押し付け婚


アテムが来た。
理由は、誰も聞いていない。





亀のゲーム屋の店先に、アテムが立っていたのは、平日の昼過ぎだった。
店番をしていた遊戯が、レジの奥で顔を上げた。
「あ。」
それが最初の言葉だった。
アテムは、店の中を一通り見渡してから、遊戯を見た。
「久しぶりだな。」
「……もう1人の、ボク?」
「その呼び方は、今もするのか。」
「あ、ごめん。アテム。」
「いや。」
それで、会話は一旦、終わった。
遊戯はレジから出て、アテムの前まで来て、もう一度顔を見た。
本物だった。本物かどうかを確かめる方法は無かったが、本物だと分かった。
「どうして……。」
「何となく。」
「冥界は?」
「回ってる。」
「いつまでいるの?」
「決めてない。」
質問に対して、回答は全部、即答だった。だが、どれも情報量がなかった。
遊戯は聞くのをやめた。
「とりあえず、上がって。」





城之内と本田が来たのは、その30分後だった。
遊戯からの連絡は『アテムが来た』の6文字だけで、それ以上は何も書いていなかった。
城之内は、階段を2段飛ばしで上がった。
「アテム!」
「城之内くん。」
「お前、何で。」
「久しぶりだな。」
「久しぶりだな、じゃねえよ。」
本田は、扉の所で止まっていた。
「……本物だ。」
「うん、本物だ。」
アテムは、遊戯の部屋の床に座布団も敷かずに座っていた。座り方だけは王だった。
城之内が、その向かいに座った。本田が、その隣に座った。遊戯は、ベッドの縁に腰掛けた。
4人で、暫く黙っていた。
聞きたいことは全員にあった。だが、最初に聞くべきことは、誰にも分からなかった。
「……で。」
最初に口を開いたのは、本田だった。
「いつまで、いるんだ?」
「決めてない。」
「決めてないって?」
「うん。」
「じゃあ、今日は?」
「今日は、いる。」
「明日は?」
「多分、いる。」
城之内が遊戯を見た。遊戯は部屋を見た。
遊戯の部屋は、6畳より狭かった。ベッドがあって、机があって、本棚があって、ゲームの箱がある。床は今、4人が座って埋まっていた。
「……じーさんの部屋は。」
城之内が扉の方を見た。
「じいちゃん、いる。」
遊戯が言った。
「店の奥の、倉庫は。」
「在庫がある。」
「じゃあ、ここに布団を。」
遊戯が、床を見た。城之内も、床を見た。本田も、床を見た。
アテムは、床を見なかった。3人が自分の座っている場所を見ていることに気付いて、少しだけ座り直した。
「俺は……。」
言いかけて、やめた。
誰も、それに気付かなかった。
暫く、また黙った。
「あ、海馬くんの家。」
遊戯が言った。
城之内が、顔を上げた。
「は?」
「海馬くんの家なら、部屋、余ってるんじゃないかな。」
「あいつのとこかよ。」
「うん。」
「あいつのとこは……。」
城之内は、何か言おうとしてやめた。
反対の理由は、幾らでもあった。だが、代案が1つも無かった。
本田が、腕を組んだ。
「……まあ、部屋は、あるだろうな。」
「本田までかよ。」
「他にあるか?」
城之内は、答えなかった。
遊戯が、アテムを見た。
「アテムは、どう?」
アテムは、少し考えた。
海馬。
海馬の家。
広かった記憶がある。あの男が、自分を泊めるかどうかは分からない。だが、あの男が断るかどうかも分からない。
「まあ、良いか。」
それで、決まった。
決めたのは、遊戯でも、城之内でも、本田でも、アテムでもなかった。
誰も決めていないのに、決まった。
城之内だけが、最後まで、渋い顔をしていた。
「あいつ、絶対、嫌がるぞ。」
「うん。」
「絶対、何か言うぞ。」
「うん。」
「……連絡、誰がすんだよ。」
遊戯が、スマホを取り出した。
「ボクがする。」






電話は、3コールで繋がった。
『何だ。』
「あ、海馬くん。武藤遊戯だけど。」
『分かっている。用件を言え。』
「あの、アテムが、来てて。」
『知っている。』
「え。」
『昼過ぎに、貴様の店の前で監視カメラが拾った。街の映像は全て見えている。』
「……そうなんだ。」
『用件を言え。』
遊戯は、一度、息を吸った。
「泊める場所が、なくて。」
沈黙が、2秒あった。
『押し付ける気か。』
「ごめん。」
『……何時に来る。』
「え。」
『何時に連れて来る、と聞いている。』
遊戯は、部屋の中の3人を見た。城之内が、首を横に振っていた。本田が、時計を見ていた。アテムは、床に座っていた。
「……今から、行く。」
『6時に門を開けておく。遅れるな。』
電話が切れた。
遊戯はスマホを見た。通話時間は48秒だった。
「……どうだった?」
城之内が聞いた。
「6時に、門を開けてくれるって。」
「は?」
「押し付ける気か、って言われた。」
「だろ?」
「でも、門を開けてくれるって。」
城之内は、暫く何も言わなかった。
「……あいつ、何なんだよ。」
遊戯は、答えなかった。
答える代わりに、棚の引き出しを開けてデッキケースを1つ、取り出した。





6時。海馬邸の門は、開いていた。
車寄せに、使用人が2人立っていた。荷物を受け取る姿勢だった。
荷物は、1つだけあった。
遊戯が、両手で持っていたデッキケースだった。
瀬人は、玄関に居た。
「遅い。」
「6時ちょうどだよ。」
「1分前に着くのが、常識だ。」
遊戯は、反論しなかった。城之内は、反論しようとして、本田に肘で止められた。
遊戯は、ケースを瀬人に差し出した。
「これ。アテムのデッキ。ボクが預かってたから。」
瀬人は、それを見た。
間があった。
それから、無言で受け取った。
使用人の1人が、それを見て、一瞬だけ困った顔をした。荷物が家主の手に渡ってしまったからだ。それから、姿勢を戻した。
遊戯は、瀬人が受け取るのを見て、少しだけ、口元を緩めた。
──デッキがあれば、海馬くんは受け取る。
それは、遊戯が電話を切った後に思いついた、唯一の作戦だった。作戦と言うほどのものではなかったが、当たった。
本田が、小声で言った。
「……お前、それ、いつ用意したんだよ。」
「電話のあと。」
「とんだ浅知恵だな。」
「でも、受け取ったよ。」
本田は、黙った。
瀬人が、アテムを見た。
アテムも、瀬人を見た。
「海馬。」
「……ふん。」
それだけだった。
瀬人は、使用人に顎で指示をした。
「東の客間だ。準備は済んでいる。」
「準備は済んでるって。」
城之内が、小声で言った。
「いつ、したんだよ。」
「昼過ぎからだろ。」
本田が、小声で返した。
「監視カメラで見たって言ってたし。」
瀬人は、聞こえていない振りをした。
「貴様らは、帰れ。」
「え、もう?」
「こいつを街に放置するのは、管理上の問題がある。俺が預かる。それだけだ。用は済んだ。帰れ。」
遊戯は、アテムを見た。
アテムは、エントランスの天井を見ていた。高かった。
「アテム、じゃあ、また。」
「うん。」
「何かあったら、連絡して。」
「うん。」
城之内が、最後に、瀬人を睨んだ。
「変なことしたら、承知しねえからな。」
「貴様に承知される覚えはない。」
それで、3人は帰った。
門が閉まった。
玄関に、瀬人とアテムだけが、残った。
「……久しぶりだな。」
アテムが、言った。
瀬人は、答えなかった。
背を向けて、廊下を歩き出した。
「来い。夕食は7時だ。」
アテムは、その背中を少し見てからついて行った。



東の客間は、遊戯の部屋の、4つ分はあった。
ベッドがあった。机があった。窓が、大きかった。
着替えが、クローゼットに、揃っていた。サイズは合っていた。
アテムは、それらにざっと目を通して、ベッドの縁に座った。
昼過ぎに決めたにしては、準備が良すぎる。
そう思ったが、それ以上は考えなかった。

夕食は、7時だった。
長いテーブルの、端と端だった。
会話は、無かった。
瀬人は、食事の間、タブレットを見ていた。アテムは、皿を見ていた。
皿の中身は、アテムが現世で食べたことのあるものばかりだった。
それにも気付いたが、それ以上は考えなかった。



夜、11時。
客間の扉が、ノックされた。
「起きているか。」
「起きてる。」
扉が開いて、瀬人が立っていた。腕に、デュエルディスクを付けていた。
もう片方の手に、デッキケースを持っていた。
「暇だろう。」
「……暇だ。」
瀬人が、デッキケースを放った。
アテムは、受け取った。
「遊戯が、置いていった。」
「……ああ。」
「来い。」
アテムは、ケースを開けて、中を確かめた。
自分のデッキだった。順番まで、同じだった。
遊戯が、触っていない。
それだけ分かって、ケースを閉じた。

決闘は3時までかかった。
2勝1敗で、瀬人が勝ち越した。
「貴様、鈍っているぞ。」
「冥界には、相手がいない。」
「……ふん。」
瀬人は、デュエルディスクを外しながら、言った。
「明日は、8時に出社する。」
「うん。」
「9時に、朝食が出る。」
「うん。」
「……いつ、帰る。」
アテムは、少し考えた。
「決めてない。」
「期限のない預かり物は、預かり物とは言わん。」
「何と言う。」
「押し付け、だ。」
「なら、期限が決まるまで、世話になる。」
「……ふん。」
瀬人は、部屋を出て行った。
アテムは、デュエルディスクを、机の上に置いた。
デッキは、抜かなかった。





翌朝、9時。
朝食の席に、珈琲が2つ出ていた。
瀬人は、8時に出社していた。
アテムは、少し、その2つ目の珈琲を見てから飲んだ。






2日目。
アテムは、朝食のあと、屋敷の中を歩いた。
広かった。
廊下を3本、階段を2つ、扉を数え切れないほど通った。
途中で、使用人に4回、会った。4回とも、頭を下げられた。
庭に出た。
庭も、広かった。
昼まで、庭にいた。
昼食は、1人だった。
瀬人は、夜の9時に帰ってきた。
夕食は、9時半だった。
「何をしていた。」
「歩いていた。」
「どこを。」
「屋敷を。」
「……そうか。」
決闘は、11時からだった。
1勝1敗だった。





3日目。
アテムの部屋の机に、タブレットが置かれていた。
起動すると、屋敷の見取り図が入っていた。
廊下は5本、階段は3つ、扉は72だった。昨日、数え損ねていた。
見取り図の下に、一行、書いてあった。
『迷子は、管理上の問題だ。』
アテムはそれを読んで、タブレットを閉じた。
昼食は、1人だった。
夕食は、9時だった。
「見取り図は。」
「見た。」
「迷っていないか。」
「迷っていない。」
決闘は、11時からだった。
2勝1敗で、アテムが勝ち越した。
「鈍っていないな。」
「取り戻した。」
「……ふん。」





4日目。
瀬人は、出社しなかった。
書斎で、仕事をしていた。
アテムは、書斎の前を、2回、通った。
3回目に通った時、扉が開いていた。
中に、椅子が2つあった。
昨日は、1つだった。
アテムは、扉の前で、少し止まった。
「入るなら入れ。通るなら通れ。」
中から声がした。
アテムは、入った。2つ目の椅子に座った。
瀬人は、顔を上げなかった。
アテムは、何もしなかった。
昼まで、そこにいた。
昼食は、2人だった。





5日目。
朝食の席に、珈琲が、2つ出ていた。
瀬人は、8時に出社していた。
アテムは、2つ目の珈琲を飲んだ。
飲んでから、気付いた。
初日から、毎朝、2つ出ていた。
1つは、8時に出社した男の分ではない。
誰も、飲まない珈琲が、毎朝、出ていた。
アテムは、空になったカップを少し見た。





6日目。
夕食は、9時だった。
「いつ、帰る。」
「決めてない。」
「昨日もそう言ったな。」
「昨日も、決めていなかった。」
「一昨日も。」
「一昨日もだ。」
瀬人は、フォークを置いた。
「期限を、決めろ。」
「決められない。」
「何故だ。」
「冥界の仕事は、俺がいなくても回っている。急ぐ理由がない。」
「……回っている、だと?」
「回っている。」
瀬人は、暫くアテムを見ていた。
「ならば、俺が決める。」
「何を。」
「期限だ。返しに行く。」
「返しに行く?」
「貴様を、冥界に、返しに行く。期限の交渉は直接する。」
アテムは、皿を見た。
それから、瀬人を見た。
「……お前が、冥界に行くのか。」
「行く。」
「俺を、返しに。」
「そうだ。」
瀬人は、フォークを取り直した。
「明日だ。8時に出る。遅れるな。」
「1分前に、行く。」
「……ふん。」
決闘は、11時からだった。
2勝1敗で、瀬人が勝ち越した。
瀬人は、デュエルディスクを外して、部屋を出る前に、一度だけ、振り返った。
「デッキは、持って行け。」
「うん。」
「向こうで、鈍らせるな。」
「……うん。」
扉が、閉まった。
アテムは、デュエルディスクを、机の上に置いた。
デッキは、抜いた。
ケースに、入れた。
初日以来、初めてだった。






冥界は、24℃だった。
いつ来ても、そうだった。

瀬人が冥界に入るのは、初めてではなかった。だが、王を連れて入るのは初めてだった。
王宮の門番が、2人を見た。
王を見て、頭を下げた。
瀬人を見て、少し困った顔をした。
それから、また王を見て、もう一度、頭を下げた。
「……お帰りなさいませ。」
「うん。」
「お早い、お戻りで。」
「6日だ。」
「6日、ですか。」
門番は、それ以上、何も言わなかった。
瀬人は、その顔を見ていた。





王宮の中は、静かだった。
静か、と言うより、滞りがなかった。
廊下を、書類を抱えた者が、早足で通った。王に頭を下げて、通り過ぎた。止まらなかった。
瀬人は、その背中を、目で追った。
「……あれは。」
「決裁の書類だ。セトの所に行く。」
「王の所には、行かんのか。」
「俺がいない間は、セトが見る。」
「お前がいる今は?」
アテムは、答えなかった。
書類は、セトの所に行った。



セトは、執務室にいた。
机の上に、書類の山が、3つあった。
1つは、未決。1つは、既決。1つは、既決の上に、既決が積まれたものだった。
セトは、顔を上げた。
アテムを見た。
その顔が、一瞬、止まった。
「……王。」
「セト。」
「お早い、お戻りで。」
「6日だ。」
「6日、ですか。」
セトは、立ち上がった。書類を1枚、手に持ったままだった。それに気付いて机に戻した。
瀬人は、その動作を見ていた。
「どうか……。」
セトが、言った。
アテムに向かって、言った。
「どうか、現世にて、ごゆっくりお寛ぎください。」
「……うん?」
「王がお留守の間、冥界の政務は、滞りなく進んでおります。ご心配には及びません。」
「そのようだな。」
「王は、3000年、お働きになった。現世での休息は当然の権利です。」
「3000年は、封印されていた。」
「それも含めてです。」
アテムは、セトを見た。
セトは、アテムを見ていた。瀬人を見ていなかった。
瀬人は、腕を組んだ。
「おい。」
「……何か。」
初めて、セトが瀬人を見た。
「貴様、今、押し付けたな。」
「押し付けておりません。」
「こいつを、現世に。」
「お寛ぎいただきたい、と申し上げました。」
「同じことだ。」
「同じではありません。」
セトは、またアテムを見た。瀬人を見なかった。
「王のためを、思ってのことです。」



マハードは、書庫にいた。
本が机の上に、8冊、開いていた。
アテムを見て、立ち上がった。
その動作が、セトより少し遅れた。
「……王。」
「マハード。」
「お早い、お戻りで。」
「6日だ。」
「6日、ですか。」
瀬人は、3度目のそれを聞いていた。
台詞が同じだった。
順番まで、同じだった。
「マハード。研究は。」
「はい。王がお留守の間に少々。」
「進んだか。」
「……はい。」
マハードは、開いた本の1つをそっと閉じた。
「王。」
「うん。」
「ここに、争いは、ございません。」
「知っている。」
「王が、守るべきものは、今、ここにはございません。」
「……。」
「守るべきものが無い場所に、王がいらっしゃる必要はございません。」
「……マハード。」
「現世には、あるのでしょう。王が、いるべき理由が。」
マハードも、瀬人を見なかった。アテムだけを、見ていた。
「どうか、そちらに。」
アテムは、暫く黙っていた。
それから、言った。
「……俺は……。」
今度は、続けた。
「荷物か。」
マハードは、答えなかった。
セトも、答えなかった。
瀬人は、何も言わなかった。
言わなかったが、瀬人の頭の中で、1つ、計算が終わっていた。
亀のゲーム屋。海馬邸。冥界。
アテムが来た。預かった。返しに来た。返せなかった。
返しに来た先で、押し付けられた。
つまり、自分は終点だ。
「……俺は、倉庫か。」
声に出ていた。
アテムが、瀬人を見た。
「お前も、言うのか。」
「……何をだ。」
「俺は荷物か、と。お前は倉庫か、と。」
「言っていない。」
「言った。」
「……ふん。」





交渉は、1時間かかった。
瀬人は、期限を要求した。
セトは、期限を出さなかった。
「王がお戻りになりたい時が期限です。」
「それは期限ではない。」
「王のご意向が全てです。」
「アテムの意向は、決めてない、だ。」
「では、決まるまで。」
「決まるまで俺が預かるのか。」
「預かれ、とは、申しておりません。」
「何と言うつもりだ。」
「王のためを、思って。」
瀬人は、それ以上、言わなかった。
言っても、同じ台詞が返ることが分かった。
アテムは、その横で聞いていた。
6日前、遊戯の部屋で聞いた会話に似ていた。
床を見て、部屋を見て、代案がなくて、決まる。
決めたのは、セトでも、マハードでも、瀬人でも、自分でもなかった。
誰も決めていないのに、決まった。
「……まあ、いいか。」
セトが、頭を下げた。
マハードも、頭を下げた。
深く、下げた。
「お気をつけて、お戻りくださいませ。」
「戻る、じゃない。行く、だ。」
「……お気をつけて、行ってらっしゃいませ。」





帰りの門で、門番が、2人を見た。
王を見て、頭を下げた。
瀬人を見て、少し困った顔をした。
それから、瀬人に向かって頭を下げた。
初めてだった。
瀬人は、それを見て、何も言わなかった。
24℃の空気を、一度、吸った。
「……ここも、押し付ける気か。」
門番には、聞こえない音量だった。
アテムには、聞こえていた。






海馬邸に戻ったのは、夜だった。
玄関で、使用人が2人立っていた。荷物を受け取る姿勢だった。
荷物は、デッキケースが1つだった。
アテムが自分で持っていた。
使用人は、それを見て困った顔をしなかった。
もう、慣れていた。

夕食は、10時だった。
会話は、無かった。
決闘は、無かった。
瀬人は、11時に、書斎に入った。
アテムは、客間に入った。
デッキは、ケースから出さなかった。





翌日、瀬人は8時に出社した。
アテムは、9時に珈琲を2つ見た。
1つを飲んで、屋敷を出た。
使用人が、玄関までついて来た。
「お出かけ、ですか。」
「うん。」
「お車を。」
「歩く。」
「行き先を、伺っても?」
アテムは、少し考えた。
「……問題を、なくしに。」
使用人は、それ以上は聞かなかった。
アテムは、夕方まで帰らなかった。





夜、10時。
書斎の扉が、開いていた。
椅子が、2つあった。
アテムは、2つ目の椅子に座った。
瀬人は、顔を上げなかった。
暫く、2人とも何もしなかった。
「海馬。」
「何だ。」
「どこも、俺を要らないらしい。」
瀬人の手が止まった。
「亀のゲーム屋には、部屋がない。冥界には、仕事がない。お前は、期限を決めろと言う。」
「……。」
「要らない、と、誰も言わない。だが、置く場所がない。」
声は、低くも、高くもなかった。
怒ってもいない。悲しんでもいない。
6日間、庭を歩いていた時と、同じ声だった。
瀬人は、顔を上げて、アテムを見た。
それから、机の引き出しを開けてタブレットを取り出した。
起動して、画面を、アテムに向けた。
「見ろ。」
アテムは、見た。
物件情報だった。
3LDK。築2年。海馬コーポレーション本社まで徒歩8分。
「……何だ、これは。」
「住所だ。」
「住所。」
「荷物には住所がない。預かり物にもない。」
瀬人は、画面を、指で送った。
2件目。3件目。全部、徒歩10分以内だった。
「住所を持て。」
「……。」
「期限が決まらんのなら、預かり物でいる期間を終わらせろ。荷物でなくなれば、誰もお前を押し付けん。」
アテムは、画面を見た。
3LDK。徒歩8分。
ここではない場所。
「……海馬。」
「何だ。」
「これは、ここじゃないのか。」
「ここは、俺の邸だ。」
「そうだな。」
「お前の住所を、お前が持て、と言っているのだ。」
アテムは、タブレットを机に置いた。画面を消した。
瀬人は、その動作を見ていた。
言い方を間違えたかどうか、検討を始めていた。
検討が終わる前に、アテムが、口を開いた。
「海馬。」
「……何だ。」
「実は、俺も、いいものを手に入れてきたんだ。」
瀬人は、検討をやめた。
「……何だと。」
「今日、外に出た。」
「聞いている。」
「問題を、恒久的になくす方法を、探しに行った。」
「……どこへ。」
「役所だ。」
瀬人は、何も言わなかった。
「現世で居場所を決めるのは、役所だと聞いた。相棒が、前にそう言っていた。住むには届けを出す、と。」
「……なるほど。」
「だから、行った。」
「……それで?」
「窓口で現状を説明した。」
「どう説明した。」
アテムは、少し、胸を張った。
「俺は、面倒見の良い男の家で暮らしている、と。」
瀬人の眉が、僅かに、動いた。
「それから。」
「その男は、俺を対等に扱う唯一の人間だ、と。」
「……。」
「期限がないと言われている。だが俺は、恒久的に、ここにいる方法を探している、と。」
「役所は何と言った。」
「最初の窓口の者は、暫く黙って、それから、別の課に行けと言った。」
「どこの課だ。」
「覚えていない。次の課でも、同じ説明をした。そこの者も、暫く黙って、また別の課に行けと言った。」
「……何回、回った。」
「4回だ。」
瀬人は、目を閉じた。
「最後の課は、何の課だった。」
「……戸籍に関する課だ。」
「……。」
「そこの者は、俺の話を、最後まで聞いた。聞いてから、俺の戸籍を調べると言った。」
「ある筈がない。」
「なかった。」
「だろうな。」
「生年月日を聞かれた。」
「……何と答えた。」
「3000年ほど前だ、と。」
瀬人は、目を開けなかった。
「何と言われた。」
「暫く黙ってた。それから、俺の話に出てきた男の名前を聞いた。」
「……。」
「海馬瀬人、と答えた。」
「……。」
「役所の者は、それを聞いて、また暫く黙って、それから、書類を1枚、出してきた。」
「……。」
「これを出せば、恒久的に問題はなくなる、と言っていた。」
「……。」
「海馬さんなら、戸籍のことも何とかしてくださるでしょう、とも言った。」
瀬人は、目を開けた。
「……渡されたのか。」
「渡された。」
「持っているのか。」
「持っている。」
アテムは、懐から、1枚の紙を、取り出した。
切り札を出すような仕草だった。
「いいものを手に入れた。」
用紙には折り目が、2つ、付いていた。
それを、机の上に置いた。
「これを発動すると、俺は、恒久的に、ここが居場所になる。」
アテムには、自信があった。迷いがなかった。
押し付けられた、とは微塵も思っていなかった。
瀬人は、その紙を見た。
手に取らなかった。
取らなくても、読めた。
婚姻届、と書いてあった。
瀬人は、その字を暫く見ていた。
それから、アテムを見た。
アテムは、瀬人を見ていた。まだ、自信があった。
「……アテム。」
「うん。」
「お前に、その覚悟が、あるのか。」
「……ん?」
瀬人は、立ち上がった。
机を回って、アテムの椅子の前に立った。
「立て。」
「……何だ。」
「立て、と言っている。」
アテムは、立った。
立った瞬間、視界が、90度、回った。
「あ、ちょっ……。」
床が、遠かった。
瀬人の肩に、担がれていた。
「海馬?」
「黙れ。」
「何を?」
「覚悟の、説明だ。」
書斎の扉が、開いた。
瀬人は廊下を歩いた。
早足だった。
アテムは、瀬人の背中を見ていた。逆さまだった。
「……待て。」
「待たん。」
「客間は、そっちじゃない。」
「客間には行かん。」
「どこへ。」
「俺の部屋だ。」
「何故だ。」
「客間は預かり物の部屋だ。お前はもう、預かり物ではない。」
アテムは、その論理を、逆さまのまま暫く考えた。
考えている間に、扉が開いて閉まった。



ベッドは、広かった。
そこに、降ろされた。
落とされた、と言う方が、近かった。
「海馬。」
「何だ。」
「覚悟、とは、何の……。」
「今から、説明してやる。」
「口で、説明しろ。」
「非効率だ。」
瀬人の手が、アテムの襟に、かかった。
「あ、ちょ、どこを、触っ……。」
「襟だ。」
「襟の、下だろ。」
「順番だ。」
「順番、って!」
ボタンが、1つ、外れた。
2つ、外れた。
アテムは、瀬人の手首を、掴んだ。
「待て。」
「……何だ。」
「これは、婚姻届と、何の関係がある?」
「お前が発動したのだろう。」
「発動は、したが。」
「効果は、これだ。」
「……それは、聞いてないぜ。」
「知らん。」
「役所は、言わなかった。」
「役所が言うか。」
アテムは、掴んだ手首を、離さなかった。
瀬人も、動かなかった。
2人で、暫くそのままだった。
「……海馬。」
「何だ。」
「これも、恒久的なのか。」
「恒久的だ。」
「毎日、か。」
「……それは運用で検討する。」
「運用。」
「仕様は恒久的だ。運用は別だ。」
アテムは、その言葉をぼんやり考えた。
その間に、手首から力が抜けた。
瀬人は、それを待っていた。
3つ目のボタンが外れた。
「あ、ちょっ……。」
「まだ、言うか。」
「言う。」
「言え。」
「……灯りを、落とせ。」
「落とさん。」
「何故だ。」
「仕様だ。」
「何の仕様だ。」
「俺のだ。」
アテムは、天井を見た。客間より高かった。
「……お前も。」
「何だ。」
「……いや。」
「言え。」
「……めちゃくちゃだ。」
瀬人は、答えなかった。
答える代わりに、4つ目のボタンを、外した。

その後のことは、アテムは、順番までは、覚えていない。
覚えているのは、瀬人が、一度も、灯りを落とさなかったことと、
「待て」を、少なくとも、8回、言ったことと、8回とも、待たれなかったことだった。






朝だった。
アテムは、目を開けた。
天井が高かった。
客間ではなかった。
隣に、瀬人はいなかった。
枕に窪みだけが残っていた。
アテムは、その窪みを少し見た。
それから、体を起こした。起こして、少し止まった。
「……。」
もう一度、ゆっくり起こした。



瀬人は書斎にいた。
出社していなかった。
机の上に、紙が1枚、広げてあった。
折り目が、2つ、付いていた。
アテムは、2つ目の椅子に座って、少し止まった。
瀬人が、顔を上げた。
「座れんのか。」
「座れる。」
「ふん。」
瀬人は、アテムの方に紙を向けた。
左側は埋まっていた。
海馬瀬人、と書いてあった。生年月日も、住所も、本籍も、全部、埋まっていた。
右側は、空いていた。
「書け。」
アテムは、紙を見た。
「……何を。」
「名前だ。」
「名前だけでいいのか?」
「名前だけでいい。あとは、何とかする。」
「戸籍は。」
「何とかする。」
「生年月日は。」
「……何とかする。」
アテムはペンを取った。
瀬人が、その手を見ていた。
アテムは、書いた。
アテム、とヒエログリフ5文字。
それだけだった。
姓が、なかった。
瀬人は、それを見て、何も言わなかった。
「……証人が、2人要る。」
「誰だ。」
「お前が決めろ。」
アテムは、少し考えた。
「相棒と、城之内くんだ。」
「……城之内、だと。」
「多分、一番、渋る。」
「だからか。」
「だからだ。」
瀬人は、スマホを取った。





遊戯と城之内は、10時に来た。
玄関で、使用人が2人立っていた。
荷物はなかった。
書斎で、遊戯は紙を見た。少し口元を緩めた。
「……ボクが証人でいいの?」
「書け。」
遊戯は、書いた。
城之内は、紙を見た。見て、瀬人を見た。アテムを見た。
もう一度、紙を見た。
「……お前ら、いつの間に。」
「昨日だ。」
「昨日、って。」
「役所で手に入れた切り札だ。」
アテムが、言った。
自信があった。
城之内は、それ以上、聞かなかった。
聞いたら負けだと分かった。
ペンを取って書いた。
字は少し乱れていた。
「……変なことしたら……。」
「された。」
「……。」
「昨日、8回、待てと言った。」
「もういい、言うな!」
城之内は、ペンを置いた。
遊戯は、笑っていた。
瀬人は、腕を組んでいた。
「……押し付けおって。」
誰に言ったのかは、分からなかった。



帰り道、城之内は、暫く黙っていた。
海馬邸の門が、後ろで、閉まった。
遊戯が、隣を歩いていた。
「……なあ。」
「うん。」
「あいつ、何なんだよ。」
「何だろうね。」
「6日で、あれかよ。」
「うん。」
「戸籍も、生年月日も、何とかする、って。」
「するんじゃないかな。」
城之内は、空を見た。それから、遊戯を見た。
遊戯は、笑っていた。城之内も、いつの間にか笑っていた。
「……まあ、いいんじゃねえか。」
「うん。」
「あいつが、一番、面倒見いいし。」
「浅知恵、当たったね。」
「デッキのやつか。」
「うん。」
「……当たったな。」





役所の窓口は、昨日と同じ人だった。
アテムを見て、少し驚いた顔をした。
瀬人を見て、少し納得した顔をした。
紙を受け取って、左側を見て、右側を見た。
右側を、少し長く見た。
「……アテム、様。と読むのですね。」
「うん。」
「お名前だけ、ですね。」
「それだけだ。」
窓口の人は、瀬人を見た。
「海馬様。」
「何とかする。」
「……はい。」
窓口の人は、それ以上、聞かなかった。
判を押した。
押してから、顔を上げた。
にこにこ、していた。
「本日も、問題なしです。」
アテムは、その顔を見た。
昨日、この人が書類を出してきた時と同じ顔だった。
問題が、恒久的になくなった顔だった。
主に、役所の。





冥界に写しが届いたのは、その日の午後だった。
届け方は、瀬人が何とかした。
セトは、執務室でそれを受け取った。
右側を見て、左側を見た。
アテムの名前を、少し長く見た。
それから、判を押して既決の山の、一番上に置いた。
そして、もう一度その山を見た。
既決の上に、既決が積まれていた。
これで暫く、王は戻らない。
セトは、口元を、緩めた。
マハードは、書庫で9冊目の本を開いた。





夜だった。
アテムは、客間の扉の前に立って、少し止まった。
それから、通り過ぎた。
廊下を、歩いた。
瀬人の部屋の扉を開けた。
瀬人は、ベッドにいた。
「客間は?」
「預かり物の部屋だ。」
「……ふん。」
アテムは、ベッドの、瀬人の隣に入った。
天井は高かった。
瀬人は、灯りを落とす手を止めていた。
アテムを、見ていた。
「……何だ。」
「何でもない。」
アテムは、天井を見たまま、少し、瀬人の方に身を寄せた。
寄り添った、と言うより、近かった。
肩が触れた。
空気は残らなかった。
瀬人は、動かなかった。動かなかったが、腕が、アテムの背中に回った。
「……海馬。」
「何だ。」
「いつ、帰る、と、もう聞かないのか。」
「……。」
「毎日は、聞いていた。」
瀬人は、答えなかった。
腕に、少し力が入った。
それが答えだった。
アテムは、目を閉じた。
「……押し付けられたのでな。」
瀬人が、言った。
灯りを、落とさないまま。
「押し付けてはいない。」
「同じことだ。」
「同じではない。」
アテムは、目を閉じたまま、言った。
「俺が、発動した。」
瀬人は、答えなかった。
腕は離れなかった。
灯りは落ちなかった。





役所は、にこにこしていた。
冥界は、にこにこしていた。
仲間たちは、にこにこしていた。
三方、良しだった。
瀬人だけが、押し付けるな、と言い続けていた。
腕を、離さないまま。
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