帰還は、予定通りだった。
復路に要した時間や、装置の消費電力などの取得したデータ類。瀬人は、毎回それを確認していた。次回の設計をするためだった。
1度目の異常は、稼働ログにあった。
装着者の睡眠判定は23時過ぎだった。
しかし、そこから4時間、姿勢センサが、歩行と着座とを交互に記録していたのだ。生体反応については、覚醒を示していた。
冥界では、装置を外していない。帰還信号の受信端末が付いているからだ。
瀬人はログを再度確認し、時刻の整合を取って、まずは睡眠判定のアルゴリズムを疑った。実際に眠ってみて確認したが、異常はなかった。
次に、音声を再生した。
集音は環境記録用で、精度はそこまで高くない。環境音も人の声も、同じように記録される。
倍速で流していたが、聞こえてきたそれがアテムの声だということはすぐに分かった。しっかり聞き取れて、距離が近いのだと分かる。アテムが笑っていた。
もう1つ、声があった。アテムの話し相手は、装着者の口であると推定された。
「──お変わりなく。」
瀬人は再生を止めた。
聞こえてきたのは、確かに自分の声だった。
それが、自分が使わない口調で話し掛けていたのだ。
瀬人は、ログを保存し、時刻に印を付け、別のフォルダに移した。記憶にない。「未分類」と名付けた。
しかし、次の訪問予定を変更することはなかった。
2度目の訪問に備えて、瀬人は集音の精度を上げた。環境記録の設定にしていたものを、会話記録用に切り替えた。
確認すると、翌朝のログは前回と同じ時刻に始まっていた。
今度は狙い通り言葉を拾っていた。
内容は、3000年前のナイルの話だった。水位、村の数、建築物など。アテムが訊ね、自分の声が答えている。答える声は穏やかで淀みがなく、時折、笑みさえあった。
4時間分あったが、瀬人は50分を倍速で確認して止めた。
朝食の席で、瀬人はアテムの正面に座った。
「昨夜、お前は誰と話をしていた。」
「もう気付いたのか。」
「気付いたのか、ではない。」
アテムは手を止めなかった。
「セトだ。」
「誰だ。」
「誰だって、知ってるだろ。」
瀬人は答えなかった。
「いつからだ。」
「前回からだ。」
「なぜ言わなかった。」
「お前が訊かなかったからだ。」
瀬人は皿を見た。前回同様、見たことのない食べ物が乗っていた。
「古代の亡霊が出ないよう見張れ。」
「見張る?」
「俺が寝ている間だ。」
「分かった。」
アテムは頷いた。しかし、ほんの少しだけ、口の端を上げた。
瀬人はそれをしっかり目撃していた。見なかったことにするか、更に念を押すかどうかを決める前に、アテムは食事を終えて席を立った。
3度目の訪問の前に、瀬人は紙を用意した。
タブレットでもよかったが、相手がタブレットを使えるかどうか分からなかった。紙なら、確実だった。
就寝前、それを枕元のテーブルに置いた。
──他人の身体を無断で使うな。引っ込んでいろ。
翌朝、紙は裏返っていて、そこに返事があった。
筆跡は確かに自分のものだったが、書き慣れていないようで、一画ずつ書いたような丁寧さだった。
──ご心配には及びません。睡眠が不足しない程度に留めます。
留める、とあった。やめる、ではなかった。
瀬人はログを開いた。
前夜の会話は、紙の話から始まっていた。
「手紙をいただきました。」
「海馬からか?」
「はい。読み上げましょうか。」
自分の声が自分の書いた文を読んでいた。
「他人の身体を無断で使うな。引っ込んでいろ。」
それを聞いたアテムが笑った。よほど面白かったのか、暫く笑い続けていた。
「ふっ……ふふ、海馬らしいな。」
「そうですね。私も同意見です。」
「どうする。あいつ、本気だぜ?」
「でしょうね。真っ当な要求です。」
「守る気は。」
「……睡眠不足にならない程度には。」
また笑い声がした。今度は2人分だった。
瀬人はそこで再生を止めた。
4度目の訪問のログは、50分聞いた。
5度目は、1時間20分。
6度目は最後まで聞いてみた。4時間10分。
内容は毎回違った。神殿の柱の数。井戸の掘り方。マハードが若い頃に失敗した術の話。アテムが訊き、セトが答える。セトが訊き、アテムが答える。答えられない問いには、2人とも黙った。黙る時間はログに空白として残る。
どれも、大した内容ではなかった。
自分の声で、自分の知らない時代が語られているだけ。瀬人はそれを、音声データとして処理した。
7度目から、瀬人は泊まらなかった。
日中に着き、用件を済ませ、日のあるうちに帰る。装置は稼働したままだが、ログには何も残らなかった。
8度目も、9度目も同じだった。
アテムは泊まっていかないことについては何も言わなかった。門まで見送り、次の予定を確認して戻って行った。
10度目。
着いたのが夜だった。
計算に誤差が出たためだった。冥界の時間は必ずしも現世と一致しないらしい。ある程度のズレは想定内だったが、その日は想定以上だった。
用を済ませて帰るとなると、夜通し決闘 をして早朝になる。
瀬人は久しぶりに冥界に泊まった。
寝台に横になり、装置の稼働を確認し、目を閉じた。枕元に紙を置くかどうか暫し思案し、やめた。
翌朝のログは4時間半あった。
いつもより長い。
それを瀬人は最後まで聞いた。
会話は、久しぶりですね、から始まっていた。
「3回、来なかったからな。」
「来ていたのでは?」
「昼だけだ。」
「なるほど。」
セトはそれ以上、瀬人の話をしなかった。柱の話や、河の話、アテムが飼っていた猫の話をした。猫の話でアテムが笑い、笑い終わるのを待ってから、セトが訊いた。
「日中は、いかがお過ごしでしたか。」
「いつも通りだ。」
「現代の子が帰った後は。」
「いつも通り。」
「……ふむ。」
短い沈黙があった。
「……次の予定を考えてた。」
「何日先か、ですね。」
「言うなよ。」
「私は何も申しておりません。」
また沈黙。今度は、少し長かった。
「あいつは俺を、王とも神とも思っていない。」
「そうですね。」
「それだけだ。」
「はい。」
「それだけなんだ。」
「存じております。」
そこで会話は柱の話に戻った。戻り方が自然で、アテムは気付いていないようだった。
瀬人はそこで再生を止めて、再度聞いた。
アテムの「それだけなんだ」と言った声を。
それから時刻を控え、ログを保存し、これは「未分類」フォルダには入れなかった。
かといって、新しいフォルダは作らなかった。
保存先は、装置の本体だった。
11度目、瀬人はわざと夜に着くように計算した。
いつもなら寝台に向かう時刻に、瀬人はアテムの部屋の前に立った。
扉を叩く。
アテムは薄い寝巻き姿だった。そろそろ寝る時間だったらしい。
口を開きかけて、瀬人の顔を確認した。
「セ……海馬?」
「そうだ。」
「寝ないのか。」
「たまにはお前の"夜更かし"に付き合ってやる。」
アテムは扉を開けたまま、暫く動かなかった。
「……セトから、何か聞いたのか?」
「亡霊と話す趣味はない。」
部屋に入ると、椅子は1つ。瀬人はそこに座った。アテムは寝台の端に腰を下ろした。
夜更かしに付き合うと言って来たものの、話すことは特になかった。瀬人はタブレットを出し、アテムは本を開いた。
1時間程して、瀬人が一言だけ言う。
「猫を飼っていたそうだな。」
アテムの手が止まった。
「誰に聞いたんだ。」
瀬人は答えなかった。
アテムは瀬人を眺めていたが、答えなさそうだと諦めて視線を本に戻した。
「……白い猫だった。名前はなかった。」
「名前ぐらい付けろ。」
「今なら、付けるかもな。シロだ。」
それきり、猫の話はしなかった。
装置のログは、その夜、何も記録しなかった。
正確には、瀬人の声とアテムの声だけを記録した。
セトの時間は、なかった。
12度目も、13度目も、瀬人は夜更かしをした。
その間に、アテムの部屋の椅子は2つになっていた。
14度目、瀬人は夕食の後に眠った。
現世で3日、休んでいなかった。冥界に着いた時点でそれは分かっていた。
翌朝、枕元に紙があった。
──夜更かしをされると、私の時間がないのですが。
一画ずつ止めた筆跡。
瀬人はログを開いた。2時間40分。いつもよりは短かった。
セトは会話の途中で「そろそろ」と言い出し、アテムが「まだ早い」と会話を続けようとした。だが、セトが「持ち主が寝不足ですので」と切り上げていた。
紙の裏に書いた。
──俺の体だ。貴様の時間などない。
15度目、瀬人は夜更かしをした。紙は動かなかった。
16度目、瀬人が眠った。朝、紙が裏返っていた。
──承知しました。では、空いた時間をいただきます。
瀬人はそれを睨みつけた。空いた時間とは、瀬人が眠っている時間のことで、つまり、何も変わっていない。
17度目、瀬人は眠った。
翌朝のログは3時間50分あった。
会話は、いつもの始まり方をしていなかった。
「セト。お前さ、海馬に、何か言ったか?」
「何を、でしょう。」
「猫の話を知ってた。」
「猫の話は、あなたがなさったものです。」
「だが、それはお前にだ。」
「はい、私はそれを聞きました。」
「だから訊いてるんだ。」
「私は何も言っておりませんよ。」
短い沈黙があった。
「嘘だ。」
「信じられないのも、無理はないかもしれませんね。」
セトはそれ以上、弁明をしなかった。一回否定しただけで、後は黙って聞いていた。アテムは同じ質問を言い方を変えて何度かしたが、セトの答えは全て同じだった。
まだ訊こうとするアテムに対して、セトが少し笑って言った。
「私に訊いても、私の答えしか出ませんよ。」
「……。」
「問い詰めるのなら、本人になさってはいかがですか。」
「言えるかよ。」
「それは流石に、私の知るところではありませんね。」
そこから柱の話に戻るまで、ごにょごにょとアテムがごねて、40分かかった。
瀬人は最後まで聞いた。
セトは濡れ衣を着せられ、それを放置し、話を柱に戻した。瀬人はそれを、弁明の技術としては評価しなかった。
当然だ、この男なら簡単にアテムを丸め込むだろうと分かっていた。
だから、評価したのは別のことだった。
瀬人が眠っていれば、セトは出る。空いた時間をいただきます、と書いていた通りに。
紙は書かなかった。
書いても同じだったからだ。
18度目、瀬人は夕食の後、アテムの部屋に行った。
椅子には座らなかった。机の上に、紙を2枚置いた。
アテムが取る。表を読み、裏を読み、もう1枚を読んだ。
読み終わるまで、瀬人は立っていた。
「……これは?」
「古代の亡霊は、まだ出ている。」
「うん。知っている。」
「監視しろと言った筈だ。」
「見張ってはいるぜ。」
「話しているだけではないか。」
アテムは紙を机に戻した。
「セトから、聞いたのか?」
「亡霊と話す趣味はないと言っただろう。」
「なら、どうして……猫のことを……。」
「俺の装置には記録機能がある。」
沈黙があった。
アテムは瀬人を見て、それから装置を見た。瀬人の腕に、いつも通り装着されている装置がそうなのだろう。
「……いつから。」
「初めからだ。」
「全部か?」
「全部だ。」
アテムは椅子に座って、暫く何も言わなかった。
視線は机の上の紙にあった。紙を見ている間、瀬人の方は見なかった。
「なら、猫の話は。」
「お前が言ったことだ。」
アテムが黙った。
確かにセトに話した。
セトの耳は、瀬人の耳だったのだと気付いた。
アテムの耳が赤かった。瀬人の位置からは、それが見えた。
「消せ。」
「消さん。」
「海馬。」
「俺の装置だ。」
アテムは赤い顔のまま、息を吐いた。笑いに近かった。
「お前は、本当に……。」
続きは言わなかった。代わりに本を取り、開き、開いたまま読まなかった。ページが変わらなかった。
瀬人はもう1つの椅子に座った。タブレットを出す。
暫くして、アテムが紙を取った。表と裏を、また読んだ。
「これ、もらっていいか。」
「何に使うんだ。」
「使わない。」
「ならば要らんだろう。」
「要る。」
アテムは紙を2枚とも本に挟んだ。
「最初のもあるだろ。他人の身体を使うな、というのが。」
「……。」
「あるんだな。」
瀬人は答えなかった。それが答えだった。
その夜、瀬人は眠らなかった。
ログには2人分の声が残った。
翌朝、紙はなかった。
書く者が、出られなかったからだ。
19度目、瀬人は夜更かしをした。
椅子は2つ。タブレットと本。いつも通りだった。
1時間半ほどして、ページを捲る音が止まった。
瀬人は端末から顔を上げた。
アテムは本を膝に置いたまま、椅子の背に頭を預けていた。目は閉じている。呼吸が長い。
瀬人はタブレットに戻った。
10分後、再度見た。変わっていなかった。
やはり、眠っている。起こさなかった。
寝台の毛布を取って、かけた。膝に乗っていた本を回収し、開いていたページを覚え、閉じて机に置いた。
椅子に戻り、タブレットを開き、開いたまま見なかった。
自分の声で、自分に作れない表情がアテムに向けられている。ログによるとそう解析されるだろう。声しか知らない。だが、その顔は今、この場にあるのだろう。見えてはいないが。
瀬人はそれを分かっていながら暫く座っていた。
明け方、アテムが目を開けた。
毛布に気付いて、瀬人を見て、何も言わなかった。
瀬人も何も言わなかった。
毛布は、瀬人が戻った後、椅子の背に畳んで掛けられた。
20度目、瀬人は眠った。
現世で、4日ほど休んでいなかった。
翌朝のログは3時間あった。
会話は、いつも通り始まり、途中で変わった。
「毛布をかけられた。」
「どなたに。」
「分かってるだろ。」
「そうですね、それは……。」
「言うな。」
「私は何も申しておりませんよ。」
短い間があった。
「温かかったですか。」
「……ああ。」
「それは何よりです。」
セトはそれだけ言って、話を変えなかった。暫く黙っていた。黙る時間はログには空白として残る。
「海馬が言ってた。」
「何を、でしょう。」
「ログのことだ。お前も、聞かれてる。」
「なるほど。」
セトはそれだけ言って、少し黙った。
それから、声の向きが変わった。アテムに向けていた声を、正面に向けた。誰もいない正面に。
「海馬瀬人殿。聞いておられますね。」
瀬人は再生を止めなかった。
「私の時間は、用意していただかなくて結構です。あなたが夜更かしをなさる限り、私は出られません。それで結構です。……では、今夜の分は、いただきます。」
アテムが笑う声がした。
会話は柱の話に戻った。
3時間が過ぎ、セトが「そろそろ」と言って、アテムが「まだ早い」と話を続けようとしたが、扉の音がした。
石の廊下に響く足音。もう1つの扉の音。
瀬人の部屋だった。寝台に腰を下ろす音がした。
それから、誰もいない部屋で、セトが呟いた。
「あの方は強くなられました。強くしたのは、あなたです。私は、見ておりましたので。私からは、それだけです。」
ログはそこで、睡眠判定に切り替わった。
瀬人は最後まで聞いた。
聞き終えて、紙を出した。
──引っ込んでいろ。
次に見ると、紙は裏返っていた。
──睡眠が不足しない程度に。
朝食の席で話すと、アテムが手を出した。
「それも。」
瀬人は紙を渡した。
最初の1枚も、その日のうちに渡した。
紙は全部、アテムの本の中にある。
瀬人の手元には、ログだけが残った。
30度目、瀬人はアテムの寝台で眠った。
いつからなのかは、ログに残っていない。
境界を越えた夜は記録されなかった。瀬人が起きていた夜だからだ。起きている間のログは会話しか拾わない。会話のない時間は、空白として残る。
空白は、記録していない。
その夜、アテムは寝台に腰かけ、薄い寝巻きに着替えていた。
瀬人が、別の寝巻きを差し出した。
「着ろ。」
「パジャマ?」
「これを着ろ。」
アテムは現世のパジャマを見て、瀬人を見た。
「何故、これを?」
「俺が眠るからだ。」
少しの間があった。
それから、アテムは、暫く腹を抱えて笑っていた。
「……お前、これは、流石に。」
「着ろ。」
「あいつは、お前だぜ?」
「アレは俺ではない。」
アテムはまだ笑っていた。だが、笑いながら寝巻きを取り、袖を通し、ボタンを留めた。
「これでいいか?」
上2つが開いていた。良くなかった。瀬人は1つを残して留めた。
「これなら良い。」
アテムが近付いて、距離がなくなった。
短く口が触れた。離れる時に、アテムが言う。
「おやすみ。」
「ああ。」
瀬人は寝台に横になり、装置の稼働を確認して、目を閉じた。
翌朝のログは、1時間20分だった。
短い。
会話は寝台の上で始まっていた。
「……ここは……なるほど。」
「なんだ。」
「いえ。承知いたしました。」
「何を。」
「寝巻きの件を。」
アテムが笑う声。それから、寝台の軋む音があった。
「私は椅子で休みます。」
「こっちで寝ていいぜ。あいつは、お前だ。」
「いえ。アレは私ではありません。」
「だが、起きて椅子にいたら……。」
「あなたが困りますね。」
「セト!」
「では、失礼して。……これなら、良いでしょう。」
「念入りだな。」
また軋む音がして、そこから会話は柱の話になった。1時間程で、セトが「そろそろ」と言い、アテムは、今度は「まだ早い」とは言わなかった。
「おやすみ。」
「はい。おやすみなさい。」
瀬人は再生を止めた。
隣で、アテムが眠っていた。
瀬人が留めたのは、2番目までだった。
だが、寝巻きのボタンは、念入りに全て留まっていた。
そして、襟も、瀬人が留めた時より、きちんと合わせてあった。
