からの挑戦に備えて、俺もデッキの調整をするとしようか」
ハンガーに揺れる最高級のジャケットを愛おしそうにひと撫でし、アテムは自慢の水出し麦茶を手に、今日も自分だけの「聖なる領土」で、穏やかで誇り高い夜を過ごすのだった。






また別の休日。
童実野町の爽やかな秋晴れの中、アテムは久しぶりに遊戯、城之内、本田、杏子の4人と駅前で待ち合わせていた。
「よぉ、みんな。待たせたな」
アテムがやってくると、真っ先に反応したのはファッションに敏感な杏子だった。
「あ、アテム!今日の服、すごく素敵なジャケットじゃない!すごく上品で似合ってる!」
「マジだ!なんだよアテム、なんか今日めちゃくちゃシュッとしてモデルみたいだぜ!?」
城之内が羨ましそうにぐるぐるとアテムの周りを回る。
上質なシックなジャケットに、シルエットの美しいスラックス。洗練されたその着こなしに、遊戯や本田も「本当にかっこいいよ、もう一人の僕!」と絶賛した。
アテムは照れる風もなく、自慢げにジャケットの裾を軽くなでた。
「フッ、分かるか。なかなか着心地が良いだろう?これは先日、服を買いに行った時に海馬に選んでもらったものだ」
「……え?」
一同の動きが、完璧にピタリと止まった。
「かい……ば……?」
城之内が引きつった顔で聞き返す。
「海馬が……お前の服を選んだ……?」
「そうだ。俺一人で買い物に行こうとしたら、海馬がわざわざ車でマンションまで迎えに来てな。セレクトショップで『これが我が社の役員として相応しい』と、何着か選んでくれたんだ」
アテムはさらりと事もなげに明かしたが、周囲の空気は極寒の凍土と化した。
ーーあ、あの海馬瀬人が……プライベートでアテムを迎えに行って……洋服を選んだ……!?
動機が「放置するとアテムがトゲトゲの服を買いかねない」という危惧と「買い物の後にそのままデュエルへ連行するため」だとは夢にも思わない仲間たちは、瀬人のあまりにも意外すぎる行動と、それを「海馬が選んでくれた」と嬉しそうに語るアテムの謎の仲の良さに、心の底からドン引きしていた。
「な、なぁ遊戯……あいつら、俺たちの知らないところで一体どういう関係になってんだ……?」
「ぼ、僕に聞かれても分かんないよ城之内くん……」
気を取り直した一行は、杏子が前から行きたがっていた「行列のできる話題のスイーツ店」へと向かった。
休日の店内は予想通りの大盛況で、店の前には長い行列ができている。
「うわぁ、やっぱりすごい人……!今日は並ぶ覚悟で来ないとだね」
杏子が苦笑いしながら列の最後尾に並ぼうとした、その時だった。
「……あ、お客様!先日の……!」
店頭で案内をしていた店のスタッフが、アテムの顔を見るなりハッと目を見開き、慌てて駆け寄ってきた。
「海馬社長とご一緒だった、特別なお客様ですね!本日は皆様でお越しですか?どうぞどうぞ、こちらへ!すぐにVIPルームをご用意いたします!」
「良いのか?俺たちは並んでも構わないんだが」
「滅相もございません!ささ、こちらへ!」
アテムの「並んでみたい」というささやかな希望はあっさりとスルーされ、店員の完璧すぎる手配によって、5人は長い行列を横目に、豪華な貸切VIPルームへとスルスルと案内されてしまった。
ふかふかのソファに座り、メニューを広げながら、杏子が引きつった笑顔でアテムを尋問するように見つめた。
「ねぇ……アテム。店員さん『先日の海馬社長と』って言ってたけど……ここ、いつ来たの?」
「ん?こないだ海馬に服を選んでもらった帰りだ」
アテムはメニューから目を離さず、またしてもサラリと明かした。
「海馬が気を利かせて店を貸切にしてくれてな。そこで二人で特製パフェを食べたんだ」
「……」
部屋の中に、完璧な沈黙が訪れた。
休日に待ち合わせて車で迎えに来る。服をコーディネートしてあげる。帰りに人気スイーツ店を貸し切って二人でパフェを食べる……
完璧すぎる……。完璧すぎるデートコースである。
城之内、本田、杏子、そして遊戯すらも、脳内でその光景を再生して完全なキャパシティオーバーを起こしていた。あの冷徹で傲岸不遜な海馬瀬人が、アテムと二人でスイーツ店でパフェをつついている絵面など、恐怖以外の何物でもない。
「アテム……お前、海馬と……その……楽しかったのか……?」
「ああ、実に美味かったぜ。海馬は『甘ったるい』と吐き捨ててたけどな。君たちにもあのコンボのような味を体験してほしかったんだ」
アテムのどこまでも無邪気でズレた回答に、一同は「もうこれ以上追及するのはやめよう」と目配せを交わし、静かに引き下がるのだった。
だが、運ばれてきた華やかなデザートの数々を前にすると、気まずい空気も一瞬で吹き飛んだ。
「うおーっ!なんだこのイチゴタワー!超うめぇ!」
「本当、並ばずに入れるなんて得しちゃったね!」
一同はワイワイと盛り上がり、最高のデザートタイムを全力で堪能した。アテムも仲間たちと囲む賑やかな食卓に、心を躍らせて笑顔を咲かせていた。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、お店を出た後の解散際。
アテムはバッグの中から、大切に持ち歩いていた「最高級水出し麦茶パック(特選)」を取り出し、みんなに差し出した。
「今日の礼だ、みんな。俺が厳選した最高の麦茶パックだ。ぜひ自宅の冷水に一晩沈めて飲んでみてくれ」
「お、サンキューアテム!麦茶か、ありがたく貰っとくぜ!」
「へぇ、アテムおすすめの麦茶なんだ!飲むの楽しみ!」
瀬人には毎回「いらん!!」と即座に一蹴される悲しき麦茶パックだったが、優しい仲間たちは普通に笑顔で受け取ってくれた。アテムは「フッ、やはり分かる者には分かるのだな」と、密かに深い満足感を噛み締めていた。
「じゃあな、みんな。また遊ぼう」
新しく手に入れた最高級のジャケットを羽織り、仲間たちの温かい友情と、ポケットに潜ませた確かな社会的信用を胸に。
現世のシステムを完全に攻略した元ファラオは、今夜もハンガーから直接着るための服が待つ、自慢の「聖なる領土 タワマン」へと、軽やかな足取りで帰路に就くのだった。
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