冥界は今日も静寂に包まれていた。
アテムは行儀悪く玉座に肘をつき、遠くに見える光の揺らめきをぼんやりと眺めていた。
今日も特に、やることがない。
冥界の秩序は完全に整っていて、魂の流れも滞りなく循環している。
王としての公務は形式的な署名と祭礼の承認くらい。
アテムの頭脳は今日も冴えていたが、問題は、その冴えを活かす場がないことだった。
「暇だ…。」
石の玉座に腰を下ろし、報告書を捲る。もう3度目だ。
殆どの案件は“永遠に安定中”で、会議も要らない。
戦もなく、反乱もない。
王として理想的な状況だが、退屈にも程があった。
あの男が来てくれたら。そう思った時、王宮の空間が一瞬だけ光を帯びた。
光の筋の中に立っていたのは、無駄に整ったスーツ姿の、いつも通り無駄に堂々としている男。
現世の、色んな方面で無駄に有名なCEO。
そして、アテムが唯一“時間の流れ”を感じられる相手、海馬瀬人だった。
「また勝手に次元を渡ってきたのか、海馬。」
声は弾んでいる。瀬人が来ることは、確実に暇が潰れることを意味する。
「ふん、ここの入国管理が甘すぎるだけだろう。お前の管轄だ。」
ごく普通の会話に、アテムの表情が緩む。
「アテム。妙な顔をしているが、どうした。」
「いい所に来てくれたと思ってな。」
「それで、用件は?」
改まっての用など、今更特にない。いつものことだ。
「本当に、退屈とは人を殺すんだと実感していたんだ…。お前が来てくれなかったら俺は危なかった。」
「聞き違いか?まるでお前が生きているかのように聞こえたが。死因は何だ。」
「…激烈に暇、だったんだ。退屈死だ。」
「王のくせにニートを名乗る気か。」
アテムは笑った。
冥界で冗談を言う人間など、他にいない。
現世に属する瀬人だけがそれを許されている。
「働いている。魂の均衡を維持している。」
「そんな自動運転のような仕事、猫でも出来るだろう。」
アテムは僅かに眉を顰めた。
「海馬、猫を派遣してみろよ。3日で迷うぜ。」
瀬人は軽く笑い、懐から薄型のデバイスを取り出す。
「まあいい。アテム。お前は、暇なのだったな。」
「うん、そうだぜ。」
「いい話を持ってきた。猫より賢いお前を雇う話だ。」
アテムが目を丸くする。
「雇う…?俺を、海馬コーポレーションの社員にするつもりか?」
「そうだ。お前が死にそうだからな。救済してやる。」
「過労死したらどうしてくれるんだ。」
そう言いながらも、アテムの目は輝いている。
「退屈死よりは良いだろう。我が社のプロジェクトに参加しろ。冥界仕様の脳でも退屈しないレベルだ。」
アテムは目を細めた。
唐突に映し出されたのは一枚のパネル。
青白く光る画面には、M&Wの新作企画書が映っている。
「これは…。」
「新しいデッキビルドシステムのテストだ。現世のプレイヤーには荷が重い。お前の感覚が良い。」
「海馬…お前、本気で冥界の王を雇おうとしているのか?」
「外注でも構わん。新作の試作AIすら、魂の反応を理解せんのだ。お前がやれないのなら、俺が片付けるまでだがな。」
アテムは少し考えた後、宙を仰いだ。
光が届かない室内にしては、やけに眩しい通信画面だった。
「お前のゲームの中に、魂を理解するコードを書けると思っているのか?」
「書けぬ理由がない。お前が監修すれば、冥界の亡者でも夢中になる。」
「…随分な営業トークだ。」
暇を持て余していたアテムにとっては、かなり魅力的な話だった。
「暇なのだろう。働け。」
「うん…で、給料は?」
「面白い奴だ…王がそんなことを気にするのか。」
「王は退屈を嫌うもんだぜ。働く理由があるなら、金でも遊びでも、構わない。」
そう言って笑う。
その笑みを見て、瀬人の口元も僅かに緩んだ。
「ならば報酬は相当に出そう。ゆめ太銀行に口座を作って振り込んでやる。現世通貨だがな。」
「冥界で何に使えって言うんだよ?」
「俺に会いに来る時の交通費にでもしろ。」
静寂の王宮に、僅かな笑いが溢れた。
瀬人は淡々としながらも、その目の奥に確かな温度を宿している。
「そうだな…折角だ、俺の方から現世に行くのも悪くないな。」
「入国審査の結果、許可が降りないだろうな。セキュリティ上の問題だ。」
「何のための交通費だ。それに、散々次元シフトしているお前が言うな。」
冥界の空気がふっと柔らかくなる。
その2人の間には、形式も肩書きも意味をなさない。
ただ、退屈を撃ち抜くための知的な遊びと、互いの存在だけが確かにある。
アテムはは楽しそうに笑った。
「どうせ断っても聴かないんだろ?契約書を出しな。王として、正式に働いてやる。」
「当然だ。冥界の王にも労働義務はある。」
宙に契約書が浮かび上がる。ご丁寧にヒエログリフで書かれている。
「"光の底で働け"?」
「冥界勤務、に直しておくか。」
「いや、このまでいい。」
アテムが契約書を読んでいく。
「いいのか、これ、共同になってるぜ?」
「構わん。」
「また随分と大きく出たな。」
「当前だ。お前には部下も上司も適切ではない。」
「…なるほど、これはこれで均衡が取れているというわけか。」
アテムは小さく笑い、契約を承認した。
瀬人がデータリンクの確認を始めたのを眺める。
通信速度はアテムが思ったより速い。
冥界のネットワークも、海馬コーポレーションの圧力には勝てなかったようだ。
「なら、仕事を始めようか、社長。」
光と闇、現世と冥界。その境界に、奇妙に洒脱な“業務提携”が成立した。
アテムは端末の画面に触れる。
冷たい石の上に置かれた指先は、ほんの僅かに震えた。
そこには、現世の熱が宿っている気がした。
先ほどまでの退屈はもうどこにもない。
働け。そう命じられたその言葉が、冥界の空気を少しだけ温めた気がした。
冥界勤務初日と、監査官の訪問
王宮の一角。
アテムは金の装飾が施された机に向かい、指先をタブレットに滑らせていた。
画面には、ゲームのコードと世界設定の構造図。
目を通すだけで、どれほど瀬人が入念に設計しているかが分かる。
「このアルゴリズム、魂の還流と似ているな。…なるほど適任だ。」
アテムは小さく笑い、何かを書き加えた。
瀬人の設計には隙がない。しかし、隙がないからこそ、アテムのような“異世界的思考”が面白く食い込む余地がある。
その時、また、空間が光を帯びた。
「勤務初日に監査か?」
「初日から手を抜いていないか確認しに来てやったのだ。」
瀬人が、いつもの冷静な顔で現れた。だが、アテムはその目の奥に微かに浮かぶ安堵を見逃さない。
「現世の時間で、まだ3時間も経っていないんだろ?」
「その3時間で充分だ。お前なら何かを壊すか作るかしているだろう。」
「随分な信頼だな。」
瀬人は机に手を置き、アテムの画面を覗き込む。
距離は近い。
ふと、冥界の空気が静かに揺れる。
「そのコードは、悪くない。」
「それは褒め言葉か?」
「まだ“合格点に近い”というだけだ。」
「厳しい上司だな。報酬が割に合わないぜ?」
「報酬を不服そうにしていただろう。」
アテムが目を瞬かせる。
「何か別のものでもくれるのか?」
「喜べ、報酬は俺だ。」
冗談とも本気ともつかぬその台詞に、思わず笑みが漏れた。
「お前は冥界でも同じ調子だな。」
「冥界の方が落ち着く程度にはな。」
瀬人はアテムに目をやり、静かに付け加える。
「ここは、誰もお前を奪わない。」
沈黙。
ほんの一瞬、2人の間の空気が緩む。
それは王と企業家の会話というより、もっと柔らかい何か。
互いの孤独を知る者同士の、無言の理解に近かった。
アテムは立ち上がり、瀬人の隣に立った。
「逆に、俺が、お前を奪われる心配をする時がやって来たのか?」
「誰が俺を奪える。心配なら有給を取って丸1日捕まえておけ。」
有給はまだだが、アテムの手は、早速、瀬人を捕まえた。
「有給…。」
「ないのか?」
指が絡む。
「いや、ある。有給制度は作った。だが、神官達が永遠に有給を消化しないんだ。」
「そんなブラック体質は我が社にはない。転職されるぞ。」
「それはないな。うちは死者の国だ、転職者が出ないのは当然だろ?」
見詰めあって、笑いが溢れる。
「使える奴なら俺が拾ってやる。」
「ああ…俺は拾われたのか?それなら、俺の冥界の仕事ぶりも悪くないということだな。」
「ある程度はな。現世の仕事も、お前が関われば面白くなる。」
瀬人にとっては、アテムが絡めば大抵のことは面白くなるのだった。
「素直に褒めろよ。」
アテムはそっと体を寄せて、ちらりと見上げた。そして、目が合ったのでウインクをお見舞いした。
瀬人が合流して、作業は意外なほど滑らかに進んだ。
アテムの反応速度はAIを凌駕し、ゲーム理論の応用力も異常なほど高い。
対して瀬人は、設計思想の端々まで一切の妥協がない。
「ここのカード効果、確率制御を逆転させたらどうだ?」
「お前は運を信じるのか?」
「運も理屈の内だ。」
「…ふん、相変わらず面倒な理屈だ。」
瀬人が口元に笑みを浮かべる。
「だが、お前の“直感”がデータ的に説明出来るのなら、理屈などいくらでも付けてやる。」
「出来るのか?」
「出来るまでやる。」
その会話は、まるで決闘のようだった。
どちらが優勢とも言えず、互いの思考を突き合わせて、その火花の中にだけ“生”を感じる。
ふと、アテムは言った。
「こうしていると、闘っている時を思い出す。」
瀬人は目を上げた。
「これは闘いではなく創造だ。」
「そうだな。だが…。」
言いかけて、アテムは笑った。
「創造もまた、闘いに似ている。お前と組むと特に。」
「悪くないだろう。」
「悪くない。」
瀬人はデバイスを閉じ、薄明の光の中で静かに微笑む。
「次の会議は3日後だ。冥界時間でな。」
「また来るのか?」
「監査は続く。それに、退屈させない契約なのだろう。」
アテムは笑った。
それは、王としてではなく、ただの、1人の男としての笑みだった。
冥界の上空を、光の粒が舞っていた。
通信の流れを制御する装置。瀬人が設計した「転送ノード」が、微妙に不安定なのだ。
「不具合?」
瀬人はタブレットの表示に眉を寄せ、アテムは腕を組んで見下ろした。
「通信が、時々、冥界の川を渡れないんだ。」
「帯域問題か。ケルベロスをルーターにしておけ。」
「犬にそんなことを頼めるかよ。それに、そもそもここは地獄じゃないんだ、ケルベロスは存在しない。…多分。」
瀬人がさっとタブレットに指を滑らせる。
「ふん、要するに、現世との通信が詰まっているのか。」
「お前の技術が冥界に完全対応しているわけではないってことか。あの川はデータも飲み込むらしい。」
「…冥界の川を渡れない通信…か。」
「気に入ったのか、それ。」
アテムが笑う。瀬人は鼻で笑い返した。
「笑い事ではない。暫く帰れそうにない。」
「なら、お前も冥界勤務だな。光の底で働け。」
「仕方ない。」
そうして、瀬人の“長期滞在”が始まった。
冥界時間で1週間後。
街は妙にざわついていた。
「おお、現世の王がまた新しい橋を!」
「“回路王”様が作った光の塔、あれ凄いんだぞ!」
冥界の民が口々にそう囁く。
アテムは半信半疑で街に出た。
そこには冥界の素材で作られた巨大なエネルギー橋、自動化された光の輸送台、そして端末を手に説明している瀬人の姿。
「…出たな、文明加速装置。」
「不便なままだと効率が悪いだろう。」
「そういう問題か?」
「当然だ。俺は働きやすい環境を整備しているだけだ。」
「働きやすい」と言いながら、既に冥界の経済構造まで再構築し始めているのだから、性質が悪い。
しかも。
「瀬人様!今日の講義、またお願いします!」
「子供たちが新しいゲームを楽しみにしてます!」
瀬人の周囲には、冥界の子供たちが集まり、笑っていた。
アテムは玉座の王としても、1人の男としても、少し戸惑った。
あれほど他人との距離を取る男が、なぜ。と。
その疑問は、すぐに解けた。
瀬人は子供には甘い面がある。質問に答える声は、少し柔らかい。
「ルールを守れば、誰でも勝てる。だが、勝つだけが遊びではない。」
「じゃあ、何が遊びなの?」
「考えることだ。」
アテムはその言葉を聞いて、ふと微笑んだ。
やはり、瀬人は冥界でも変わらないのだ。
その夜。
王宮のバルコニーで、並んで立つ。
冥界の夜は静かで、風もない。
「あの子供たち、お前のことを“現世の賢者”と呼んでいたぜ。」
「それは誤訳だな。俺は“開発者”だ。」
「どちらも似たようなものだろう。」
アテムが小さく笑うと、瀬人は僅かに視線を逸らした。
普段の冷静な態度のまま、ほんの一瞬だけ、照れに似た気配を残して。
「お前が退屈しないようにしてやっているんだ。」
「それは助かる。王の仕事は静かすぎる。」
2人の間を、淡い光が通り過ぎる。
その光は、まるで冥界そのものが2人を受け入れているかのように柔らかかった。
「冥界でも、お前となら退屈しないかもしれない。」
「それは契約違反だ。」
「どんな?」
「“光の底で働け”の契約だ。遊ぶつもりか?」
アテムは僅かに目を細め、囁くように答えた。
「なら、働くふりをしていよう。」
瀬人はその冥界王の答えに、ほんの少しだけ、笑った。
やがてプロトタイプが完成した。
タイトル画面に浮かぶ名前を見て、アテムが目を細める。
「“光の底で働け”…か。」
「冥界に光を通したのは俺が初めてだ。せいぜい感謝しろ。」
「感謝より先に、契約延長を申し出ようと思う。」
「ふん。次は何の仕事を請け負うつもりだ?」
「…お前の作る未来を、見届ける仕事だ。」
瀬人は少し黙り、ほんの僅かに、肩の力を抜いた
「逆にお前が報酬を払うのか。高くつくぞ。」
「いいぜ。王は退屈を嫌うからな。」
冥界の風が吹く。
端末が淡く光り、影が重なる。
音のない世界に、低く笑う声だけが響いた。
“光の底で”働く2人は、死と生の境を越えてなお、同じテーブルに座っていた。
そして、退屈を、分かち合っていた。
その夜、冥界の王の書斎には1つの端末が残された。
青白い光が、静かに脈打っている。まるで、あの男の心臓の鼓動のように。
夜は、淡い光に満ちていた。
地上の月とは違う。魂が放つ微光が、空そのものを照らしている。
アテムは玉座の間の階段に腰を下ろし、ゆっくりと息をついた。
足元に散らばる光の粒が、微かに動くたび、記憶の欠片のように瞬いた。
「…帰るんだな。」
瀬人が近づいてきた。
冥界の衣に、現世のジャケットを羽織っている。
馴染む筈のない装いなのに、不思議と違和感はなかった。寧ろ、着こなしていた。
無駄にスタイルも良いのだ。
「通信系の最適化は終わった。こちらの回線も安定している。帰らない理由はない。」
「そうか。」
アテムは短く答え、少し目を伏せた。
沈黙。
けれど、それは気まずいものではなく、互いに馴染んだ呼吸のように、ただ静かに時間が流れた。
「…お前が来てから、この冥界は随分と賑やかになった。」
「改善と言え。」
「文明開化とも言う。」
「やめろ。俺は改革者でも救世主でもない。」
「“技術者”の方が気に入っているんだな。」
瀬人が僅かに眉を上げ、口元だけで笑った。
アテムはそれを見て、胸の奥が少しだけ柔らかくなる。
この笑みを見るたびに、現世と冥界の距離が少しだけ縮まる気がした。
「帰ったら忙しくなるんだろ?」
「当然だ。お前の分まで働いてやる。」
「俺は王だぜ?」
「冥界限定のな。」
アテムが肩を震わせて笑った。
瀬人も、その笑い声に少しだけ目を細めた。
「…また来る。」
その言葉は、宣言にも似ていた。
「いつでも来な。冥界の入国審査はお前にだけ甘い。」
「当然だ。」
短い沈黙。
瀬人はゆっくりと手を伸ばし、アテムの頬に触れた。
冷たくもなく、熱すぎることもなく、奇跡のようにちょうどいい温度。
「また、働きに来てやる。」
「歓迎するぜ。光の底の、最優秀社員としてな。」
瀬人は鼻で笑い、そして指先でアテムの髪をかき上げた。
そのまま、短く唇を触れ合わせる。
それは冥界でも現世でも通じる、最も単純で確かな挨拶。
「…次に呼ぶ時は、暇潰しではなく、俺が必要になった時に呼べ。」
「なら、すぐに呼ぶことになりそうだ。」
「お前は王として、もう少し自立しろ。」
「出来るさ。」
アテムは静かに微笑んだ。
「だが、お前が帰るまでくらいは、ただの男でいたかった。」
瀬人は何も言わず、ただその額に口づけた。
冥界の光が2人の間を通り抜け、淡い残光を残して消えていく。
アテムはその背を見送る。
光の底で働く男が、再び光の上に戻っていく。
その姿が消えた後も、冥界の風は暫く、柔らかく揺れていた。
帰国から3日後。
童実野町の空は、雲1つない。
瀬人は海馬邸の書斎にいた。
机の上には、冥界から持ち帰った端末。アテムと共に調整した“実験機”がひとつ。
電源を入れても、画面には何も映らない。
“あの向こう側”と現世を繋ぐ仕組みは理論上は成立している。データのやり取りも可能だ。
それがリアルタイムでの対話となると何故か不安定になる。
だが、瀬人には確信があった。
アテムなら、必ず何かしらの方法で繋げてくる。
静かな電子音。
画面がふっと明滅した。
ノイズ混じりの映像の中で、光の粒が形を取る。
冥界の王の姿が、淡く浮かび上がった。
「お、テスト通信。」
「聞こえている。」
瀬人は微動だにせず、椅子に腰を下ろしたまま答える。
声の質が、ほんの少しだけ柔らかい。
「やはり繋がったか。」
「こっちも漸く安定した。お前の作った回路は優秀だな。」
「当然だ。俺が造った。」
アテムが笑う。
ほんの数秒、ノイズが走る度に、その笑みが揺れる。
「冥界の者たちが、お前の話をよくするんだ。」
「悪口なら聞き飽きた。」
「称賛だ。王都の設計図を引き直したとか。」
「…暇だったからな。」
「そういう暇の使い方をするのは、お前だけだぜ。」
瀬人はふっと笑った。
画面の中の光が、微かに揺れる。
冥界の風が、そこにも届いているようだった。
「お前の方はどうだ。」
「相変わらずだ。だが、風が変わった。…多分、お前が来た時の影響だな。」
「ならば、次はもう少し長く滞在してやる。」
「お前の会社はどうするんだ。」
「モクバに任せる。問題ない。」
短い沈黙。
2人の間を隔てるのは、世界幾つか分の距離。
けれど、その距離が今は、妙に近く感じられた。
「…海馬。」
「何だ。」
「“また会える”という言葉を、信じるのは嫌いだった。」
「今は違うのか。」
「今は、“信じる”というより、“知っている”だ。」
瀬人の指先が、机の端を軽く叩いた。
感情の揺れを抑えるための、いつもの癖。
「…よく出来た王だ。」
「お前の影響だ。」
通信のノイズが再び強まり、映像が崩れ始める。
アテムの姿が淡く光に変わり、声が遠のく。
「また…。」
「…次の報告を待っている。」
画面が暗転した。
瀬人はしばらく、その黒い画面を見つめていた。
やがて、端末のスリープ音が静かに鳴る。
窓の外、ビルの谷間を抜ける風が吹き抜けた。
その流れの中に、確かに、あの冥界の風の手触りが混じっていた。
瀬人は立ち上がり、窓を開ける。
空を見上げ、短く呟いた。
「…光の底で働け。怠けるなよ、王。」
冥界からの返事は、風に紛れて、けれど確かに届いた気がした。
