03 調理実習

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発端は、例の1枚の皿だった。
6日目に死守された、あの皿である。
アテムは、往生際が悪かった。諦めていなかった。世話になりっぱなしは、王の沽券に関わると思っていたからだ。
あれから機会を窺い続け、そして今日、正面から交渉に出た。
「俺に、家事をやらせてくれ。」
使用人一同が、応接間に集められた。緊急招集だった。
「皿洗い、掃除、洗濯、調理。どれでもいい。俺にも何かやらせてくれ。」
沈黙が落ちた。最初に口を開いたのは、例の若いメイドだった。
「わ、私たちの存在意義を、奪わないでください……!」
「奪わない。分けてくれと言っているんだ。」
「存在意義は分割できません!」
「出来る。俺は3000年前、国政を分割していた。」
「国政とお皿は違います!」

議論は平行線を辿った。執事が仲裁に入った。
「アテム様。恐れながら、私共の業務をアテム様が行われますと、私共は『王に労働をさせた使用人』になります。」
「安心してくれ、誰も見ていない。」
「瀬人様が見ておられます。この邸には、カメラが、その、各所に。」
一同が天井の隅を見た。カメラは、見ていた。
膠着状態を破ったのは、意外な人物だった。
「面白そうではないか。」
料理長だった。故郷の味で王を泣かせ損ね、カレーを王に3杯食べられた、あの研究者である。
「調理でしたら、私の管轄。私が『指導』という形を取れば、それは労働ではなく教育です。書類上は。」
書類上は。
この邸で最も強い言葉だった。
執事が折れた。業務連絡文書に新項目が追加された。

「アテム様調理実習(担当:料理長/分類:教育)」



実習初日。

厨房にアテムが立った。エプロンは、また瀬人のサイズが用意されかけて、直前で若いメイドが自分の予備を差し出した。丈は少しだけ長いが何とかなりそうだった。胸元に小さな花の刺繍があった。
アテムは、刺繍を見つめたが何も言わなかった。誰も、何も言わなかった。優しさだった。
「まず、包丁を持ってみましょう。」
「ああ。」
アテムは包丁を握った。随分、様になっていた。最早、剣を握る所作だった。
「アテム様、それは武器の持ち方です。」
「……こうか?」
「それは短剣の逆手持ちです。」
「戦い方が抜けない。」
「キュウリと戦わないでください。」
キュウリは、戦いの末に大小不揃いの何かになった。アテムは切断面を見つめた。
「均一に切れない。」
「最初は皆そうです。」
「俺は公平な王だたった。」
「王も最初は皆そうです。」
料理長は動じなかった。研究者は、素材(王)の観察に忙しかった。







第1の事件は、火だった。
コンロの摘みを捻ると、火がついた。アテムは、手を止めた。
「……薪は?」
「ございません。ガスです。」
「ガス。」
「地下の管を通って参ります。」
「地下から火の素が来るのか。」
「はい。」
「冥界みたいだな。」
料理長は、その感想を後で日誌に書こうと決めた。

第2の事件は、電子レンジだった。
「この箱は?」
「温める箱です。」
「火は?」
「使いません。目に見えない波で、食材の水分を直接揺らして熱を出します。」
アテムは、電子レンジを凝視した。
「……千年アイテムの類か?」
「家電です。」
「中で何が起きているか、見えないのに信じるのか。」
「信じるというか、温まるので。」
「それは、信仰のだな。」
アテムは以後、電子レンジを稼働させるたびに、庫内に向かって小さく頷くようになった。敬意だった。誰も止めなかった。優しさだった。



実習は、数日続いた。
米は、研げるようになった。3日かかった。初日は研ぎすぎて米が割れた。「敵ではありません」と料理長に言われた。
味噌汁は、作れるようになった。出汁の概念に、アテムは深く感動した。「見えないのに、いる」「信仰だな」と、また言っていた。
卵焼きは、失敗した。3度失敗した。4度目に、焦げたが巻けた。アテムはそれを「勝利」と呼んだ。料理長は「進歩」と記録した。若いメイドはこっそり写真を撮り、使用人グループ内で共有した。全員分の既読が瞬時についた。

そして、アテムは決意した。
「海馬に、食べさせよう。」
厨房が、静まり返った。







献立会議が開かれた。参加者は、アテム、料理長、執事、若いメイド。議題は「海馬瀬人に何を出すか」。
「卵焼きは。」
「4回に1回しか巻けません。本番の成功率25%は、瀬人様相手には賭けです。」
「味噌汁は。」
「瀬人様は朝、味噌汁を召し上がりません。コーヒーです。」
「なら、コーヒーにしよう。」
「アテム様、恐れながら、瀬人様のコーヒーの好みは当邸最難関です。豆、挽き、温度、全てに基準がございます。新人がまず挫折するのがコーヒーです。」
執事の声には、歴戦の重みがあった。過去に挫折した新人の数は、聞けなかった。
「では、何なら出せる。」
料理長が、静かに言った。
「冷奴です。」
一同が料理長を見た。
「切って、盛って、薬味を乗せ、醤油をかける。工程は少ない。しかし、豆腐の角を崩さず切る、器の中央に正しく据える、薬味の量を過不足なく判断する──全ての工程に、精度が出ます。ごまかしの利かない一品です。」
研究者は、続けた。
「それに、瀬人様は夕食に豆腐が出ると、必ず召し上がります。データがあります。」
データ。
この邸で2番目に強い言葉だった。

献立は、冷奴に決定した。


決戦の夜。
夕食の席に、瀬人が着いた。角を挟んだ隣に、アテムが座った。いつも通りの配置、いつも通りの顔。だがアテムの背筋は、いつもより2センチ伸びていた。バレていたが誰も何も言わなかった。
配膳が始まった。献立の品々に混じって、小鉢が1つ、瀬人の前に置かれた。
白い豆腐。角は、立っていた。器の中央に、正しく据えられていた。上に、刻み葱と、おろし生姜。量は、過不足なかった。
23回ものクレーンゲームをやり直す男が、豆腐の角のために何丁費やしたかは、業務連絡文書にも記載されていない。
優しさだった。
瀬人は、箸を取った。
厨房の扉の隙間から、料理長と若いメイドが見ていた。廊下の角から、執事が見ていた。天井の隅から、カメラが見ていた。
瀬人は、豆腐を一切れ、口に運んだ。
咀嚼した。
飲み込んだ。
そして、何も言わずに、二切れ目に箸を伸ばした。
小鉢は、空になった。
アテムは、自分の食事をしながら、視界の端でそれを最後まで見届けた。何も言わなかったが、味噌汁の椀で口元を隠した。隠しきれてはいなかったが、やはり誰も何も言わなかった。
食事の終わり際、瀬人が口を開いた。
「今日の豆腐は、切り口が違ったな。」
アテムの手が、止まった。
「機械の断面ではない。刃の入りに、迷いの痕跡があった。」
「……ほう。」
「3箇所だ。角の1つに、0.5ミリの欠けもあった。」
見ていた。全部、見られていた。精度の男は、豆腐にも精度だった。
アテムは、椀を置いた。
「それで?不味かったか。」
瀬人は、立ち上がりながら、答えた。
「明日も出せ。」
言い捨てて、書斎へ歩いていった。
その机の上では、つぶらな瞳のブルーアイズが、今日も社長の仕事を見守っている。

アテムは、座ったまま、暫く動かなかった。
厨房の扉の向こうで、料理長が小さくガッツポーズをするのが、気配で分かった。







その夜の業務連絡文書。
「本日、アテム様お手製の冷奴が瀬人様に提供され、完食されました。瀬人様より『明日も出せ』とのご発注を頂いております。つきましては明日以降、夕食の豆腐はアテム様の管轄となります。分類:教育(継続)。なお、練習用に消費された豆腐の数は、記録しないことといたします。」

追伸として、若いメイドの筆跡でこう添えられていた。
「アテム様は今夜、厨房で明日の豆腐の角の研究をされています。楽しそうです。」
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