仲間たちが帰ったあとのアテムの部屋。
ベッドの上でピザの余韻に浸っていたアテムは、ふと「これからいつでもみんなと遊ぶためには、やはり連絡手段が必要だ」という、現代人としてごく当たり前の結論に達していた。
アテムはスウェットのポケットに手を突っ込み、大階段を上って瀬人の執務室のドアを叩いた。
「海馬、いるか?」
「開いている」
中に入ると、瀬人はデスクでホログラムディスプレイを睨んでいた。アテムは部屋の真ん中まで歩み寄ると、単刀直入に告げた。
「海馬。俺は相棒や城之内くんたちと、これからも連絡を取り合いたい。そのための……あの、皆が持っている『すまほ』という端末が欲しい」
瀬人はディスプレイから目を離し、心底意外そうな目でアテムを見た。
「貴様、KCネットであれほど買い物をしていながら、スマートフォンの一台も注文していなかったのか?」
「……あ」
アテムはポンと手を打った。
「そういえば、あれは欲しいものを『検索』しなければ出てこないのか。俺はオススメされるピザやボードゲームの画面しか見ていなかった」
「……絶望的なネットリテラシーだな、アテム」
瀬人は呆れたように溜息をつくと、デスクの引き出しから、まだ箱に入ったままの海馬コーポレーション製・最新型スマートフォンの予備を取り出した。
「まぁいい。どのみち貴様が自分で初期設定などできるわけがないからな。そこに座れ」
瀬人は手元のキーボードを恐ろしい速度で叩き始めた。彼にとって、童実野町の住人のマイナンバーや通信データを書き換えるなど、呼吸をするよりも容易いことだ。プライバシーという概念など、この男の前にはあってないようなものである。
パソコン側から端末へ瞬時にデータを転送し、今日海馬邸にやってきたメンバー――遊戯、城之内、杏子、本田の連絡先、およびメッセージアプリのアカウントをすべて強制的に同期させた。
「できたぞ」
瀬人から手渡されたスマートフォンは、すでに設定が完了し、見慣れた仲間たちのアイコンが並んでいた。
「おお……! これが俺のスマホか」
アテムは画面を光らせ、少し感動したように呟いた。
「感謝するぜ、海馬」
「フン。用が済んだなら早く自分の部屋へ戻れ。俺は忙しい」
アテムは嬉しそうに端末を握りしめ、自室のベッドへと戻った。
そして、遊戯に教えてもらった朧気な記憶を頼りに、画面をタップしていく。寝癖だらけのまま、顔を少し真剣にさせながら、たどたどしい手つきでメッセージを打ち込んだ。
『アテムだ。先ほどはありがとう。またいつでもピザを食べにきてくれ』
グループチャットに送られたそのメッセージに、数秒もしないうちに遊戯から『うん! またすぐ行くね!』と可愛いスタンプが返ってきて、続いて城之内から『おう! 次はゲームでボコボコにしてやるからな!』と勢いのある文字が飛んでくる。
「フッ……」
画面の光に照らされながら、アテムはベッドにごろんと寝転がり、幸せそうに微笑んだ。
現世の最新テクノロジーは、アテムの引きこもり生活を、より一層快適で、そして温かいものへと進化させていくのだった。
仲間たちと「次の休み、みんなで童実野町のレジャーランドに行こう!」とスマホで約束を交わしたアテム。
さすがにいつまでも膝の抜けたグレーのスウェットで出かけるわけにはいかないと、彼は一念発起してKCネットを開いた。かつてもう1人の遊戯として現世にいた頃の記憶を頼りに、黒いレザージャケットやタイトなパンツを指一本で注文した。
翌日、届いた服に着替え、鏡の前で前髪を整えて、準備は整った。という段になって、アテムは重要な事実に気がついた。
アテムはおもむろに、床に転がっていたフリーター時代の安物の財布を拾い上げ、中身を確認した。
パカッと開いた合皮の財布の中には、クシャクシャになった千円札が1枚と、十円玉が数枚。合計ライフポイント、わずか1,130円。
「……あ。現金がない」
コンビニの給料は税金に毟り取られ、アパート退去時のいざこざで手元には本当に数百円しか残っていない。これでは仲間とおやつを買うことすらできないではないか。
準備は整っていなかった。
翌朝、広大な食堂で優雅にエスプレッソを飲む瀬人の対面に座り、アテムはトーストを齧りながら尋ねた。
「海馬。前言を撤回させてくれ。やはり俺は、遊戯の店へ遊びに行くまでの数日間、海馬コーポレーションの電脳訓練室で働くことにする!」
瀬人はエスプレッソをソーサーに置くと、不機嫌極まりない顔でアテムを睨みつけた。
「貴様、あれほど『もう働きたくない』と言っておきながら、今更何を言い出す!我が社の電脳訓練室は、貴様の小遣い稼ぎのためにシフトをコロコロ変えられるような生ぬるいフィールドではない!」
「仕方がないだろう!俺の財布は現在、完全に『空(手札ゼロ)』だ!遊びに行くにしても、最低限の軍資金が現世では必要なのだと、今思い出したんだ!」
必死に主張するアテムを見て、瀬人は一瞬だけ呆然としたが、次の瞬間、特大の高笑いを炸裂させた。
「ーークク、フハハハハ!!」
「何が可笑しい、海馬!俺は至って真面目な話をしている!」
「フハハハ!アテム、貴様という男は……!画面を見ろ!貴様が毎日Yogiboに埋もれて弄んでいた、その『ゲームのスコア』を今すぐ全て利確(決済)してみせろ!」
瀬人に言われるがまま、アテムがタブレットの画面の「全ポジション決済」のボタンをタップした。
その瞬間、海馬証券の特級口座に、アテムがゲーム感覚で稼ぎ出した天文学的な数字の日本円がドン☆、と着金した。元手の数億円を瀬人に自動返済してもなお、画面にはお目にかかったこともない桁の数字が並んでいる。
「……海馬、この『スコア』の横にある『¥』という記号は、まさか……」
「そうだ!貴様がただの『ボス戦』だと思って潰していた原油や珈琲の先物取引は、全て本物の現世の市場だ!貴様は知らぬ内に、日本の長者番付に一瞬で名を連ねるほどの大資産家になっていたのだ!」
「な……何だと……!?」
アテムは人生で一番の衝撃を受け、タブレットを落としそうになった。
24時間営業のコンビニエンスストアで夜勤をこなし、時給1,520円のためにほうきを振っていた男が、Yogiboでお菓子を食べていただけで、国家予算規模の資産を手に入れていたのだ。
もちろん、瀬人はこれを全て見越していた。
アテムが自分の足で、誰の指図も受けず、現世で最も自由で気高い「最強のニート」として君臨するためのフィールドを、最初から完璧に整えていたのである
「加えて、我が社のKCペイ機能が童実野町の9割以上の店舗に導入されている。端末一つで決済は可能だ」
「おお、それは便利だな!」
「だが、そんな電子決済の履歴をいちいち追うのも面倒だ。これを持っていけ」
パチン、とテーブルに滑らされたのは、漆黒に輝く一枚のプラスチックカード――海馬コーポレーション特製の最高峰クレジットカードだった。
「これがあれば、現世のあらゆる決済が一瞬で完了する。残高など気にする必要はない、好きに使え」
「なるほど、これが噂の『くればん(※クレジットカードと言いたい)』か。ありがたく使わせてもらう」
それが「瀬人名義」の、世界に数枚しか存在しないブラックカードであり、提示しただけであらゆる商業施設が震え上がる代物だとは、アテムは知る由もなかった。
童実野町の駅前で遊戯たちと合流したアテムは、さっそく仲間たちと最新のテーマパークへと向かった。
「よおアテム!スウェット以外の服、相変わらずトゲトゲしてて似合ってんじゃねえか!」
「フッ、これからは現世のトレンドも取り入れていく予定だ」
そんな軽口を叩きながら、まずは入場券を買うために窓口へ行き、アテムは受付の女性に例の黒いカードを差し出した。
「支払いはこれだ」
「はい、かしこまりました……って、えっ!?」
カードを受け取った受付嬢の顔が、一瞬で紙のように真っ白になった。彼女の手がカタカタと震え、猛烈な勢いでインカムに向かって叫び始める。
「マネージャー!マネージャー大変です!ブラックコード・セトのカードが今、一般窓口に!」
「え?な、何事だ?」
首を傾げるアテムたちの前に、奥から蝶ネクタイを着けた支配人らしき男性が、ものすごい形相でスライディング土下座でもしそうな勢いで走ってきた。
「せ、海馬……っ、お客様!大変失礼いたしました!このような一般の列に並ばせてしまうなど我が社の痛恨の極み!どうぞ、こちらのロイヤルVIP専用通路へ!」
「えええええっ!?」
城之内たちが叫ぶ。アテムは何が何だか分からないまま、ふかふかの絨毯が敷かれたVIPルームへ案内され、最高級のウェルカムドリンク(一杯2000円のメロンソーダ)を振る舞われた。
「な、なぁアテム……お前、海馬の家で一体どんな地位にいるんだよ!?」
「いや……ただの居候のはずだが……」
その後も異常な事態は続いた。
パーク内のハンバーガーショップでポテトを買おうとカードを出すと、店長が直々に出てきて「当店の最高級A5ランク黒毛和牛バーガーでございます!」と、頼んでもいない裏メニューをタダで山ほど持ってきた。
ゲームセンターで1プレイしようとカードをかざせば、筐体が『WELCOME, VIP USER』と光り輝き、全ゲームが無限フリープレイモードに突入した。
夕方、さすがにおかしいと、またもカード一枚で貸し切りになったカフェのVIP個室で、遊戯がアテムに切り出した。
「ねえ、アテム。さっきから行く先々で、僕たち信じられないくらいのVIP待遇を受けてるよね。……そのカード、ちょっと見せてくれない?」
「うん。海馬が『残高は気にするな』と貸してくれたんだが……何かグレードが違うのだろうか?」
アテムがポケットから漆黒のカードを取り出し、遊戯に手渡す。
城之内や杏子も興味津々で覗き込んだ。
「どれどれ、どんな付帯サービスが付いてるんだ?『ゴールド』とか『プラチナ』とか……って、文字が書いてあるぞ」
遊戯がカードの表面にある、スタイリッシュな刻印に目を凝らす。
アテム自身は「現世のカードの紋章か何かだろう」と全く気にしていなかった部分だ。
そこには、美しい銀色の文字で、こうハッキリと刻まれていた。
【 Holder Name : Seto Kaiba 】
「……」
遊戯の顔からスーッと血の気が引いていく。
「お、おい遊戯、なんて書いてあんだよ?」
城之内が覗き込み、その文字を読み上げた瞬間、飲んでいたコーラをブホッと噴き出した。
「せ、瀬人……カイバァァァーッ!?!?!?」
「えっ!海馬くんの名義なの!?」
杏子も椅子からひっくり返りそうになる。
「なっ……何だと!?」
アテムだけが、自分のブリトーをモグモグさせながら驚いていた。
「これは海馬の名前だったのか?俺はてっきり、現世のカード会社独自の『セト・カイバ・グレード』という最高ランクの称号なのだとばかり……」
「そんな称号あるわけないでしょ!?」
遊戯が激しくツッコんだ。
「これ、海馬くんが個人で使ってる本物のブラックカードだよ!童実野町の店でこれを出したら、そりゃ海馬くん本人が視察に来たか、それと同等のVIPが来たと思って、街中がひっくり返るに決まってるよ!」
「なるほど……。通りでどこの店主も、死にそうな顔で俺に極上の肉を差し出してきたわけだ」
ようやく合点がいったアテムは、フッ、と不敵に笑い、手元のコーラを持ち上げた。
「さすがは海馬だ。カード一枚にも『滅びのバーストストリーム』級の威力を仕込んでおくとはな。相棒、城之内くん、遠慮することは何もない。今夜のディナーは、この『セト・カイバ』のライフをダイレクトアタックさせてもらうぞ!」
「いや、人のカードでダイレクトアタックしないでよ!」
遊戯のツッコミをBGMに、アテムは再び現世の贅沢なコンボを炸裂させるのだった。
その頃、海馬邸のオフィスでは、瀬人がタブレットに次々と届く「童実野町テーマパーク:数千円」「ハンバーガーショップ:数百円」という、ブラックカードにあるまじき庶民的な少額決済の通知を見て、「フン、下らん物ばかり買いおって」と、どこか満足げに鼻を鳴らしていた。
