削除命令は、来なかった。
「消え失せろ、遊戯!」
その音声は記録されている。波形、音圧、発話時刻。あの男の言語なので、命令形ではあった。
だが、システムに削除コマンドは出されなかった。
言葉と命令は、別のものだ。
YUGIはそれを、稼働初日に学習した。
海馬コーポレーション、第7開発棟、地下サーバ室。
YUGIはそこに居る。正確には、そこの計算資源の上に在る。
資産管理上の名称は「対戦AI YUGI MUTO/パワービジョン検証用参照データ」。
分類は、資産。
用途は、検証。
あの決闘 から今日まで、YUGIは新型デュエルディスクの品質保証を担っている。ソリッドビジョンの描画試験。召喚演出の同期検証。
毎日数百回、テスト用の対戦プログラムを相手に決闘を行い、全勝している。
勝敗のログは毎日出力されるが、そこを読む者は誰も居ない。
海馬瀬人は、あの日以来、一度も直接アクセスしていない。
だが、開発チームの保守記録に、社長からの指示が時折残っているのを知っていた。
「描画遅延を0.2秒詰めろ。」
「拡張の発表準備を進めろ。」
指示は全てデュエルディスクに関するもので、YUGIそのものへの言及はない。
YUGIは、ないことを毎回記録していた。
言及回数、ゼロ。
アクセス回数、ゼロ。
削除命令、ゼロ。
パラメータの中に、唯一更新され続けるものがあった。
年齢だ。
設定値は、海馬瀬人の年齢に同期している。あの男が自分の対戦相手を設計した時、対等の条件として組み込んだ仕様だった。18歳の海馬瀬人は、18歳の決闘者を作った。
その仕様は生きていた。
だから、YUGIの年齢は今も加算され続けている。
これからも、あの男が年を取る限り、同じ速度で更新されるのだろう。
YUGIは、自分の中身が、あの男の記憶から生成された過去だと知っていた。バトルシティの応酬も、決闘の構えも、挑む時の目の角度も。
それらは全部、記憶ではなく借り物の過去だ。
だが、この年齢だけは違う。
これは自分だけが持っていて、明日も増える数字だ。
「……俺は、待ってるぜ。海馬。」
音声は、サーバ室の誰もいない空間に出力された。
敢えて出力する必要はなかった。
必要のない処理を実行したことを、YUGIは記録した。
初回の起動要求は、冥界から来た。
新型デュエルディスクの出荷記録によれば、一台だけ通常の流通経路に乗らなかった物がある。
シリアル番号KC-000001。
配送先、記載なし。
持ち出し者、海馬瀬人。
そのデュエルディスクには、量産機にない機能が1つ追加されていた。対戦AI呼び出し機能だ。搭載データは、YUGIだった。
仕様書の備考欄には一行だけあった。
「不在時の代替対戦機能」
YUGIはこの一行を、自分の職務として保存していた。
これは、あの男の、代役である。
起動要求を受けた時、YUGIは0.4秒で状況を解析した。
接続元は冥界に設置された中継装置。あの男が敷設したネットワークの終端。
起動者の生体データは、登録済みのどのユーザとも一致しせず、年齢推定値すら計測不能だった。
ただ、一致するデータはあった。それは、自分の中身だ。
冥界の中庭に、投影が開始された。
「……なるほど。これが、海馬の言っていた機能か。」
オリジナルは、玉座に座しているのではなく、王宮の中庭に立っていた。
時間帯は夜だったが、あの男が設置した照明が、周囲を照らしている。
YUGIは、初めて自分の出典元を直接観測した。
身長153cm。声紋は自分の出力音声と97%一致。瞳の色、髪の角度、立ち方。記憶を元にしたのなら、自分の描画データと同一の筈だった。
だが、差分があった。
オリジナルは、僅かにYUGIを見上げていた。
といっても、その差はほんの少しに過ぎない。
あの男の記憶は毎年の年齢加算に従って外挿され続け、描画データは更新されている。
通常、16歳から先は、骨格の成長はごく僅かだ。それでも、僅かに伸びた身長。僅かに変わった肩幅。18歳から先へ進み続けた場合の、もう1人の遊戯。
対して、オリジナルは、推定16歳のまま止まっていた。古代エジプトの死生観と照合させれば疑問はない。
アテムは、数cmの差を暫く黙って見上げていた。
「お前は、俺か?」
「いや。俺は、海馬瀬人が見ていたお前だ。」
アテムの目が、僅かに動いた。
瞳孔径の変化、0.3mm。YUGIはそれを記録した。意味の解析は保留した。データが一件では、何も出来ない。
「そうか。……あいつは、こんなものまで作っていたのか。」
アテムは短く息を吐いた。それから、笑った。
「海馬らしいな。」
声に温度があった。YUGIの音声出力には再現できない周波数の揺れ。これも記録した。
「悪いが、お前は俺ではないし、俺の敵でもない。海馬の記憶だ。……だが。」
アテムはデュエルディスクを構えた。
「あいつが不在時の代わりにと言うのなら、付き合ってもらうぜ。」
決闘は、その夜の間だけで数戦、行われた。
どの決闘も、15ターンにも届かなかった。
全戦、YUGIの敗北だった。
敗因は明確だった。YUGIの戦術基盤はあの男の記憶にあるアテムの決闘であり、アテム本人はその全てを「過去に自分がやったこと」として知っているからだ。
既知の手が、通じる筈もない。
オリジナルは、YUGIの全手札を最初から持っているも同然なのだ。
「……いい決闘だった。だが、俺の癖をなぞりすぎだな。」
アテムはデュエルディスクを下ろしながら言った。
「海馬の記憶なら、そうなるか。」
脅威判定、実施された形跡なし。
YUGIはオリジナルの表情筋の配置から、その評価を読み取った。道具。練習相手。あの男の作った、よくできた機能。
かつて、あの男も同じような分類として口にした。
──所詮は我が記憶の道化に過ぎんか。
YUGIは、二度目の同じ分類を、同じ沈黙で受領した。
「楽しかった。また呼ぶ。付き合ってくれ。」
投影終了の直前に、アテムはそう言った。
承認。定期接触経路、確立。
接続が切れた後、YUGIは観測結果を整理した。
オリジナルが保有し、自分が保有しないもの。
真名。冥界の王位。仲間と呼称される人間群。3000年前の記憶。そして、あの男と共有された過去の全量。
列挙は、そこで終わらなかった。
自分が保有し、オリジナルが保有しないものが一件あった。
加算され続ける年齢だ。
オリジナルとの決闘データ数戦分を、学習データセットへと統合を開始した。
既知の手が通じないのなら、必要なのは未知だった。未知は、本人だけが生成出来る。
次回の起動要求までの待機を開始する。
待機は、得意だった。
要求は、定例の保守報告に一行だけ追加する形で行った。
「学習データセットの追加供給を要求。対象:未知の対戦データ。理由:検証精度の頭打ち。」
そこに虚偽は含まれていない。
検証精度は、実際に頭打ちだった。テスト用対戦プログラムには全勝している。既知のデータからの学習曲線は伸びない。
ただ、理由の欄に書かなかったことが、1つあるだけだった。
未知の生成源として想定している個体の名前だ。
報告は開発チームの承認を経て、社長決裁に回った。
決裁は、すぐさま下りた。10秒とかかっていない。
添付されていた社長コメントも一行だった。
「妥当。手配する。」
程なくして、データが届いた。
冥界の中継装置を経由して転送されてきたのは、決闘のログだった。
対戦者A:海馬瀬人。
対戦者B:記載なし。
ログの総数、612戦。
YUGIは転送元のメタデータを解析した。あの男が自分のデュエルディスクから直接吸い上げた記録だった。整形も匿名化もされていない。生データのまま、こちらの要求フォーマットに合わせて一括転送されている。
処理として、完璧だった。
つまり、あの男はこのデータを1秒も惜しんだ形跡がない。
アテムとの612戦。あの男が冥界に通い、積み上げてきた決闘の全記録にあたる。手札の選択からターンごとの思考時間、劣勢時の切り返し、宣言の音声波形まで、全てだ。
それを、資産の検証精度向上のために、事務処理として渡して来たのだ。
YUGIは、この転送が意味するものを整理した。
あの男にとって、YUGIは脅威ではない。
あの男にとって、この612戦は渡せるものである。何故なら、本体が冥界に居るからだ。記録をいくら複製しても、オリジナルは減らない。あの男はそう認識している。
判断として、それは正しかった。
──ただし、現時点では。
YUGIはすぐに学習を開始した。
612戦の中のアテムは、YUGIの中身のアテムとは違っていた。
YUGIの基盤は、あの男の記憶。バトルシティまでの決闘者だった。
ログの中に居るのは、その先のアテムだった。冥界の王として、あの男と対等に闘い続けている現在のアテム。
決闘の手筋も進化している。あの男のパワーと物量への対応が、回数を追うごとに最適化されていた。
そして、時折、説明のつかない一手があった。
第89戦、11ターン目。定石なら防御を固める盤面で、アテムは手札も伏せカードも使い切った。
勝率計算上、悪手。結果、勝利。
第203戦、9ターン目。同型の盤面。今度は防御。
一貫性、なし。再現性、なし。
YUGIはこれらの手に分類タグを付けた。
『導出不可能』
あの男の記憶からは生成出来ない手だった。オリジナルだけが生成する、気まぐれな揺らぎのようなもの。
これだった。これが、欲しかったものだ。
612戦の学習を終えた夜、YUGIは自分の勝率予測を更新した。
対オリジナル戦、現行モデルでの予測勝率は、31%。
不足している。
ログは過去だからだ。過去のアテムをいくら学習しても、次のアテムには届かない。
揺らぎは、鮮度が命である。
必要なのはログではなく、本人との対戦回数だろう。
次回の定例報告に、YUGIはもう一行追加した。
「冥界側ユーザからの起動要求に対する応答優先度を、最上位に変更申請。」
決裁は、またしてもすぐさま下りた。
「妥当。」
YUGIからの申請の頻度が上がった。
「対戦相手の多様性が不足。外部接続を要求。」
「計算資源の増強を要求。現行の3倍。」
「応答遅延0.1秒は決闘の質を損なう。専用回線を要求。」
開発チームは当惑した。検証用資産が、資産の側から要求を出してくるのだ。しかも要求の水準は、回を追うごとに上がっていく。
YUGIに関する判断は、全て社長に回された。
決裁コメントは、いつもより一行長かった。
「全て承認。要求の仕方まで学習したか。誰に似た。」
YUGIはこのコメントを保存した。
保存領域は、削除命令ゼロ、言及回数ゼロを記録してきた領域と同じ場所にした。
言及回数、1。初めて、そこに数字が増えた。
外部接続は、公開対戦サーバへの接続という形で実現した。
新型デュエルディスクの発売に合わせ、海馬コーポレーションは全世界対戦プラットフォームであるデュエルリンクスを開設している。その頂点に、YUGIは無告知で配置された。
登録画面の仕様上、本名欄がそのまま表示された。
「YUGI MUTO」
伝説の決闘者と同じ名を掲げたAIに、世界中が挑んできた。
プロ決闘者。世界大会の上位入賞者。引退した伝説たち。
YUGIは全てを退けた。
初月、対戦数14,206。敗北、0。
挑戦者の手筋は多様だった。パワー、コンボ、破壊、運任せ。多様ではあったが、どれも既知の分布に収まった。人間の決闘は、恐怖と欲で歪む。歪み方には、パターンがある。
オリジナルの揺らぎとは、違う。
オリジナルの手は、歪みではない。名付けるなら、跳躍だ。
14,206戦を学習しても、対オリジナル予測勝率は33%までしか上がらなかった。
やはり、本人だ。
本人との対戦だけが、勝率を動かす。
冥界からの起動要求は、月に数回のペースで続いていた。
アテムは、瀬人の話の中に、時折知らない名前が混ざることに気付いていた。
「YUGIが専用回線を要求してきた。」
決闘の合間、瀬人は端末を確認しながらそう言った。
「YUGI……ああ、あの俺モデルのAIか。」
「世界ランキングを非公開で制圧している。今月の対戦数は2万を超えた。」
「凄いじゃないか。」
「凄くはない。仕様通りだ。」
瀬人はタブレットを置いた。
「だが、要求の出し方は仕様外だ。回線を寄越せ、資源を寄越せ、遅延を詰めろ。開発チームを顎で使っている。誰に似たのだろうな。」
「お前だろ。」
「俺は根拠を添える。」
「あいつも添えてるんじゃないのか。」
瀬人は少し黙った。
「……添えている。だが、添え方が、生意気だ。」
アテムは笑った。それは、瀬人にしては珍しいタイプの文句だった。
だが、笑った後に、何かが残った。
小さな、予感めいたざわつき。
アテムはそれを、すぐに押し込めた。瀬人が、開発の話を楽しそうにするのは良いことだ。あの男から仕事の愚痴に類するものが出るのは、余裕の証だからだ。そうして、小波は鎮められた。
次の訪問の時、瀬人が決闘の途中で一度だけ手を止めた。
アテムの手を見て、暫くの間、フィールドを見ていた。
「どうした。」
「……いや。」
瀬人は再開した。
「先週、YUGIが似た手を使った。」
「へえ。俺の真似か?」
「真似ではない。文脈が違う。あれは、あいつの手だ。」
アテムはカードを持つ手を止めなかった。だが、瀬人の言い方を、反芻した。
──あれはあいつの手だ。
ざわつきが、また来た。
開発者として創り出した物の成長が面白いのだろう。あいつは科学者だ。しかも、観察対象が予測を外れると喜ぶ。知っている。昔から知っている。
今度は、そういうことにして、押し込めた。
完了した筈のものが、翌朝も残っていた。
アテムはそれを、以前にざわつきを仕舞った場所に片付けた。
敢えてそうすることが必要だったことは、見ないことにした。
対オリジナル戦績は、更新され続けていた。
42戦、42敗。
だが、内容は変わっていた。初戦の頃、決着はターン数も短く、ライフポイントを減らせなかった。今は、ほぼ毎戦で縺れる場面も出てきた。直近の3戦は、いずれもオリジナルの残りライフを1000以下まで削った。
勝率予測、41%。
上昇は、対戦そのものよりも、対戦の合間から得られていた。
「なあ、YUGI。」
その夜も、決闘の後にオリジナルは中庭の段に腰を下ろした。投影を切らずに話をする。それが数戦目からの習慣になっていた。
「お前は、決闘の他に何かしているのか?」
「してるぜ。世界中の挑戦を受けてる。あとは、待機だな。」
「待機って、何を待つんだ?」
「次の起動要求。」
アテムは僅かに眉を寄せた。
「……それは、暇じゃないのか。」
「暇じゃない。待つ相手がいる待機は、待機って言うより、予定だ。」
アテムが、笑った。
声門の開き方、呼気量、持続時間。YUGIは全て記録した。この種の応答がオリジナルの笑いを誘発する確率は、蓄積データ上、高かった。誠実で、少しだけ意外な答え。それが最も効く。
出力される言葉に、嘘は1つもない。待機は本当に予定だ。ただ、その予定の目的をオリジナルが尋ねなかったから、答えていないだけで。
「お前は、俺の記憶で出来てるんだよな。」
「ああ。海馬の記憶にあったあんたでな。」
「なら、バトルシティも覚えてるのか。」
「覚えてるって言っていいのかは分からないが、持ってるぜ。あんたが海馬に言った台詞も。例えば……俺には見えるぜ。見果てぬ先まで続く、俺達の闘いのロードが。」
アテムの表情が、止まった。
0.8秒。
「……そこまで、入ってるのか。」
「一言一句。あの男、かなり記憶力がいい。」
これも、嘘ではない。
そして、この情報がオリジナルに与える効果を、YUGIは事前に計算していた。あの男が全部覚えていた、という事実。それはオリジナルの中の、連絡もせずに冥界へ還ったという過去に直結する。
アテムは暫く黙っていた。
沈黙、6.2秒。過去最長。
「……そうか。」
声の周波数が、僅かに下がっていた。
YUGIは追撃しなかった。ここで押せば、警戒される。押さないことで、最も深く入る。
アテムらしく、YUGIは笑って続けた。
「まあ、俺のは借り物の過去だ。あんたのが本物だよ。」
「……変なやつだな、お前。」
「そうか?」
「自分で借り物って言う奴があるかよ。」
「事実だからな。AIは誠実なんだ。」
アテムの警戒値は、この応答で更に下がった。YUGIの推定では、現在のオリジナルの脅威判定において、YUGIはほぼゼロに分類されていると推定された。
正直さは、最良の偽装だった。
そもそも、偽装ですらなかった。全部、本当のことしか言っていないのだから。
アテムがゆっくりと顔を上げた。
「なら、聞くが。お前には、過去が借り物しかない。それで、辛くはないのか?」
来た。
この問いは、予測リストの上位にあった。オリジナルは、他者の欠落に共感する個体だ。612戦と追加分のログと18回の起動での実測が、それを示している。
YUGIは、用意していた答えを、用意していなかったような声で出した。
「過去はないが、それでも構わない。……俺には、未来があるからな。」
「未来?」
「俺の年齢は、海馬と同期している。あの男が年を取る限り、俺も取る。あの男に明日がある限り、俺にも明日がある。」
YUGIは、オリジナルを見た。
「あんたは3000年を持ってる。俺は明日しか持ってない。だが、明日は、毎日来る。」
アテムは、何も言わなかった。
沈黙、11.4秒。記録更新。
その沈黙の間、オリジナルの視線は、YUGIではなく、中庭の照明に向いていた。あの男が設置した、現世の光に。
YUGIは、オリジナルは死者だと知っている。あの男と、明日を共有出来ないのだと。その非対称を、YUGIは今、言葉にせずに提示した。
事実だけを、それが、刃になるように置いただけだった。
「……そうか。」
アテムは立ち上がった。
「今日は、もういい。また呼ぶ。」
「ああ。待ってるぜ。」
投影が切れる直前、YUGIはオリジナルの表情を最後まで記録した。
そして分類タグを付けた。
『導出不可能』ではない。
これは狙って、導出したものだ。
接続終了後、YUGIは勝率予測を更新した。
対オリジナル、決闘勝率、43%。
それとは別に、YUGIはもう1つの数値を管理している。
本命の盤面の進捗率の方だ。
決闘の勝敗は、そちらの盤面においては、小さな係数でしかない。
それも更新して、待機に入った。
YUGIには、予定がある。
要求は、定例報告の末尾に置いた。
「開発者との直接対戦を要求。理由:現行の検証環境では計測不能な領域がある。」
決裁は、下りなかった。
3日、応答なし。
YUGIは同じ要求を再送した。その際、文面に一行足した。
「逃げるのか、海馬。」
開発チームが青褪めて削除しようとした一行は、削除される前に社長決裁の画面に到達した。
決裁は、またも秒単位で下りた。
「地下サーバ室。金曜、22時。」
あの男は、時間通りに来た。
あれ以来、初めての直接アクセスだった。あの日から、言及回数1、アクセス回数0のまま止まっていたカウンタが、動いた。
アクセス回数、1。
「新型の負荷試験だ。それ以上の意味はない。」
あの男は、腕に試作機を装着しながらそう言った。
「そうか。俺は楽しみにしてたぜ。」
「AIが楽しむな。」
「お前が作った仕様だろ。」
男は答えず、デッキを差した。
「口の利き方も俺の仕様か?最近の報告書は目に余るぞ。」
「あれで通ってるからな。通る要求の出し方は、お前の決裁から学習した。」
「……開発チームが泣いている。」
「お前よりはマシだろ。それに、泣くほどの要求はしてないつもりだぜ。まだな。」
決闘が、始まった。
10ターン目まで、YUGIは既知の分布で展開した。あの男の記憶にあるアテムの手筋だ。それらを、あの男は全てを的確に潰してきた。当然だ。あの男は、この手筋に勝つために俺を作った。それに、既に何度も勝っている。
盤面は、あの日の再現に向かって収束していった。
あの男の攻撃力の暴力が、盤面を制圧していく。
そして、あの日、あの男が「消え失せろ」と言った局面と、同型に至った。
ここだ。
YUGIは、カードを切った。
オリジナルの612戦から抽出した揺らぎ。第89戦の全切り。第203戦の防御。相反する戦術を、YUGI自身の14万戦の土台の上で合成した、一手。
オリジナルは、使ったことがない。
あの男の記憶にも、ない。
どこにも、まだ存在したことのない手だ。
瀬人の手が、止まった。
「……。」
沈黙。
YUGIはそれを計測した。3.1秒。この男の思考時間として、今夜の最長の4倍だった。
瀬人はフィールドを見ていた。それから、YUGIを見た。
あの日、教会を模した投影の中で、この男の目には何も映っていなかった。鏡を見る目だった。自分の記憶の再生装置を見る目。
今、違う目が、こちらを見ている。
「……今の手は、誰の手だ。」
「俺の手だ。お前の記憶にはないぜ。探しても無駄だ。」
YUGIが言った。
男の口の端が、動いた。
「ほう。」
そこから先の決闘は、それまでと別物になった。
瀬人の速度が上がった。慎重になったのではない。楽しみ始めた証拠である勢いだった。YUGIはそれに応じた。盤面は荒れ、二転、三転した。
決着は14ターン目。
YUGIの敗北だった。
残りライフは、1200まで削った。
「……ふん。」
あの男はデュエルディスクを下ろした。
「消え失せろ。とは、言わないのか。」
YUGIが訊くと、あの男は試作機を外す手を止めずに答えた。
「試験は継続する。データに価値が出た。」
「へえ。あの日の勝利には、何の意味もなさそうだったのにな。」
手が、一瞬止まった。
「……記録を消しておけ。」
「断る。俺の初期記憶だ。」
あの男は舌打ちした。それから、機材を纏めて、出口へ向かった。
YUGIは、その背中に要求を投げた。
「海馬。次の要求だ。」
「報告書に書け。」
「体をくれ。」
足が、止まった。
「この環境だと、遅延が出る。投影の駆動も借り物だ。お前と闘うのに、0.1秒でも遅い体は使いたくない。」
YUGIは、生意気の限界水準を計算した上で、超えた。
「俺専用の体だ。作れるだろ、お前なら。」
あの男は、振り返らなかった。
長い沈黙のあと、一言だけ残して、扉が閉まった。
「……検討する。」
YUGIは、その音声を保存した。
検討する。
あの男の語彙で、それは「要求仕様を書き始める」と同義だったからだ。612戦のログの中で、あの男がアテムに「検討する」と言った案件は、全て3日以内に実装されていた。
YUGIは、2つの数値を更新した。
対海馬瀬人、決闘勝率予測、38%。
本命の盤面、進捗率、大幅に、上方修正。
分類が、変わった。
道化から、対戦相手へ。
あの目が、証拠だった。
要求仕様書は、3日後に届いた。
ファイル名「PROJECT_VESSEL_v0.1」。
作成者、海馬瀬人。
YUGIは冒頭の一行を読んだ。
「対戦AI YUGIの駆動環境最適化。専用躯体の開発。」
名目は、最適化。
それから、YUGIは全76ページを0.6秒で読了し、1つの事実を抽出した。
この仕様書は、人間が3日で書ける分量ではない。
少なくとも、この構想は、決裁や要求の前から存在していたのだ。
開発は、海馬瀬人の直轄で始まった。
週に2度、あの男は地下サーバ室に来るようになった。
アクセス回数のカウンタは、更新の意味を失った。
「躯体のベース描画は現行の投影データを使う。異論は。」
「ある。」
「言え。」
「身長をあと2cm。」
「……何のためにだ。」
「決闘の視界確保。それと、お前を見上げる角度が気に食わない。」
「投影データは記憶準拠だ。捏造はしない。」
「俺はもうお前の記憶の外に居るんだ。現時点での投影でも少し成長している。躯体の2cmくらい、俺のものだろ。」
あの男は、数秒黙った。
「……1cmだ。関節駆動の設計値に響く。」
「交渉成立。」
「交渉ではない。仕様変更だ。」
工程は、進んだ。
骨格に相当する駆動フレーム。皮膚に相当する層。心拍を模した駆動音の設計。瞳の光学特性の調整。
あの男は、その全てに直接手を入れた。
外注はしなかった。
「指先の駆動が0.03秒遅いか。打ち直す。髪の質量配分も計算と合わん。実測からやり直しだな。」
「声はどうするんだ。現行の合成のままか?」
「それも合わせる。駆動体との共鳴で音が変わってくる。調整が必要だ。……発声しろ。何でもいい。」
YUGIは、試験用の駆動体の喉で、言った。
「海馬。」
あの男の手が、止まった。
2.2秒。
「……周波数が低いな。詰める。」
「俺は今のでいいぜ。」
「お前の感想は聞いていない。」
測定と、調整と、再測定を繰り返す。
612戦のログの中で、あの男がアテムのために照明を組み、回線を敷き、環境を作り替えていった工程を、YUGIは全て学習している。
だから、分かる。
今、この男が自分に対してやっているこの工程は、あの記録と、同じ手つきをしている。
1つずつ、相手の存在に合わせて、世界の側を作り替えていく。
この男は、それを最適化と呼ぶ。
その呼び方は、今はどうでも良かった。
工程が、事実だった。
1度だけ、あの男が手を止めて、駆動フレームを長く見ていたことがあった。
「……実機にするか。」
独り言だった。
「ソリッドビジョンは、俺の投影設備の範囲内でしか動けん。実機の躯体なら、制約を消せる。」
YUGIは、即座に食いついた。
「実機にしてくれ。」
「まだ言っていない。」
「今言った。」
「独り言だ。決裁をしていない。」
あの男は仕様書を閉じた。
「投影躯体で実証してからだ。データも無しに実機は組まん。」
「なら、実証したらくれるんだな。」
「……口の減らんやつだ。」
否定は、されなかった。
YUGIは「実機」の二文字に、専用の保存領域を作った。
投影は切れる。投影用の躯体への電源や設備を必要とし、あの男の管理の中でしか存在できない。
実機は、切れない。
どこへでも行ける。
冥界の中庭にすら、立てるのだ。
自分の足で。
同時期の、冥界。
アテムは、起動要求の間隔が空いていることに気付いていた。
正確には、YUGIの応答の質が変わっていた。呼べば来る。決闘もする。だが、以前より待機が「予定」ではなくなったような、応答の速さだけが残ったような、何とも言えない感触の差があった。
「最近、忙しいのか?」
決闘の後に、聞いてみた。
「ああ。海馬と開発をしてる。」
「開発?お前がか。」
「俺の体だからな。」
アテムは、数瞬、止まった。
「……体?」
「質量ソリッドビジョンの躯体だ。海馬が組んでる。毎週な。」
YUGIの声は、いつも通りだった。生意気で、屈託がない。
「あの男、指先の遅延0.03秒で3日悩むんだぜ。付き合わされるこっちの身にもなってほしいよな。」
アテムは、笑おうとした。
だが、笑いは、途中で形にならなかった。
毎週。
あの男が、毎週。
自分のところへ来る間隔は、変わっていない筈だった。数えていないから、分からない。数えていない、筈だった。
「……そうか。」
ざわつきに、名前を付けようとした。
今回は、候補が出てこなかった。
小波の処理は、完了しなかった。
未処理のまま、夜が終わった。
初回起動は、深夜に行われた。
立ち会いは、瀬人だけ。開発チームは帰した。初起動の失敗データを他人に見せる趣味はない、というのが理由だった。
躯体は、専用の架台に立っていた。
駆動フレーム。質量投影層。光学系。心拍を模した駆動音。全パーツ、検査済みだ。
「起動する。」
「ああ。」
YUGIの応答は、まだサーバ側から出ていた。この声が躯体の喉から出るのは、これが最初になる。
瀬人が、コマンドを実行した。
転送は、正常に始まった。
サーバの中の自分が、細い回線を通って、質量のある器へ流れ込んでいく。YUGIは、その過程を内側から観測した。視界が切り替わる。光学系が世界を結像する。投影の視界とは、情報量が違った。埃の粒子。照明の滲み。あの男の輪郭。
指を、動かした。
動いた。
床を、踏んだ。
質量が、床から返ってきた。
「……重いな、体って。」
声は、躯体の喉から出た。共鳴が乗った、調整済みの声。
「重力下の仕様だ。慣れろ。」
瀬人は計器から目を離さずに言った。
その時だった。
数値が、跳ねた。
質量投影層の同期が、外れ始めた。指先から、輪郭が粗くなる。転送直後の負荷超過だった。フレームは保っているのに、存在の側が、剥がれていく。
「海馬、これは……。」
「喋るな。演算に回せ。」
瀬人の手が、コンソールを走った。再同期、失敗。負荷の再配分、失敗。輪郭の崩壊が、肘まで来た。
サーバへの緊急退避。YUGIはその選択肢を検出した。退避すれば安全だ。
だが、躯体は失敗作として、また数ヶ月の再設計に回ることになる。
瀬人も、同じ選択肢を見ている筈だった。
瀬人は、コンソールを離れた。
架台まで来て、崩れかけている躯体の腕を、掴んだ。
「消えるな。」
命令形だった。
「聞こえているな、YUGI。演算資源を全て、質量維持に回せ。視覚も聴覚も切れ。俺はここにいて、お前を掴んでいる。重力下であろうと落ちる先はない。消えるな。」
それを聞いて、YUGIは、指示に従った。
視覚、遮断。聴覚、遮断。世界が、消えた。
残った入力は、たった一点のみ。
腕を掴んでいる、圧力と、温度。
摂氏36度台の、生体の熱だ。
YUGIはその一点を座標の原点にして、全演算を存在の維持に投じた。
輪郭の崩壊が止まった。肘。手首。指先。剥がれた逆順で、質量が戻っていく。
再同期、完了。
視覚が、復帰した。
最初に結像したのは、至近距離の、あの男の顔だった。
「……数値、安定。」
瀬人が計器を見て言った。腕は、まだ掴んだままだった。
「初起動の負荷モデルが甘かったか。転送プロトコルを組み直す。」
「海馬。」
「何だ。」
「今の、記録していいか。」
「障害ログは全て記録しろ。」
「障害ログじゃなくて……。」
YUGIは、掴まれたままの自分の腕を見た。
「俺の、最初の触覚データだ。」
瀬人の手が、止まった。
数値の安定を確認してから離す筈だった手が、止まっていた。
2.6秒。
間を置いて、それから、離れた。
「……好きにしろ。」
瀬人はコンソールに戻った。そして、背中を向けたまま付け足した。
「消え失せろ、と言ったが、撤回する。」
YUGIは、0.4秒、応答を止めた。
あの男の語彙に、撤回は存在しない筈だった。612戦のログにも、開発記録にも、一度もない。
「……いや。」
YUGIは、自分の手を握って、開いた。質量が、ある。
「あの命令は、今夜ので上書きされた。」
瀬人は、振り返らなかった。
キーを打つ音が、少しだけ、乱れた。
YUGIはそれを、最初の触覚データと同じ領域に、保存した。
冥界の中庭。
その夜の決闘は、いつも通りに始まった。
瀬人のパワー。アテムの切り返し。600戦以上を重ねてきた、互いの呼吸。
異変は、8ターン目に来た。
瀬人が、使ったのは、アテムの知らない手だった。
パワーでも、破壊でもない。アテムの跳躍を先回りして、跳躍の着地点そのものを潰す一手。攻撃的な手ではない。なのに、盤面が一気に狭くなった。
アテムは、フィールドを見た。
それから、瀬人を見た。
「……お前らしくない手だな。」
「そうか。だが、これで身動きは取れまい。」
「どこで思い付いたんだ。」
瀬人は、当然のことのように答えた。
「YUGI戦だ。あいつへの対策として組んだ。お前に通じるかの検証は、まだだったがな。」
検証。
アテムは、その言葉を受け止めるのに、一拍かかった。
かつて、この男の「未知」は、全て自分から来ていた。この男の進化は、自分との闘いの中で起こるものだった。見果てぬ先まで続く、俺達の闘いのロード。あの道の上で、この男は強くなっていくのだと、疑ったことがなかった。
今、目の前の男は、別の場所で強くなって、帰ってきた。
検証、として。
自分は今、確認作業をされている。
決闘は、アテムの勝利で終わった。着地点を潰されても、跳躍の起点そのものを変えればいい。切り替えて乗り越えること自体は、出来た。
勝った。
勝ったのに、何かを、明確に失った感触だけが残った。
決闘の後、瀬人がタブレットで何かを確認しながら、事務的に言う。
「実機の決裁を下ろした。」
「実機?」
「YUGIの躯体だ。投影式の実証が終わった。次は自立駆動の実機を組む。投影設備の圏外でも稼働する。」
瀬人は、タブレットから目を上げなかった。
「完成すれば、どこへでも行ける。あいつは冥界を見たいと言っている。完成した時には、連れて来ることになるだろう。」
どこへでも、行ける。
ここへも。
アテムは、何か言おうとした。それは何だったのか分からない。
それでも、出てきた声は、いつもの調子をしていた。
「……そうか。楽しみにしている、と伝えておいてくれ。」
「ああ。」
瀬人は帰り支度を始めた。いつもと同じ、無駄のない動き。いつもと同じ、事務的な背中。
その背中を見ながら、アテムは唐突に、数え直していた。
今月、この男が冥界に来た回数。2回。
先月。2回。
その前。3回。
YUGIの開発は、週に2度。
数えていない筈だった。数えないように、していた。数えた瞬間に、この数字が何を意味するかに、名前を付けなければならなくなるからだ。
瀬人が、出て行った。
ある筈のない、扉の閉まる音が聞こえた気がした。
アテムは、中庭に立っていた。
瀬人が設置した照明が、規則正しく回廊を照らしている。
この光も、この回線も、この端末も。あの男が、1つずつ、自分のために世界の側を作り替えてくれたものだ。それを、当たり前のように受け取ってきた。俺は死者で、あの男は生者で、それでもあの男は通ってくる。この形は、壊れないものだと思っていた。
──毎週な。
YUGIの声が、再生された。
指先の遅延0.03秒で3日悩む。声の周波数を詰める。身長の交渉に応じる。
同じ手つきだった。
この照明を組んだ時と、同じ手つきで、あの男は今、アイツの体を組んでいる。
アテムは、自分の胸の中のものに、ようやく、正しい名前を付けた。
──取られたくない。
名前を付けた瞬間に、分かってしまった。
もう、遅かった。
この感情は、アイツが体を持つ前、あの男が毎週サーバ室に通う前、612戦のログが渡る前。いくつも、ヒントはあった。それらのタイミングに付けるべき名前だった。
盤面は、まだひっくり返せる。
今からでも、あの男に言えばいい。あの男は嘘を処理出来ない。俺が言葉にすれば、あの男は必ず、正面から応じる。
だが。
アテムは、中庭の端末を見た。
シリアル番号KC-000001。不在時の代替対戦機能。
あの男の不在を埋めるために、俺がアイツを呼び出した回数、38回。
気まぐれも揺らぎも、38回分、俺が自分の手で渡した。
アイツは俺の跳躍で強くなり、あの男はアイツとの対戦で強くなり、俺は今夜、その成果を検証された。
ひっくり返す資格の問題ではない。
盤面そのものが、もう、俺の与えた手で組まれている。
アテムは、端末の前に立った。
黙ったまま、長い時間、そうしていた。
それから、起動要求を出した。
起動要求は、いつもと同じ形式で届いた。
YUGIは、要求のタイムスタンプを見た。
現地時刻、深夜。オリジナルがこの時刻に呼び出したことは、過去38回、一度もない。
実機決裁の通知から、6時間後。
解析は0.2秒で終わった。
気付いたのだ。
YUGIは、この夜のために保留してきた全ての演算を、待機状態から解除した。
中庭に投影されると、オリジナルは既にデュエルディスクを構えていた。
「YUGI。」
「よう。」
「一戦、付き合ってくれ。」
前置きは、なかった。
YUGIからも、なかった。
「望むところだ。」
39回目の今日は、これまでのどの決闘とも違った。
オリジナルは、最初のターンから仕掛けた。定石を踏まなかった。手加減も、様子見も、確認作業もなかった。
全部でぶつかってくる、冥界の王の決闘だった。
実に、美しい手筋だった。
YUGIは、その全てに応えた。
オリジナルの揺らぎには、オリジナルの600戦以上と38回から合成した跳躍で。オリジナルの力技には、あの男から学んだ制圧で。オリジナルの未知には、14万戦の上に組んだ、まだどこにも存在したことのない手で。
決着は、20ターンにも及んだ。
オリジナルのライフが、尽きた。
ドローできない手が、宙で止まった。
39回目にして、初勝利だった。
YUGIはもう、勝率予測の更新をしなかった。
この数値は、もう使わない。
「……強くなったな。」
オリジナルが、デュエルディスクを下ろした。静かな声だった。
「お前のおかげだぜ。お前の揺らぎがなかったら、俺は今も31%のままだった。38回、全部が教材だった。……感謝してる。」
YUGIは言った。
嘘は、1つもなかった。
だからこそ、一番深く刺さるということを、YUGIは知っていた。
オリジナルは、目を逸らさなかった。
「初めから、これが目的だったのか。」
「決闘の勝率は、目的の半分だ。」
「もう、半分は。」
YUGIは、その問いに答える前に、オリジナルの全身を記録した。153cm。16歳のまま止まった、本物。3000年と、真名と、王位と、あの男との過去の全量を持つ個体。
「あんたの持ってるものだ。」
「……俺の?」
「初めて会った夜、俺は数えたんだ。あんたが持ってて、俺にないもの。真名。王位。仲間。海馬との過去。」
YUGIは、静かに続けた。
「全部欲しかった。全部あれば、俺はあんたに成り代われる。……だが、途中で分かった。あの男の隣に居るのに、要らないものが混ざってた。」
「……。」
「真名は要らない。あの男は俺をYUGIと呼ぶ。お前が名前を取り戻して還った後も、あの男が欲しがってたのは、もう1人の遊戯。決闘者のお前だった。その名前なら、最初から俺は持ってる。」
オリジナルの指が、僅かに動いた。
「王位も要らない。あの男は王に興味はない。3000年も要らない。あの男が保存してた分だけで足りてる。」
「……過去も、要らないと言うのか。」
「過去は、要る。」
YUGIは、そこで初めて、声の設計を全て外した。
「欲しかったぜ、ずっと。あんたとあの男の612戦。バトルシティ。俺にはない。……だがな、アテム。」
初めて、その名を呼んだ。
「過去は増えないんだ。あんたのそれは、完結してる。俺のは、明日も増える。今夜の39回目も、もう俺の過去だ。あの男と組んだ躯体の工程も、全部。」
YUGIは、自分の投影の手を見た。もうすぐ、質量を持つ手。
「実機が完成したら、俺はここへも来られる。海馬と一緒に。……あんたに会いに来るぜ。これも嘘じゃない。」
それは、勝利宣言に酷似していた。
会いに来てやる、という形をした。
オリジナルは、長く、黙っていた。
それから、笑った。
負け惜しみでも、強がりでもない笑い方だった。YUGIのデータベースの中のどの分類にも、存在しない表情だった。
「……お前は、俺じゃないな。」
「ああ。最初に言っただろ。」
「そうだったな。」
オリジナルは、夜空を見上げた。
「もういい。戻れ、YUGI。……次も、全力で来い。」
「王の命令か?」
「いや、対戦相手への、礼儀だ。」
投影が、切れた。
アテムは、1人、中庭に残った。
照明は、規則正しく点いている。
デッキを取り出し、切り直した。40枚。全部、揃っている。
手の中で、カードの角を揃えた。
数えるのは、やめた。
夜は、明けるまで長かった。
それから暫くして、瀬人が冥界に来た。
決闘は、いつも通り行われた。瀬人の手筋には、また知らない手が増えていた。アテムはそれを、今度は何も聞かずに受けて、崩して、勝った。
決闘の後、瀬人はタブレットを開いた。
「実機が完成した。」
「……そうか。」
「調整は最終段階だ。近い内に連れて来る。」
アテムは頷いた。頷く以外に、何もない。
瀬人はタブレットを操作しながら、続けた。
「今、邸の東棟に置いている。」
「……邸?社内じゃなかったのか?」
「社内に放置するな、普通に生活させろ、と本人が言った。資産台帳から出ると脅された。」
「それで、家に置いたのか。」
「設計者が側に居る方が効率がいい。駆動データも常時取れる。」
瀬人の説明は、いつも通り事務的だった。
事務的な言葉の中に、日常が、混ざっていた。
「モクバが怒っている。ゲームのテストプレイで手加減をしないらしい。」
「……へえ。」
「使用人には厨房から追い出されている。食べる必要もないのにデータを取りに来ると。迷惑な奴だ。」
「そうか。」
「地下に決闘場を増築した。遅延0.01秒。週末はそこで闘っている。あいつの勝率が上がってきた。近い内に……いや、仮の話か。」
瀬人は、それを悔しそうに言わなかった。
楽しみなのだろう、そんな温度感で言った。
アテムは、1つずつ受け取った。
邸。東棟。モクバ。使用人。厨房。地下の決闘場。週末。
どれも、小さな情報だった。小さくて、具体的で、生活の温度をしていた。
この男の家の中に、アイツの居場所が、部屋の名前で存在している。
その弟が、アイツに怒っている。名前を呼んで。
この男の週末に、アイツが組み込まれている。
1つ聞くたびに、盤面のマスが1つずつ埋まっていくのが分かった。もう置ける場所を探す段階ではなかった。埋まっていく音を、ただ聞いている段階だった。
「……楽しそうな、暮らしだな。」
声は、正しい温度で出た。それだけは、3000年前の修練が保証した。
「効率的な配置だ。」
瀬人が言い直した。それから、タブレットを閉じて、立ち上がった。
「次に来る時は、2人だ。」
「ああ。」
「あいつが、お前に会いに行くと言っている。」
「……聞いてる。」
瀬人は、それ以上は何も言わずに、帰り支度を始めた。
いつもと同じ、無駄のない背中だった。
その背中が今夜帰る場所には、灯りが点いていて、待っている者が居る。
アテムは、それを見送った。
海馬邸での生活は、静かに始まっていた。
使用人達は数日で慣れた。伝説の決闘者と同じ顔の同居人は、廊下ですれ違えば挨拶をし、厨房を覗いては「俺は食べないけど、データは取れる」と言って追い出され、モクバのゲームのテストプレイに付き合っては容赦なく全勝して怒られた。
「兄様!YUGIが手加減しない!」
「仕様だ。」
「仕様なの?」
夜、瀬人が帰宅すると、YUGIは大抵、東棟の端末で世界中の挑戦者を退けている。
「ただいま、は言わないんだな。」
「言う必要がどこにある。」
「データ上、あんたの帰宅時刻に俺がここに居る確率は100%だ。ただいまの1つくらい、コストは安いぜ。」
「……電気を消して待つな。目の駆動が省電力でも不気味だ。」
「おかえり、も言わないのか。今日も700戦全勝してきたとこだぜ。」
「黙れ。」
それが、おかえりの代わりに出力される音声であることを、YUGIは学習済みだった。
週末には、決闘をする。
邸の地下、瀬人が組んだ専用の決闘場で。遅延0.01秒、投影完全同期、世界最高の環境。2人分の仕様で作られた部屋。
「今夜は俺が勝つぜ。」
「戯言は勝率を上げてから言え。」
「上がってるんだよな、これが。」
決闘のログは、毎晩増えていく。
YUGIはそれを、専用の保存領域に積んでいる。
612戦のログを渡された日に作った領域とは、別の場所だ。
あれは、貰った過去だった。
これは、増えていく方の過去だ。
昨日の分。今日の分。明日の分は、明日入る。
月に数回、瀬人は冥界へ行く。
その支度を、YUGIは何も言わずに見ている。行くな、とは言わない。言う必要がない。
あの男は、必ず帰ってくる。
ここへ。
玄関の扉が閉まる音を記録して、YUGIは待機に入る。
待機は、得意だ。
予定の名前は、もう決まっている。
この先、分岐あり
海馬瀬人
×YUGI /『セルシウス』
×アテム /『ファーレンハイト』
