風の底で呼ぶ名

バトルシティ数日前〜戦いの儀の後。糸を結んだ日の別バージョン。


暗闇の中、遊戯は目を覚ました。
この屋敷で眠る時、目が覚めることはない。
隣で眠る男に愛され、全てを委ねて眠りにつく。安心しきって朝まで眠り、夢の続きのような甘い声で起こされるのだ。
瀬人の寝顔を見詰める。頬に触れようと指を伸ばした。その指先が震える。
この魂には還るべき場所がある。そしてそれは、この腕の中ではない。
いつかこの時間が終わる。
思わず、肩が震えた。
「眠れないのか。」
声が落ちる。
様子を伺うが、瀬人の目は閉じられたままだった。
少しだけ強く、抱き寄せられる。
ずっとここには居られないのだと、知らないでいられればどれだけ良かったことか。告げずにいられれば、どれだけ。
遊戯は目を閉じて胸に顔を埋めた。
指先の震えは消え、暖かい腕の中に心は落ち着いていく。
「そうだ、そこに居ればいい。この胸の中で、静かに震えていろ。」
何とも甘くて、残酷な台詞を囁くものだ。
「震えてなんかいない。」
「ならば何だ。」
「この瞬間を、永遠に残すんだ。」
この瞬間を永遠と思えたら。
だが、永遠ではないことは知っている。そこまで物分りは悪くない。
永遠ではないことを理解してしまうからこそ、瞬間を永遠とは思えない。
けれど、だからこそ、今は、この瞬間だけを味わえばいい。

また何かを抱え込んで、隠しているのだろう。と瀬人は思った。
だが、問いただしても、返ってくるのはあの穏やかな微笑みだけだった。
「遊戯、何を隠している。」
「お前が好きだ。だた、それだけなんだ。」
何を聞いてもそう答える。
言葉にも態度にも嘘は見られない。
穏やかな微笑みで、心の底から、愛を告げるだけだった。
その微笑みが、何よりも恐ろしいと知らされたのは、これから一ヶ月以上後のことだった。





バトルシティも閉幕し、二週間が経過した。
メールが届いたのは、支社への出張から戻った夜だった。
差出人の名を見るまでもない。このアドレスを知っているのはただ1人、遊戯だけだ。
今まで、連絡など寄越したこともなかった。
時間が止まったような気がした。
簡潔な文面。
そこに記されている、別れの言葉。
「別れ」という語はどこにもなかった。
奴らしい曖昧な書き方で、理解を求めず、謝罪もせず、ただ「ありがとう」と一行だけ添えられていた。
あの夜の、穏やかな微笑みが頭に浮かぶ。
穏やかでいて、哀しげな、潤んだ瞳が。
愛を告げる微笑みが、別れを告げるのだ。
「…認めん…。」
即座に否認した。
直ぐに電話をかけて、永遠を誓わせようとした。
遊戯は、愛は告げはしたが、永遠を語ることはなかった。
「終わりなど、あるものか。」
見果てぬ先までを口にしていたあの眼差しにも嘘はなかった。
瀬人はオカルトだの還るべき場所だの、そんなものは信じていない。
神のカード。失われている記憶。例え記憶が戻ったとして、それが何の障害になる。
これはただの儀式の延長だ。
再戦の約束はしている筈だ。
そう思い込むことでしか、夜を越えられなかった。
だが、一ヶ月後。
エジプトの砂を踏みしめた時、全てを悟った。見聞きした訳では無い。それはもう直感に近かった。
風が熱い。
太陽が痛いほど白い。
そのどこにも、奴の気配はなかった。
間に合わなかったのか。
喉の奥が乾ききって、言葉が出なかった。
悔しさか、怒りか、自分でも分からない。
ただ胸の奥で何かが焼ける音がして、その痛みが涙よりも早く心を満たした。
「造ればいい…。」
呟いた声が、風に溶けた。
還るべき場所。それがあるというのなら、再びそこへ通じる扉を、造ればいい。
誰かに理解される必要はない。
世界が何を言おうと押し通す。
もう一度会うためなら、神の眠る場所さえも、切り開いてみせる。
砂漠を渡る風の底で、知らぬ筈の名を、確かに呼んでいた。





目を覚ますと、またこの場所だった。
石の回廊。どこまでも続くのに、閉ざされている空。
無数の魂が祈り、沈黙が満ちている世界。
あまりにも静か過ぎて、現世の喧騒を忘れられない。
仲間との賑やかな友情。恋人との燃える愛情。
あの日、メールを送った時に、終わった筈だった。
あの時、扉を潜った瞬間に、全てが終わった筈だった。
それなのに。
終わりなど、あるものか。
胸の奥に、まだあの声が残っている。
冷たく、真っ直ぐで、怒りにも似た熱を孕んだ声。
呼び止めてくれれば良かったと、何度思っただろう。
あの時にはもう、還るべき運命は定まっていたに違いない。そう思うことでしか自分を保てない。
本当に呼び止められて、あの強い腕に捕らわれたなら、還ることなど出来ないと分かっていた。
風が髪を揺らす。
金の前髪を指先で弄ぶ。よくやられていたのを真似てみるが、束が乱れただけだった。
冥界の風は重く、どこまでも低い。
けれど、耳を澄ませば微かに届く。
砂を裂くような風の音の中に、自分の名を呼ぶ声が混じっていた気がした。
「海馬…。」
その名を口にする度に、胸が痛む。
この手で触れることも、もう叶わない。
前を向いて、夢に向かっていたことを知っている。過去の象徴である自分に、巻き込むことなど出来なかった。
きっと、今までで一番、怒っている。
もう居ないということも、信じていない。
そして、動き出してしまうのだ。
そういう男だ。
だからこそ、好きになった。
あいつの作る未来が、どんな形であれ、そこに「扉」があるならば、その向こうに立つ準備をしておこうと、そう思った。
再び会えるかどうかは分からない。
だが、それでもいい。
あいつがどこかで息づき、戦い、風を裂いて前へ進む限り、この冥界の底にも、確かにその風は届く。

風の底で呼ぶ名。

その名が消えることのない限り、この魂は、まだ終われない。
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