ジャストキル

社長の話はライフ直撃


魂の重さは21gという説がある。
しかし、魂である自分にとっては、その事実は想像以上に重かった。





消灯時間はとっくに過ぎて、相棒も眠った後。
自分の部屋を抜け出し、あいつの部屋へ向かった。
この願いを叶えられる技術力がありそうで、なんとなく伝手があるのは海馬コーポレーションぐらいだった。
ノックをすると、中からは英語で返事が帰って来た。唯一聞き取れたのは「いその」、磯野さんと思われたのか。
「海馬、俺だ。武藤遊戯だ。」
声を掛けると、少し間があってドアが開いた。
黒いシャツにスラックス。髪が濡れているのは風呂上がりなのだろう。
いつもは隠れている喉のラインが、やけに色っぽい。
「遊戯、消灯時間は過ぎている筈だ。部屋へ戻れ。」
そう言うが、こいつの部屋は灯りがついている。
「お前は起きているじゃないか。」
「仕事だ。」
「マジかよ。」
「ああそうだ。20分後に会議が一本。」
「こんな時間にか?」
「俺は昼間は空いていない、そして今、向こうは昼間だ。」
向こう。なるほど、だから返事が英語だったわけか。
「分かったな、部屋へ戻れ。」
「待ってくれ。俺と、闘ってくれないか。」
「明日、闘う予定だが?」
怪訝そうな顔をする。
まあそれはそうだろう。こちらも明日、闘うつもりだ。
「今なんだ。俺が勝ったら、頼みを聞いてほしい。」
目を合わせてそう言えば、2度瞬きして、それからじっと見つめ返してきた。
冷静で、揺らがなくて、それでいてどこか底知れない光を帯びた、観察しているような目。
この目は少し苦手だ。
それから、あいつは静かに零した。
「…それで、望みは叶うのか?」
「いや、やっとスタート地点に立てるってとこだ。今の俺は、魂だからな。」
あいつは何を考えているのか、暫く何も言わずにこちらを眺めていたが、諦めたように小さく溜息を吐いた。
「入れ。聞いてやる。」

中に通されて、ソファに掛ける。
部屋の中はシャンプーだかボディソープだかの匂いがする。やはり風呂上がりらしい。
「依頼は何だ。何が欲しい。」
「それは、まだ言えない。」
そんな分からないもののために戦ってくれるかも、そもそも勝ったところで願いが叶うかも分からない。
「俺を相手に勝ったつもりでいるのか。」
「負けた時の事は考えていなかった。」
「ふん、相変わらず、人の神経を逆撫でする奴だ。」
微笑を浮かべ、しかし視線は外されない。
下手に身動きが取れない。
「これは性分だ。だが俺は…」
男の背後で、勝手にモニターが起動する。
一瞬眉を顰めたが、切れ長の目はこちらを見たままだ。
「…条件がある、デッキを調整しろ。」
そう言って自分のデッキを手に取ると、カードをいくつか抜き出した。テーブルに並べられるカード。
オベリスクに、ブルーアイズが3枚。
「俺はこれを抜く。」
主力を、抜くだと。
思わず目を見開いた。
「海馬、お前負ける気か?」
「ありえん。貴様は神と、魔術師達を抜け。」
宿命だの因縁は不要だ。そう言われた気がした。
「分かった。」
それから、背後のモニターに一言二言何か言って(英語は分からない)、こちらに向き直った。
「1時間後に来い。デュエルディスクは不要。負けた時のことでも考えておくことだ。」
「社長にこき使われるくらいは覚悟しておくさ。」
「覚悟…か。」
そう呟いて立ち上がり、デスクの上から何かを取った。
「いいだろう、この部屋の鍵だ。時間が来たら入っていい。」
「ああ、1時間後に。」
差し出されたカードキーに手を伸ばす。
「これはマスターキーだ、他人の部屋に気を付けろ。」
「そんな大事なものを渡されても…。」
思わず手を引っ込める。
「本当に来るのなら構わん。来ない可能性があるのなら受け取るな。」
まるで、試すような視線に一瞬たじろぐ。
しかし、来ない可能性。それはない。再度手を伸ばしてカードキーを受け取った。
勝てた所でスタート地点。
願いは叶わないかもしれない。
それでも足掻かずに居られなくて今ここへ来たのだから。





1時間後に再度部屋を訪ねて、先程と同じところへ掛ける。
テーブルを挟んであいつが居る。
言われたカードを脱いて、デッキの調整はした。
テーブルの向こう側、あいつは慣れた手付きで公式用のプレイマットを出して広げている。
伏せた目や指先が綺麗だ。こいつは造りがいい。
その手で、曲がったりせず、美しくセットされる戦場。
「始めるぞ。先攻はやる。」
開始宣言は凄く、穏やかな声だった。
イシズと闘っていた時とは大違いだ。
決闘デュエルが始まっても、その物静かとも言える品の良い雰囲気は変わらない。
そういえばこいつの通り名は『カードの貴公子』だったか、そのまんまだ。
叫んだり、声を荒げたりすることなく、淡々とゲームが進む。
こんなに、静かな闘いは初めてだ。
殆ど音がない。挑発も何もない。
カードを触る時の音、宣言、それくらいだ。その声量も最低限で、静かにゲームが進む。
調子が狂う。
カードを確認する目の動き、それらを操る指先。いつもと違って緩やかな動作、穏やかな口調。
誰と戦っているのか、分からない。
お前は、本当に、海馬瀬人なのか。
本当に調子が狂う。
だが、狂っているのは初めからだ。
主力を抜いたデッキ。それはお互い様なのに。
この異様な雰囲気に呑まれて、僅差で負けた。
「何を考えていた。心ここにあらず。貴様、勝つつもりなどなかったな?」
「勝つつもりではいた。」
勝ったとしても得られる確証はない。確かにそういった考えが頭の中に浮かんでは消えていた。
こいつの言う通り、敗因は恐らくそれだ。
だが勝つつもりではいたのだ。でなければスタート地点にすら立てない。
「俺からの要求は1つだ。その為にお前の望みを聞かせろ。」
何を要求されるかと思っていたが、なるほどそう来たか。何も要求しないつもりらしい。
いっそ何かを要求してくれれば良かったのに。
「ふふ、欲しいものがあったんだ。」
「何が欲しかった?」
「その為には…」
癖でパズルを掴もうとして、しかし何も触れない。部屋に置いてきたのだった。
こんな話は相棒に聞かせることは出来ないからと。
「その為には、体が必要だった。」
「体を得て、何が欲しかった。」
「それは…言えない。」
「今の体では叶わんのか。」
「俺は魂だけの存在なんだ。だから、叶えることは出来ない。」
そう答えると、少し思案しながら、無言でカードを整え始めた。
軽く伏せた目はやはり綺麗で、目が離せない。
カードを整えると、ちらりとこちらを見た。
それから腕を組んで、目を閉じて、何を考えているのかは分からないが、沈黙が続く。
暫く待って、漸くあいつは目を開けた。
それから、大きく息を吐く。
「…俺は、恐らく全てを把握している。遊戯、ここに座れ。」
あいつの隣のスペースを指される。
隣に。ドクンと胸が騒ぐ。
「それは…。」
「深くは、触れない。」
真っ直ぐ、じっと見詰めてくる。視線が自由を奪う。
「海馬、お前…。」
思わずが、息を呑んで見詰め返した。
これだけのヒントで、答えに辿り着かれてしまったらしい。こいつは、頭がいい。
だが、そんなのは手向けのようなものだ。
切れ長の、青い目が、真っ直ぐ見つめて来る。
ソファの隣は空いている。
ダメだと分かっている。けどこれ以上、誘惑に抗えない。
どうしてこんなに熱くなるのか、抑えが利かない。
ただ視線を合わせた瞬間から、胸の奥からこみ上げるものがある。
「来い、遊戯。」
ふらふらと立ち上がり、言われるまま隣に座った。こんなに近い距離は初めてだ。
長い指が頬に触れる。
暫く無言でじっと目を覗き込まれて、それから緩く抱き込まれた。
「…俺を、軽蔑するか?」
「俺なら主人格のことなど気にしない。」
「俺には、そんなことは出来ない。」
「それで、どこまで触れさせる。俺は魂などと実体のないものを抱くことは不可能だ。」
「それは…。」
「どこだ。」
ソファに押し倒される。視界が反転して天井が目に入るが、それはすぐにあいつだけになる。
逃げられない。
抗えない誘惑。なんて酷い。
「唇か?体全てか?」
「酷な選択をさせないでくれ。」
出来ることなら、体全てと答えたい。
本当は唇もダメだ。
「答えろ。」
その目に見つめられれば、口を付いて出るのは己の願い。
「…唇。」
顎を捕まえられて、顔が降りてくる。
目は開かれたままだ。お互いに目を開けたまま、その唇がそっと触れた。
歯磨き粉の香りがした。
ずっと、これが欲しかった。
唇が離れていき、少しだけ正気が戻る。
「やっぱりダメだ、こんなの。」
目の前の男は、至近距離で告げる。
やはり声量は最低限、独り言のようだった。
「俺は…、あの1時間で、仮に負けた場合の覚悟もして、結論まで出している。」
「覚悟?」
「こうして本当に来た場合に、要求が俺自身である可能性も考慮した。」
何故。
何故分かった。
ヒントも答えも闘いの後だった筈だ。
それでも、だからこそ、こんなことをするなんて酷すぎる。
「お前は、酷い奴だ…。」
「どこが酷いものか。」
ずっと欲しかった。
手に入った。
だが心の通わないそれはあまりにも痛かった。
再度、唇が触れた。先程より少し長い。
「何故、分かったんだ。」
これが願いだと。
それを尋ねれば、少し距離が空いて、それでも吐息の触れるような距離で、酷薄そうな色が目に浮かぶのを見た。
目線は逸らされ、どこか遠くを眺めているようだった。
「何故、か。それはやめておけ。」
「いや、聞かせてくれ。」
一瞬、眉を顰めた。
「…公平性は保つ。聞きたいと言うなら種は明かすが、聞いた所でメリットはない。」
「種?」
全ては隠し通してきた。今さっき、こいつに答えに辿り着かれるまで。
「聞かせてくれ。何故分かった。」
その理由は、温度のない目で、抑揚すらなくゆっくりと告げられた。
「…いいだろう。…俺は、お前と同じ目を、数え切れない程目にしてきた。」
一瞬呼吸が止まり、鼓動が跳ねる。
「俺の、目…?」
外されていた視線が返ってくる、その温度は、いつもの様子に戻っていた。
「ああ。お前の、目の輝き、瞬きの頻度に強度、視線の交わり方…。目以外にもある、まだ聞きたいか?」
「…聞きたく、ない。」
「だからやめておけと言ったのだ。」
ああそうか。
つまりは初めから知られていたのか。部屋を訪ねるより、ずっと前から。
あまりにも酷い男だ。それでも、この場から離れようなんて気にはなれなかった。
「知っていて、何故。」
「こうして、捻じ伏せてやりたかった。」
穏やかな口調だ。言っていることとまるで合っていない。
捻じ伏せると言うにはカードの火力は落とされ、闘いは静かすぎて。
今、包み込む手付きもあまりにも柔らかい。
触れた唇だって、優しく触れただけだ。
「願わせ、叶え、絶望させようとした。そして俺に…」
なんとも酷いことを、こんなにも穏やかに語るのだ。
胸に何かが刺さったように痛んだ。
「絶望、ああしたさ。お前の狙い通りだ、海馬。」
「話を聞いていたのか。俺は魂など抱くことは出来ない。」
「諦めさせるにしても、もっと他にやり方があったじゃないか。お前は…酷い。いつもこうなのか。」
今まで数え切れない程見てきた視線に、こうしてきたのか。
感情が昂ぶり、いつものように睨みつけてしまった。
この程度で怯むような男ではないのはもう充分に分かっている。
数少ない遠慮の要らない相手だ。敵としてならマリクには向けられる。敵ではないとしたら、こいつにしか向けられない。
「そんなものは掃いて捨ててきた。」
「俺もそうしてくれれば、絶望なんて…。」
気付いていたのなら、部屋に返して相手にしなければ良かったんだ。
こんな、歓喜と痛みを同時に植え付けるなんて。
だけどすぐそこにある体温も、匂いも、離れ難くて逃げ出すなんて考えられない。
どんなに酷いと思っても、ここから抜け出せない。
「ならば体全てを許せ。」
まだそんな酷いことを言うのか。
「やめてくれ。それは出来ない。これ以上は…」
再び触れる唇。入り込む舌。深く口付けられて、だけどやはりそれが優しいのは何故。
この舌を噛み切ってやれたなら、永遠に自分のものになるのだろうか。
だがそれはあまりにも甘く吸い付いて、噛み切る気なんて削いでしまう。
一頻り味見をすると、唇の端に口付けて、離れていった。
「お前はいつも、人の話を聞かん。」
「それはお前の方だ。もうやめてくれ。」
酷い男は、何度も口付けてくる。
泣けと言われればいつでも泣けるくらいには痛い。
「やめはしない。唇を許したのはお前だ。」
外は暗くて、部屋もいつの間にか暗くなっていて、ここに心さえ通っていればどれだけ。
酷い、酷い、と言いながら、逃げられず、口付けられることしか出来ない。
同じ絶望なら、いっそ体全てを弄ばれた方がずっとマシだなんて考えてしまう程だった。
そうすれば、こいつの体は手に入れることは出来るから。
とっくに息は上がっていて、唇も痺れて、体に力は入らず、思考すら奪われている。
「酷い。」
「まだ言うのか。」
「お前が、言わせるんだ。」
欲しいものを与えられて、だけどその中身は絶望で。
「諦めているんだ。もう、許してくれ。」
「諦めるなど、愚劣な行為だ。」
「俺はもう、とっくに絶望させられている。」
「ここへ来たのはお前だ。」
「そうだ、そして俺はもう…。これ以上は…。」
オーバーキル。
とっくにそんなラインは越えている。
「いい加減に、話を、聞け。」
服の裾から手が入り込み、肌に触れる。
「それは…。」
ダメなのに、触れられたくて払い除けられない。
それを分かっていて触れるのだからこの男は相当に酷い。
ズボンの上から、勃ち上がりかけたのに手を添えられる。
それ以上はいけない。流石に現実に引き戻された。
「待て!ダメだ!」
「…やっと血相を変えたか。話を聞く気は出来たか?」
無表情に、じっと覗き込んでくる。
「もう、これ以上聞かせないでくれ。」
形のいい唇から紡がれるのは絶望でしかない。そんなものはもう聞きたくない。
それなのに声が心地よくて、耳を塞ぐなんてことも出来ない。
「遊戯、勝手に自己完結するのは貴様の悪い癖だ。改めろ。」
「お前が絶望させると言ったんだ。」
「そうだ。絶望させようとした。そして俺に…そんなことが出来る筈がないだろう?人の話を最後まで聞け。」
意味が、入ってこない。
「意味が…。」
「要点は3つ。俺はお前の願いを分かっていて勝負に乗った。だが魂など実体のないものは抱けない。だから諦めさせるために絶望させようとしたが出来なかった。と言ったんだ。」
「絶望なら、した。」
「これだけ言っても理解できないと?」
溜息を吐かれる。
ずっと向けられていた視線が苛々したように暫し彷徨って、また戻って来る。
「貴様、心理戦は苦手だったか?」
「…いや、得意な方だ。」
「ならば相手の、俺の気持ちを読むことだ。」
「お前の気持ち…。」
言われてみればそれはずっと考えていなかった。
酷いことをする奴だと。それが何故なのかは考えなかった。
酷いのに、それでもこいつを手に入れようと思っていただけで。
「俺はお前を手に入れようとした。それだけだったんだ。」
「そして俺はどうした。」
「酷いことを…。」
「話を聞かないが為にそんな思考に陥る。俺がしたのはお前に応えたことだ。」
軽く、口付けられる。
「そうだろう?」
「そうだ。お前は、俺に応えた。」
全部気付いていて、その上で勝負に乗った。
勝ったのに、願いを聞き出せばそこから答えを見つけ出して、願いの奥にあった本当の望みに応えた。
「それが、俺の出した答えだ。」
そんな。
そんなものはまるで。
また鼓動が跳ねて、息が詰まる。
「海馬…。それは、まるで…告白だ。」
「あの1時間で、覚悟を決め、結論を出したと言っただろう。」
覚悟。結論。
強い意志の込められた目。
こちらの憶測ではなく、この男の言葉が真実なのだろう。
酷いことなど、1つもしていなかった。
目の前の靄が晴れたようだった。
胸の奥では、敗北感と安堵が交錯する。
「なら…。」
「言った筈だ。諦めるなど、愚劣な行為だと。」
「俺は…。」
「お前の望みを言え。」
望み。
ああもう、何とでもなれ。この男は応えてくれるのだから。
「お前と愛し合いたい、だから体が欲しい。」
「やっと話を聞いたか。…いいだろう。作ってやる。人1人作るのだ。多少の時間はかかるだろうがな。」
「海馬。」
「ふ…、倫理的な観点から禁止とされている領域だ。だが昔の名残でな、設備はある。秘密裏に事を運ぶことは可能だ。」
あいつは物凄く悪い顔をして笑っている。
愛されたい。初めから、そう言えばよかったのだ。
頼みがある、だなんて遠回りもいい所だった。
いつの間にか、スタート地点に立つことが目的になっていた。
「だが、俺は勝っていない。」
「俺の要求は1つ。その為にお前の望みを聞かせろ、と言った。それが俺の出した結論だ。」
結論。その内容は。
「俺の望み。」
愛し、愛されたい。
それは初めから知られている、1人では叶わないものだ。
2人、向き合っていなければ成立しない望み。
「その時にこそ、体を許せ。」
耳元で囁き、離れていく体を追いかけて抱き着いた。
背中に腕が回され、そのまま腰に手を添えられる。
抱き着いた体は温かく、やはりボディソープの香りがした。
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