三毛猫

海馬瀬人は王を「三毛猫」にしようとした。本人は至って真面目である。


不時着した機体は砂に塗れていた。

あちこちから熱が立ち上り、落下で焼けた金属の匂いが充満し、開いたハッチの縁は熱でゆらゆら揺れて見えていた。
冥界の神官達がその周りを囲んでいた。誰も近付かないのは、王の客人であるからでもあり、この異物を、どう扱えばいいか分からないからだ。
当然、上手く渡り合える自信のある者など居らず、遠巻きに覗いていた。布の擦れる音と潜めた声だけなのだから、随分と行儀が良い野次馬だった。
アテムが到着すると、その輪が割れた。
空から落ちたものがある、と。そう報告を受けるや否や、アテムは走り出していた。
アテムが覗き込むと、ハッチの内部は影になっていて暗かった。座席に沈むようにして、瀬人が動かずにいる。
「海馬?」
肩に手を置くと、布越しに体温があった。生きている者の熱だった。
「海馬。起きろ。」
何度か肩を揺らすと、やがて瀬人の睫毛が動いた。
目が開き、焦点が合うまでに少し時間を要した。
何を見ているのか、果たして見えているのか、アテムには分からない。
意識が戻るのを待っていると、腕が伸びてきた。
座席に身を預けたまま、伸ばされた瀬人の腕がアテムの背に回り、引き寄せられた。
熱が、正面から来た。
胸と胸が合わさる。熱が、一枚隔てて伝ってくる。心臓の打つ音が近すぎて、どちらのものなのか、一瞬分からなくなった。
急なことに、アテムは動けなかった。
肩に、顎が乗せられた。顎の骨の硬さがダイレクトに伝わり、耳のすぐ後ろでは呼吸の音がした。長く吐かれた息が首筋にかかって、釣られて温度が上がった。
背後では、ざわめきが起きていた。
王に触れることなど、神官達にとっては作法の外のあり得ない事態で、声が波のように後ろから押し寄せてくる。
まずい、と思い、アテムは片手を上げた。
言葉は使わなかった。下がれ、と手の甲で示した。渋々といった気配を残しつつも、布の擦れる音が、遠ざかっていく。
その間も、瀬人は腕を離さなかった。
顎は肩に乗ったままで、背に回された手が、確かめるように、一度だけ握り直された。
アテムは、自分の体が強張って、呼吸が浅くなっているのを感じていた。
「海馬…?」
声に、戸惑いが混じった。
瀬人の体に僅かに力が入ったことを感じた。意識は、表面まで戻ってきているようだった。
瀬人が顔を上げる。
至近距離で合った目は、既に覚醒している目だった。
「……何故お前がここに居る。」
「お、お前が、急に……。」
言いかけたアテムの話を、最後まで聞かなかった。瀬人の視線が、開いたハッチの外へ動く。砂と、立ちのぼる熱と、遠巻きの神官達。
「ここは、冥界か。」
腕が、解かれた。
背に回っていた手が離れ、包んでいた熱が引いていく。さっきまで合わさっていた場所に、空気が入り込んだ。
「お前は、今さっき、現世へ戻った筈じゃなかったのか?」
そう言ったきり、アテムは続きを探す。戻った者が、何故か冥界に落ちているのだ。
「何故、ここに。」
「知ったことか。」
答えは短かった。瀬人は計器の方へ顔を向けている。
「まず怪我を診る。王宮へ来い。手当てを……。」
「必要ない。」
また、遮られた。
瀬人はハッチの縁に手をかけ、外側の状態を確かめ始めた。熱を気にする様子もなく、躊躇いなく焼けた金属に指を這わせる。
へこみやひびの状態を、1つずつ、目で追っていく。
アテムは、ただ、その横顔を見ていた。
血の痕はない。立っている。歩いてもいる。診る必要は、ないのかもしれない。それだけは安心材料だった。
機体の奥で、留め具が、かちりと鳴った。



王宮へ戻った後。
いつしか日が落ちていた。いや、気にはしていた。
アテムが砂地へ戻った時には、辺りはもう闇に沈んでいた。人払いをしてあるからか、神官達の姿もない。
機体の側に、1つだけ光があった。
青く、冷たい光。デュエルディスクが起動したまま、瀬人の手元を照らしている。灯りの代わりだ。その薄い光の中で、瀬人は機体の側に身を屈め、何かを締め直していた。
「海馬。」
返事はなく、手も止まらない。
青白い光が、瀬人の頬の輪郭をなぞっていた。指先は油で汚れ、前髪が汗で貼り付いている。言葉はないし、瞬きの間隔が長い。
無茶だ、とアテムは思った。
「部屋を用意させた。」
一瞬、手が止まった。
「来い。続きは、明るくなってからでいいだろ。」
瀬人はすぐには動かなかった。デュエルディスクの光を、外のへこみに一度滑らせる。それから、ゆっくりと身を起こした。
素直ではないが、断りはしなかった。






王宮の一室は、灯りが点されていた。
運ばれた食事を、瀬人は黙って口に運ぶ。味は、確かめなかった。食事など、空腹を満たすだけのものだった。器を置く音が、静かな部屋に低く落ちた。
それから、タブレットを起動した。
画面の光が瀬人の顔を照らした。既に頭に入っている設計図を呼び出す。線の一本、数値の一桁まで、暗記しているのだ。今更見る必要などない。
それでも、改めて辿った。落下の原因が、この中のどこかにある筈だった。
指で図を送り、戻し、また送る。
しかし、どこにも、設計上の不備はなかった。当然だ、自分で設計したものなのだ。だから来た。
となると、原因は設計外の部分にあることになる。
画面の隅に、時刻が出ていた。日付は、既に変わっていて、かなりの時間が経っていた。
瀬人はタブレットを伏せた。
光が消え、部屋が、灯の色だけになった。
すっきりはしないまま、横になった。眠りは、思ったより早くやって来た。

朝食の後、瀬人はすぐに機体へ向かおうとした。
途中、廊下でアテムと出会した。
「何か、分かったか。」
「いや。これまでのパターンからして、オカルトの分野だろう。」
「オカルト……。」
アテムは口の中で繰り返した。瀬人の口から、原因として出る言葉とは思えなかった。だが、その顔に冗談の色はない。
修理だけは済ませる、と言い残して、瀬人は出ていった。



その日も、夜になっても瀬人は戻らなかった。
アテムが砂地へ行く。青い光と、屈んだ背中。
「海馬。」
呼ぶと、ようやく手が止まる。前夜と、同じだった。

翌日も同じだった。日が落ち、闇が来て、デュエルディスクの光だけが残る。そしてアテムが呼びに行く。瀬人が、ひと区切りの所で顔を上げる。
不時着した日を含めて、この3日間で休みはなし。それだけかけて、機体は大方元に戻ったらしい。

4日目の終わりに、瀬人はハッチへ手をかけた。
「修理は完了した。俺は戻る。」
乗り込もうとする腕を、アテムが掴んだ。
「待て。」
「何だ。」
「修理だけなら、前と同じだ。」
瀬人の手が、縁にかかったまま止まった。
「同じ条件で出れば、同じことが起きるんじゃないのか?」
暫く、瀬人は黙っていた。
「ならば、お前の管轄するオカルトとやらに、対策はあるのか?」
アテムは答えられなかった。冥界の理ならいくらか知っていた。だが、生者の乗り物が弾き返される道理は知らなかった。
しかし、設計に問題がないと仮定するのなら、環境の方に問題があるというのも自然な帰結だった。
瀬人の横顔に、ひとつの気配があった。知っているのだろう。瀬人が纏うのは、答えを既に知っているかのような気配だった。
アテムは、それを見分けられた。特に、この男のことなら、大抵は。
「何か、案があるのか?」
瀬人は、すぐには答えなかった。それから、短く鼻で笑った。
「昔から、船には、雄の三毛猫を乗せる風習がある。」
「……何の話だ。」
「分からんか。」
瀬人は、面倒そうに息を吐いた。
「お前を乗せれば、理屈上は同じだ。」
同じ。何と。問い返す前に、意味がやって来た。三毛猫を、守りとして船に乗せる。その役を、自分に、ということだ。
「待て、海馬、それは。」
肩に、手が置かれた。
その重みに、アテムの背が強張る。覚えのある距離だった。あの日、機体の中から伸びてきた腕と、同じ。危険だ、と思った時には遅かった。
体が浮いた。
瀬人はアテムを抱え上げていた。抗う間もなく、軽々と荷物のように座席へ運ばれ、背がシートに沈む。
「下ろせ。海馬。待て……。」
肩を押さえつけられた。逃れようと身を捩るが、その上から、ベルトが回される。胸を、腰を、留め具が滑って、かちりと噛み合った。
「海馬!」
もはや正気かどうかを、確かめる声になっていた。
瀬人は、答えない。ただ、真面目な顔だった。本気で、王を三毛猫にしようとしているのか。
アテムの中で、いくつもの思考が同時に走る。瀬人の無事は、祈っている。だが、自分が三毛猫の代わりになれる確証はない。それに、ここを離れるわけにはいかない。
「海馬、聞け、俺は……。」
静かに留め具が外され、肩を押さえていた手が、退いていった。
瀬人は身を起こし、機体の縁に肘をついた。
「これこそ、オカルトだな。」
小さく、笑った。
アテムは、暫くシートから立ち上がれなかった。
「出立は、明日、日が登ってからだ。」
瀬人はそう言って、王宮へ歩き出した。
「最終点検が済んでいない。」
アテムは機体から降り、その背を追った。並ぶと、歩幅が違う。少しだけ遅れて着いて行った。

発つのは翌日と決まった。
だから、その夜、決闘をした。1戦だけの筈だったが、結局、2戦やった。
1度では、どちらも終われなかった。フィールドを挟んでいる間だけ、王も客人もなかった。手の内を出し合い、削り合い、最後の一枚まで。ただ、対等な2人がいた。
部屋へ戻る頃には、夜も深かった。






翌朝。
アテムは、瀬人の客間へ来た。
「……本当に、出るのか。同じ条件だ。」
瀬人は荷を確かめていた手を止め、振り返った。
「お前はどこまでも、無防備な男だな。」
腕を、掴まれた。
「それとも、行きたいのか?」
アテムは、答えられなかった。
口を開けば、否と言うべきだった。王は冥界を出られない。それが理だ。だが、その言葉が、出てこない。
考えれば、行きたくないとは、言えなかった。三毛猫になれるかもしれない。それだけではない。また、現世の光を見られるかもしれない。それが、魅力でない筈が、なかった。
掴まれた腕を、振り払えないでいる。
瀬人は、その顔を見ていた。
迷っている、即座に否と返せない。

三毛猫などと、冗談のつもりだった。だが、もし、本当に乗せたなら。
この男は、ただの王ではない。冥界において、アテムは理そのものと言える。場の法則が、ここに、体を持って立っている。
なら、こいつを乗せて出れば。
弾き返す境界の、その理の側を、連れて出ることになる。
瀬人は、掴んだ腕の力を、少しだけ強めた。

「……1日、考える。」
口が、勝手に言っていた。
瀬人が二度瞬いた。
何を考えるのか、アテム自身、分かっていなかった。

時間はあった。
王宮の高い窓から、砂の地が見える。機体は、まだそこにある。
アテムは、自分の内側を追った。
心配だ、と最初に思う。同じ条件で出れば、また弾かれるだろう。それに、今度こそ無事とは限らない。設計に問題はないと言う、理屈は通る。だが、それだけでは弾かれた理由にはならない。
世界の仕組みの問題か、とも考えた。生者が冥界へ来て、また帰る。その理が乱れているなら、王として正すべきだった。もっともらしい。だが、芯を外している。
役割の話にもしてみた。客人を送り出すのは、もてなした側の務めだとか。これも違う。言い訳でしかない。
理屈をいくつ重ねても、最後に残るものがあった。
答えになっていない、答えとも、願望とも取れるものがあった。
──帰ってほしくない。
ただ、それだけだった。気付いてはいけなかった。考えてはいけなかった。
かつて、自分は見送られる側だった。仲間達が並び、光の中へ歩く背を、誰もが見ていた。あの日、振り返らずにこちらへ来た。
今度は、自分が見送る側に立つ。乗り込んできた好敵手の、遠ざかる背を、見送る。
それが、嫌だった。
もはや、理屈では、なかった。



その翌日、砂嵐が起こった。
朝、空が黄に濁った。風が地を巻き上げ、機体の輪郭が砂に溶ける。出立はできない。延期する、と報せが来た。
アテムは、窓の外を眺めていた。
まるで、荒れる砂の向こうに、自分の内側と同じものを見ているようで、その様子を、瀬人は廊下から見ていた。

外を眺める横顔と、外の嵐。そして、出られないという事実。冥界の理。
頭の中で、点が繋がり、線が一本に繋がっていく。
修理は済み、初日と条件は同じ。しかし今回は、天候が阻む。
偶然か。
いや、このオカルトな三毛猫を、どうにかしないことには──。
瀬人は、嵐の音を聞きながら、そう思い始めていた。

瀬人は、アテムが音を上げるまで決闘をした。
1度では足りない。2度でも、3度でも。デュエルディスクを構える度にアテムは食らいついてきたが、やがて、もう勘弁してくれ、と手のひらを見せた。
決闘への欲求が尽きることは、瀬人にもない。それでも、と考えていた。満ち足りれば、この男は自分を離すだろう。理が解ける筈だ。

予測通り、翌日は晴れた。
風はなく、空は乾いて高い。その隙に、瀬人は機体へ向かった。
アテムは、見送りに着いてきた。
機体の側に立つと、風が吹き始めた。
まだ砂を巻く程ではない。ただ、裾を揺らし、頬を撫でていく程度の風だ。それでも、確かに、吹いた。いつ、荒れるかは分からない。
瀬人は、ひらりと乗り込み、振り返った。
「乗るか?」
アテムは、機体の縁に手をかけた。
「……天候が悪い。」
風は、弱い。誰の目にも、出立を妨げるほどではなかった。それでも、アテムはそう言った。縁にかけた指は、離れなかった。
腕が、伸びてきた。
機体の中から。瀬人の腕が、アテムの背に回る。引き寄せられる。
熱が、正面から来た。胸と胸が合わさる。肩に顎が乗る。不時着したあの時と同じだった。
あの日、アテムは動けなかった。体を硬くして、呼吸を浅くして、ただ耐えていた。
今は、違った。
されるまま、目を閉じた。
「次は、何か持ってきてやる。」
耳のすぐ側で、声がした。
「ここは、つまらんだろう。」
腕が解かれて、熱が遠ざかる。
アテムは、すぐには言葉が出なかった。たった一言だけ、零れた。
「……次?」
アテムが目を丸くする。
風が、収まった。
砂は鎮まり、空は、ただ静かに乾いていた。瀬人の機体が、光を弾いている。

アテムは、その出立を、見送った。
今度は、終わりではなかった。






後日。
約束通り、瀬人は来た。
現世のゲームを、いくつも抱えていた。2人で、それをした。勝ったり、負けたり。決闘とは違う、軽い遊びだった。
「戻れたんだな。」
ふと、アテムが言った。今更のことだった。瀬人は現世へ帰り着き、だからまた、こうして来ているのだ。
「……戻った。」
瀬人は、盤面から目を上げなかった。

帰る時間になっても、天候が崩れることもなかった。
空は乾いて、風もない。砂は静かだった。
瀬人が機体の前に立って、振り返らずに言う。
「乗るか?」
返事の代わりに、背に、重みが来た。
アテムが、後ろから抱きついていた。腕が回される。額が、肩甲骨の辺りに押し当てられる。
「乗らない。」
声が、背中越しにこもる。
「ここに、帰ってこい。」
瀬人は、内心で苦笑した。
瀬人の居場所は現世だ。なのに、冥界へ帰ってこい、と言うのだ。
猫は猫でも、家猫か。
顔を見ようと、肩越しに振り返りかけた。
その途端、腕の力が増した。アテムは、さらにきつく抱きつき、背中に顔を埋めてしまう。見せない、というように。
瀬人は、アテムの左手を取った。
背後から回された手を、解いて、持ち上げる。抗うのを感じたが、力なら、負けることはない。
指先に、口付けた。
背後で、アテムの体が、小さく跳ねた。息を呑む気配があって、背中の温度が僅かに上がった気がした。顔は見えないが、しっかり伝わってきた。
「また、来る。」
今度は、振り返った。
俯いたその顔を、上げさせる。軽く、唇を重ねた。一瞬のことだ。
そして、乗り込んだ。

理は、もう、止めなかった。
Page Top