色々あって、キリコとBJは付き合う事になった。
勿論こんな色事関連、言い出したのはBJではなくキリコの方だ。「付き合ってみるか?」に「ああ。」と安い受け答えではあったが原因はやや少し拗れたものだった。
そもそもの原因は、よくあることではあるのだが、患者がバッティングした所に遡る。
「だから、患者は自分を看病する恋人を苦しめたくないんだ。」
「嘘を吐け!依頼人であるその恋人は患者が生きているだけでいいから私を呼んだのだ。」
片や病に侵され死を望む患者と、毎日の看病に心を痛ませている恋人。
患者は悲痛な面持ちの恋人を見ているのが辛かった。病そのものよりもずっと辛いと思っていた。何度も別れよう、そして死ぬ前に綺麗に別れた事にでもして忘れてほしいのと言い続けていた。
対してその恋人は君が生きてさえいればいいんだ、と励まし続けていた。そんな状況をお互いに打破すべく、各々が医者を呼んだのだ。
「私が治す。そうすれば君のその病の様な思考も消え去るさ。キリコ、私は依頼を受ける、お前さんの出番はない。」
「72時間だ。BJ、俺だってやたら殺しまわっている訳ではない。72時間後に君のその依頼を受けるか決めさせてもらう。」
患者達を含め、そのようなやりとりがあった。
その後、主治医の元へ赴いて現状を聴き、資料を確認した。
「この画像は最近のものだな。ここ数ヶ月横ばいか。病状が急激に悪化していることがなければまず問題ないだろう。何を悲観して死神なんかを呼んだりしたんだ。ただの自殺だ。」
「さてね。この患者は死にたいのかもしれないな。」
「まさか受けるつもりか?これは治る。なんとしてもあの子を説得してやる。」
「それは時間になれば分かる事だ。お前さんも死にたがりな患者になど関わってないで放っておけばいいのに。」
手術を2日後とし、それに備えて病院側も準備が整えられていく。その最中だった。
「患者が死にました。」
闇医者2人はお払い箱となった。お悔みを申しあげようにも、BJへの依頼人も居なくなった。
「心中してしまいました。」
生きてさえいれば、と願っていたBJへの依頼人が、患者を殺して自殺を図ったのだ。
BJは驚き、馬鹿な事を、と憤りと悔しさを滲ませて病院を出た。キリコも、分からんでもない、と小さく嘆息し、それに続いた。
分からない事を分からないままにもやもやするのはBJの悪い癖だった。町の酒場で強い酒を煽り、ぶつぶつと独り言を言ってみたり、泣いてみたり、クダを巻いてみたりしていたところに遭遇したのがキリコの運のつきだった。出来あがった酔っ払いに絡まれて散々嫌味を言われ、そもそも今回死んだのも不吉な死神のせいだなどと言われ、しかし帰ろうにも離してもらえない。
「あんなことだって、だって生きていればと言ったじゃないか!そもそもお前さんが唆したんだろう。」
完全なる言いがかりである。
「関わんなっつったのに関わるからそんな面倒な思考になるんだ。」
「何だって?患者に関わらない医者が何処に居る。それに、殺されるのを黙って見ているなんて出来ない。」
「殺してないだろう、俺は。」
「くそっ、なんであんなことを。」
ガンっ、と大きな音を立ててグラスを机に叩きつける。割れるのではないか、次は投げるつもりでは、と他の客や店員は巻きこまれるのを恐れながらハラハラしている。そしてとうとう、若い店員が拭いていたグラスを落として割った。
ガラスの割れる高い音。BJがそちらを見るのを、キリコは胸倉を掴んで遮った。理性では、放っておけばいいのだと分かっていた。BJが何をしようと、どんな問題を起こそうとキリコに関係はない。勿論店に対して何か恩がある訳でもない。患者について残念な結果になったという思いはBJ程の情熱ではないにしろ持ち合わせており、そんな哀れな酔っ払いへの慈悲だと言い聞かせて攻撃性が余所へ向くのを止めてやったまで。
「そんなに分かんないなら先生、あいつらみたいに付き合ってみるか?」
「ああ。それで分かるんなら付き合ってくれ。」
駄目だ、酔っ払っている。キリコは確信した。付き合ってみれば分かるだなんて、BJがなるほどと思う要素はない。こんなことを意味も分からず、いや、意味が分かっていたとしても軽々しく了承する筈がないのだ。
きっと話半分でしか聴いていなかったのだろう。呆れた様子のキリコに、BJが不機嫌そうな顔をする。
「先生酔っ払ってんのは結構だがな、大人しく1人で飲む時にしろよ。」
「五月蠅いな、お前さんが今さっき付き合えといったばかりなんじゃないか。」
「俺が言ったのは交際してみるか、の意味だぜ?何にも分かってないだろ。」
「何だって?なんでそれで付き合ってみれば何かが分かるんだ。」
ほらみろ分かっていないとキリコはうんざりした。だが、BJが色んな訳の分からないもやもやを全部キリコに集中させることにした様子に、周囲は安心して各々の会話や作業に戻っていった。
BJに対して、安楽なしに死を送ってやりたいと思ったのは初めてではない。殺意をやり過ごすのが昔から得意でなければ今頃BJは大西洋にでも浮いていたことだろう。殺すという行為に関して超一流である自負もある。
「もういい、分かってないなら黙っててくれよ先生。」
水のグラスを掴ませて、半ば無理やり飲ませてやっと沈黙の時間が降りる。しかしそれも長くは続かない。
「2ヶ月だ。」
「何?」
「2ヶ月だけ試してみよう。それで分かるなら良し、分からずとも元と変わらない。」
酔っ払いめ。酔っ払いのくせに流石はBJだとキリコは感心した。損得勘定に狂いはない。
翌日になれば忘れている、もしくは冷静になって酒の上での笑い話、その程度になると思っていたのだが、しかし、BJは律義にもキリコの前に現れ、よろしく頼む、と普段ではまず聴く事のない挨拶をして帰っていったのだった。
そうして交際をスタートさせて数週間たった頃の事だ。キリコに抱きつかれて、BJが飛び上がるほど驚いた。ビクリと体を跳ねさせて、ついでにドキリと鼓動も跳ねた。
「何だ、キリコ。」
「会ったからハグしただけだぞ。」
「何でだ。」
「親愛の表現だ。」
「なるほど。…ああ、だが、そういうのには心の準備をしたい。」
考えるように、BJが目を閉じた。断じてこれはキス待ちではない。以前、なるほど、と言う度にメモを取り始めるのをキリコがやめさせた結果がこれなのだ。理屈じゃなくて感覚で覚えろ、身につけろ、と言ったにも関わらず、この天才は頭の中のメモ帳に記録をつけるという見えない反則技に切り替えた。
心の準備が出来ればどうってことはない筈だそうだが、一体何万通りくらいの愛情表現の方法をクリアするつもりだろうか。それよりもいっそ愛情表現という事象そのものをクリアしてしまった方が早い気がするし、普通は回数を重ねればいずれは慣れて大抵そうなるものだ。
メモを取り続けるBJを眺めて、なるほどこれこそからっきしだ、とキリコは脱力した。
それでも少しずつ新しい事を覚えて行く様子は野良が懐いて来るみたいな楽しさはあった。なので、付き合っているというのに全く刺激はないが、仕事も派手には動かず地道にBJと接し続けていた。
そんなある日のことだ。
風呂上がりには揃って晩酌をするのが日課だった。というか、それしかすることがないのだ。それはキリコの家でも出先でも同じで、ホテルの部屋にはいつもと同じように酒の支度。
「もう上がったのか。今日は早かったな。」
つまみを盛った皿を運べばセッティングは完了だ。
タオルでガシガシ髪を拭いているBJに対して、もちろんキリコは色気も何も期待してはいない。例えその格好がだらしないパンイチだろうとも、可愛げのあるバスローブだろうと、ガウンが肌蹴てセクシーだろうとも。
しかし、今日は少しだけ様子が違っていた。途中までふらふら歩いて来て、ふと思い出したように雰囲気が変わった。さり気なさを装っているが、鋭くはないものの目つきだけはしっかりしていて、何かを決意しているのが見て取れた。何をしでかす気なのかとキリコは内心身構える。何が起こるか分からないのでまず、皿を置いてソファに座った。
お付き合いをしている間の指定席、キリコの隣。向かいではなく、並んでソファに腰かけると、BJから抱きついて来たのだ。たったそれだけなのだが、悪い想像しかしていなかったキリコはBJのアクションにギクリとした。多分この行動が何であったとしても同じ反応をしただろう。
「おい、失礼だな。私からの親愛の表現をそんな無下にするなんて。」
確かに失礼だったかもしれない。せめて無反応に徹するべきだったが誰もそれを責められないに違いない。
「今はね、駄目なタイミング。先生得意の心の準備がいるやつだ。」
「どういうことだ。」
「近いって、危ないよ、先生。」
「大丈夫だ。脈を診てくれ。今日は自ら行動してみたからか平常だ。」
いくら脈が平常で、能動的な行動だったとしても、どんな反応が来るか分からない。行動そのものばかりに気を取られて、そこは考えていないらしい。
相手の気持ちや反応を無視するからこうなるんだ。とこっそり笑いながらBJの頬にキスをした。
「ほら、こういうことするぞ。危険だぜ、先生。」
すると、暫し固まった後、そんな馬鹿なと叫んで本気で飛び上がった。長い睫毛をばしばしさせながら瞬きを繰り返し、赤くなって何か言おうとしたり何て言おうか分からなくなったりしている。
そんな馬鹿なって、お前だろ馬鹿は。いつものように呆れて眺めていると、普通はどうなるかと聴いていた。知りたいのか。BJにはまだまだ早いし、きっとそんな機会は一瞬でも脳裏を掠めることすらなく2ヶ月を過ぎ、もしかするとこの男は一生そういうのを知らずに終わっていくのだろうと思っていた。
なるほど、いつ転機が訪れるかは分からない。それに、今教えなければ永遠にもやもやしそうだ。
「こういうシチュエーションなら、今頃は俺に抱かれて善がってるだろうよ。」
解答はかなり難易度が高かったらしく、メモ帳のどこに記入すればいいか分からないのだろう。九九もマスターしていないのに因数分解するようなものだ。暫く真っ白になったみたいな沈黙があった。
「なるほど。」
目が泳いでいる。未だ根気強くメモ帳のページをここでもない、これも違う、と捲っているのだろうが、残念ながらBJの脳内のメモにそんなページはきっとない。
少しずつ体が逃げて行く。漸く危険について思い至ったものがあったようで何よりだ。が、ここで甘やかせば2ヶ月で情緒の機微のほんの一欠片でも身につけば、と思っていたが何も学ばぬままその期間を終えるだろう。これはもうこの辺りでちょっと強引にペンかメモ帳を取り上げねば。
「出来のいい先生なのに、生徒にした途端出来が悪いお前が悪いんだぞ。」
逃げかけるBJを捕まえて、抵抗も何もかもが面倒なので押し倒して耳にキスをした。思い切り性的な意図を持って息を吹きかけたり舐めたり噛んだりしていると固まってしまった。見れば涙目だ、言わんこっちゃない。危険だと警告したのに聴かないからだ。
離してやれば、ふらふらとショートしたロボットみたいにベッドに入り、シーツを被って枕元の明かりだけ残してリモコンでライトを消した。
「お、おやすみ。ここは、お前の家じゃないんだし、お前も早く寝ないと明日チェックアウトが早いだろう。」
やっぱりお前が馬鹿だ。確かにいつもは雑魚寝したり、ソファに凭れたまま沈んだりしたことはある。
同じベッドに入って眠ったこともあるが、それはBJが付き合っていたり結婚していたりする者は並んで一緒に寝るものだと熱く語ったからそうしただけで手を出したことなど一度もない。思えばそれが誤解を助長させたのかもしれないが、違うものは違う。
オトコと泊まって、食べて飲んで、風呂上がりの晩酌は止めて抱きついて、と答えは1つしかないだろう。ベッドに入ってもぞもぞ弄ってみれば慌ててBJが暴れ出した。
「ま、待て。何でだ。心の準備が、お前そんなことするってさっき言わなかったじゃないか!待ってくれ!」
全部お前のせいだろ。
捲し立てる時と同じように、煽って煽って煽りたくって全てはBJの行動に起因する。情け容赦なく、分からないのなら分からせてやろうか、とやや酷い考えも脳裏にちらついたがキリコはBJを離した。
殴りかかってくるかもしれないので身構えていたが、BJは勢いよく起き上がり、身の安全を確保したきり暫し動かなくなった。回線がショートしたかメモ帳を紛失したか。
「おい。今日の所は勘弁してやる。おかしな癖が駄目だとは言わないがまずそれを止めない限り何が原因かは教えない。」
「わ、私はその、一応男なんだ。」
「そうか。奇遇だな、珍しく俺も同じことを思っていた。」
「キリコ、茶化さないでくれ。真剣なんだ。」
赤い目はいつだって魅力的だが、今のそれは緊張か興奮か何かで瞳孔が開いていて、結構チャーミングだ。
「考えたことがなかった訳じゃないんだ。ただ、あの時2ヶ月と言ってしまったから仕方ないんだ。心の準備が出来ても今更体の準備が出来ないからな。だから、私たちの間にはそういうことは存在しないと決めつけていたんだ。」
なんのことだと聴こうとして、分かってしまったのでやめた。この天才は目的の為に手段を選ばない冷酷な奴だ。しかしそれと同時に大馬鹿でもあるのだ。
天才外科医が、自分の腹を自分で開いた事もある天才外科医が、男と付き合って体の関係を考えなかった訳じゃないとしたらどんな行動に出るかなんて誰だって思い至るのはただ1つだ。
「2年にしてみるか?それなら俺がオペしてやるぞ。」
「結構だ!間に合ってる。自分で出来る。」
問題は自分でできることじゃないだろう。
「オペ云々は置いとくとして、BJ、男同士でのセックスは知らないのか?」
「知識としては知っている。」
寒気がした、と寒そうに語るので、知ったのはつい最近の事なのだろう。もしかするとどぎつい画像や映像を見たのかもしれない。
「だが、性交するのに必要なのは勃起する陰茎と濡れる膣だ。断じて肛門ではない。まず話はそこからだ。私になら出来る。五月蠅い奴らから倫理的な問題だと意見があるかもしれないがそれは当人同士のものだし、一対のペアが受胎を出来なくとも人類は滅びないだろう。」
また話が逸れていると感じたが、キリコは制止するのをやめた。熱くなっているのなら暫く放置してその熱を放出させることが最も楽な方法だ。BJを相手にした往なし方ならば今まで幾度となく経験していたためやたら得意だ。まさかこんな場面で活きるとはキリコ自身思ってもみなかったが。
「私の陰茎は事故に遭った時に再建されはしたのだが成人としては不完全だ。尤も、それを今まで放置したのは私自身なのだが。今それを修復して、更にお前さんの体を女性化するよりも私自身が受け入れられるようになるだけの方が解決方法としてより現実的だ。」
私は現実主義者なのだ、と言っているがどこがリアリストだ。セックスにお綺麗な理想を求めるお前はロマンチストだろう。それに、そんな重そうな話はこんなタイミングでそんな活き活きと楽しそうに語るものではない。恐ろしい解決策を見出して来る辺りが天才だからアイディアリストも足してやろう。
嬉々としてプランを話し続けるBJを前に、やはり情緒の発達具合が異常であると確信した。
暫く全ての治療法を話しつくして、満足したのかやっと静かになった。その間、キリコは引き攣りそうな表情も爆発させたい感情も、吐き出して浴びせたい言葉も、全てを無表情で押し込めて耐えることに成功した。問題ない、自分を押し殺す事は得意なのだ。
細く長い、押し殺した溜め息を吐ききり、深く息を吸い込み言葉を探す。
「そうだな。元々2ヶ月なんて短期間じゃ無理なものを現実的に、あと3週間でどうにかしようなんざ非現実的過ぎる。そもそも体目当てじゃないんだ、気にするな。俺も気にしない。」
「なるほど。」
漸くメモ帳を発見したらしく、どう見てもキス待ちにしか見えない思案顔が戻って来た。
「お前さん、案外ロマンチストだな。」
「先生には負けるけどな。」
何か言いたげな不思議そうな表情の、その半開きの唇に軽く触れたらBJが目を閉じた。嵐の後の和やかな雰囲気にすっかり安心しきっている。
何度か触れさせて離れると、キスしたことくらいはある、と不満顔だ。だから頬を包むように固定して、後頭部に手を添えるように捕まえて、ディープに、より卑猥になるように、咥内を犯すようなキスを仕掛けてみた。精一杯の仕返しだ。息継ぎが出来無さそうなので一瞬だけ離して呼吸をさせてやる。心の準備がどうとか言い出しそうな目をしたのでもう一度噛みついた。
上唇を挟んで咥内に舌を差し入れ、上顎をそっとなぞる。歯と歯肉の境目を丁寧に愛撫して頬も内から撫でてやる。歯の裏に飽きたら今度は表からライトにタッチして、深く舌の付け根を辿ってゆっくりと絡めていく。開きっぱなしで口の端から溢れそうになる唾液が零れ出る際で吸い取り、解放して音を立てて飲み込んだ。
呆然としたBJは、赤くなった後に青くなり、何だこれ、とか、キスってなんだ、とかぼそぼそ零して口許を押さえた。
「今の、何?今のは一体何だ?キリコ、何だったんだ?キスか?キスだな。キスなのか?キリコ!」
「キスだろ。」
口許にやっていた手を目許に移して顔を覆い、メグミごめん、と言ったきり黙りこんだ。衝撃的過ぎて寝たのか何なのか定かではないが、昔のパートナーの名前を出すのはいただけない。
リミットである2ヶ月が経った。
恋愛とかセックスとかいうものにつきものなドロドロしたものや凡そ綺麗とは言い難いものは受け入れられない夢見るヴァージン。それもかなり頑固で意地っ張りだ。力づくでもない限りオーラルでさえするのもされるのも却下だろう。
欲が美しいなんてありはしないと信じているから、実際にオンナと寝た所で幻滅するだけに違いない。仕方がないから1つだけ教えておいてやろう。
「キスで蕩けてる先生の顔、良かったよ。」
「あんなもののどこが。お前さんも、デレデレしていただけだったぞ。」
「からかってるわけじゃないさ。俺は心からそう思ってるんだぜ。気持ち良さそうで、そうするとこっちが安心するんだ。そういうもんだ。」
「良かった訳じゃないが、慣れればまあ見ていられるようになった。」
慣れ、とは違うのだがこの男はせめて慣れる事から始めた方が良さそうだ。行動には慣れて、感情には振り回されるのだろうと容易に想像出来る。
抱きしめて、触れそうなくらい近付いて、チャーミングなお気に入りの目を覗く。
「最後に、お前さんからキスがほしい。してくれないか、BJ?」
パチリと瞬きをしてからの、一瞬触れるだけのキスだった。
小鳥がつついたようなキス。成長もなにも見いだせないような行動にも関わらず、あっさりとキリコは腕を降ろして解放した。卒業試験だ、とばかりにもう少し小難しい課題を要求されるのではと考えていたBJはつい呆気に取られて思案顔になる。
「じゃあな。この経験から、色々と分かる事を祈るよ。」
こんな触り程度じゃああの心中した泥沼ヤンデレカップルの胸中など想像もつかないだろうが、BJの胸がやや早目に鼓動を刻んだことには素直に成長を認めてやろう。
「ああ。」
気の抜けた返事をしたBJに背を向けて歩き出す。今日で、お別れだ。たった今、別れた。またどうせそこいらで遭遇して大喧嘩をしかけてくるのだろうが他の誰かと遊ぶことも、会う事すらなかったストイックな時間は終わりだ。
散々な目に遭いもしたが、もしもまた、があるのならリトライする心構えは出来ている。但し2ヶ月なんて短期間では終わらせない。オペを望むならやってやろう。好みの体に仕上げてやる。
「キリコ。」
「何?」
呼びとめられるが振り返りはしない。もし繋ぎ止めたければ追いかける筈だし、そうしないということは繋ぎたくないということだ。
「お前さん、今からどこに行くつもりだ?」
「東南アジアにでも行ってみようかと思ってる。ああ、言っておくが仕事じゃないぜ。先生は?」
「家に。それから仕事に。」
寂しいと感じている訳ではないだろう、多少の空虚感はあるのかもしれないがそれは喪失に於いて誰しもが持つ感情だ。分からない事が分からないままであることに、それが僅かにでも解けかかっている事に、例のもやもやが解答を持つキリコを欲しているだけのことなのだ。
「仕事じゃなくて、交際でもなくて、どっかで会ったらまた飲もう。先生と飲むのは歓迎だ。」
エキサイトした酔っ払いになっていなければ。
「ああ。」
同じ言葉なのに今度はしっかりした返事を聴き、じゃあ、と再び歩き出す。また次の機会までそう長くはないだろうと経験的に知っている。BJは事故か何かだと思っているのかいつもいつも驚いた顔をするが、仕事で呼ばれてBJに会うということは必然でありそういうもの、だからだ。驚くほどのことではない。会いたくとも会いたくなくとも会う事になる。
今頃、何も分かっていないBJは今、キス待ちみたいな顔をしているか、交際が終わったからメモ帳を取り出して何かしら書き込みを始めていることだろう。
