07 王、生活の知恵を広める


『生活スキル特集:王と社長のお家』
「“おうちデートで身につける王の家事力”。冥界で最も読まれた記事らしいぜ。」
朝のリビング。
アテムは例のピンクの表紙の雑誌を手にして、誇らしげに笑っていた。
「…タイトルからして嫌な予感しかないがな。」
瀬人はコーヒーを飲みながら冷静に呟く。
だがその目はすでに諦めの色を帯びている。
「“王が洗濯を学ぶ”とか、“掃除の極意を知る”とか、“夫に学ぶ理想の分担”とか、実に良い記事じゃないか。」
「どこの王だ、それは。」
「俺だ。」
自信満々に言い切るアテム。
瀬人は小さく溜息を吐いた。
「で、何を覚えた?」
「洗濯機の操作と、柔軟剤の種類の見分け方だ。」
「…随分とピンポイントだな。」
アテムは嬉しそうに頷き、雑誌を開いた。
そこには“次号予告”の見出し。

【次号特集】
冥界発・現世に学ぶ!
『結婚生活で必要なスキルとは?』
取材協力:アテム王&海馬瀬人氏

「…何だこれは。」
「取材があるらしい。」
「アテム…承諾したのか。」
「ああ。楽しそうだったからな。」
瀬人は眉間を押さえた。しかしもう手遅れだ。
アテムを1人で取材に行かせたら、何が起こるか分からない。瀬人は巻き込まれるしかなかった。
例えそれが無駄に終わると分かっていたとしても。



数日後、撮影現場。
「今日は“理想の夫婦像”をテーマに撮影します! まずはアテム様に家事シーンをお願いして…。」
「任せてくれ。洗濯と料理、どちらも完璧にこなしてみせるぜ。」
「…やめておけ、また科学的災害を起こす気か。」
瀬人が上辺だけ、注意する。注意しているが、効果は期待していない。
アテムはエプロンを身につけ、楽しげに包丁を握る。
やはり、その包丁の角度が既に危うい。
瀬人は反射的に近付き、手を添えた。
「刃はこうだ。角度を一定に保て。」
「ん、こうか?」
「…そうだ。」
カメラのフラッシュが連続で光る。
スタッフたちの目がキラキラしている。
「あっ、今のすごくいいです!“愛が伝わる夫婦の手元ショット”ですね!」
「撮るな。」
「もっと撮ってもいいぜ。」

撮影後、取材タイム。
「日常ではどちらが家事を担当されているんですか?」
「瀬人だな。」
「…待て。やっているのはハウスキーパーだ。」
「器用だからな、皿洗いも洗濯も完璧だ。俺は学習中だ。」
「なるほど、王が学ぶ姿勢を!」
「違う、効率を考えた結果だ。」
「愛の効率だな。」
「やかましい。」
「す、すばらしいです…!お2人の関係性が理想的で…。」
「瀬人が不機嫌になると、俺は洗濯物を畳む。」
「話を盛るな。」
「だが事実だろう?」
「…俺がいつ不機嫌になった…。」
記者が倒れそうになるほど感動している横で、瀬人は心の中で、この件に関してはもう諦めるしかないと悟っていた。

その夜。
撮影を終え、帰宅した2人。
アテムはソファに座り、満足げに雑誌のカンプを眺めていた。
「瀬人。お前の手元、すごく綺麗に撮れてるぜ。」
「俺の手が宣伝になる時点で、既に何かがおかしいと気付け。」
「次は“理想の共同生活”特集らしい。テーマは『支え合う夫婦』だ。」
「…支え合う、か。」
瀬人はコートを脱ぎながら、少しだけ柔らかく笑った。
その笑みを見て、アテムがふっと近寄る。
「なら、今は俺がお前を支える番だな。」
「お前に支えられる理由があるとすれば、撮影疲れだけだ。」
「充分だ。」
そう言ってアテムは瀬人の肩に軽く手を置いた。
指先が触れるだけで、言葉のない信頼が流れ込む。
ピンクの表紙の雑誌は、また1つ“伝説の号”として売り切れることになる。
だが当の本人たちは、ただ、静かに笑っていた。





「…“生活の知恵”という言葉を覚えた。」
朝、リビング。
アテムはトーストをかじりながら、いつものピンクの表紙の雑誌を片手に、堂々と宣言した。
瀬人はニュースを閉じ、顔を上げる。
「嫌な予感しかしないが、一応聞こう。“生活の知恵”とは何だ?」
「暮らしをより良くする工夫のことだ。」
「なるほど…理解はしているようだな。」
「俺は今、それを発信している。」
「…何だと?」
瀬人が問い終えるより早く、アテムは冥界仕様のタブレットを掲げた。
画面には、冥界SNS"ネフェル・リンク"のタイムライン。
そこには煌々と輝く投稿が並んでいた。

王の生活の知恵①:洗濯物を増やしたくない時は、瀬人のシャツを借りると良い。
王の生活の知恵②:コーヒーは愛する者の手で淹れられたものが一番。理論的にも美味い。
王の生活の知恵③:同居者が理屈っぽい時は、抱き締めて黙らせる。

「…………。」
「冥界では好評だ。」
「それはもはや生活の知恵ではない。単なる生活の暴露だ。」
「だが、役立つだろ?」
「誰にだ。」
アテムは満足げに笑い、追撃を放つ。
「世界にも発信してみた。」
「やめろ。」
と言うが、例によって既に遅い。

その日の午後。
海馬コーポレーション広報部が騒然としていた。
「社長…! 世界的トレンドが“#王の生活の知恵”です!」
「王って、あのアテムさんです!“社長のシャツを借りる”が2億リポストされてます!」
瀬人は無言でディスプレイを閉じた。
側でアテムが優雅にハーブティを飲んでいる。
「凄いな。現世の民も冥界の民も、知恵を求めているようだ。」
「お前が拡散してるのは知恵ではなく俺の私生活だ。」
「違う。俺達の知恵だ。」
「訂正するな。」

夜。
「反省は?」
と問えば、アテムは即座に首を振る。
「“生活の知恵④”を編集中だ。」
「もうやめろ。」
「“恋愛の知恵”に分類した方がいいか?」
「悪化している。」
瀬人は頭を押さえたが、アテムは真剣な顔で言葉を続けた。
「だが、瀬人。知恵というのは共有されて初めて知恵になるんだろ?」
「まあ、理屈としては正しい。」
「では、俺の行為は正当だ。」
「…理屈の使い方を間違っている。」
アテムはハーブティを置き、ふと優しい目を向けた。
「冥界にも現世にも、“日々を共に生きる”という知恵を伝えたい。俺達は、それを見せるだけで充分だろ?」
瀬人は少し沈黙し、低く息を吐いた。
「…お前にしては上出来な弁明だな。」
「褒め言葉と受け取っておくぜ。」
「だが、次に俺の寝間着のことまで載せたら…冥界通信を買収する。」
アテムは声を立てて笑った。
その笑いが、夜の静けさの中で柔らかく響いた。

数時間後。

王の生活の知恵⑤:寝間着を選ぶ時間がない時は、隣の天才に選ばせると良い。センスが良いから。

冥界発のネフェル・リンクはまたも炎上し、現世トレンド1位を更新した。
瀬人はもう、コメント欄を開かない。



「……で?」
瀬人が腕を組み、報告資料を見下ろす。
広報部長が震え声で答えた。
「“#王の生活の知恵”が…一晩で世界トレンド一位です。購買意欲指数が通常比320%…!」
「馬鹿げている。」
「です、ですが…これをキャンペーン化すれば、確実に収益になります!」
沈黙。
広報部員たちが息を呑む中、瀬人は指先でデータを弾いた。
「…ふん。面白い。ならば徹底的にやる。」
「しゃ、社長!?」
「この手の狂騒は一過性だ。だが、理論的に処理すれば恒常的ブランド化は可能だ。」
そこで振り返ると、アテムがハーブティを持って立っていた。
「俺の“生活の知恵”を、商売に使うのか?」
「元はお前の暴露だ。責任を取って働け。」
「責任…?」
「そうだ。“王の生活の知恵”を正式キャンペーンにする。お前はイメージキャラクターだ。」
アテムは唖然とした後、ゆっくりと笑った。
「なるほど。“共同経営”というわけだな。」
「違う。もはや“共犯”だ。」



キャンペーン準備会議
「テーマは“愛と理論のある暮らし”だ。」
「そんな抽象語を使うな。消費者は実用を求めている。」
「だが、人は感情で動くもんだぜ。」
「では理屈で感情を動かす構成にする。」
「…お前、恋愛にもマーケティング理論を持ち込むのか?」
「常にROI(投資対効果)を意識している。」
「それで俺を口説いたのか?」
「…心配するな。お前は理論を超えてきた。」
会議室が数秒静まり、広報担当者たちが控えめに感涙した。(※記録には「ここで社長が照れた」と誤解される瞬間が残っている)

キャンペーン開始
広告映像タイトル:《王の生活の知恵 by 海馬コーポレーション》
副題:「理屈では説明できない愛も、構造化はできる」

シーン①:
アテムがエプロン姿で紅茶を淹れる。
ナレーション:
「思考を深めるには、適度な糖分と愛が必要だ。」

シーン②:
瀬人がその紅茶を受け取り、端末を操作しながら一言。
「このデータは甘すぎる。」
アテムが笑って返す。「だが、お前は飲む。」

それは冥界と現世で同時放映され、爆発的な人気となった。
冥界では高官、現世では経営者層のカップルにまで“理知的ロマンス”が流行した。

数日後。
「社長、売上…跳ねました!」
「ふふ、俺の知恵が役立ったようだな。」
「“俺の”ブランドが利益を出しただけだ。」
「つまり、“俺達の”成果だな。」
「言葉の罠を仕掛けるな。」
アテムは笑い、手元の資料を眺めた。
「瀬人、次は“生活の知恵:愛の延長線上”を出そう。」
「タイトルからして危険だ。だが…売れる確率は高い。」
「つまり、やるんだな?」
「理論的には、否定できない。」

その夜。
ニュース速報が流れる。

【速報】海馬コーポレーション、“王の生活の知恵”キャンペーン世界的ヒット“理屈と愛で売る男たち”として、国連経済会議で事例発表決定。

「…瀬人、これは商売の枠を超えている。」
「ああ。だが、お前となら統計の限界を超えられる。」
「愛も、理論も、同時に成立する証明か。」
「俺達が、証拠だ。」
静かに指が触れ合う。
冥界と現世を股にかけた知的ロマンス。
世界が祝福し、当人たちは涼しい顔でハーブティを飲む。





国連経済会議・特別講演
『愛と論理の境界線を越えて。』
ニューヨーク。国連本部、特設ホール。
世界各国の代表団がざわつく中、スクリーンに映し出されたタイトルが、ざわめきをさらに大きくした。

“Love & Logic in the Postmodern Economy”
―Presented by KAIBA Corp. × Pharaoh Atem.

「…冗談ではないよな。」
議長が呟く。
「王と、世界最大企業のCEOが、“愛”を経済のテーマに語る?」
「ええ。まさか“愛”が経済指標になる時代が来るとは。」
「…冥界とは…?」



照明が落ちる。
赤と金のスポットライトの中、アテムが静かに登壇した。
マイクを使わずに話す声は、会場のどこにいても届く。
「かつて我が国では、富と力の循環が“秩序”を支えていた。だが、どんな制度も“愛”なくしては動かない。」
通訳が一瞬止まる。
“愛”という単語をどう訳せばいいのか迷っているらしい。
アテムは微笑んだ。
「“愛”とは、他者の存在を前提にした論理だ。経済は、交換の理。ゆえに、“愛”の無い経済は片翼だ。」
場内が静まる。
アテムは続ける。
「海馬瀬人が言うには、“効率こそ正義”らしい。だが、効率の裏には、必ず“誰かの時間”がある。その時間を尊ぶことが、“生活の知恵”の本質だ。」
拍手。
一拍遅れて、翻訳が走る。
そして世界中のニュースサイトの見出しが更新されていった。

“The Pharaoh Defines Love as Logic of Coexistence.”
王、愛を論理で定義。

続いて瀬人が壇上に立つ。
黒のスーツ、冷たい照明の中で、端的に切り出した。
「まず、“愛”を語るなど非科学的だと思った。だが、この男は、非科学を論理で説明しようとする稀有な存在だ。」
「ん?つまりお前は、理解したということだな。」
「いや。理解する価値があると判断しただけだ。」
会場は笑いに包まれた。
瀬人はスライドを切り替えた。
表示されたのは、海馬コーポレーションのAIが算出した“愛の経済効果”グラフ。

愛を基軸とした意思決定 → チーム効率 147%増
愛を欠いた競争環境 → 離職率 380%増

「つまり、“愛”はコスト削減要因だ。」
会場は爆笑だ。
アテムは溜息を吐きながら微笑んだ。
「お前はやはり、ロマンより数字が好きだな。」
「数字の裏に、お前の浪漫があるだけだ。」
この掛け合いは、そのまま“海馬瀬人×アテム講義シリーズ”としてトレンド入りした。

質疑応答の時間も取られた。
「質問です。お2人の関係は“経済的パートナーシップ”に分類されるのですか?」
「分類できるものではない。」
「分類する意味もないからな。」
「だが、互いに最適化された関係だ。」
「契約としても完璧だ。」
場内は、何故かスタンディングオベーションだった。

会場の外も大騒ぎだった。
報道陣が押し寄せる。
「海馬社長、王陛下!お2人の理想の関係を一言で!」
「共同研究の延長だ。」
とアテム。
「終わりのない実験だ。」
と言うのは瀬人。
「愛とは?」
「「理論の到達点。」」
2人同時に答えた。

夜、帰りの機内で。
アテムが穏やかに笑った。
「瀬人、お前の話は、冥界でも評判になるだろうな。」
「勝手に広めるな。」
「だが、“愛はコスト削減要因”は名言だぜ。」
「…訂正しておけ。“愛はROIを最大化する要因”だ。」
「全く、ロマンがないな。」
「お前が補えばいい。」
互いの視線が交わる。
夜空の下、窓に映る2人の姿は、
まるで“理性と情熱”という両輪そのものだった。
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