アテムが婚姻を希望した日から、王宮はまた騒がしくなった。
婚姻の儀。
王と、その伴侶の、正式な祝典。
そのための支度に、衣装係が走り、神官が暦を見て、装花担当が泣きながら花の数を数えている。
統括しているのはもちろん他でもないセトである。
ある日、全工程表を持って現れた。
「式次第、警備、祝宴、記録係、来賓席、乳幼児対応席まで手配済みです。」
「乳幼児対応席とは何だ。」
「ソティス様が途中で飽きた場合の避難区画です。」
「妙に有能だな。」
「当然のことをしているまでです。」
当日。
瀬人は青と白の正装に身を包んでいた。
立っているだけで圧があるのだが、女官達はざわついた。
「顔が良すぎる。」
「良いのに怖い。」
「怖いけど良い。」
「聞こえているぞ。」
一方、アテムは金糸を織り込んだ白の礼装だった。
王の威厳と、花嫁のための華やかさが上手く同居している。
その本人は鏡の前でそわそわしていた。
「おかしくないよな。」
「お前がそう見えるのなら世界の美の基準は崩壊する。」
「それは…褒めているのか?」
「ただの事実だ。」
儀式は厳かに進んだ。
誓詞を読み上げ、杯を交わし、指輪の代わりに護符を交換した。
瀬人の手が、僅かに緊張しているのを、アテムだけが知っていた。
「瀬人。」
「何だ。」
「手が冷たいぜ。」
「うるさい。」
「緊張してるだろ。」
「黙れ。」
「嬉しいもんだ。」
「黙れ。」
誰もが美しさに感動して挙動不審になる中で、セトだけが、いつも通り冷静に進行していた。
「次は、祝福の拍手です。」
全員が一斉に拍手をした。
何故、お前が指揮をしている。瀬人はそんな顔でセトを見ていた。
儀式が終わり、2人が並んで立つ。
瀬人がアテムの表情を確認した。
「瀬人。」
「何だ。」
「かなり良かった。」
「そうか。」
「幸せだ。」
瀬人は少しだけ口元を緩めた。
アテムは確かに満足そうだった。だが、男に戻ってはいなかった。
「…なら良い。」
その夜。
祝宴も終わり、ソティスも眠り、ようやく2人きりになった寝室。
アテムが言った。
「なあ瀬人。」
来たか。と瀬人は思った。
「何だ。」
「現世でもやりたい。」
瀬人は目を閉じた。
「…何を。」
「結婚式だ。」
「先ほど終えたばかりではないか。」
「だが、現世の式はまた別だろ。世話になった人に報告をするらしい。」
「誰の知識だ。」
「◯クシィ。」
「ゼ◯シィ…。」
アテムは身を寄せる。
「それに、白い服も着たい。」
「着ていただろう。」
「違う白い服だ。」
「……。」
「6月がいいらしい。」
「情報源は。」
「ゼク◯ィ。」
「ゼクシ◯……。」
「駄目か?」
「……。」
だが、瀬人は翌朝にはもう動いていた。
海馬コーポレーション本社で指示が飛ぶ。
「会場を建設しろ。」
「はい。」
「衣装は最上級だ。」
「はい。」
「警備は二重。」
「はい。」
「招待客は選別する。」
「はい。」
「子連れ導線も確保。」
「はい。」
「社長…何の案件ですか。」
「最有力案件だ。」
1週間後。
アテムは何も知らずに冥界で茶を飲んでいた。
そこへ瀬人が現れる。
「行くぞ。」
「どこへ。」
「現世だ。」
「何故だ。」
「全て手配した。オカルトアイテムも不要だ。」
「急に何の話だ。」
「結婚式だ。お前が言い出したのだろう。」
アテムは一瞬ぽかんと間の抜けた顔をした後、笑い出した。
「はは!」
「何が可笑しい。」
「お前は本当に、俺が望むと世界を動かす。」
「うるさい。」
「好きだぜ。」
「…知っている。」
抱き上げられたソティスがきゃっと笑う。
3人で現世へ向かう背中を、王宮の者たちは見送った。
セトが一言だけ呟く。
「次は新婚旅行案件でしょうか。」
その手の中には、アテムの予備のタブレットがあった。
開かれているのは、ピンクの表紙の雑誌だった。
「先回りするな!」と、どこか遠くで瀬人の声がした。
現世での式当日。
海馬コーポレーションの式典ホール、その周辺数区画は朝から異様な熱気に包れていた。
報道ヘリが飛ぶ。中継車が並ぶ。各国メディアが柵の外で叫ぶ。
「速報です!海馬コーポレーション社長、海馬瀬人氏が本日、結婚式を執り行うとの情報です!」
「相手の素性は依然非公開!」
「そもそも海馬氏が結婚という概念に着地するとは…!」
世界中が大騒ぎをしていた。
当然である。
仕事とカードしか頭にない男が、浮いた話など1つもなかった男が、海馬瀬人が、結婚する。
しかも自ら会場を建設し、式を主催し、招待客まで選別した。
もはやそれは、隕石情報に近いお祭り騒ぎだった。
瀬人は控室でネクタイを直しながら、苛立たしげに言った。
「騒ぎすぎだ。」
モクバが涙目で答える。
「兄様が結婚するんだよ!騒ぐよ!」
「泣くな。」
「だって兄様が!」
「そういう意味なら、先週には既婚だ。」
「そこがまた泣けるんだぜぃ…。」
「仕方のない奴だな。」
一方、別室では。
アテムは念願の白い衣装に身を包み、髪を整えられていた。
女の姿にもすっかり馴染み、王の気品と花嫁の華やかさを織り交ぜて。
「海馬くん、入るよ?」
何故かモクバに呼ばれていた遊戯達は、入室した瞬間、固まった。
「……え?」
「……は?」
「……マジかよ。」
遊戯、城之内、本田、杏子。全員、数秒停止した。
アテムが振り向く。
「久しぶりだな、皆。来たか。」
何故ここにアテムが。総意だった。
「来たか、じゃないだろ!」
城之内が叫んだ。
「お前、女だったのか!?」
「いや、元は違う。」
「女装…いや、違うよな。」
本田が額を押さえる。
「情報量が多い…。」
杏子は口元を押さえた。
「綺麗ね…。ってそこじゃなくて、どういうこと?」
アテムは、式を上げるだけの既婚者として、何故か堂々としていた。
「そうだな…、話すと長くなるが、まあ、色々あったんだ。」
「説明が雑すぎる!」
遊戯だけが目を細めて笑った。
「でも、キミらしいかな。」
「遊戯、飲み込み早すぎない?」
「オカルトには慣れたからね。」
城之内はまだ混乱していた。しかし、重要な点には気付いた。
「いや待てよ…。もっと根っこの話があるだろ。」
全員の視線が一点に集まる。
「アテムがここに居るってことは…よりにもよって、海馬なのか?」
アテムは少し胸を張った。
「そうだ。」
「何でそんな誇らしげなんだよ!」
「良い男だ。」
「海馬が?」
「そうだ。当たりの男だぜ。」
「当たりぃ!?」
杏子が吹き出した。
「自慢なんだ…。」
アテムは真顔で頷く。
「それなりにな。」
遊戯が静かに言う。
「海馬くん、ちゃんと大事にしてくれてるんだね。」
アテムは少し柔らかい顔になった。
「ああ。驚くほどな。」
そこへ、モクバが扉を開けた。
「皆、そろそろ時間だぜ。」
その腕の中には小さな子供がいた。
「あ、紹介するぜ。この子がソティス。俺の娘だ。」
沈黙。
全員が、口を開けたまま止まった。
震える声で、城之内が絞り出す。
「…え、子供、いんの!?」
「いる。可愛いだろ。」
「いる、じゃねえよ!」
本田が壁に手をついた。
「もう、順番が全部おかしい。」
杏子は涙目で笑っていた。
「ちょっと待って、可愛い…眉間が海馬くん。」
「そこまで似るのか…。」
遊戯がソティスを見て微笑む。
「おめでとう、アテム。」
その一言で、アテムの表情がふっと緩んだ。
「ありがとう。」
式が始まった。
最初だけメディアも入る。
扉が開き、世界中のカメラの前に現れたのは、白の正装に身を包んだ瀬人と、白い衣装のアテム、そして抱かれたソティスだった。
フラッシュが弾ける。
レポーターたちの声が裏返る。
「相手の女性は!?」
「お子様までいらっしゃる!?」
「情報整理が追いつきません!」
瀬人は不機嫌そうに一瞥した。
「時間だ。下げろ。」
報道陣が一斉に退出させられる。
「相変わらず容赦のない奴だな。」
城之内が笑う。
報道によって、海馬コーポレーションの株価が朝から動き、各国のメディアが特番を組んだ。
SNSは、当然燃えた。
以後は招待客だけの静かな式になった。
誓いの言葉も、指輪の交換も、ソティスが途中で「あー」と声を出したことも、全部ひっくるめて温かかった。
そして何故か、あちこちで人が泣いていた。
海馬コーポレーション重役達。
「社長が…家庭を…。」
「人の心が…あった…。」
「前からあった…。」
モクバ。
「兄サマぁ…!」
遊戯たち。
「良かったなあ、アテム…。」
「城之内くんまで泣いてる。」
「うるせえ!」
アテムも少し目元が熱くなった。
「瀬人。」
「何だ。」
「皆、泣いている。」
「勝手に泣かせておけ。」
「お前も少し泣きそうだ。」
「それはお前だろう。」
誓いを終え、2人が並ぶ。
ソティスはその間で機嫌よく笑っている。
アテムは小さく囁いた。
「現世でも、やって良かった。」
瀬人は短く息を吐いた。
「お前が満足なら、それでいい。」
「優しいな。」
「違う。」
「なら、何だ。」
「…俺も悪くないと思っているだけだ。」
アテムは嬉そうに笑った。
その瞬間、後方から城之内の声が響く。
「海馬がデレた!」
「つまみ出せ。」
笑い声と涙声が混ざる。
世界が驚いた結婚式は、当人たちにとっては、ようやく形になっただけの幸福だった。
結婚式の喧騒が去った夜。
海馬邸で2人は、珍しく静かだった。
ソティスは乳母たちに預けられ、窓の外には童実野町の灯りが瞬いている。
「ようやく2人きりだな。」
アテムが微笑む。
「騒がしすぎた。」
瀬人はネクタイを外しながら言った。
「世界規模だ。」
「お前が騒がせたんだぜ。」
「お前が言い出した。」
「だが叶えたのはお前だ。」
アテムが近付き、指先で瀬人の襟元を整える。
「瀬人。」
「何だ。」
「やっぱりお前は…当たりの男だ…。」
「…その呼び方はやめろ。」
「嫌だ。」
王のように堂々と、花嫁のように艶やかに笑う。
瀬人は数秒黙り、やがてその腰を引き寄せた。
「……好きに呼べ。」
その後のことは静かな夜に預けられ、語られない。
言葉は少なく、触れ方は深く、長い時間を埋めるような甘い夜だったと記録しておく。
翌朝。
海馬邸の玄関で、警備員達が困惑していた。
「通して良かったのか?」
「本人が招き入れてしまった。」
「本人?」
「奥様だ。」
リビングでは、遊戯、城之内、本田、杏子が既に座っていた。
「うわ…海馬ん家か…。」
「相変わらず落ち着かない…。」
「高そうな壺しかないし…。」
アテムは機嫌良く茶を注いでいる。
「よく来たな。」
「よく来たな、じゃねーよ!」
城之内が叫ぶ。
「入って良かったのか?」
「今は俺の家でもあるからな。」
「強ぇ…。」
杏子が紅茶を見つめながら呟いた。
「本当に結婚したんだ…。」
本田が腕を組む。
「で、聞かせてもらおうか。」
「何をだ。」
「海馬のどこがいいんだ?」
一斉に頷く3人。
遊戯だけが苦笑している。
アテムは少し考え、指を折った。
「顔。」
「は?」
「有能。」
「うん。」
「誠実。」
「へえ。」
「夜泣き対応が速い。」
「生活評価?」
「荷物を持つ。」
「地味に大事ね。」
「俺を大事にする。」
そこで全員が黙ったが、アテムは真顔だった。
「かなり。」
杏子がふっと笑う。
「…それは、強いわね。」
城之内がまだ食い下がる。
「でもよ、あいつ性格キツいだろ!」
「そうだな。」
「偉そうだし!」
「そうだな。」
「面倒くさいし!」
「そうだな。」
「じゃあ、何でだよ!」
アテムは当然のように言った。
「全部込みで好きだからな。」
「重っ!」
本田が叫ぶ。
「愛が重い!」
「俺だけじゃないぜ、あいつも大概、俺のことが…。」
その時、廊下の向こうで赤子の泣き声が響いた。
「ふぇええええん!」
乳母が慌てて現れる。
「奥様、ソティス様が泣き止まれません!ミルクも飲まず、おむつも違いまして…!」
「ああ、なるほど…今……。」
アテムが立ち上がろうとした時。
「ソティス。」
廊下の奥から瀬人が現れた。
髪もまだ整え切っていない。だが、状況把握は迅速だった。
「泣き方が空腹だ。」
「分かるのか?」
城之内が叫ぶ。
瀬人は乳母からソティスを受け取り、哺乳瓶を確かめ、温度を指先で測る。
「少しぬるい。替えろ。」
「は、はい!」
新しいミルクが来る。
瀬人が抱き直して飲ませると、ソティスはぴたりと泣き止み、ごくごくと飲み始めた。
沈黙。
本田が小声で言う。
「…何だ今の。」
杏子が呆然と答える。
「お父さん…だわ。」
遊戯が微笑む。
「海馬くん、すごいな。」
瀬人は当然のように言った。
「アテム、お前は座っていろ。」
「だが。」
「いい。」
そのままソティスを抱いて去っていく。
腕には娘、歩幅には自信、顔はいつも通り、良いが怖い。
角を曲がる前、ソティスに向かってだけ少し声が柔らかかった。
「飲め. 今日は来客がやかましいがな。 」
そして消えた。リビングに長い沈黙が落ちる。
城之内が口を開く。
「…アテム。」
「何だ。」
「海馬、実は…めちゃくちゃ当たり?」
「言ったじゃないか。おむつの交換は俺より早いぜ。」
アテムは胸を張った。
どこか誇らしげで、少し得意げで、かなり嬉しそうだった。
「かなり当たりの男だ。」
「くっそ腹立つくらい幸せそうだなお前!」
アテムは笑った。
「そうだな。」
その時、遠くから瀬人の声がした。
「城之内、声量を落とせ!」
「聞こえてんのかよ!」
海馬邸の朝は、今日も騒がしく、そして平和だった。
