08 沸騰王


気づいた時には、自室のベッドの上だった。デジタル時計の数字は「12:00」を示している。またしても大寝坊だ。
アテムは放心状態のままのろのろとスウェットに着替え、使用人が用意してくれた昼食を機械的に口に運ぶと、夢遊病者のような足取りで冥界へと繋がるドアを潜った。
常闇の国、冥界の王宮。
「王。本日の進捗ですが、神官団からの報告書が――」
「ああ……。そうだな、セト。……素晴らしいな……」
「……はい?」
執務室の机に頬杖をつき、うつろな目で虚空を見つめてブツブツと呟くアテム。
超短時間のコア業務をこなしてはいるものの、その魂は明らかに現世の海馬邸に置き忘れられていた。上の空にも程がある。
セトは腕を組み、冷徹な双眸を細めた。
ふむ……。あの茹で上がり方、ついに現代の子に『仕留められた』と見て間違いありませんね。……ならば、今のうちにすべての情報を引き出し、既成事実化しておきましょう。
セトは声を一段と優しく(※彼にしては、だが)トーンダウンさせ、アテムの前に歩み出た。
「王。現世での『重要任務ハニートラップ』は、随分と進展があったようですね。現代の子の様子はどうでしたか?なたの熱意は届いたのですか?」
「セト……。聞いてくれ、海馬が、俺の額に……」
完全にガードが緩んでいたアテムは、セトの巧みな誘導尋問(お説教トーンの緩和)に引っかかり、昨夜の出来事を洗いざらい吐き出し始めた。大事な話をしたこと、覚悟を問われたこと、そして――額に口づけされたこと。
すべてを聞き終えたセトは、心の中で完璧な勝利のファンファーレを鳴らしていた。
……確定ですね。先代様が現代の子の『公式な伴侶』となった以上、これで海馬コーポレーションの総資産、超科学、そして神の如き決闘者は永続的に我が冥界側のオプション後ろ盾として機能する!
これ以上ない完璧な政略結婚の成立。冥界の永久なる安泰の確保である。
用済みとなったニートの惚気など、これ以上聞く必要は1秒たりともない。セトはアテムが「それでな、海馬の香りが……」と喋っている途中で、バサリと稟議書を雑に丸めて小脇に抱えた。
「――結構です、王。あなたが今後も現世で人質として、いえ、伴侶として立派に務めを果たすことが分かれば、私からは何も言うことはありません」
「え?あ、セト?まだ話は――」
「私はこれより神官団との会議がありますので、失礼します。今日の業務は以上です。さっさと現世へ戻り、現代の子のためにデバッグ作業に励むが良いでしょう。では」
セトはそれまでの丁寧な態度を180度翻して雑に話を切り上げると、呆然とするアテムを執務室に一人残したまま、風のような速さで部屋を出ていってしまった。バタン、と容赦なく閉まる扉。
「……セトのやつ、人の初恋の話をあんなに雑に切り上げるなんて、相変わらず冷酷な男だな……」
アテムはぽつりと呟き、スウェットのポケットに手を突っ込んだ。
だが、すぐにその胸の奥は、昨夜の瀬人の温もりを思い出して再び甘く疼き始める。
「まぁいいか。早く戻って、海馬に『今日の分のデバッグをしてやる』と言いに行こう」
セトに完全に冥界から「現世の海馬瀬人」へと売り払われた押し付けられた>ことにも気づかないまま、世界一幸福な王は、大好きな男が待つ現世の楽園へと、嬉々として次元の扉を開けるのだった。



「ただいま、海馬――」
冥界での報告、もとい、セトによる雑な切り上げを終え、アテムが次元転送ドアを潜って現世へ戻ると、そこはいつもの見慣れたゲーム部屋……ではなかった。
「え……?ここは……」
部屋の広さも、内装のラグジュアリーさも、明らかに数段跳ね上がっている。驚いて廊下に出ると、そこは海馬邸の最深部、海馬瀬人のプライベートエリアだった。
なんと、アテムが現世のニート、および伴侶として完全就職することが確定した瞬間、瀬人の手によって「アテムの私室が、瀬人の部屋のすぐ隣」へと高速リフォームされていたのだ。
部屋には新調されたフカフカのキングサイズベッドもある。だが、案内してくれたモクバ曰く「そこはアテムが昼間ダラダラするための部屋で、夜の主寝室は兄様の部屋だからね!」とのことだった。至れり尽くせりだが、逃げ場は完全に塞がれていた。

そして、運命の夜。
昼間の大パニックから一転、冥界の冷たい空気とセトの冷徹な指摘のおかげで、アテムは「フッ、俺は王だからな。両想いと分かれば、もう取り乱したりはしないさ」と、妙に落ち着き払った態度を取り戻していた。
23時。アテムは覚悟を決め、主寝室である瀬人の部屋のドアを開けた。
……ただし、服装はやはり現世の通販でポチったお気に入りのグレーのスウェット姿のままである。王のプライドは取り戻しても、スウェットの快適性だけは譲れなかったらしい。
部屋のデスクでは、瀬人がまだパソコンの画面に向かっていた。
「海馬。夜も更けたな」
「フン、戻ったか。俺はまだ片付ける仕事がある。お前は先にベッドに入って眠れ」
瀬人は画面から目を離さずにそう告げた。
「分かった」と、アテムは至って冷静に頷き、主寝室の奥にある広大なベッドへと潜り込んだ。高級なシーツからは、すでに瀬人のものと同じウードの香りが漂っている。
仰向けに横たわり、天井を見つめるアテム。
最初の数分間は、静かな室内に響くキーボードの打鍵音を心地よく聞いていた。
しかし、時間が経つにつれ、アテムの脳裏に現世の「恋愛雑誌」の知識が不意に蘇ってきた。
待てよ……。部屋は仕事スペースと寝室で薄暗く仕切られてはいるが、今、この広い空間には、俺と海馬の二人きり……。そして、恋愛雑誌の『お泊まりデート特集』のページには、確かこう書いてあったはずだ……
【お泊まり=相手のすべてを受け入れるという、暗黙の同意】
「ど、同意……ッ!?」
自覚がなかった数日前ならまだしも、今は「両想い」だと知ってしまっている。このベッドで一緒に眠るということは、現世の決闘において、一体どこまでのコンボを許容することになるのだろうか。
困った……。俺は世界を見据えて立つ覚悟は決めたが、現世の『大人のステップ』とやらの覚悟は、まだカードプールに用意できていない……!
冷静だったはずのアテムは、あっという間に自爆してベッドの中で一人、大パニックに陥り始めた。
アテムが布団の中で「どうしよう、どうしよう」と激しく悶々としていると、カチャリとデスクの明かりが消える音がした。
心臓が跳ね上がる。
微かな足音が近づき、ベッドの片側が静かに沈み込んだ。シャワーを事前に済ませていた海馬が、ナイトウェア姿でアテムの隣へと入ってきたのだ。
「か、海馬……!」
限界を迎えたアテムは、瀬人の体温が近づいてきた瞬間、条件反射で「サッ!」と機敏な動きを見せ、ベッドの端の端へと全力で距離を取った。
瀬人から見れば、アテムはまるで警戒する猫のように、ベッドのギリギリのフチまで転がって丸くなっている。
瀬人は深くため息をつくと、暗闇の中で腕を伸ばし、ベッドのフチで固まっているアテムの腰をガシッと掴んだ。
「おい、アテム。そんな場所まで逃げたら、床に落ちるだけだ」
「うわっ!?」
瀬人の強い力によって、アテムの身体は「ゴロゴロ」と虚しく回転させられ、元の場所――すなわち、ベッドの真ん中の、瀬人のすぐ隣へとあっけなく引き戻された。
「お前は本当に、じっとしていられん男だな。さっさと目を閉じろ」
そう言って、瀬人は引き戻したアテムの身体を上から包み込むようにして、大きな腕をその腰に回し、ホールドした。
「あ、あの、海馬……!同意というか、その、心の準備が……!」
「黙れ。不摂生なニートは13時まで寝るのが仕事だろう。大人しく眠れ」
至近距離から響く低音と、背中から伝わる海馬の圧倒的な心音。
アテムは顔から火が出るほど真っ赤になりながらも、その腕の強さと心地よい温もりに、結局は1ミリも逆らうことができなかった。
現世の恋愛雑誌のコンボには完全に敗北したものの、大好きな男の腕の中で、アテムの長い、そして最高に甘い夜は更けていくのだった。

主寝室のキングサイズベッド。
毎晩、瀬人が仕事を終えて隣に入ってくるたびに、アテムは布団の中で全身の筋肉を硬直させていた。
「……」
「……アテム」
暗闇の中、隣から瀬人の低い声が響く。アテムは「ひゃいっ!?」と情けない声を上げ、毛布を顎の上まで引き上げた。
「貴様、毎晩毎晩、俺が隣に入るたびに爆弾のタイマーでもカウントダウンしているかのような怯え方は何だ。この俺と添い寝することが、それほど不満か」
不満なわけがない。むしろ嬉しくて心臓が破裂しそうなのだ。
だが、その挙動不審さの理由が分からない瀬人は、スッと上体を起こしてアテムの顔を覗き込んだ。その青い双眸に見つめられ、アテムは完全に蛇に睨まれた蛙状態になる。
「言え、アテム。貴様は何に怯えている」
「お、怯えてなど……!俺は王だ、何が起きても動じるものか……!」
「ほう、何が起きても、な。……まさか貴様、毎晩『いつ、どんなオトナの展開になるか』と、そんな締まりのない頭で妄想して自爆しているわけではあるまいな?」
「な、何故それを――ッ!?」
図星どころか、核心をクリティカルヒットされたアテムは、あまりの動揺にベッドの上で跳ね上がった。
恋愛雑誌の「お泊まり=暗黙の同意」という文言に脳内を支配され、毎晩「今夜ついにあのコンボが来るのか……!?」と、ドキドキしながら待ち構えていたことが、一瞬で瀬人に露呈してしまった。
瀬人は呆れ果てたように盛大にため息をついた。
「貴様という男は……。3000年分の英知の使いどころが完全にバグっているぞ」
しかし、瀬人はアテムをからかい続けることはしなかった。
少しだけ声音のトーンを落とし、はだけたナイトウェアの胸元を気にも留めずに、至近距離からアテムを見つめる。
「……で、どうなのだ。アテム」
「え……?」
「お前は、俺に……そうされたいのか?」
瀬人の口から紡がれたのは、驚くほどフラットで、けれど絶対的な余裕を感じさせる「いつでも良い」という温度の言葉だった。海馬瀬人という男は、ビジネスでも何でも、相手の合意と覚悟があるならいつでも受けて立つ男なのだ。大人のステップとやらに関しても、彼はすでにいつでも動けるスタンスだった。
「っ……!」
アテムは顔から火が出るどころか、全身の血液が沸騰しそうだった。
されたいか、されたくないかで言えば、瀬人のことが大好きだと自覚した今、答えは決まっている。
「……した、い……とは、思う。……が!」
アテムは真っ赤な顔のまま、必死に布団を握りしめた。
「心の準備が、その、1ミリもできていないんだ……!カードプールに防御札心の準備がゼロの状態で、そんな最終局面に突入したら、俺の魂が文字通りショック死してしまう……!」
涙目で必死に「待った」をかけるアテム。
瀬人はその様子をしばらく無言で見つめ、それから「フッ……」と、どこか楽しげに、そして酷く甘く唇の端を吊り上げた。
「なるほどな。お前がそこまでヘタレだとは思わなかったが……いいだろう」
瀬人はベッドに横たわり直し、再びアテムの身体を自分の引き締まった胸元へと引き寄せた。
「我がロードに妥協はないが、初心者のチュートリアルに付き合ってやるくらいの猶予はくれてやる。……アテム、手を貸せ」
「え?手……?」
瀬人はアテムの細い手首を掴むと、それを自分の大きな手のひらで包み込み、指と指を深く絡ませた。いわゆる「恋人繋ぎ」だ。
「海馬、これは……」
「毎晩、少しずつだ。まずは手を繋いで眠る。それに慣れたら次は腕、その次は――と、お前のその鈍い身体を、俺の手に慣らしていってやる」
耳元で囁かれる、低く甘い宣告。
「それなら、心臓がショック死することもあるまい?」
「……それは、そう、かもしれないが……」
繋がれた手のひらから、海馬の熱い体温がじんわりと伝わってくる。これだけでも十分に心臓が忙しいというのに、毎晩少しずつ「飼い慣らされていく」のだと理解して、アテムの脳内は再び甘いパニックで満たされていく。
「さあ、覚悟が決まるまで、毎晩俺に揺さぶられる恐怖を味わうがいい」
瀬人は満足そうにアテムの手を強く握り締め、目を閉じた。
現世の王による、あまりにも過保護でドSな「焦らしのチュートリアル」。アテムが本物の「社長夫人(伴侶)」としてすべてを受け入れる覚悟が決まるまで、この極上に甘く、少しずつ距離が縮まる夜は、まだまだ終わりそうになかった。



「……海馬、んっ……」
毎晩、薄暗い主寝室のキングサイズベッドで、アテムは瀬人の「侵食」をその身に受けていた。
初めはただ、指を深く絡ませるだけの恋人繋ぎだった。しかし、海馬瀬人の有言実行ぶりと、その戦略的な手綱捌きは徹底している。次の夜はしなやかな細い腕を、また次の夜は緊張で強張る肩を……。瀬人の大きな、けれど驚くほど熱く丁寧な手のひらは、毎晩少しずつ、確実にアテムの肌を開拓していった。
最初は心臓が破裂しそうだったアテムも、その手がもたらす極上の心地よさに、いつしか抗えなくなっていった。
「く、くすぐったい、海馬……ぁ、」
背中や腰の、自分でも知らなかった敏感な場所を大きな指先でなぞられるたび、アテムの口からは小さく甘い声が溢れる。そのたびに瀬人はフッと愉しげに鼻で笑い、アテムの耳元にその低い声を響かせるのだ。
「フン、その程度で声を上げるな。まだチュートリアルの序盤だぞ、アテム」
その手の動きは、アテムがいつしか夜現世に持ち込んだ、あのグレーのスウェットの「上から」だけでは留まらなくなっていった。
シャツの裾から滑り込んできた瀬人の、少し節くれ立った指先が、アテムの滑らかな脇腹の肌に直に触れる。
「ひゃっ……!あ、熱い……」
「貴様の体温が低すぎるだけだ」
直に触れられる快感は、スウェット越しとは比べものにならないほど鮮烈だった。瀬人の指先が優しく這うたび、アテムの身体はビクンと小さく跳ね、シーツを掴む指先にぎゅっと力がこもる。
触れられていない場所など、もうほとんど残されていなかった。
アテムの境界線は、瀬人の熱によって毎晩少しずつ融解させられ、気づけばカードプールに「防御札」など一枚も残っていない状態まで追い詰められていた。



そして、その夜。
いつも通り、背後から抱きすくめられる形で瀬人の胸の中に収まっていたアテムは、腰のあたりに滑ってきた手のひらの動きに、一瞬で息を呑んだ。
瀬人の長い指先が、スウェットのズボンのゴムを、静かに、けれど一切の迷いなく押し下げたのだ。
「か、海馬……っ!そこ、は……」
アテムが焦って振り返ろうとしたが、瀬人のもう片方の腕がそれを優しく固定する。
そのまま、瀬人の手はスウェットのズボンの下へと完全に侵入し、アテムの最も無防備で、熱を帯びた秘所に直接、触れた。
「……あ、っ……!」
初めて直にそこを捉えられた衝撃に、アテムの背筋にゾクゾクとした電流が走る。
瀬人の大きな手が、慈しむように、そして確実な愛撫をもってそこを包み込み、ゆっくりと動かし始めた。
「ん、うぁ……あ、海、馬……っ、」
スウェットの布地の中で、瀬人の手のひらの熱と、自分の内側から突き上げてくる快感が容赦なく混ざり合っていく。あまりの心地よさと刺激の強さに、アテムの深紅の瞳からは自然と涙が溢れ、潤んだ瞳でシーツを見つめることしかできなかった。
「覚悟は、もう十分だろう、アテム」
耳元で、瀬人の少し掠れた、熱い吐息が囁く。
その低い囁きと、最奥にまで至った海馬の熱い手のひらの愛撫に、アテムの思考は一瞬で完全に真っ白になった。
覚悟……?俺の、覚悟……?
世界を見据えて並び立つ覚悟なら、あの夜にとうに決めたはずだった。だが、今この瞬間に瀬人から突きつけられている「覚悟」の重さは、現世の恋愛雑誌の知識など遥かに超越した、互いの魂のすべてを溶かし合うための、あまりにも甘く烈しい「最終宣告」だった。
その圧倒的な情報量と、背中から押し寄せる瀬人の質量に、アテムの脳細胞は再びパニックを起こしてショートしかける。
しかし、瀬人の容赦のない指先は、アテムが思考の迷宮へと逃げ込むことを許さなかった。
「ん、あ……っ、海馬……!待っ……!」
ズボンの下で、容赦なく、けれど酷く丁寧に繰り返される愛撫。直接肌を擦り上げられるたび、アテムの背筋を甘い戦慄が駆け抜け、脳のパニックなどお構いなしに、彼の身体は純粋な快感だけで強制的に現実へと引き戻されてしまう。
触れられている場所から、ドクドクと熱い脈動がせり上がってくる。
瀬人のウードの香りと、耳元に響く熱い吐息に包まれながら、アテムの快感はまたたく間にキャパシティを超えた。
「う、ぁ……っ、あ、あ、っ!」
ビクン、とアテムの身体が大きく跳ねる。
瀬人の大きな手のひらの中で、アテムはこの人生で初めての、甘く烈しい絶頂へと力なく達した。
極限の快感と、それまでの緊張、そして「ついにここまで来てしまった」という精神的な大爆発。それらが一気に押し寄せた結果、達すると同時に、アテムの視界は急激にフェードアウトしていった。まさに精神のショック死(※気絶)である。
「は、ぁ……っ……」
最後にかすかな吐息を漏らし、アテムの身体から完全に力が抜けた。
シーツを掴んでいた指先が、するりと解ける。
「……アテム?」
背後から抱きすくめていた瀬人が、急にぐったりと重くなったアテムの様子に気づき、その顔を覗き込んだ。
そこには、涙をうっすらと浮かべ、顔をこれ以上ないほど真っ赤に染めたまま、魂が抜けたようにスースーと規則正しい寝息を立て始めているアテムの姿があった。
まさかの、フィニッシュと同時に完全気絶爆睡
「貴様という男は……。最後の最後で、どこまでヘタレなゲームメイクを見せるつもりだ」
流石の海馬瀬人も、これには呆れ果てるのを通り越して、暗闇の中でフッと苦笑するしかなかった。世界を震わせた伝説の決闘者が、ただの手の愛撫だけでショック死するように眠ってしまうなど、誰が信じられるだろうか。
瀬人は、自分の手と、アテムのスウェットに付いた熱の名残をサイドテーブルのティッシュで手際よく拭き取った。
それから、力なく丸まっているアテムの身体を仰向けに直し、はだけたズボンと毛布を、首元まできちんと掛け直してやる。
「まぁいい……。今回はこれで『引き分け』にしておいてやる。……だが、次のターンは、そう簡単に逃がさんぞ」
瀬人は眠るアテムの額の髪を優しく払い、その横顔に不敵な、けれどこの上なく愛おしげな眼差しを向けた。
自分が瀬人の腕の中で気絶したことを翌朝(おそらくまた12時過ぎ)に思い出し、アテムがどれほど布団の中で悶絶し、またしても冥界のセトに壁越しに愚痴をこぼすことになるのか。
現世の王は、愛しい居候の次の「空回り」を楽しみにしながら、その小さく愛らしい身体を再び腕の中に引き寄せ、今度こそ静かに目を閉じるのだった。



「……う、ん……」
柔らかな日差しが、遮光カーテンの隙間から主寝室へと差し込んでいた。
アテムがのろのろと意識を浮上させ、枕元のデジタル時計に目をやると、時刻はやはり「13:15」。安定の大寝坊である。
当然、隣に瀬人の姿はない。ベッドの片側は綺麗に整えられており、彼が何時間も前に起きて社長業へと向かったことを示していた。
アテムはまだ重い頭のまま、寝返りを打とうとして――。
「――ッ!?」
背筋から腰にかけて、妙な気怠さと、昨夜の「熱い名残」が鮮烈に蘇った。
スウェットのズボンの下、瀬人の大きな手に包まれ、生まれて初めて味わったあの激烈な快感。そして、あまりの衝撃に達した瞬間に気絶したという、王のプライドが粉々に砕け散るような己の醜態。
「お、俺は……なんて無様な負け方気絶をしてしまったんだ……!」
アテムはベッドの中で顔面をシーツに埋め、真っ赤になってのたうち回った。
それからというもの、昼食の特製オムライスを食べている時も、冥界でセトから「王、本日も素晴らしい茹で上がりっぷりですね」と冷ややかに一瞥された時も、アテムの頭の中は昨夜の快感の記憶で完全に支配されていた。生きた心地のしないまま、なんとか1日を終え、再び宿命の「夜」がやってくる。





23時。主寝室のベッドに入ってきた瀬人は、アテムの予想を遥かに超えて「容赦のない男」だった。
「か、海馬……!待ってくれ、昨夜の俺は、その……」
「言い訳は聞かん、アテム。貴様がいつまでも初心者マークを外さんなら、俺がロードを進めるだけだ」
瀬人はフンと不敵に笑うと、今夜は「手加減」のフェーズを一段階引き上げた。
スウェットのズボンが容赦なく引き下げられ、瀬人の手が再びアテムの太腿を割って侵入する。しかし、今夜の目的は前を慰めることではなかった。瀬人の、少しひんやりとした指先が、アテムの最も奥まった秘所の入り口を、愛撫の熱で濡らしながら優しくなぞった。
「っ……あ、海馬……?そこは……っ」
「力を抜け。身体を強張らせれば、それだけお前が苦しむことになる」
瀬人の長い指が、一本、静かにアテムの内側へと滑り込んできた。
「ひ、ぁあッ!?」
異物感と、内側から直接粘膜を押し広げられる未知の感覚に、アテムはシーツを涙目で強く握りしめた。
人間の身体の構造上、男同士の行為がいきなり成立するはずがない。瀬人はその圧倒的な合理主義と、アテムへの底知れない独占欲をもって、「毎晩、少しずつ、あいつの身体を自分のサイズに広げていく」という、じわじわとした侵食を選んだのだ。
「ん、ぅく……海、馬……動かさ、ないで……っ」
「嘘を言うな。ここを擦られるのが、心地良いのだろう?」
瀬人の指が、内側の特定の窄みをキュッと狭窄された壁をなぞるように、優しく、けれど確実に快感のポイントを刺激する。
「ぁ、あ、っ!んん……っ!!」
毎晩、アテムはまるで初めて決闘に挑む初心者のように、声をあげ、身体を震わせ、涙を流して瀬人の指に翻弄された。決して慣れることのない初々しい反応。そのたびに瀬人の指は少しずつ、けれど確実に、アテムの奥深くへと馴染んでいった。
そして、そんな「調教」とも言える夜が始まってから、数日後のこと。
瀬人の指が二本に増え、アテムの内側を熱く、深く、執拗に掻き回していた時のことだった。
前には一切触れられていない。ただ、内側の、最も敏感な場所を深く、何度も何度も執拗に擦り上げられていた、その瞬間――。
「あ、熱い……っ、海馬、それ、だめ……っ、あ、っ!」
アテムの背中が弓なりに跳ね上がった。
次の瞬間、前を触れられていないにもかかわらず、アテムのそこから、熱い愛液がシーツへと勢いよく迸った。
中を解されるだけの快感で、達してしまったのだ。
「は、ぁ……っ、は、ぁ……」
アテムは激しく肩を上下させ、涙で視界を滲ませながら、ドクドクと脈打つ内側の感覚に怯えていた。
前を触られずに達するほどの強烈な快感。それはあまりにも暴力的で、自分の身体が完全に瀬人のものに書き換えられていくような、小さな「怖さ」を伴うものだった。
しかし。アテムを腕の中に抱きすくめ、その指先でアテムの「中での絶頂」をダイレクトに感じ取った瀬人は、暗闇の中でフッと深く、満足そうに息を吐いた。
「……フン、よく出来たな、アテム」
瀬人にとって、これはただの悪趣味な快感の押し付けではなかった。
アテムが中だけで達したということは、彼の身体が、瀬人を受け入れるための準備を完璧に整えたという「サイン」に他ならない。
これなら、近いうちに本番を迎えても、アテムがただ苦痛に耐えるだけの「一方的な行為」にはならない。海馬瀬人のプライドとしても、そして一人の男の愛としても、ライバルをただ傷つけるだけの抱き方は絶対に容認できなかった。互いが対等に、最高の快感を貪り合うための、これが最終的な確定演出だった。
「お、俺は……前を触られていないのに……おかしなことになって……」
怯えるアテムの涙を、瀬人は唇で優しく吸い上げた。
「恐れるな、アテム。すべては計算通りだ。……明日の夜は、覚悟しておけ」
耳元で囁かれた、最終フェーズへの移行宣告。
アテムは恐怖と、それを遥かに上回る甘い期待に胸を詰まらせながら、今夜もまた、現世の王の腕の中で、蕩けた頭のまま眠りにつくのだった。



翌朝、アテムが目を覚ましたのはやはり昼過ぎだった。
身体の奥に残る、あの前を触られずに達してしまったという熱く気だるい感覚が、昨夜の出来事が夢ではなかったことを生々しく伝えてくる。
海馬は言った……『明日の夜は、覚悟しておけ』と。つまり、今夜ついに、あの最終フェーズ(本番)が来る……!
一世一代の決闘を前にしたかのような緊張感の中、アテムはベッドから這い出ると、部屋に積み上げられた恋愛雑誌や、ネットで買い漁った「大人のステップアップ本」の山へと飛び込んだ。今夜の展開を少しでも予習し、王としての防衛策心の準備を練るためである。
しかし、そこに書かれていた「実践編」の内容は、初心者のアテムにとってあまりにも刺激が強すぎた。
挿入のプロセス、体位、痛みを逃がす方法、そして何より『お互いの肉体を限界まで繋ぎ合わせる』という行為の、生々しく具体的なメカニズム――。
「な、何なんだこれは……!こんな、こんな破廉恥で恐ろしいことを、現世の人間は本当に平然と行っているのか……!?」
ページをめくるたびに、アテムの顔は真っ赤になり、同時に恐怖で青ざめていった。知れば知るほど、今夜自分に訪れるであろう「未知の衝撃」への恐怖が膨れ上がっていく。
そして、無情にも夜の23時がやってきた。
仕事を終えた瀬人が主寝室のドアを開けると、ベッドの上で、グレーのスウェットの襟元をぎゅっと握りしめたアテムが、まるで処刑を待つ罪人のようにカチコチに固まっていた。
「フン、随分と神妙な面持ちだな、アテム。予習の成果はあったのか?」
瀬人はアテムの部屋に転がっていた雑誌の山に気づいていたのだろう、意地悪く唇の端を吊り上げた。
「か、海馬……!俺は、王として……いかなる戦いにも退かないつもりだが、現世の、その、最終フェーズの構造は、少々……暴力的すぎるのではないだろうか……!」
「くだらん。またそうやって小賢しい頭で自爆しているな」
瀬人はナイトウェアに着替えると、ベッドに入り、逃げようとするアテムの腰を躊躇いなく引き寄せた。
「ひゃいっ……!」
「力を抜けと言っている。恐怖など、俺がすべて塗り替えてやる」
瀬人の大きくて熱い手が、アテムのスウェットの裾から滑り込み、その脇腹から背中、そして数日かけて完全に開発された腰の窄みへと、流れるように触れていく。
その容赦のない、けれど驚くほど甘く優しい愛撫の前に、アテムが雑誌を読んで築き上げていた付け焼き刃の防御壁は、ものの数分で瓦解していった。
「ん、うぁ……海、馬……あ、っ……」
何度も何度も、敏感な場所を的確に、焦らすように愛撫され、アテムの身体からじんわりと緊張が抜けていく。恐怖の代わりに、身体の内側からせり上がってくるのは、瀬人の手でしか得られない、あの熱く昂るような快感だった。
アテムの呼吸が次第に荒くなり、深紅の瞳が熱い涙で潤んでいくのを見届け、瀬人は「よし」と低く呟いた。
瀬人はアテムのスウェットのズボンを完全に取り去ると、その細くしなやかな両脚を左右に開き、自らの身体をその間に割り込ませた。
完全に開かれた己の最奥を前に、アテムの心臓がトドメを刺されたように跳ねる。
そして、海馬がサイドテーブルから、ゴムを取り出し、カサリと硬質な音を立ててそれを身に付けた、その瞬間だった。
「――っ!?」
間近で、瀬人の「準備を終えたそれ」の全貌を視界に捉えたアテムは、あまりの規格外の質量に、文字通り顎が外れんばかりに目を見開いた。
数日間、指で少しずつ広げられていたとはいえ、それとこれとでは根本的な「サイズ」が違いすぎる。海馬瀬人の、高身長かつ強靭な体躯に見合ったその圧倒的な存在感(ダイレクト・アタック級の質量)を前に、アテムは本能的な恐怖で完全にビビり散らかした。
「ま、待て……!待ってくれ海馬!それは、いくらなんでも、入ら、ない……っ!俺の身体の構造の計算が絶対に合わない……!!」
大慌てで這いずり逃げようとするアテムだったが、瀬人はその細い足首をガシッと片手で掴み、フンと鼻で笑って自分の下へと引き戻した。
「黙れ、アテム。我がコーポレーションのテクノロジーと俺の技術に、計算ミスなど万に一つもありはせん。お前の身体が、俺のサイズをどれほど欲しがっているか……今すぐその身に教えてやる」
圧倒的な支配欲を孕んだ現世の王の瞳が、アテムを射抜く。
アテムはぎゅっと目を閉じ、シーツを涙目で引きちぎらんばかりに握りしめながら、ついに訪れる「未知の領域」へのカウントダウンに、全身を甘く震わせるのだった。
しかし。
「や、やっぱり、待て……!本当にそれは……っ!」
アテムは往生際が悪かった。
ベッドの真ん中へ引き戻され、涙目でパニックを起こしているアテムを見下ろし、瀬人はフッと息を漏らした。この期に及んでまだ往生際悪く、小動物のように怯えているライバルが、愛おしくてたまらない。
「フン……。お前がそれほどビビっているなら、少しばかり慈悲を与えてやる」
瀬人はいきなり無理に進めることはせず、まずは自身の熱い手のひらでアテムの太腿を優しく撫でさすった。そして、自らの指を再びアテムの窄みへと滑り込ませる。
「あ……んっ、ぁ……!」
数日かけて瀬人のサイズに馴染まされてきたアテムの身体は、主の指を受け入れた瞬間、恐怖とは裏腹に、驚くほど素直な反応を返した。キュウ、と切なげに指を締め付け、瀬人の指をさらに奥へと誘い、前は自ら熱い愛液を分泌する。
「どうだ、アテム。口では拒絶していても、お前の身体はすでに、俺を求めて鳴いているぞ」
「そ、それは……っ、う、あ……あ、っ」
執拗に中を擦り上げられるたびに、アテムの脳から恐怖がみるみるうちに快感へと書き換えられていく。腰が自然と浮き上がり、もっと奥を、もっと強い刺激を求め、アテム自身が瀬人の指に縋りつき始めた。
アテムの呼吸が完全に熱く、蕩けたものに変わったのを確認し、瀬人はゆっくりと指を抜いた。
「……観念しろ。ここからは本番だ」
「ひっ……!」
アテムが息を呑む間もなく、瀬人の強大な質量が、アテムの入り口へと真っ直ぐに押し当てられた。
そして、じわり、と強烈な圧迫感と共に、未知の質量がアテムの内側へと侵入してくる。
「く、ぁ……ッ!?あ、あ痛い……いや、太……っ、海馬、待って、息が……っ!」
指とは根本的に違う、圧倒的な硬さと太さ。アテムはあまりの存在感に完全に圧倒され、シーツを涙目で引きちぎらんばかりに握りしめた。瀬人はアテムの腰をがっしりと固定し、彼の身体が傷つかないよう、数ミリずつ、拷問のようなもどかしさでゆっくりと、慎重に奥へと進めていく。
「はー、はー、っ……か、海馬……っ」
しばらくして、どうにか強烈な圧迫感が収まり、アテムは「ふぅ……」と大きく一息をついた。痛みが引き、ようやく身体がこの大きさに慣れてきたのだ。アテムは涙を拭い、どこか誇らしげに瀬人を見上げた。
「……フッ、どうだ海馬。さすがは俺だろう、お前の無茶なサイズでも、俺は耐え抜いて――」
「フン、何を満足げな顔をしている、アテム」
瀬人は汗ばんだ前髪を払うと、意地悪く、けれど最高に獰猛な笑みを浮かべた。
「――まだ、半分しか入っていないぞ」
「え……っ、ひっーーーーーー!?(※声にならない悲鳴)」
雑誌の予図を遥かに超えた絶望的な事実に、アテムは再びビビり散らかして目を丸くした。これで半分!?海馬瀬人のポテンシャルは一体どうなっているんだと、アテムは本気で世界の理を疑った。
「大人しく、俺のすべてを受け入れろ……!」
瀬人はアテムの片脚をさらに高く押し上げると、残りの質量を、容赦なく、けれどどこまでも深く、アテムの最奥へと一気に押し進めた。
「ひ、あぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!」
アテムの口から、今まで聞いたこともないような甲高い悲鳴が上がる。内側のすべての壁が、瀬人の形に無理やり、完全に押し広げられていく。最奥の、最も柔らかい場所に瀬人の先端がゴツンと突き当たった瞬間、アテムはあまりの衝撃にガクガクと身体を震わせ、瀬人の肩に必死に噛み付いた。
根元まで完全に結合し、二人の境界線が完全に消え去る。
瀬人はアテムの背中を大きな手でさすりながら、彼の激しい呼吸が、少しずつ、少しずつ整っていくのをじっと待った。
「はー、はー、っ……、か、い……っ」
痛みが、次第にじわじわと「熱」へと変わっていく。
相変わらず身体の奥は破裂しそうなほどに満たされているが、不思議と、もう苦しくはなかった。それどころか、瀬人の引き締まった胸板、その力強い心音、自分を抱きすくめる大きな腕の温もりが、アテムの心をこれ以上ないほどの幸福感で満たしていく。
ああ……俺は今、本当に、海馬と一つになっているんだ……
不純な動機から始まったこの現世でのドタバタ劇。けれど今、アテムの胸にあるのは、大好きな男と文字通り一体になれたという、圧倒的な歓喜と安堵だった。
アテムは、ようやく全身の力を完全に抜いた。
涙で濡れた深紅の瞳で瀬人を真っ直ぐに見つめ、その首筋に優しく両腕を回す。
「……海馬。もう、大丈夫だ……。お前の好きに、してくれ……」
初めて、すべての主導権を瀬人に委ね、微笑んでみせたアテム。
その、王としての誇りをすべて愛する男に捧げた無防備な姿に、瀬人の理性の糸も、怪しくなっていた。
「……フン、後悔しても遅いぞ、アテム!」
瀬人はアテムの細い腰を掴み直すと、ついに、狂おしいほどの熱情を込めて、その強大な質量を激しく突き動かし始めた。
深夜の主寝室に、シーツの擦れる音と、アテムの蕩けたような甘い悲鳴が、何度も、何度も、夜が明けるまで響き渡るのだった。

激しい結合の果て、瀬人はアテムの反応をその身に刻み込むように、何度も深く、そして繊細に突き上げた。
「あ、っ……!海馬、……くる、くるっ……!」
「アテム……ッ!」
瀬人はアテムの細い腰を支え、逃げ場を塞ぐようにして、アテムが最も快感を覚える場所を的確に攻め立てた。雑誌に書かれていたような無機質なマニュアルなど必要なかった。瀬人はアテムの鼓動、吐息、肌の熱さ、すべてを読み取り、彼を確実に絶頂へと導く。
最後は、アテムが瀬人の名前を呼びながら、全身を瀬人の腕の中で仰け反らせ、蕩けきった瞳のまま快感の波に飲み込まれていった。瀬人もまた、その熱い締め付けに抗いきれず、アテムを抱きしめたまま共に高みへと達した。
アテムは荒い呼吸を繰り返し、放心状態で瀬人の胸に顔を埋めた。瀬人はそんなアテムの身体を慈しむように背中をさすり、やがて名残惜しげに、ゆっくりと身体を切り離した。
「……やりすぎたか?」
「……いや。……最高だった……」
小声でそう呟いたアテムを、瀬人はそのまま横抱きにして浴室へ運んだ。温かいシャワーで、乱れた身体の隅々まで丁寧に洗ってやる。瀬人の指は先ほどとは打って変わり、この上なく優しく、アテムの肌を労わるように動いた。
シーツを替え、清潔なシャツを身にまとわせると、アテムは瀬人の大きな腕の中に潜り込んだ。昨夜の緊張が嘘のように消え失せ、瀬人の体温に包まれる安心感の中、アテムは深い眠りへと落ちていった。



翌朝。
カーテン越しに差し込む柔らかな光の中で、アテムはまどろみながら、ぼんやりと昨夜のことを思い出していた。
……昨夜の、海馬は……
寝室の隅に転がっている、あの「恐怖の雑誌」を横目で見やる。そこには、初心者が陥りがちな失敗として『挿入による出血』や『腹痛』、さらには『トラブルによる予期せぬ妊娠(※現世の知識)』など、おぞましい単語がいくつも踊っていた。
読み返せば読み返すほど、やはり内容は生々しくて怖い。しかし――。
海馬は、一度も俺を傷つけなかったな……
あんなに巨大なサイズだったにも関わらず、彼は根気強く、俺が力を抜けるまで何度も指で解してくれた。ゴムをつける手間を惜しむこともなく、俺の呼吸が苦しくないか、痛くないかを、その鋭い眼差しでずっと見極めていた。
雑誌に書いてあったような「強引で痛いだけの行為」とは、対極にあったと言っていい。あれは、支配ではなく、配慮だった。
アテムは、隣で穏やかに眠る瀬人の寝顔をそっと覗き込んだ。
……もしかして、海馬瀬人というのは、とんでもなく「イイ男」なのかもしれないな
強気で高慢で、俺を振り回すことしか考えていないと思っていた。けれど、この男は、俺を慈しみ、守る術を完璧に心得ている。
「……ふふ」
自分の考えた結論が少し照れくさくて、アテムは小さく微笑んだ。
冷徹なライバルだと思っていた男の、隠された優しさと器の大きさに気づいてしまった今、アテムの心の中で、瀬人に対する特別な感情は、より深くて温かいものへと変わり始めていた。
次に彼が目を覚ましたら、何と言ってやろうか。
そんなことを考えながら、アテムは再び瀬人の胸元に頬を寄せ、幸せな二度寝へと身を委ねた。



アテムが再びまどろみから覚めたのは、時計の針が午後2時を回ろうとしていた頃だった。
昨夜の余韻が全身に色濃く残っている。身体は鉛のように重く、節々が甘い気だるさで軋んでいるが、それは決して不快な痛みではない。むしろ、瀬人と完全に一つになったという「証」のようで、アテムはシーツの中で何度も深く息を吐き出した。
……海馬が、俺の恋人……
ふと昨夜の結論を思い出すと、熱が全身を駆け巡り、ベッドの中で思わず顔を真っ赤にして転げ回った。枕に顔を押し付け、バタバタと脚を動かして悶える。自分でも信じられないほど、分かりやすく顔が熱い。
「……っ、馬鹿みたいだ。王ともあろう者が、恋人のことを考えただけでこれか……」
恥ずかしさを誤魔化すように壁に向かってぶつぶつと呟き、アテムは昼下がりを存分にダラダラと過ごした。喉が乾けば水を飲み、退屈すればまた瀬人の香りが染み付いた枕に顔を埋める。誰にも邪魔されない、極上の怠惰な時間だった。
夕方になり、瀬人が仕事から帰宅した。
彼はアテムの顔色と、昨夜の激しい営みの痕跡を瞬時に察したのだろう。寝室に入ってきた瀬人は、アテムを抱き寄せてその額に軽く口づけを落とすと、それ以上の要求は何もせず、ただ優しく背中を撫で続けた。
「……今日は無理をするな。昨夜は、かなり消耗していたからな」
「海馬……」
強引に何かを求めてくるわけでもなく、ただ温かい腕の中で自分を包み込んでくれる。その、昨夜とはまた違った繊細な優しさに触れ、アテムは胸が締め付けられるような愛おしさを覚えた。
「……お前は、本当に、俺に甘いな」
「フン、お前を壊しては意味がないからな」
相変わらず言葉には棘があるが、その手つきは驚くほどに丁寧だ。アテムは瀬人の広い肩に頭を預け、その心音を子守唄代わりに聴きながら、今夜も彼の腕の中で安らかな眠りへと誘われていく。
ああ、やっぱりこの男は、どうしようもなくイイ男だ……
アテムは深く安心しきったため息をつくと、抗うことなく瀬人の体温に身を委ね、再び穏やかな夢の中へと消えていった。二人の静かな夜は、昨日よりもずっと柔らかく、満ち足りたものだった。
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